2012年12月30日日曜日

わたしの話は変わらない

帰省してきた友人と会うことになった。

待ち合わせをしてから寒い中、隣の隣くらいのご町内へ歩いて出かける。散歩にはちょうどよい距離で、市内電車の音が響き、すれ違う人がまばらに現れてくる休日の歩道をただ西に進んで、街角にある、おフランスのケーキ店に着いて、二階に上がる。
がらんとした板張りの空間に大きなストーブが燃え、小さなテーブルと椅子があちこち置かれて、足音も椅子を引く音も響く。お客はほとんどいない。去年食べた、表面が琥珀のようなキャラメルでナッツが入っていたケーキを食べようとして、名前が思い出せない。一階からケーキをひとそろい持ってきてくれて選べるのだが、その日は作っていなかったようで、別のケーキを食べることとなった。友人は5種類のケーキが載ったプレートセットでお得。
食べながら、友人の仕事の話を聞く。

昭和の初期からあるというこの店は、一階のフランス菓子店とは別経営らしいのだが、レトロ喫茶のように艶々としているわけでもなく、意外と簡素で素っ気ない。階段の踊り場、階段を上がったところにあるホールとか二階席を広く大きくしたような感じで、奥の厨房側が暗くて通りに面した窓際が明るい。
友人からいろいろと聞いて帰った。3月に遭遇した地震のことや仕事のこと。長いお茶の時間だった。

と、書いたのが今年の初め頃だった。
友人の話が面白くて、そのことを書こうとしたらまとまらず、ほぼ一年が経ってしまった。
その友人とまた会うことになったが、今回は年明けではなく、年末である。

やはり同じように待ち合わせをして、歩いて同じ店に行った。

友人は転職をしていた。

それもまたとても面白い話で、聞いていても喉が渇くので、今日はおフランスのケーキ店2階をちょっとだけ早く切り上げて、近所の商店街にある喫茶店にも寄った。最初の店が「広島で初めてクレープを出した店」なら、次のは「広島で初めて(公式記録では日本で最初に)モーニングを出した店」らしい*。
どちらもゆったりと過ごせて有り難いのだが、前者はタンブラーに氷が入っていなかった。後者は氷が入っていて、清々しかった。
前者が「房州」、後者が「ルーエぶらじる」という。

ぶらじるのほうにも、その友人と一度寄ったことがあって、アメリカのヒマワリ農場の話を聞いたことがある。
ぶらじるは、別の友人がトイレが面白いと話してくれたことがあるのだが、お店が改装する前のことだったと思う。改装したといっても、かなり前のことだったかな。というのも全く今風ではなく、それが商店街に合っているのだが、奥の座席は小さな中庭が望めて、表とは違う空気感だった。
また、お店の階段下には雑誌や新聞を並べてあるブースがあって、二人分くらいのカウンター席を作ってあるのが、面白かった。今回もトイレは利用できなくて残念。

もう日が落ちかけていたので、また歩いて待ち合わせをした場所に戻る。プレセールや歳末の福引きなどで、人がごったがえしている。
まだ年が明けていないことを忘れていた。なのに、これだけの人混みの中でも、もうあまり関係ない気がした。
それに今日は暑かった。この記事の出だしとは全然違う暖かさで、房州はストーブを出していたのだろうか。これが全く思い出せない。入ったときは、もわっとして暑苦しいくらいだった。


いろいろと盛りだくさんに話を聞いて帰ったから、夫にも覚えている限りの話を伝えた。夫も友人のことをよく知っている。
私の話を聞きながら、夫はテーブルの上に両手を置いて、
「いやあ、去年とは全く違う世界にいるよね」と言って、
掌を返した。本当に、180度違う世界にいた。

2012年12月27日木曜日

病室にはiPad

この間、お世話になっている方のお見舞いに伺った。

先月突然入院されたそうなのだが、既に回復期で落ち着いていらっしゃると前もって奥様からお話を聞いていた。あとは春まで十分静養して、気候のよくなった頃に自宅に戻られる予定らしい。
それはそれで長い入院生活になるので、退屈しのぎに雑誌をお持ちしようかと思ったが、グラフィック系は飽きるかもしれず、薄い雑誌は物足りないかもしれない、総合誌は字が小さいので読み辛いかもしれない。ということで雑誌はやめにした。

こんなとき、iPadがあればいいだろうなあと思った。私は数年前に入院したことがあるが、パソコン使用の許可を得て4人部屋の病室でも、院内の何処でも使えたので退屈はしなかった。ノートパソコンを抱えて病院内を散歩がてら歩いたのも、少しは体力維持に役だったと思う。

さて、お訪ねしてみると、横になっていらっしゃったが、声も大きくはっきりしてお元気そうだった。ほっと安心した。
ふと、ベッドサイドを見ると、iPadが置かれている。

さすがだと思った。

お年は80を超えていらっしゃるが、パソコンの黎明期(それより少し前かも)から会社に導入のためにご自分で学びに行かれて、理系技術系ではないのに、仕事用のソフトまで作られたという方である。それを試しに売り出してみると、三つしか売れなかったそうだが。
このお話は他の話題とも繋がっていて面白く、何度かお聞きしたのだが、細かいところはすぐ忘れてしまう。人の話というのはメモでも取らないと、あっという間に忘れてしまうものだと思う。

個人ではずっとMacを使われていたそうで、あの初代Macからだろうか。我が家がiPod、iTunesをご紹介するとすぐ使われ始めた。ほとんどユーザーのいなかった時代である。数年前からは、ウィンドウズも。

さて、iPadなのだが、これには慣れていらっしゃらないとかで、いったんお預かりし、使いやすくなるように家人が中身を整えた。それを今日持って行って差し上げると、奥様と二人でご自分のHPを開いてご覧になっていた。

ご自分の文章を読めるようになってよかったと思う。我が子のように愛おしいことだろう。





2012年12月26日水曜日

しがみつかなければ、いつの間にか消えていく

買い物へ行けば、お正月用品が並んでいる。私はお節(平仮名だと読みにくいので漢字で)料理が苦手で、作ったことがない。
お節が苦手なのかお正月が苦手なのか、まあこれは、クリスマスのほうが好きでお正月はあまりと思う人たちも多いだろうし、理由については、くどくどと書くほどでもないが、きっと今から、くどくどと書くだろう。

一応伝統食とされるお節の中で、好きで食べられたのは栗きんとんとか黒豆にごまめくらいだが、私の母が料理が下手だったわけではない。母は年末まで働いていたので最小限のものしか作らなかったが、細かくうるさい人で、材料をどこそこの店で買うようにと町を越えてあちこち回らされた。それこそ、隣のご町内ではなく、隣の市内まで買いに行かされた。

ある年から、とても立派な海老で海老フライを作ってくれるようになった。でも、私達子どもが成人して、時間的に余裕が出来はじめてからは、熱心に普通のお節を作り出したようである。これは、一緒に住んでいる私のきょうだいから聞いた。ただし、自分の好きではないものは入れないようだ。私はあまり帰省したことがないから分からない。

母と同世代の人たちは模範的なお節を作るのが夢だったのだろう。
私はお節の由来などはよく知らないが、もともとは質素な節句料理だったのが、デパートの陰謀で派手になり、お正月にはお節を作るのが奨励された世代なんだと思う。
夫の母も叔母も、「きょうの料理」をバイブルとして一生懸命に作っていた。

でも、昔、新聞の生活欄で見たお正月の神様へのお供えは、本当に簡素なものだったし、神様は新鮮なものしか召し上がらないよ、と私は思うことにしている。
またお雑煮も嫌いではないどころか、お餅は我が家の常備食とまでなっているくらいなのだが、神様に召し上がっていただくため、と思っても年明け早々に食べたくはない。

こんな感じで年末年始に何もせずにいるので、家人から「日本人、やめてしまえ」と罵られる。ほら、だからこのブログでも、12月はいっぱい写真を撮ったりして、暇そうでしょう。

新年を迎えるのは嬉しいが、お正月が嫌なのはどうしてか。もう、夫の実家に行かなくてよくなってから久しく本当に気楽なのに、こうして書いていると、涙が出そうになるほどお正月が疎ましくなってきた。

ああ、この感覚だ。何度もしつこく書いてきたが、私がピアノの練習で苦手な曲を前に、身もだえして涙を浮かべていたときと同じ。あ、もうひとつ、家人のよく聞いている曲を聞き始めた途端、感じる気持ちといっしょ。
ただし今は、苦手だったその曲も普通に楽譜と向かい合って、素知らぬ顔で弾けるようになっている。


さて、あら、どうしたことでしょう、こうあれこれ、くどくどと書いていたら、何故か苦手な気持ちがなくなってきた。
つい数行前の、出そうだった涙はどこに行ったのか。私が消えたのか、お節が消えたのか。まあ、既に開放されているのだから、あれやこれや考える必要はなかったのだ。
ただお正月の過ごし方については、今から家人ともめそうではあるが、それは仕方がないかもしれない。しみついて取れない音楽の嗜好と同じで、お互い様だろう。

でも、私は、のんきに気分良く過ごせそうな気がしてきた。嬉しい。



それにお節にだってよい思い出がある。
昔、同じビルに住んでいらしたピアノのA先生が、片手の掌に載るくらいの小さな小さな三段のお重にお節を詰めて分けてくださったことがあった。私が家族とは別に、一人でお正月を過ごしているので、気遣ってくださったのだった。
先生のお節は上品で本当に美味しかった。
関西は旧家のたいそうなお嬢様だったというA先生は、文武両道でセンスもよく、お料理は特にお上手だった。思えば、摩訶不思議なほどの能力を持っていらっしゃる方だった。

A先生というと、この映画を思い出す。今は、立派なマンションにお住まいだそうで、よかったよかった。




「マダム・スザーツカ」

マダム・スザーツカと少年マネクの連弾シーン。


Schubert
Fantasie in f-Moll





この動画はpart4です。
手前のpart 3の終わりでは、
マネクがトロイメライを弾いています。
それも素敵。

アップしてくださってありがとう。




2012年12月24日月曜日

今日も意味なく ランダ大佐



映画「イングロリアス・バスターズ」を見直していましたが、
やっぱりランダ大佐はカエターノ・ヴェローゾに似ている、と思いました。



Colonel Landa
レストランで
大好きなシーンです。




ショシャナ役の美しいメラニー・ロラン
監督は、クエンテイン・タランティーノ

ランダ大佐は「ジャンゴ」にも出ているのね。





一方、Caetano Veloso。
特に今日は曲が思い浮かばず。
下の動画は、
「粋な男」ライヴビデオのプロモーションみたいですが、
カエターノの変な動きが見られます。










2012年12月20日木曜日

サンタさんの話。

赤いシリーズも、もう終わりかな。

クリスマスというと、昔、子どもが小さかったとき、福音館の「大きなポケット」という雑誌を買っていたことがある。特別号だったか、付録の冊子に掲載された漫画で、恐ろしくシュールなものがあった。

雑誌本体も割とシュールで、記憶間違いだったら悪いのだが、クリスマスの時期に「こどもの笑顔を食べに来るサンタさん」の話があった。プレゼントを配る代わりに寝ている子どもたちの笑顔を食べていた。
怖い。怖かった。
笑顔がなくなった後の顔は、どうなったのだろう。肝腎なことが思い出されない。そんなものかな。

大きなポケットこと「大ポケ」は、編集者が変わって、いきなり大真面目なつまらない雑誌に変わってしまった。ワッペンか何だかそんなものがもらえるというアンケートにその旨を書いた。律儀にワッペンか何だかそんなものが届いた。
以後、読者の感想や意見は反映されず、残念だった。

そうそう、「忍たま」、番組開始以来ほとんど見ていて、去年テレビを処分したときは忍たまが恋しかったが、面白くなくなっていると聞いた。私は土井先生のお嫁さんになるのが夢だった。




クリスマスなので、赤と緑。
でも、今年のクリスマステーマはシルバーなのでしょうか。






今日の鉄板







夏のショーですが、
クリスマスも近いので。




我が家は昨年からテレビがないし、
元々テレビは信用ならないので、
フィギュアスケートはこちらで楽しませてもらっています。






2012年12月19日水曜日

てんでばらばら


明日になったら、
写真が変わっているかもしれませんが。








ロボットみたいなのは、
台に置いたiPod。




当時、iPodの台は販売されていなかったので、
家人が手作りしていました。
何も無い時代でした。



2012年12月17日月曜日

CDの表紙だったようで。

一ヶ月前は小躍りしたい、だった(11/14の記事)。

昨晩は、ネットで選挙情報を見ていた。吹き出してしまうような、ネタを拾ってきてくれるので、楽しかった*。



またまた写真を載せます。



前回の写真とほとんどそっくりで、違います。

「ヘルシンキ・バロック・オケによるドゥシーク交響曲集他」の前書きに大きく、
「お前かぁ!!」と書かれていますが、

「また、あなたなの」と言われそう。
シリーズなので仕方ありません。


JMPさんのブログは、当ブログでは「備忘録 分ける歌」(2012.6.27)で、レンダル卿の歌について参考にさせていただきましたが、今回は、「ボワモルティエ」という作曲家の名前を初めて知ることができました。いつも勝手ながら、ありがとうございます。

*あちことで推薦されていた記事  私は池上さんは麻生さんを馬鹿にした番組に出ていたので、あまり好きではありませんが。







2012年12月15日土曜日

広報もあてにならない、追記


明日は選挙だ。
国民審査に頭を悩ます。いつも審査広報に目を通して×印の人を考えるのだが、やっぱり目を通すのは面倒である。それで、今回はネットでヒントを得ようと思って検索してみた。

なるほどー。

今の政権が選んだ裁判官か。でも、安易に白紙とか全員×は出来ない。
広報には主要な裁判例を載せていると思っていたが、載せていない裁判も当然あるわけで、そっちのほうの判決を見て×に決めた人もいた。



追記

切りかぶのほうに水色のお皿の写真を載せましたが、雲で思い出したとこじつけ気味に下記のブロガーさんを文中リンクさせてもらおうと思いました。でも、まあ、こちらに。






2012年12月14日金曜日

シャルダン展のポストカードと赤い日、その3


まだまだ続くシャルダン展のポストカードシリーズ。





ポストカードを写真に撮り、それをさらにポストカードにしてみた。

シャルダン展のポストカードは、元工具の鉄板の上に置いたが、その鉄板が明るく映っているほうが、カードにしたときは綺麗だった。
12/4の下の写真も好きなのだが、それもカードにすると暗すぎて、陰影を感じるというより、陰鬱になってくる。
インクジェット葉書ではなく、写真用の光沢葉書で印刷してみたら、鬱は鬱でも照りのある生きのいい陰鬱さ加減だった。


右のは鉄板が暗い例




いつもiPhotoから作ってワンパターンだけど、これも自画自賛で楽しい。
だけど、昨日の無題記事のポインセチアといい、毎日、画面が赤赤している。
あさひほどじゃないけど。



*ポストカードのシリーズは、
「CDの表紙だったようで」(12/17記事)
「サンタさんの話」(12/20記事)です。





無題

どうということない話。

フォトスタンドの写真を撮っていたとき、文庫本を載せてみた。表紙に兼好法師の顔が描かれているのだが、デジカメが顔認識していた。可笑しかった。


ポインセチア(12/9記事)が元気なうちに



唐辛子を載せていないアイアン皿


前は国産唐辛子の袋詰め(小さい袋なのにピリリと高い、山椒じゃないけど)を買っていたが、最近は枝付きのが安価で出回って嬉しい。
簡単に栽培できるようなのに、庭がないし、ベランダは日当たりが悪い。空気も悪い。

いかにも体に悪そうなところに住み続けているのだが、今年は後半、割と元気だ。
風邪を引いている友人は元気になったかな。
その友人が昔、夏に遺跡の発掘調査をしているときの格好を絵に描いて送ってきてくれたことがある。結構重装備だった。土方に近い、と書かれていたように思う。
軽装じゃ危ないだろうなあ。それに屋外での仕事は美容のためだけではなく、まず健康や安全のために日焼け対策も必要だ。

ふと思うに、その友人ほど、多種多様な仕事着を着ている人はいないような気がして、私のほうが妙に感慨深くなった。でも、実際、あまり会えないのだが。


ともあれ、私も冬は着だくさんで、毎朝合体ロボのようにあれこれ装着している。
ただし、ワンパターン。




2012年12月12日水曜日

和やかな発表会で 昔話

大人の手習いで通っているピアノの発表会のことだが、去年は9月の初め頃にあった。発表会に出るのは5年ぶりくらいで緊張したけれど、まず会場に着いて驚いたのは、自分の浦島太郎っぷりだった。

生徒さんもお母さんもお父さんも、若すぎ。どこに身を置いていいか分からなかった。

でも、それから一年ちょっと、レッスンの日時が変わって、前後の入れ替わりで時たま生徒さんやお母さんたちと顔を合わせるようになり、今回の発表会では和やかにご挨拶できた。皆さんの若さと華やかさにも慣れた。

背が高くて今風の若いお父さんたちは、去年はちょっと居心地悪そうで携帯が目立ったが、今年は子どもさんと楽しそうにゲームをしたり、静かに談笑をして会場で待っておられた。

さて、開演したらあっという間に私の番が来て、頭の中が真っ白な状態で弾き始めた。

ガチガチ骸骨。震えている。

と、何か会場から音がした。ゲームの途中か終了のような何か変な音で、結構大きい。二度三度どころではない、合間合間に何度も聞こえる。

えーい、誰だと腹が立った。まだ本当に小さな子がいたけど、ゲームは持っていなかった。自分の音に集中しようと思っても、妙に響いて聞こえてくる。

でも、演奏こそ途中で止まってしまったが、泥舟に乗っかるように何とか終えて席にもどった。後ろのほうで座っていた夫も胸をなで下ろしている。毎回、来てくれてご苦労様である。
小休憩に入ったとき、その夫が携帯で写真を撮ると大きな音がする、と言い出した。

え?

「いやあ、びっくりしたよ。弾いているとき、ちょっと音がしていたでしょう」

さっきの変な音はうちの夫だったらしい。
誰かがゲームをしているのかと思ったと私は憤慨した。

「いやあ、ごめんごめん、
間違えたのは僕のせいにしていいから」

そういう人だよねえ。

そこへ先生が横を通りかかり、「ご主人、面白い音を出していましたね、それがすごい可笑しくって」と笑われた。
演奏のほうは、何も仰らなかったので、イマイチだったようだ。

曲については、うまく弾けなかった悔しさも、何とかやり遂げた喜びもなく、自分の中に何も無いのが不思議だったが、無事に終わったのは嬉しかった。
それにしても、わたしもそうだが、夫の携帯って、ひょっとしなくても浦島太郎かも。


話は変わって、今シーズン、3回目の粒あん。
もう少し、甘くてもよかったかな。前回のは絶品だった。自画自賛。人生自作自演。







また、アイスクリームを買って、
撮り直してみたいです。






2012年12月11日火曜日

ちょっと控えめで美しいツィポーリさん



昨夜、YouTubeで聴いたドメニコ・ツィポーリという作曲家のSuite in B minor。
大人の方の演奏に惹かれて検索すると、教会で可愛い男の子が演奏しているのがあった。

その男の子の他の動画も拝見すると、やっぱり可愛い。妹さんも可愛い。
いろいろな曲を演奏してくれていて、どれも楽しかった。
おかげさまで、ハイドンの曲をまた、幾つか知ることができたよ。


Domenico Zipoli
「Suite in B minor」



Cyril Vinzent君 




ツィポーリさんは、数曲聞いてみましたが、大変きれいで、もっと聞いてみたいと思います。



2012年12月9日日曜日

発表会が終わって、ほっ。


白い雪が舞った日、発表会だった。

今年は、受験などの理由で参加した生徒さんは少なかったが、やっぱり緊張した。
ガチガチで弾いていたら、途中で落っこちて弾き直しをしてしまったが、何とか無事に弾き終えた。

うれしい。
生徒さんたち、ご家族の皆さま、そして先生、どうもありがとうございました。



先生から、参加賞でポインセチアをいただきました。






巻き寿司のはなさん、閉店だった

昨日、急にお巻き寿司が食べたくなって、「巻き寿司専門店はな」さんに寄った。
お店は閉まっていた。ネットで検索すると、11月16日に閉店されたらしい。

とても残念だった。家から割と近くても、数えるほどしか行ったことがない。
巻き寿司が出来上がるのを待っている間、メニューを見ては、あれも食べてみたい、これも食べてみたいと思っていた。

サンドイッチの写真も撮り直そうと思っていた。きゅうりの辛子漬けを教えていただいたのが、懐かしい。
*当ブログ はなさんのお巻き寿司記事(2012.2.12



前に撮った写真ですが。
とても大きなサンドイッチ。
大人二人で分けても、
おなかがいっぱいになりました。






同じ駅前周辺では、F.O.B COOP広島店も閉店セールを始めていた。既に博多店が閉店で、ひょっとしたらと思っていたが、残念。
女性客が多かったが、割と年配のご夫婦も立ち寄って、仲良くお買い物されていた。
梅雨の頃、普通のおじいさんがふらっと立ち寄って、定番の白い傘を買っていった。私も、ちょうど傘がなくて、同じ傘を買って帰った。



2012年12月6日木曜日

シャルダン展のポストカードと赤い日、2


シャルダン展のポストカードをくれた友人は、うさぎの絵について書いてくれていた。
お腹の毛がふわふわとして、思わず手を伸ばしかけたくらいだったそうだ。

検索してみたら、「死んだ野兎と獲物袋」の絵が出てきて、少しびっくり。
かわいいウサギかと思っていた。
その絵で思い出した。家人が夏用のベストを買ったとき、前身頃もポケットだらけだったが、背中に大きなポケットがついていた。両サイドから手を入れられる。
店員さんに聞くと、狩猟で捕らえた獲物を入れておくハンティングベストを真似たんですよ、と教えてくれた。


前回の続きです。
燭台の記念撮影を兼ねています。





赤いものを集めてみました。




カードは鉄板の上ではなく、テーブルの上で。


*ガラスはすべて西川孝次さん。   こつこつ、買ったり、差し上げたり、です。


西川孝次さんのグラスについては、<うつわ 荻窪「銀花」>さんのブログ「うつわ屋のつぶやき」が一番詳しいと思います。キャンドルスタンドについても、仰るとおりだと思いました。お昼でも存在感があります。
(お世話になっている方へ差し上げるものなので、実際に灯りをともしたときの様子は分かりません、きっと綺麗だと思います。)

銀花さんのブログは、以前、「今波進」さんで検索したとき、知りました。
今波さんの器をぼろぼろになりながらも使っていらっしゃると書かれていましたが、ブログを移行されたか何かで、その記事が見あたらなくなってしまいました。

私は、御縁あって、もうだいぶ前に故人となられた今波さんの器を少しだけ、持っています。前回記事の上の写真に写っていた、葉を挿した焼き物は、今波さんのものです。うさぎの切りかぶ、に出てくる「ポットな急須」です。
我が家でも毎日のように、今波さんの器を使い続けています。お湯のみ茶碗の写真を今度撮ってみます。

銀花さんは、ネットで拝見する限りですが、ガラスは西川さんの他、荒川尚也さんの作品も取り扱っていらっしゃいます。荒川さんは、今波さんとお近くにお住まいだったとかで、広島で開かれた今波さんの奥様(染色、手織り)たちのグループ展で、一緒に展示されていたのを買い求めたことがあります。
とても懐かしい思い出です。

訂正。 荒川さんは個展だったかもしれません。
       



2012年12月4日火曜日

シャルダン展のポストカードと赤い日


友人から、ジャン・シメオン・シャルダンの《木いちごの籠》という絵のポストカードをいただいた。

思いがけないお便りが嬉しくて、また、テレビもないし雑誌も読まない私は、展覧会や映画など文化的なことが非常に疎くなっていて、本当に有り難く思う。

それで、ここからは略さずに書きたいのだが、まず写真から。






たくさん写真を撮ってみましたが、
我が家の円盤(ダイヤモンドカッター)と
絵の背景がマッチしているので。




ガラスの燭台と。
すぐにお別れなので、記念撮影。


このガラスのキャンドルスタンドは、西川孝次さん作。ステムの赤い部分が可愛らしくて、買って帰った日からずっと、赤い色が頭から離れない。それにクリスマスの苺のことが気になる。
そんなときに、この赤い木いちごの絵をいただいて、びっくりした。
木いちご横の水の入ったグラスも、西川孝次さんのタンブラーを置いているようで、何か馴染み深いものを感じた。

しばらく、赤いシリーズで写真が続きそう。

シャルダンさん(1699-1779)は、長生きなさったのね。

シャルダン展 「静寂の巨匠」 三菱一号館 1月6日まで
《木いちごの籠》は、個人所蔵のため普段は未公開だそうです。




2012年12月2日日曜日

DMも、嬉し。


クリスマスがわからなくなってきた、とか言っていたら、DMが届いた。
我が家などは何処へ行っても、見るからにリピーターになりそうにない客なので、最近はDMやお買い物直後のお礼カードをもらうことはない。
どこからかなと差出人を見ると、10数年前に一度買ったことのある器屋さんからだった。
驚いてしまった。
夫が言うには、うまい戦略だという。

そのサプライズから、ちょっと寄ってみたくなったでしょ。

なるほど。

夫が言うには、
買ってから10年経った頃というのは、落ち着いてものが買える世代になっているかもしれない。中高年に、ちょっと間を置いてDMを出すのはいいんじゃないかな。

なるほど。

特に今のお歳暮やクリスマスのギフトシーズンは、効くね。今の時期だったら、ちょっと何か変わったもの、いいものを探したい気持ちになっているから、年度途中の展示会の案内をもらうより、いいんじゃないの。

なるほど。

そのお店は割と近所なので、また寄れたら寄ってみることにした。でも、お葉書、ありがとう。
今日は街中に用事があるので、そちらを優先した。街中も割と近所で、用事が済んだらクリスマスや年末の雰囲気を楽しもうと思ったのだが、疲れてしまってまた今度。


行きがけに寄った家具屋さん




中庭に面したテーブルで。





2012年12月1日土曜日

今週の備忘録 クリスマスにもほど遠い

クリスマスのなかみが思いつかない。クリスマスの外側も忘れてしまいそう。

今週の、というわけではないのだけれど。

「賃貸マンションで海外インテリア風を目指すDIY」さんには、ラッピングやハンドメイドツリーのヒントがいっぱいご紹介されていた。
見るだけで楽しい。
クリスマスの前に、我が家に何か手を打たなければいけないような気がしてきた。掃除だろうか。

「Call me cupcake!」  スウェーデンのお菓子レシピサイト。写真が素敵。でも、拝見するばかりで作ったことがない。

「今夜もeat it」さん   カメラマンの方で、ご自分でお菓子やお料理も作っていらっしゃる。「Call me cupcake!」さんを知ったのは、こちらのブログかと思ったけれど、そうではないみたいで。

今夜は写真を見ていたい、という感じかな。ああ、それにしてもクリスマスとか12月が、よくわからなくなってきた。

おまけに、寒くなってきて、貧乏人の着だくさんになりつつある。



2012年11月30日金曜日

郵便屋さん、ありがとう。

いろいろ書きかけたが、省略して、
郵便屋さん、無事配達してくださって、ありがとう。

先様は、体調不良などの事情があって今年2度も転居されていたそうなのに、私は知らなかった。あちこち回ったようだけれど、無事届いたと連絡をいただいた。

体が元気だと気力も出るよねえ、とお話をした。
と、ここでまた、いろいろ書きかけてしまうので、略して、終わろう。

ともかく、よかった。

Eメールも思えば、いつも無事届いたり、頂いたりで、有り難い。





2012年11月29日木曜日

連れ連れ

今日の徒然。

洋服ブラシを買いに行ったときのこと。「うさぎの切りかぶ」のほうにも書いているが、少し別の話。
デパートの実演販売に行ったときは、ちょうど先客が帰る間際だった。次に私がお店のおじさんから説明を受けていると、いつの間にかお客さんが、3,4人集まって来ていた。
一緒に連れだってお買い物中のお客さんではないようだった。

他に買い物客も見あたらないフロアの一角が急にざわめいて、私は一人でお客さんを引き寄せたみたいに思えて嬉しかった。
こういうことは、夫と一緒の時によく起こる。
買い物はいつも夫婦で行くのだが、失礼ながら閑古鳥が鳴いていたお店の中に入ると、いつの間にか、どこからともなくお客さんたちが寄って来て、突然賑わい始めることが多い。

たぶん、私達とお店のミスマッチ具合に、
「中年の夫婦が寄ってみているなんて、何かいいものあるかしら」とか、
「あの人たちが入っているくらいなら私も入っても大丈夫ね」とか、
安心感を与えているのだろう、間違いない。

特に夫は、一人で店にいても私が一緒でも、いつのまにかお客さんを呼んでいる。
これが容姿によるものだったらよいが、そうではない。夫を連れてあちこち出歩けば多少、招き猫程度の経済効果があっていいのかもしれないが、買い物に出かける用事がないのが残念だ。

ところが私一人となると別で、お客さんを呼び寄せたことはないと思う。二人だと私も普通に見えるのに、一人だとあっという間に存在感がなくなってしまう。
それで、今回、ブラシの実演販売箇所でお客さんが増え、よいサクラになった気分でとても嬉しかった。
と思ったが、後からバラバラと集まってきた人たちがサクラで、私の買い物気分を盛り上げてくれていたのかもしれない。
買い物は相互に盛り上がると愉しい。

人を呼び寄せるほどではないが、小さなことで私はラッキーというか、シンクロめいたことが続いている。
いろいろなものが関連して出てくる。と、またツラツラと書いていたが、略。

ただ、あまりよい話ではないのもある。
メキシコが主な舞台のマット・デイモンの古い映画「すべての美しい馬」を以前見たが、最後のほうで判事が言ったことが気に掛かり見直していた。
前は飛ばし気味に見ていた、「煮ても焼いても食えないような少年」が、主人公達から離されて連れて行かれるシーンを見た後で、現実世界でのメキシコの悲しいニュースを知った。あそこは私には怖い話ばかりで、ほくほくしたカボチャをどうして作っていられるのか不思議。

最初の話に戻って、お客さんを引き寄せられる自慢をした割に、我が家にはお客さんがほとんど来ないのは、どうしてだろう。
何もミスマッチがないせいだろうか。
あまりにも私達は、古いビルに馴染んでいてサプライズが無い。

それに、私が逆さまにした箒を手に持って離さない感じだからかな。
いや、永遠に帰らない先客だからか。
来年は、お客さんに少々来ていただけるように、気持ちをオープンにしておこう。

*映画「すべての美しい馬」(wiki.jpビリー・ボブ・ソーントンが監督

映画のラスト近く、法廷で判事は、主人公ジョンの数奇な体験を聞いて、「嘘つきは自分のついた嘘を忘れてしまう」とその話が嘘ではないと無罪の判決を下すのですが、ルーピーを始め、現政権はみんな嘘つきですね。



2012年11月25日日曜日

自分で自分の首をしめない、その2

前回の続きで、ピアノのお稽古に関連することを書こうと思ったけれど、書きたかったことの大半は忘れてしまった。
要するに、弾き始めはテンポと曲想を思い浮かべ、自分の弾ける速さで弾き始めないといけない。なのに、弾けるところの速さで弾き始めるから、難しいところになるとテンポが落ちてしまうか、急いで弾いてミスをしてしまい、それは自分で自分の首を絞めているようなものだ。

ということを何十回も先生から注意されている。
最初、ほんの何秒か時間を取るだけでいいのに。それを惜しんで急ぐからいけないらしい。

私は、体や指が覚えているかと思って弾き始めるのだが、何でも準備無しでいきなりは無理だもんね。

ところで、この間のお稽古ではなかなか腑に落ちることが多く、おまけに休日で雨だからと迎えに来てくれた家人(夫と書くと嫌がる)との帰り道での会話も、有意義だった。
昼前だったのでお昼ご飯の話になっていたのだが、家人は、おネギの切り方や盛り方の話を始めた。女性(私)は「投げるように盛りつける」が、男性(料理家や家人)は「そっと置く」というのである。
女性は手際ばかりを重視して、手間を抜きがちで、ささっとやってしまう。
反対に男性は盛り付けに十分に時間を取るという。大きなものを扱うときは大胆に。細かく切るときは繊細に。
「繊細なときほど、ゆっくりとした動作でやるんだよ」と家人が力説する。

ふんふんと聞きながら、レッスンで先生から注意いただいたことを思い出す。

8分音符や16分音符が出てきても、急がない。速く弾いて誤魔化さない。十分に時間を取ってもいいくらい。とにかく、あわてない。

反対に4分音符ははしょりすぎで、音価が短くなりがち。
特に私は音が前に行かないで真下に落ちていく弾き方になっていて、実際の長さが足りないのに一休み入った感じになっていて、次の音につながらず、
「いつまで指を置いておくの、伸ばしているの、次は何なの?、と聞こえます」と先生がよく仰る。

と、おネギの切り方を音楽に転換して話を聞いていたが、家人が「送迎付きで優雅なお稽古だね」という。
うーん、何とも地味な古い車に乗り降りするオバQです。お稽古も不況で回数を減らしています。

そうだそうだ、自分で自分の首を絞めることもできるけれど、自分で自分を解放することもできるのだった、そういう話なのだがまた今度。





今日のもらいもの


たまにはこちらにも。




*ステンレス皿は、香川のSteal Factoryさんです。






2012年11月20日火曜日

自分で自分の首を絞めない、その1

春は春で大騒ぎしたが、秋は晩秋の小春日和の日、スカートを買った。

もう幸せです。ありがとう。

私は、小さい頃から紺しか似合わないと言われ、経済的な事情もあって母からあてがわれたものしか着たことがなかった。成人して洋服代にお金が割けたのも一時で、子どもが生まれてお母さんの格好をしだしてからは、そのままである。
いや、ちょっと普通のお母さんとは違っていたかもしれない。というのは、他の人と違う方向を向きがちだったからだと思う。明後日ってではなく、一昨日くらいの方向。
でも、人は皆、好き勝手な方向を向いていると思う。

話を戻すと、と、いろいろ書いたけれど略して、

この春から、服の経年劣化や自分自身の加齢ということもあって手持ちの洋服を見直し、無理してでも必要なものは新調してきた。

今回の買い物は、ニットが一番の目的で、パンツの色違いを来年に備えて見るだけ見ておくつもりだった。
お目当ての店に寄るとスカートが掛かっていた。
洋服のお店なのでそりゃそうなのだが、それを手にとって、世の中の女性が普通にスカートを買うように、私も買うことができた。これが春以上に嬉しい。
自分がスカートを履くということが単純に嬉しい。
いやあ、性別が分からなくなった人がこれです!と開放されたみたいだけれど、本当にそれくらい嬉しい。

自分で自分の首を絞めていたんだと思う。パンツのほうが便利だとか、節約しなきゃとか、スカートなんて着る機会がないだろうとか諦めていた。老後を諦めるほうが簡単だった。



スカートはこれです。

膝丈よりほんのちょっと上です。
何かと合わせたのはまた今度切りかぶに。



ごく普通のスカートかな。


友人が旅行先のイギリスから
送ってきてくれたポストカード




これは、男性がスカートを履いているのじゃないかと思うのだが、家人は女性だと言う。こんな顔をした女性がイギリスには多いのではないかと。そう?
WOMENSってあるけれど。
私がスカートを履くとこんな感じになるのではないかと、家人は恐れていたのかもしれない。

ところで、自分で自分の首を絞めないというのは、よくピアノのお稽古で先生から注意される。でも、長くなったので、また今度。



*ああ、アマゾン。C先生のところで紹介されていた。
我が家もアマゾンで購入が多いけれど、赤字で売れというのはどうだろう。
安く安くで結局、コスト削減、リストラで買い物できる消費者がいなくなる。

C先生のブログタイトルは、ちょっと恥ずかしくて書きにくいです。私も女性だからということにしておこう。





2012年11月19日月曜日

スザーノのいないハミルのような

先日、定期検診のため、主治医に診てもらいに病院へ行った。

この検診日は予約制だとはいえ、安心できない。この日のために万全の体調を整えなくてはならない。病院へ行くにも待合室で待つにも体力と気力が要る。
何か特に病気ではなくても、体調がひどく悪いときというのは、ただ横になって寝ていたいもので、これまでにも具合が悪くて検診の予約を取り消すために、うなりながら電話をしたことが二度ほどある。そして、電話予約は出来ないので、次は飛び込み扱いで、延々と待たなくてはならない。

さて、前に面長という言葉が出てこず、失礼なことを書いてしまった主治医のことだが、この背も鼻も高くきれいめな先生が、患者を呼ぶときにどうしてアホっぽい声を出すのかいつも不思議だった。

でも、それは一種の照れかもしれないと思った。
何もかも高得点の人間でいるとかポーズに力が入っているよりは、少しくだけた感じのほうが、この先生には楽なのかもしれない。患者のほうも、緊張がほぐれる。そうそう、私がお世話になっている女医さんで眼科の先生(最近ご無沙汰しているが)にも、そういう方がいらっしゃった。

と勝手なことを考える。余計なお世話でごめんなさい。

ところで、全然関係ないが、ヴィトール・ハミル(Vitor Ramirラミルではなく、ハミルと発音するそうです)というブラジルのミュージシャンがいる。この人と同じブラジルのパンデイロ(タンバリン)奏者マルコス・スザーノが加わった共同名義のアルバムがある。
『Satolep Sambatown』(2007年)。
私はこのアルバムしか聞いたことがなく、のうちの一曲「Cafe da Manha」が好きなのだが、残念ながら動画はアップされていない。
「Cafe da Manha」にこだわって動画を探したせいか、ハミルのよい感じのが出てこなくて、若い頃やライヴの動画を見ると、何だか力が抜けてくるし、マイナス面ばかり感じてしまうのは、『Satolep Sambatown』がいいからだろうか。

さすが、スザーノ・マルコス。ってずっと書いていましたが、マルコス・スザーノの間違いでした。何で間違えたのかしら。

でも、ハミルは、面白い曲を作っているような気もするから、ときどき聞いてみよう。

Vitor Ramil
Cafe da Manha
1996年
(スザーノなしで、残念)



歌詞はまた。


これはスザーノが加わると、断然格好いいので、どんどん無料で公開してほしい。そのほうがいい宣伝になると思う。

最後に。動画の若い頃のラミルさん、主治医に似ているかもしれない。面長なところ。

ラベルがレニーニなのは、マルコス・スザーノとレニーニのアルバムがあるからです。
Olho de Peixe(魚の目)1993年。



2012年11月17日土曜日

今週の覚え書き


レスピーギの連弾曲集「六つの小品」で別の動画が見つかりました。前の記事にも貼り付けさせてもらいましたが、ここでも。
正直、あまり曲調が好きじゃないのですが、クリスマスに向けて一曲練習中なのと、演奏も絵も素敵だったので。


Respighi
six little pieces,for 4 hands






No.561   ロムニーさんと現首相の災害対策軽視・明治の教訓15メートル堤防が村を守る 岩手
廣宮さんのまとめ 「大きい」「小さい」よりも「機能する政府こそ必要」に賛成

でも、記事冒頭に、N経の記事を引用されていて、それに「ブッシュ大統領(当時)がハリケーン・カトリーナの対応に失敗」とあるのですが、私は苺畑さんの記事を拝見しているので、そうは思いませんでした。きっとN経なのでそれはともかく、ロムニーさんが緊縮財政派と聞いて困るなとは思いました。ケチではお金が回りません。リストラしたら、ものが買えない消費者(消費者というのでしょうか)が増えて、どんどん、どん底に。

ところで、ブッシュ前大統領は、靴をよけられるし、すぐジョークも返せるところがよかったと思います。切れて怒る政治家ではありませんでした。

靴といえば、ライス元国務長官がフェラガモの靴を買いに行っていて非難された話も忘れられません。
でも、もうこのお二人も遠くなりにけり。






2012年11月15日木曜日

優しくて暖かなサンバ



昔昔、友人の友人がカセットに音楽を入れて送ってくれました。
アルバム「素晴らしきサンバの仲間たち」(1976年録音)*からは一曲、
Mano DecioのSAUDADE  DO PASSADO(懐かしきあの頃)
心温まるサンバです。

このアルバムをYouTubeで何曲か聴きましたが、
どれも良い曲ですが大体同じ感じ、というか、
一曲をたまに聴くと心和む気がします。


Mano Decio
SAUDADE  DO PASSADO




訳はこんな感じではないかということです。


Hoje tenho o dom de um novo canto
今日は新しい歌の贈り物がある
Meu samba é mensagem de lamento e prantos
ぼくのサンバは嘆きと涙のメッセージだ
Com o rufar dos meus pandeiros
ぼくのタンバリンの伴奏を付けて
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Sinto em mim
ぼくの中に感じてくれ
Uma saudade que o passado me deixou
あの日々がぼくに残した郷愁を
Mas a tristeza não me dominou
しかし悲しみがぼくを支配することはない
Meu samba é nostalgia
ぼくのサンバが郷愁なんだ

Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる




*日本での発売は最初が1980年、次が1990年のようです。



2012年11月14日水曜日

ああ、少し近くなったような


日本、増税ばかりで気が滅入り、お給料は削減され、復興予算はとんでもないところに使われ、政策は左に曲がります、というトラック以上で、もう鬱になりそうだった。


今夜は小躍り。
歌詞とは関係ありませんが。

Carlinhos Brown
Seo Ze




訳はいつものところからです。「箱と曲」
(工事中)  

Seo Zé
(セオ・ゼー)

O Brasil não é só
ブラジルはただ
Verde, Anil e Amarelo
緑、青、黄色だけじゃない
O Brasil também é
ブラジルはまた
Cor de Rosa e Carvão
ピンクもチャコールもある
Patrimônio de Antônio
聖アントニオの遺産
Anônimo nômade
無名の遊牧民
Homem que rompe Adão com facão
アダムがマチューテ刀で倒した男
Seo Zé
セオ・ゼーは
Tá pensando em boi
考えているんだ
Bananeira Sangrou
バナナを食わされる雄牛のことを

Mais um pro Baião de dois
バイオン・ヂ・ドイス(料理)をもう一つくれ
Lampião findou cabôco
悪党の親玉ランピオンはカボーコ(?)を平らげた
Vamos chamar
呼ぼうよ
Brás Cubas
ブラス楽団を
Pra dançar quadrilha
4人ダンスを踊るために
Pra subir pra Cuba
キューバに行くために
Com toda família
家族みんなで
Se encontrarmos Judas
出遭ったら
Celebrando budas
ブッダを祝福しているユダに
Perfilamos mulas
ラバの絵を描こう
Pra abalar Belém
ベツレヘムを揺さぶるだろう
Seo Zé
セオ・ゼーは
Tá tangendo em boi
雄牛で遊んでいたんだ
E a porteira serrou
ゲートはかんぬきがかかっている
Quem foi nunca mais se foi
彼は絶対来なかった
A roseira flororô
君が花の咲いたバラだったら

Seo Zé tá pensando em boi
セオ・ゼーは雄牛のことを考えているんだ
Seo Zé tá pensando
セオ・ゼーは考えているんだ 



*セオ・ゼーは伝説の盗賊団の頭だったそうですが。brazil ポルトガル語ではbrasil
*国家の目的 2012.11.14 三橋貴明さん「新世紀のビッグブラザーへ」
*待ちに待った衆院解散・総選挙  阿比留瑠比さん


2012年11月12日月曜日

適当に、てきとわ

過去記事を少し見直したら、動画が消えているものがあった。
そういえば、10月から違法DLの罰則化、リッピング規制など著作権法が改正実施されるのだった。
うーん、「もう、誰も音楽なんかにお金を払わないですよ」「音楽にお金を払うこと自体間違っていたのかもしれない」と仰った大物歌手お二人のお言葉を思い出す*。
もうお二人はさんざん儲けていらっしゃるからいいけれど。

業界は、規制規制で結局は自分たちの首をしめているのじゃないかという人も多いと思う。どんどん彼方此方で音楽を流していかないと、私のようにテレビも見ない、新聞も読まないではどうやって新しい音楽を知ることが出来るのだろう。
でもまあ、強制的に流れてくる音楽よりも、個人的に好きな音楽を聞く方が断然楽しいが。
口ずさんだだけで、はい罰金という時代が来ないように祈ろう。気がついたら、いろんな法律が通っているらしい。

それにしても歌って、愛に苦しんだり、反社会的、リベラルで自由な世界を望むものが多いのは当然かもしれないけれど、私はどうも性格が愛についていけない。世界が愛と幸福に包まれていたらどんな歌が流行るのだろうか。

愛という言葉が出てこない歌。
この歌には何か社会的な背景があるかもしれない*。でも、お前も俺もどっちでもいいじゃないか、と思いつつ、明確に区別しておきたいこともある。よそのひとに土足で上がりこまれたら嫌だもの。
訳はいつものところから。



Rashid Tahaの

Tekitoi (お前はだれ) 2004年




tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?

té pas qui té pas quoi
お前は誰でもない、何でもない

tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?
mais moi tekite quoi
しかし、俺、お前はだれ、お前は何

n'oublie pas q'avant toi
忘れるな、お前の前に
y'en as d'autre que toi
お前じゃないやつがいる
et qu'après toi crois moi
で、お前の後、信じろよ
y'en auras y'en auras

tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?
té pas qui te pas koi
お前は誰でもない、何でもない
tekitoi té qui moi
誰だお前?誰だ俺?
mais toi té qui té quoi
しかし、お前は誰?何?

y'en auras d'la bavure
染みが付くぞ
et té coller au mur
で、壁にのり付けだ
et dans ce tas d'ordure
で、このゴミの山に
y'auras ti toi y'auras ti moi(x2)
お前は来る、俺は来る

y'auras ti les langue de boie
つまらん言葉が来る
des ciel en tout cas y'en auras
空、とにかくそれは来る
du sang qui cool y'en auras pas

流れる血、それは来ない
tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?
te pas qui té pas quoi
お前は誰でもない、何でもない
tekitoi tekimoi
お前はだれ?誰って、俺?
mais toi te qui te quoi ?
しかし、お前は誰?お前は何?

y'auras ti toi y'auras ti moi
お前は来る、俺は来る
y'auras ti les langues de bois
つまらん言葉が来る
des ciel en tout cas y'en auras
空、とにかくそれは来る
du sang qui cool y'en auras pas
流れる血、それは来ない

il était k'une fois
昔のことだ
ou sa ne finiras
それは終わらない
mais tout sa, mais tout sa
しかしそれみんな、しかしそれみんな
c'est entre toi et moi
お前と俺の間にある

t est qui dit moi si t'est pas toi
お前は誰、言えよ、お前がお前じゃないなら
si t'est pas moi dit moi t'est qui
お前が俺じゃないなら、言えよ、お前は誰

tekitoi, tekimoi, tekitoi
お前は誰、俺は誰、お前は誰

tekitoi tekimoi
お前は誰、俺は誰
te pas qui té pas quoi
お前は誰でもない、何でもない
tekitoi tekimoi
お前は誰、誰だ、俺
mais toi te qui te quoi ?
しかし、お前は誰、お前は何?

n'oublie pas q'avant toi
忘れるな、お前の前に
y'en as d'autre que toi
お前じゃないやつがいる
et qu'après toi crois moi
で、お前の後に、信じろよ
y'en auras y'en auras
そんなやつが来る、来るんだ


*これは、BOBさんという方の2011年、8月14日記事。
YOMIURI ONLINE、エンタメの「yuimiyoriな話」第36回最終回について書いておられます。
(YOMIURI ONLINEには元の記事はもうありませんが、検索すればいろいろな方の記事に出てきます)

対談の途中で、「19世紀の頭頃に出版社ができ、楽譜というものを売り始めて〜」というのがありますが、輸入楽譜はとても高いです。

*ラシッド・タハについては、この曲しか知りません。