2012年5月28日月曜日

氷水で締めるのがポイント、ごまだれ冷麺


冷麦は淡路島産。
お素麺や冷麦の隠れ名産地だそうで、
ブランド品よりずっとリーズナブルなお値段で、
とても美味しいです。

麵は茹でて流水で洗った後、たっぷりの氷水で締めるのがポイント。

氷は、ジップロックなどに水を入れて凍らせ、
アイスピックで砕いて、冷蔵庫の貯氷室?に入れています。
大量に作れて、便利です。


ごまだれ冷麺






たれを掛ける前がなかなか綺麗だったのに、
夫が、たれを掛けないと意味がないと言って、
そそくさと掛けてしまいました。
白ごまが足りなくて金胡麻を混ぜたので色もちょっと。
豆板醤入りですし。
野菜を切って盛りつけたのは夫なので、
文句は言えませんでしたが。

出来上がったら、早く食べたいですしね。


あ、夫は、麵も茹でたり洗ったり、氷水で締めたりもしていました。


 *築地慶太さん パスタ皿 ギャラリー一葉さん

*淡路島産のお素麺で、初めて美味しくないものを食べました。
ギフト専門で扱われている商品なのか、
それだったらいっそう、せっかくの特産品なのに残念なことです。


2012年5月27日日曜日

この一週間、映画「ウエストワールド」

この間の月曜日、無事に金環日蝕が終わったら、何だか身軽になったような気がした。その前の週から調子が悪くて仕方がなかった。木曜日(5/17)辺りが特に酷かったのだが、宇宙線量が増加していたらしい(in Deepさん*後述)。


金環日蝕については、私は見なかった。生憎の曇り空で、それでも外がだんだん薄暗くなっていくのが分かったが、外へ出たくても着替えていなかった。また今度見ることにした。


身軽になった気がしたのは月曜日だけで、また少々具合が悪くなってきた。体だけでなく、気持ちが落ち込むというか、イライラする。閉塞感で息が苦しいし、自分をどこに投げ出して手応えのあるものをつかめばよいか、分からなかった。


そうそう、私の人生のネタ元である<TさんならぬC先生のブログ>が突然、二日間ほど閲覧できなくなったことも一因かもしれない。


まあ、自分で自分の首を絞めるように煮詰まっていってしまいそうだったが、へらへらとして事なきを得た。私にはそれしか出来ないと思う。小さい頃、スーパーのレジのお姉さんに「まあ、なんて人の良さそうな子」と言われたくらいだ。


ところで、不思議な現象やニュースを拾って記事にされているin Deepさんという方のブログなのだが、5月24日の記事は、オランダ政府の「ロボットコンパニオン」ショップの話だった。
in Deepさんがその話に関連して3本の映画「ブレードランナー」「ウエストワールド」「チェリー2000」を挙げていた。「ブレードランナー」しか知らないので、今度ムチャクチャ面白い古典SFと仰る「ウエストワールド」を見てみようと思う。


最後に。世の中、ちょっと明るくなっているのかな。


「アパレルが元気になると世の中も明るくなる?逆かな?」(BLOGOS、大西宏氏)

ここ数年、私など、若い子達はどうしてあんなに高いお洋服が買えるのだろう、と僻みながら見てしまうのだけれど、それよりも小さい頃から、センスのいい服や物に囲まれて育ったことのほうが羨ましい。デザインや綺麗なものは大事だと思う。
ともあれ、コメント欄に書かれていたように、皆が綺麗になって、お金も回るのは大切だと思う。





2012年5月23日水曜日

青いバッグ

先月、靴とバッグを探してデパートなどを巡っていたときのこと。あまり馴染みのないヤングカジュアルのフロアを歩いていたら、とあるショップのトルソーに掛かっているバッグに惹きつけられた。
色が綺麗。ターコイズブルー。

でも、見るからに小さい。
二連のチェーンが重たい。
留め具がマグネットで4個も付いている。
と三重苦である。
もうひとつ、気になるのはメイドインジャパンではないこと。

それに、こういうアクセサリー感覚のバッグを元々探していたのではなかった。黒子のようにひっそりとして目立たず、誰にも記憶されることなく、それでいてなかなか綺麗で、私自身は満足している「お気に入りバッグ」。もちろんお値段はリーズナブルなものを探していた。

つまり、私の手に届く範囲の「さりげなくよさそうなもの」。

この青いバッグは、当初考えていたものと違う、これはまずい展開かもしれないと思いながら肩に掛けてみた。すると、見違えるように全身が明るくなって、生き生きとした。当然といえば当然かもしれないが、こんなにも違うのかという感じである。
難点はあるが、革も柔らかいし、持っていて気持ちがよさそうだからと購入を決めた。

服装や容貌で記憶に残るといえば、私自身は結構背が高くて、「へのへのもへじ顔」をしているのに、人の記憶には残りにくいみたいである。
はっきりといって、印象が薄い、みたい。
その代わり、いつも買い物は夫と一緒なので、セットで覚えられているようだ。

だから、時には夫を他の誰かに替えてみれば、ぎょっとされるかもしれない。


いつものように、葉っぱを添えて写真を撮ったりしてみましたが、
自分でやってみると、撮影って難しいですね。
これが一番いいかと。








5月、ターコイズブルーのスーツを着た女性が、来日されていた。この色が世界にもっと広がるといいですね。

2012年5月19日土曜日

表紙が変わっているかもしれないけれど

友人のHPをご紹介したいと思いながらも、なかなか出来ずにいた。1月に「山の雪」というタイトルで書いたときに、素直に友人のHP名を記せば良かったのに、先延ばしにしてしまった。
大学の時からの長いお付き合いなので、どうしてもつい、あれこれと書きたいことがあってまとまらなかったのも一因だが、友人のHPの表紙の写真が私の文章と食い違っているようで、申し訳なかったこともある。暗いと思っていたが、意外と明るい山の雪景色だった。


友人のHPの表紙の写真が、変わるのが楽しみだ。
ある春の日、山の写真から海辺の、空と海と砂浜に椰子が一本、幹が柱のように突っ立っている写真になった。


ああ、海なんだ。海があるんだ。


「海幸山幸」


初めて、友達のHPのタイトルが分かったような気がした。今までHP内にある日誌で、日本海方面を友達がお母様と一緒にドライブしたときの話を読んだことがあったが、写真を見て、不意に海と山を一緒に感じた。
ただ、これは私の勝手な納得で、友達には理由が別にあるのだろうけれど。


さて、友達のHPの内容は、なんとご紹介していいものか分からない。追々書かせていただこうと思う。表紙の写真が変わらないうちに(変わるのが楽しみだと書いたばかりだけれど)、今日はここまで。あの木が椰子でなかったらどうしよう。


それと、
私は自分のブログの体裁を早く整えないといけないのだが、なかなか進まない。
個人の方のブログを勝手に文中リンクさせてもらい、最初こそご連絡していたが、このところ不精をしてしまっている。ごめんなさい。「リンク・お気に入り」欄をきちんと設けるべきかもしれません。

2012年5月15日火曜日

靴もこまめに探さなくては

寒いので、昨日はまだ仕舞っていなかった灯油ストーブを点けた。冬の間は、いつもストーブを利用して小豆を煮て粒あんを作る。かれこれ、20年以上はそうしているかもしれない。毎年4月の中旬には片付けるのだが、小豆が余っていたし、GWは寒かろうとそのままになっていた。
昨晩、残っていた灯油も燃え尽きた。今夜も4月のように寒い夜。


さて、このところネットや実店舗でずっと靴を探しているが、なかなか見つからない。普段から探していないと欲しい靴には出会えないのは分かっているが、お店に履いていく靴がなくてという悪循環になっている。


私は甲が薄く細長い足をしているので、しっかりと足をホールドする靴がよいのだが、探しているときはすっかりそのことを忘れてしまう。三歩歩けば忘れるもん。
正しい靴の選び方は、友人に紹介してもらったフットケアの先生から簡単に教えてもらった。10年近く前のことだった。


そのとき、私よりたぶん数歳年上の先生は、「40代って楽しいのよ、面白いことがいっぱい。あなたも楽しみね」と仰った。へええと思ったが、どうだろう、私のこの10年間はへろへろと過ぎ去ってしまった。
でも、何はともあれ、ここまで無事に過ごせて本当にラッキーだったと思う。


ところで、「甲が薄い 靴選び」で検索していると「こな」さんというかたのブログが見つかった。靴だけではなく、お洋服も大変参考になった。何だか懐かしい気もする。


*こなさんの「こなメモ
カテゴリに 靴、足の健康と靴選び





2012年5月14日月曜日

あたまは小まめに

美容院へは小まめに月に一度は行くようにしている。
お買い物するなら美容院へ行ってから、と予定を組むことにしているくらいである。


服が少しくたびれていても、ヘアスタイルさえ決まっていれば堂々と街中を出歩けるような気がしている。あと眉毛。これが問題。


ともあれ、私は出先でよくヘアスタイルを褒められる。こればかりは、他に褒めるところがないから、とは卑屈に思わない。というのは、本当に上手にカットしてもらっているからだ。
ただ、性格が小まめではないので、せっかくきれいにしてもらっても、すぐに帽子を被って変な癖をつけ、簡単な手入れすらしないので、格好いいヘアスタイルが長続きしない。いつもお世話になっている美容師さんには申し訳ないと思う。


というわけで、「Tシャツ一枚買えなくてもまずは美容院へ」と思っているのだけれど、このあたりをうまく書いてくださっているブログがあった。
Carinaさんという方のブログで、痒いところまで手が届く話ばかりで時にはしみじみとしてくる。だけど、今回の経済的な問題と美容院へ行く回数に関する考察が、ヘアスタイル問題のどこに書かれていたか分からなくなってしまった。


*Carinaさん 
top「どうする?40代からのファッション&生き方
 ・左のカテゴリから「ヘアスタイル問題」があります。
・「若作りをして何が悪い!という勇気(2009.10.16)勝手に引用させていただくが、『ファッションという美しい花につく、ややこしい根っこ』に納得。
       

2012年5月10日木曜日

原因があってのことではなくて パウリーニョ・ダ・ヴィオラ

お天気がよくなってきたというのに、気もそぞろに日が過ぎて行く。
何が原因かわからないが、気になることを挙げていくと、気が滅入ってくる。原因があっての結果ではないかもしれない。

5月だもの。

と軽く考えることにしよう。


Paulinho Da Viola
「Bebadosamba」から
Timoneiro
(かじ取り)


歌詞は例によって家人のサイトから丸写し。

注)最初、部分訳だったものが

Não sou eu quem me navega

おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
Não sou eu quem me navega
おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
É ele quem me carrega
海がおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから
É ele quem me carrega
あっちがおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから

数ヶ月前なら気にも留めなかったであろうと思う歌詞が、
今の自分には、非常に感慨深いです。



Timoneiro全訳

E quanto mais remo mais rezo
いくら漕いでも、いくら祈っても
Pra nunca mais se acabar
決して終わることはない
Essa viagem que faz
この航海は
O mar em torno do mar
海から海へと回遊する
Meu velho um dia falou
ある日、老人が言った
Com seu jeito de avisar:
戒めの言葉として
- Olha, o mar não tem cabelos
見ろ、海には髪がない
Que a gente possa agarrar
おれたちが掴めるような


Não sou eu quem me navega
おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
Não sou eu quem me navega
おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ

É ele quem me carrega
海がおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから
É ele quem me carrega
あっちがおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから

Timoneiro nunca fui
おれがかじ取りだったことはない
Que eu não sou de velejar
おれは操る術を知らないのだから
O leme da minha vida
おれの人生の舵を
Deus é quem faz governar
神様だ、すべてを決めるのは
E quando alguém me pergunta
だれかがおれに尋ねれば

Como se faz pra nadar
海を行くにはどうすればいいか
Explico que eu não navego
説明してやる、おれは操ったりしないと
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ


Não sou eu quem me navega
おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
Não sou eu quem me navega
おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
É ele quem me carrega
海がおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから
É ele quem me carrega
あっちがおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから

A rede do meu destino
おれの運命の網は
Parece a de um pescador
漁師のもののようだ
Quando retorna vazia
何も獲れずに帰る時
Vem carregada de dor
くたびれ果てている
Vivo num redemoinho
渦の中に生きている
Deus bem sabe o que ele faz
神様は起こす術を知っている
A onda que me carrega
おれを運ぶ波を
Ela mesma é quem me traz
それがおれを引きずり回すのさ


Não sou eu quem me navega

おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
Não sou eu quem me navega
おれを操るのはおれではない
Quem me navega é o mar
おれを操るのは海だ
É ele quem me carrega
海がおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから
É ele quem me carrega
あっちがおれを運ぶのだ
Como nem fosse levar
おれが操れないから



原因と結果で思い出したけれど、

にちぎんのそうさいは、円高の原因がユーロ問題などの外部環境だけにあるのではないことを、気に掛けたことはないのだろうか。鈍感というか、羨ましい。
経済の大まかなことも細かなこともわからないけれど、突かれても気付かない人っているんだなあ、とはわかる。

「やっぱりこの人は日本経済の現人貧乏神」(山崎元氏、記事は4月18日)





2012年5月3日木曜日

部品交換の続き



Irmin Schmidt
Impossible Holiday(1991)から
Le Weekend




この曲は
Rainbow's Endさんのところで
知りました。
解説も訳もそちらにあります。

Rainbow's Endさんのご紹介文が面白いです。
イルミン・シュミットが50歳の時の歌だそうですが、
国籍や性別を問わず、
アラフィフになると弾けてしまいたいものが、
出てくるのでしょうか。

10年毎に弾けるエネルギーが大きくなって、
弾けて終わりになりたいものです。



あちこち部分を交換していました

だいぶ前のことだけれど、テレビの出張修理に来てもらったとき、ビクターの技師さんから「ひとつ部品交換して直っても、それと全体が合わなくなって他のも交換するようになるかもしれません」と説明があった。


若かった私は、「ふーん、そうなのか」と感心して聞いていたが、テレビに限らずこの法則が、他のことにも適用する万事共有の法則だと、年々身をもって理解していった。

バランスの悪いところを換えて全体をよくする場合もあるが、一部分を直したり換えたりすることで、全体とのバランスが崩れ、あちこち手を入れないといけなくなる。家電、車、家(借家だけど)etc.

それに何といっても自分自身。
長い間、私はカジュアルなパンツスタイルでいた。パンツといってもジーンズなどの本当にカジュアルなものに、ヒールのない靴を履いていた。
でも、この春はワンピースとかスカートを着てみたくなった。今までも何度もスカートを履いてみたいと思ってはいた。それもかなりドレッシーな格好をしたかったのである。というより、ナチュラルで優しそうな雰囲気の服は、平板な私を益々ぼんやりと野暮ったくしそうだったので、バーンと格好いい服が欲しかった。


長年躊躇していたのは、頭のてっぺんからつま先まで揃え直さなくてはならないのが怖いからだった。小物がない。今のパンツスタイルでも小物がなくて、困っている。一式揃える費用にメイクはどういたしましょ。
大体、お店に買いに行く服が無い。

だけど、「いつ私はスカートを履くのよ、このままでは一生着られない」とこの春、渋る夫に怒りをバンバン爆発させて宣言して、買い物に出かけた。


そして、無事お買い物をして帰って来た。


ネットで予習していたというか考えていた服とは、かなり違ったような気がする。それがかえって新鮮で、嬉しかった。頭の中で満足するのではなくて、全身に喜びが満ち溢れた。ついて来てくれた夫に感謝。



さて、ネットで予習していたというのは、ショップブログや同年代ファッションブログで着こなしを見せてもらうことである。特に、洋服だけでなく、生活全般にわたり、いろいろと参考にさせてもらっている同年代の方々のブログを拝見していると、この4月は何年かぶりにスカートを履いてみたとか、スカートを着る機会を増やそうと書かれている方が何人もいらっしゃった。私のように、「スカートを履けるのはあと何年?今履かなくてどうするの」と仰る方もおいでになった。

そうそう、そうなのよ。それに年齢のことだけではない。
私には皮膚にトラブルがあったり、歯などに難があるだけではなく、持病があって直しようがない事情もある。生まれ変わってからでは遅すぎる。
条件がそろってパーフェクトな状態になるのを待つより、思い立ったが吉日で実行したほうがいいと、これも年を取るにつれて学んだ。学んだというより、後悔かな。


とりあえず、洋服は臆せずに着てみるしかないと思う。よくも悪くも驚いて感動する。楽しい人生だ。