2013年1月28日月曜日

地味だけど狼狽させる


寒い。
この寒さが始まったのは25日の金曜日だったか、この日ある方のブログで日本の最低気温にまつわる話を拝見した。八甲田山とカメラのニコンの話で、リンク先には昔作られた「八甲田山」の映画もご紹介があった。私は艱難辛苦やヒューマニズムが苦手で映画のほうは見ないと思うが、雪中行軍は興味深かった。
その方のブログ*では車や高速道路のカテゴリーもあって、おかげさまでひとつ思い出したことというか納得がいったことがあるのだが、今日は別の車の話。

その金曜日のこと。我が家は車の買い換えを検討中で、ネットで車情報を見ていたときにセダンの車が目に入った。メチャクチャ普通の形が好ましい。我が家は地味で普通にきれいな形の車を探している。調べると、何と燃費がよい。昨年モデルチェンジをしてから評価が一変したようで、そこそこ褒めている。

有力候補にしている、とあるメーカーの「地味で普通だが燃費が悪い車」の問題が一挙に解決されたとばかりに、試乗の申し込みをした。こういうときはネットより電話のほうが早い。

日曜日に決まる。
出かける前に、本日の試乗車の情報を確認していると同じメーカーで見たこともない車が突然出てきた。セダンではないが、形は普通に綺麗だ。コストパフォーマンスもよい。
なのに不人気車みたいで、あまり情報も得られないまま、まずはお目当てのディーラーを訪ねた。
お客さんが多くて混雑していた。高速のサービスエリアのように見えた。
試乗車もまだ空いておらず、電話受付の担当者の代わりに別の営業の方がしばらく応対してくれた。
ざっと話のやりとりをして、これから乗る予定の車Aが、同じ会社のベストセラー車Bと北米市場では値段がほとんど変わらないと聞くが、日本ではAのほうがかなり高くなっている。どうして、こんなに差があるのか尋ねた。

すると、Bのほうはライバル社の価格と対抗するために低く抑えたらしい。今から徐々に高くなります、という答えであった。Bもすぐ近くに展示してあった。
そのBやら何やらはいかがですか、と営業マンから車種名が幾つか出てきたが、我が家には合わないので興味を持ったことはない。それよりも、ネットで直前に見つけたCの車の名を出してみた。
今まで「〜ですよねえ」と適当に相づちを打っていた営業マンが何故かそわそわしだした。同じメーカーだが販売網が違うせいだろうか。いや、違う販売網の車でも自社(自車)自賛ムードで、人生のステータスシンボル、またはステージシンボルである車を貶めたりはしていない。特に中高年の夫婦の前では。でも、我が家はそういうのに、関心はない。

「あれはいい車なんですがねえ」と営業マンは肯いたが、「高くなったはずですよ、確か」。
空気は否定的である。

はて、高くなったと言うが、価格は見てきた。でも、本当はオプションをバカのように付けさせる車なのかもしれず、「そうなんですか」と答えておく。
と、試乗車が空いたみたいで、電話受付の担当の方が来られた。見るからに疲れていた。誠実そうだが、試乗しても何も言わない。お愛想笑いもしない。仕方がないのでこちらが話してみるが、会話も打たせて取るタイプでもないようで無口だ。
会社が繁盛するということも、人には厳しいものだ。

さて、肝腎の車は、実物を見ると外見は失望程度だったが、聞きしに勝る(ネットで読んだ)以上に、内装にがっくりだった。
昭和の香りがするとあったが、本当であった。質素とチープは違う。この値段でこの車はないだろう。
でも、燃費が魅力的な長所だと話しておいて、ついでに「内装のこの部分、変えたほうがいいですよ」と言っておいた。
改めてこの担当者にも候補車を聞かれたので、Cの名前を出してみた。すると、初めて表情が変わった。やはり、「高くなったんじゃないですかねえ」と同じことを言う。

もうAの車とディーラーには用はなくなったのだが、恒例のトイレの話。
先週見に行ったところと同じく、お花畑だ。飾り立てている。手を洗うカウンターには、ラッピングされたジャムのような瓶がいくつか置いてあった。

ここからの帰り道、犬も歩けば棒に当たる(この場合はラッキーな意味合い)で、ちょうど別の販売網があったので寄ってみた。確かそこでCの車を取り扱っていたはずである。
大変愛想の良い若い営業マンが出てきてくれた。単刀直入にCの車はある?と聞くと、困ったような顔をされた。
その店には展示車はないし、置いている店をすぐには答えられない、分かりませんということだった。お手間は取らせたくなかったので、家で調べるからいいと断って、カタログは一応置いてあったのでもらった。
ちょっと質問をしてみたら、「嘘ついても仕方ないんで、正直に言いましょう」。
あまり正直が似合わないような人なのだが、ご自分に損なことはしない人みたいで、
「これは、あまりご要望のない、つまり売れていない車で、今まで1台だけ、出たことがあります。
一気買い(一騎買い?)というか、もうその車だけ目当てで来られて」。

電話一本の注文だったらしい。
もらったカタログは、このメーカーにしてはこれまた質素で、好感が持てた。
こうしてますます興味が湧いたので、帰宅後、すぐに試乗車がどこにあるか調べた。市内ではあるが中心部からは遠い。電話をしたら、若い男性が出てきたが、Cの名前を出すと、慌てだした。

試乗車はあるが次の土日もどうのこうのと、思いっきりあやふやに話すので、こちらは思いっきり何か不都合なことを想像してあげたが、まあいい。
2月の半ばまでは急ぎませんよと伝えると、少し落ち着いたようで、確認しますと言ってかなり待たされた。女性社員に変わった。テキパキとしている。半月先くらいに、メールではなく電話で予約しなおすということで、話がまとまった。

Cの車はごく普通の地味な感じの車である。
ただ、そのメーカーでは妙に隅に追いやられているようだ。その隅を突くと、売り手側が嫌がるようなのが可笑しい。それは買い手にとっていいことかもしれない。だけど、積極的に買いたいというほどではない。最後の手段、逃げ道というくらいかな。

値段のことだが、マイナーチェンジでグレードが上のものが発売されて、それのことを高い高いと言っていたようなのだが、試乗したAのほうが、断然高い。
この上のグレードというのに乗るつもりはないけれど、カタログで内装をよーく見ると、Aの車と同じようなパネルが貼られている気がする。何だか嫌な予感がする。

でも、見に行くつもり。よろしく。



「短足おじさんの思いつ記」ブログさん  「1月25日に起こったこと」




2013年1月23日水曜日

人でもモノでもなく場所で買いたくなるとき

誰もが考えることだろうが、日銀のしらかわ総裁、後任が後白川だったら嫌だなあ。

ところで先日、久しぶりに、夫と車の試乗に出かけた。うちの車は古いので、買い替えの準備をしておかないといけない。

家を出る前にディーラーのアクセスマップを確認し、勝手知ったる市内なのですぐ分かるだろうと思っていたのだが、最初通ったときは分からなかった。看板やショールームらしき空間が見あたらないのである。

無いというと、うちの車にはナビが無い。
10年以上前に購入したとき、ナビは要らないと私が強固に主張した。それまで知らないところでも大都市でも、地図だけで平気だったので不要に思えた。何と言ってもあの画面が好きではない。

だが、この日ばかりは、「ナビがあればね」と口から出そうになった。

新しい車でもナビをつけるつもりがなくて、iPadなどで代用したいと思っているから、必死でこらえた。
なのに、そのiPadやモデム類を持ってきていないし、携帯電話も最小限機能の携帯で、地図は出せない。少々焦ったが、ショールームは無事見つかった。反対方向から行くと、看板が見えた。

着くと、営業の方がすぐ応対に出てきてくれたのが嬉しかった。うちのは古くてヨレっとした車なので、行く先々で、あまり相手をしてくれないのではないかと心配する。予約はしていなかったが、タイミングよく試乗できた。お目当ての車は割と重厚な車で、だんだん候補の車が大きくなってくる。あくまで、大衆車セグメント。


後部座席が広いのはいいが、全体に大きめの服を着ているような少しダボッとした印象を受ける。

一回り小さいスポーツタイプの車も見せてもらった。ジャストフィットというよりタイトかな。もう少し余裕が欲しいし、しおれかけの中高年の私達夫婦がセットで乗り降りすると、雰囲気が合わなくて車には気の毒な感じがする。

接客してくれた方は、大変感じがよくて、またメーカー自体も他と比べたら馴染みがあるほうなので、話がしやすかった。私のきょうだいが(赴任して)いる県で生産しているから、好調ぶりを聞いたことがある。


それにしても、ここ2年近く、ディーラーを数カ所回って営業の方とお話をしたが、みんな個性もそれぞれながら好感が持て、どの人からも買ってあげたいと思った。

このたび担当してくれた方は知性派という感じ。今はお若いが、数年経てばもっとそのメーカー車にぴったりなことだろう。今でも、十分だけれど。

ところで、私はたいした用もないのに、トイレを借りた。前に「アルミのゴミ箱」(10/1)というタイトルで、うちの車のディーラーでトイレに行った話を書いたが、やはり誘われるようにトイレに行ってしまった。
入ってみると驚いた。普通にしていたら普通のトイレなのに、個室に小さなキャビネットがあって、おもてなしめいたグッズがあれもこれもと飾ったり置かれていた。

うううう。一体変ちくりんなお皿の上に何を置いているのだろうか。アロマキャンドルかな。火気厳禁だから違うよね。小さなバスケットやら仰々しそうなものとか、手作り作品コーナーに来たみたいだ。

ここが広島本社のショールーム(のトイレ)だとは思えない、このがっくり感。

その点、うちの車のディーラー(のトイレ)は、よかった。

あの、何ともない普通の感じ、がいい。
でも悲しいかな、あそこは土日でもお客さんがほとんどいない。
その点、このメーカーさんは、次から次へとお客さんが来ていて活気がある。働いている方が幸せそうだ。一昨年寄った、車は売れているけれど、キツキツした感じだったところとも違う。

ふと、車より点検や故障したときにお世話になる店のことを考えてみる。うちの車のディーラーは、車が売れていないから、社員の方々はお元気がないけれど、
こうしてあちこち回ってみると、やっぱりあそこが一番いい。

と夫に話すと、

車にはトイレは積めないよ、と言われた。
別にトイレがいいわけではない、ただ、あの何でもない感じが好きなだけだ。そうそう、素っ気ないようでも、妙に雑誌類が充実していて、よそでは見かけないちょっと贅沢な感じがいいのだが、もうコスト削減で置いていないかもしれない。HPも趣味が悪くなっていた。

それにしても貧乏人には選択肢がない。お金持ちは自由に好きな車を買っている。失敗したら、買い直せばよいのだ。お金があるって何と自由なことだろう。


*現代ビジネス ポール・グルーグマンの「高所得者増税」論文を全面公開

「金持ちには応分の負担を、そして労働者には適切な賃金を」

*「中銀は選挙で選ばれた議会に服従させられるべき」  今日の覚書様



2013年1月21日月曜日

話がよく分からなくても面白いことと、よく分かって驚いたこと。

今日は、お天気が悪くなったが、嬉しいニュースがあった。
経団連が昨年末、春闘の方針案に「定期昇給の見直しを聖域にすべきではない」と盛り込んでいたのに、その文言を取り消したようである(1/18)。

私は、景気回復に水を差す経団連に腹が立っていた。いつも同じことを繰り返すようだが、可処分所得が減る一方で、生活は苦しい。給与が上がらなければ、何も買えないのだから、景気はよくならない。
経団連は、景気が回復しなければ安倍政権のせいにするのだろう。

さて、安倍内閣が誕生するまで、私は全然存じませんでしたが、浜田宏一先生はいいな。
きっとファンを増やしていらっしゃるだろう。

それより、デフレ大魔王のしらかわさんが、まだ総裁をやっていらっしゃることに驚いたが、浜田先生の教え子とは驚いた。みんなによく読まれている記事だけど、備忘録で。

現代ビジネス 浜田宏一「教え子だった白川方明日銀総裁はどこで道を誤ったのか」

ダイヤモンドオンライン 浜田宏一・内閣官房参与 確信インタビュー「アベノミクスがもたらす金融政策の大転換 インフレ目標と日銀法改正で日本経済を取り戻す」


「C先生のworld view」ブログのリンク先、「市況かぶ全力2階建」さん記事も面白い。
NHKの討論番組で浜田宏一先生が「野口悠紀夫先生は時代遅れ」と正面から叩き切りになられる



ところで、昨日は全国都道府県対抗男子駅伝があった。第2区で区間新記録を取った中学生(地元広島)が、インタビューされているのをたまたま聞いた。
何と素晴らしい受け答えだろうか。スポーツ選手は体だけでなく頭もよく回り、淀みなく感想や考えを話せる人が多く、いつも驚くのだが、まだ中学生なのに、過剰な敬語遣いもなく、自分のレース分析や後続ランナーへの期待を冷静に話していた。
細かい内容は覚えていない。ただ、非常にしっかりしていたので恐れ入った。

インタビューでは聞き手が、何度も内容がかぶるような質問の仕方をすることがよくあり、質問されている人が気の毒だと、呆れることが多い。今回そういうかぶりがあまりなかったとはいえ、その中学生の答え方はきれいだった。


*こんなブログに名前が出たら気の毒かもしれないと思って、お名前は出しませんでした。






2013年1月18日金曜日

少しずつ片付ける

今週は何となく、そわそわして気になることが多い。

でも、それらはみんな省略。

さて、前回子どものことを書いたが、諸星大二郎のコミックで、ある少年の話があった。得体の知れない塊のような生き物を河原で拾ってきてこっそりと食事を与えていたら、その生き物もいつのまにか両親とともに食卓を囲むようになった。
グフグフとしか言わない気持ちの悪い塊なのに、両親は知らない顔をしている。

とここまで書いて、検索してみたら「子どもの遊び」というタイトルで、主人公は子どもではなくお父さんのほうだった。子どもが物置に隠して遊んでいる奇妙な生き物を見つけて、お父さんは箱に入れ、自転車に積んで捨てに行きかけたのだった。すると、箱の中からその生き物がお父さんに呼びかけるのである。

うわあ、いっきょに諸星さんの絵が思い浮かんでくる。
それはさておき、私のストーリーの思い出し方は、お父さん目線ではなく、子どもの立場からだった。これは、何か格好の分析対象になるかもしれないが、その奇妙な生き物のこと。
すっかり家の中に居着いてだんだんと人間の形をしてくるようになる。お父さんはそんな生き物が町のあちこちで見かけられるのに気がつく。隣の家にもいた。やがて、奇妙な生き物の代わりに息子のタケシ君はいつのまにか消えていなくなっている*。


この気持ちの悪い漫画をうちの子どもも読んだ。
それから何年後か、子どもは高校のバザーにそのコミックを出していた。古くて汚かったが売れたようだ。


ということで、我が家ではときどき、親子で互いに探りを入れて「いつもと違う気がする、どこかで入れ替わったのじゃないよね」と確かめることがある。平和な一家である。
これが子どもを怒ったり心配したりしているときは、もちろん我が子と信じて疑うことはない。
だけど、本当のところ、どうだろうか。私も昨日の自分とは似て非なるものかもしれないし、同じかもしれない。まあ、そりゃ、違っているだろうけれど。

話が脱線しそうなので、今日はここまで。
そわそわしている理由の一つは、今、あちこち片付けているのだった。モノが少ないので散らかってはいないが、昨年は丁寧な掃除をあまりしていないから、家の空気がどんよりとしている。
大陸からの黄砂や大気汚染物質も酷いけれど。

ついでに全然関係ないが、ギリシアでプラトンゆかりのオリーブの木が持ち去られたらしい。冬の燃料目的か、ということらしい(47ニュース)
ギリシアといえば、財政危機よりも怖いのが不法移民だと昨年、ニュース記事を読んだのが印象的だった。



*あらすじは、「第4話・タケシを狂わせろ」さんで。




2013年1月14日月曜日

まずは無事で元気に

祝成人式、といっても私は自分の成人式には、全く興味がなかった。
夫もそうだったらしい。

それで、子どもの成人式も無頓着でいたのだが、そういえばあれもこれも無頓着だったと思い出す。親バカで子どもは可愛いくても、世間の行事には疎かった。ぼうっとしている間に、いくつものイベントを見逃した。知っていても体が反応しないこともあった。我が子ながら少々気の毒だなと思う。


そしてまた最近、子どもと同世代くらいの若い子たちとすれ違うと、我が子はれっきとした平成生まれなのに、どうして顔の目鼻立ちが昭和なのだろうかと、これまた気の毒に思う。


ただ、子どもが元気に過ごしているようなのが有り難い。

ところで、連休の夜、ネットで「童話の怖い裏話」というのを読んでみた。怖くはなかった。というのも、私が子どもの頃に読んだグリム童話などは、子ども向けに配慮という名目で書き替えられることがなかった。原作に近いと思われる厳しい仕打ちや酷い結末が、何事もない感じでさらさらと書かれていた。
それより、昔の翻訳ものは日本語として意味が分かりにくい文があったり、天国を極楽、教会を寺と言い回していたり、不思議な文章や言葉遣いが多くて、読み返すと驚く。

話は戻って、その怖い裏話の文中リンク先に、世界の民話を紹介されているサイト「円環伝承」さん(top)
があって非常に面白かった。
<取り換え子(原文ママ)>(チェンジリング)にまつわる話で、ロシアの民間治療「子どもの焼き直し」、これは怖かった。いわゆるオソロシヤだ。

円環伝承さんがこの項で最後にご紹介されていた、
シベリア ウデヘ族の民話「一人のムルグンが暮らしていた」の若者。
円環伝承さんの解説に何故か吹き出してしまった。若者は途中で出会う敵や老婆などを信用せず、容赦なくやっつけて、援助の申し出を与太話扱いをする。物語の中での現実的な行動が、かえって面白い。




イーストウッド監督の
ご存知「Changeling」2008年



これは胸打たれた映画ですが、
もう一回見る勇気はありません。





晴れ晴れとしてくる、きれいな曲


雨も上がり、よく晴れている。日差しが眩しいくらいだ。

昨年から練習をしているハイドンのHob.XVI:20の第2楽章、綺麗に弾けるようになりたいと思う。今年の年末くらいには、何とかなっているだろう。



Haydn
Hob.XVI:20-Ⅱ







2013年1月12日土曜日

今日も昨日と同じ

昨晩、他のサイトさんのまとめ記事などを読み返していた。

話の大雑把なところも細かなところも理解できなくても、C先生のブログ経由で読む「市況かぶ全力2階建」さんは面白い。

・「建築知識『普通の子に戻ります』(←正気に戻った)」  そういう雑誌があるのも知らなかったけれど、去年一年間12冊分の表紙があれでした。
・最強の入金投資家さんの話など 
・東電のM字回帰アートなどなど

広電の社長さんの話もあった。電力ではなく、市内電車の会社。索敵という言葉を知った。

と、他にいろいろ書きかけていたが、今回の記事はアップしないだろうなあと思いつつ、寝ることにした。


そして今朝のこと。9時を過ぎた頃、突然ご近所がバタバタしだした。
見ると、小さな軽トラックが止まっていて、ご近所の方が梱包した荷物を載せている。
引っ越しかなあ。どう見ても引っ越しだろう。
トラックが一回出て行って、また戻ってきて荷物を積んでいる。

私は大変嬉しくなった。あの若い方たちも、この近くのマンションか家を買って出て行かれるのだろう。
この辺りは大変便利だし煩わしいことがなくて、住み始めると引っ越せなくなるのだが、車の騒音や排気ガスが酷くて、健康には良くない。だけど、最近幾つも建設されたマンションは、しっかり対策が施されている。よかったねえ。

それにしても、新年早々いいことがあるものだ。
引っ越しの活気が一段と高まった頃、ちょうど夫が用事があって外へ出た。言葉を交わしているようだった。
小一時間ほどして帰宅した夫に引っ越しのことを聞いた。
すると、「それがね、荷物を運び出しているだけで、引っ越しじゃないんだって」。

・・・・・・
しまった、あの若い方たちへの祝福が足りなかったのかも。祝福というのは、相手の幸せを祈ることである。そうすると、大概いいことが起きる。

それはさておき、あの荷物の運び出しは一体何なのだろうか。
と書きつつも、数ヶ月前に同じくらいの運び入れがあった。そのお宅に新しく居住者が増えたみたいで、引っ越しのご挨拶はなかったが、早々にその新人さんがうちに寄らなければいけないようなことが起きてしまった。それも早朝だったのが可笑しい。

まあ普段は挨拶しかしない関係なので、お互いに知らず存ぜずで構わないのだが、実は駐車場の車の出し入れに関することで、何度か困ったなと思ったことがある。ひと言言ってくれたら済む話ばかりで、今回のような荷物の出し入れの時も、声を掛けてくれていたら、さぞ気持ちの良いことだっただろう。

というわけで、朝方急上昇した気持ちは、お昼前にはまた、いつものところに落ち着いた。東電の回帰チャートがよく理解できた。記事の一番最後の図




画像、お借りしました。


ともあれ、何事にも気持ちを左右されてはいけないのだろうなあ。
それに、余計なお世話もいけない、まずは我が家自身を祝福せねば。どこかに行けるかも。





2013年1月7日月曜日

うま手


バレンボイムさんは、うま手だ。

タモリがお寿司屋さんの寿司職人とか、料亭の板前さんの手を見て、
器用で上手な人の手をそう言っていた、というのを大昔に読んだことがある。


掌がふっくらしていて、指が太くて短めなのが特徴。

ピアニストの手の形を見ると、結構うま手が多い気がする。
筋肉のせいだけじゃなくて、それでよく動くのだろう。


Beethoven
「Piano Sonata No.22 op.54
Ⅱ Allegretto」

Barenboim-Live from Berlin




私はピアノを習っているが、とにかくピアノ曲を知らなくて、初めて聞いてみる曲が多い。

また、明日。





2013年1月3日木曜日

順序が逆でごめんねと、O mundo é só miragem

今年は1月1日が、非常に長く感じられた。それも好ましい感じで。
何の関係もないが、よい年になりそうで嬉しい。

ところで、今日はまた、友人と会った。この一週間で二人も旧友に会うのだから、私にしてみると本当に珍しいことだと思う。

帰宅して、会ってきたばかりの友人に年賀状を書いた。
先に早々と戴いているし、うーん、何だか変なオジサンめいたことをしていると、少し気がとがめた。

でも、年賀状というと私はのんびりとしていて、年の暮れにはたと思い立ち、年を越しながら書くのはよいほうで、大概いつも三が日を過ぎる頃から書き始める。

今年ほど、謹賀新年の文字が、爽やかで晴れ晴れとしていた年はないように思うので、やっぱり遅いのは申し訳ないかな。




世界は蜃気楼、マトリックス。
ならば、
今年はお金が循環して、みんなが浮かれて、
景気がよくなりますように。


レニーニ
E o Que Me Interessa





この世(空間)の歌だと思うのですが。


 Daqui desse momento
この瞬間、ここで
Do meu olhar pra fora
君に向けた僕の目から見れば
O mundo é só miragem
世界はただの蜃気楼
A sombra do futuro
未来の影
A sobra do passado
過去の影が
Assombram a paisagem.
風景を消し去る

Quem vai virar o jogo
ゲームの流れを変える者は
E transformar a perda
Em nossa recompensa
失ったものを利益へと変える
Quando eu olhar pro lado
僕が横を見る時
Eu quero estar cercado
僕は閉じ込められたくなる
Só de quem me interessa.
僕の心を引く人だけに

Às vezes é um instante
時々瞬間が来る
A tarde faz silêncio
午後が静けさを作り
O vento sopra a meu favor
僕の好きな人に風を起こす
Às vezes eu pressinto e é como uma saudade
時々僕は予感を覚えるが、それは懐かしさのようだ
De um tempo que ainda não passou
まだ過ぎ去ってはいない時間の
Me traz o seu sossego
君の安らぎが僕にもたらし
Atrasa o meu relógio
僕の時計を止め
Acalma a minha pressa
僕の焦りを鎮めてくれる
Me dá sua palavra
君の言葉は僕にくれる
Sussurra em meu ouvido
僕の耳にささやきを
Só o que me interessa.
それだけが僕の心を引く

A lógica do vento
風のロジック
O caos do pensamento
考えの混乱
A paz na solidão
孤独の中の平穏
A órbita do tempo
時の軌道
A pausa do retrato
肖像のポーズ
A voz da intuição
直感の声
A curva do universo
宇宙の曲線
A fórmula do acaso
幸運の公式
O alcance da promessa
約束の及ぶ力
O salto do desejo
欲望のジャンプ
O agora e o infinito
今と無限
Só o que me interessa
それだけが僕の心を引く