2012年6月29日金曜日

今日は、一年の半分が終わる、金曜日。



明日の土曜日は
7月扱いのような気がします。
今日は、みんなの名を呼んでいたい、
という気持ちだかどうだか
賑やかに楽しく。

歌の後半から、
みんなの名前を呼んでいます。

Lenine
Mote Do Navio


(注)大きな音が出ます。



「Mote do Navio」
大船の旗幟

歌と歌詞が合っていないかも。
大体の感じがこんなところです。

Lá vem a barca
小舟がやって来る
Trazendo o povo
人々を運んで
Pra liberdade
自由へと
Que se conquista
勝ち取られた

Venceu dragão do mar
海のドラゴンに勝った
Lá vem a barca
小舟がやって来る
Venceu a tempestade
嵐に勝ったのだ
Lá vem a barca
小舟がやって来る
Trouxe pra nossa casa
我々の家へ連れ帰る
A força da mocidade
若者の一団が

Lá vem a barca..
小舟がやって来る

Pode chover balaco
雨が降りそうだ
Lá vem a barca
小舟がやって来る
A noite amanhecer
夜が明ける
Lá vem a barca
小舟がやって来る
Marujo não descansa
水夫は休まない
Enquanto o povo perder
みんなが命を落とすかもしれない時
Lá vem a barca
小舟がやってきた

Plantar felicidade
幸せの苗を植えるため
Lá vem a barca
小舟がやって来た
Na vida da nação
国の命運を賭けて
Lá vem a barca
小舟がやって来た
É coisa de poeta
詩人の仕事だ
Navegar na contra-mão
潮の流れに逆らうのは
Lá vem a barca..
小舟がやって来た

O mar não tá pra peixe
海は魚のためにあるのではない
Lá vem a barca
小舟がやって来た
Que some no vazio
空虚へと消えていく
Lá vem a barca
小舟がやって来た
O mundo canta comigo
みんながいっしょに歌う
No mote desse navio
大船の旗幟を
Lá vem a barca..
小舟がやって来た

工事中(訳をときどき直します)

パウリーニョ・ダ・ヴィオラの
 timoneiro とは、
違う海の歌ですね。







今日、思い出した曲




Souad Massi


「Yemma」
(Mummy,I lie to you)





ウード奏者兄弟の
Samir Joubran
アルバムTamaasより
「El Nesf El akhar-Astoria」
Astoriaは 7:47くらいからでしょうか。
後で確かめます。








2012年6月28日木曜日

さっそく、同じものをのせてみる


過去記事を探すのは面倒だから、
毎日同じものをアップするようになるかも、と書いた矢先に、
さっそく、Villa=lobosの「ブラジル風バッハ第5番アリア」です。

前回は、ブランフォード・マルサリスのソプラノサックスでした。
このサックスソロが好きで、
歌詞がある歌だということを忘れていました。
「箱と曲」(夫)が訳したというので、
例によって丸写しです。
動画も同じアナ・マリア・マルティネスです




中間部に出てきます。
作詞は Ruth Valadares Correa

Tarde uma nuvem rósea lenta e transparente.
夕べ、バラ色の雲はゆっくり、そして薄く透けている
Sobre o espaço, sonhadora e bela!
夢のようで美しい空間の上に
Surge no infinito a lua docemente,
地平には月が静かに現れ
Enfeitando a tarde, qual meiga donzela
きれいな娘のように夕べを飾る
Que se apresta e a linda sonhadoramente,
身を飾った夕べは夢かと思うほど美しい
Em anseios d'alma para ficar bela
美しくなるために魂は不安を覚え
Grita ao céu e a terra toda a Natureza!
大空と大地、大自然に向かって叫ぶ
Cala a passarada aos seus tristes queixumes
その悲しい嘆きを聞き、鳥たちは黙る
E reflete o mar toda a Sua riqueza...
そして、海はその輝きすべてを映す
Suave a luz da lua desperta agora
やさしく月の光は今目ざめさせる
A cruel saudade que ri e chora!
笑い、叫ぶ残酷なノスタルジーを
Tarde uma nuvem rósea lenta e transparente.
夕べ、バラ色の雲はゆっくり、そして薄く透けている
Sobre o espaço, sonhadora e bela!
夢のようで美しい空間の上に




マルサリスも、もう一回




2012年6月27日水曜日

レッスン後日談、私次第というよりは と、Berekeke

<レッスン前日と綿菓子6月1日の記事ー
今、練習している可愛らしい曲が身もだえするほど嫌になり、とうとう全く練習をしなくなって、ピアノが弾けなくなってしまった。ところがある日、突然、何事もなく平然とその楽譜に向き合えた>の続き


さて、この話からほぼ2週間後、膨らませたガムがぺしゃっとつぶれて、唇の周りに張り付いたみたいなことになってしまった。
先生に普通に弾く心構えができたと宣言しておきながら、やっぱり駄目でしたという大変気まずい空気が漂う展開となった。先生はひと言、「最後にもう一回、弾いて終わりにしましょう」と仰ったが、破門にされなかったのが不思議なくらいである。そこは、私は大人なのだから、自分から申し上げなければいけなかったのかもしれない。


今回、この曲にこだわったのには、いろいろと理由がある。
私は大人からピアノを始めたとはいえ、既にレッスン歴は長い。だけど進歩がほとんど無い。気に入った曲や発表会では、ゆっくりとたどたどしく、何とか曲がりなりに弾いてきたが、それはあくまでも曲がりなりにであって、普通にさらさらではない。
いつまでもこれでは、面白くない。乗り越えなくてはならない壁がどこにあるかは分かっている。とっかえひっかえ練習曲を替えても、自分が変わらない限り、同じである。
先生からも「もうそろそろ次の段階へ」と言われる。
その点、今、練習している曲は、ちょうどよい教材だった。最適かもしれない。



帰宅してからも、レッスン室での後味の悪さに、あれこれ考えたりもしたが、2,3日経つと何故か不意にもう一回がんばることにした。弾いてみようと思った。


すべては気分次第だ。理由はない、と思う。


この気分が続いている間に、練習をしよう。これが「ノリ」なんだろう。気分は、「わたし」自身じゃない。好き嫌いなど関係ないところに乗っかればよいのかも。


ただ、行きつ戻りつした間にちょっと学んだというか、自分が無関心なものに対して、いかに邪険で冷淡になっていくか、その過程が練習状況に映し出されたのが可笑しかったし、いい発見もあった。このことも忘れないように、次回、書き留めておこう。


ところで、Geraldo Azevedoという人の「Berekeke」という曲が気に入っている。「Woman on Top」という映画で使われたのだが、映画も途中までしか見ていない。後で、と一旦置いておくと再開するアクションにエネルギーが要る。
その「Berekeke」をこのブログに前に載せているのかと思ったら、まだだった。
もう3日前のことは覚えていない。過去の記事は恥ずかしくてあまり目を通さないから、3回に一度はお気に入りの同じ曲を載せてみようかと思ったりしている。夏休みの日記と同じというか、毎日同じでいいのかもと。
習作として、毎回同じテーマで書き綴っていくとか、ますます面倒なブログになりそう。
よく読まれている記事などをトップに出すようにブログを変えられるが、このブログの場合、ハムや器、クラシックの曲を検索して来訪された方が、記事を見てがっくりとされている感じが自分でもよくわかる。


夏にお勧め
特に意味のない歌だそうです。
(私は今まで、あまり歌詞を気にしなかったので)

Geraldo Azevedo
「Berekeke」




同じサントラ内に
レニーニの曲「O Ultimo Por do Sol」(最後の日没)もあります。
当ブログ(2012,1.1.「一年のループ」記事内)

備忘録 分ける歌

書きかけのものがあったが、忘れそうなのでメモ代わりに。


TさんならぬC先生のブログからの孫引で恐縮だが、
「日本の若者はこれからもずっと不幸です/成功よりも「没落」の可能性が高い理由(わけ)」(アメーバニュース6月26日 Rootportさんという方からの投稿)という結構長い記事があった。その中で目に留まったのが、17世紀のイギリスでは、引用すると
ーカネ持ちから貧乏人まで「遺書」を残す習慣が根付いており、「ある人の残した遺産の額と子供の数」が法的文書として残っているのだ。(それこそ食器ぐらいしか残すもののない人でも遺書を作成している)※2.グレゴリー・クラーク著『10万年の世界経済史』よりー
だそうで、思い出したことがあった。

上記の「遺書」は遺言のことだと思うのだが、
イギリスの遺言といえば、「Lord Randal」レンダル卿を歌った民謡を思い出す。
レンダル卿は若く美しい青年で、森で恋人と会ったが帰宅してから具合が悪く、すぐ横になろうとする。心配した母がどうしたのかと聞くと、恋人のウナギ料理に毒が盛られていたらしい。瀕死の息子と母の最後の会話が、その青年の遺産の分け方についてだった。
訳詞を追いながら、こんな時にそんな話をしなくても、早く手当をと思ったが、私の乏しい読書体験でもイギリスの小説や童話には遺産相続の話が結構出てきたかもしれない、と納得していた。それに、この遺産相続は最後の歌のオチにつながる重要部分である。青年は恋人にも分けてやるのである。それは歌のバリエーションによっては、紐とか炎とか、違うらしい。


実は、この歌は別の曲を検索していたときに知った曲なのだが、レンダル卿の名前くらい覚えておけると思っていたのにすぐ忘れてしまった。あの面白い歌詞は「何卿」の歌だったかと、「イギリス、うなぎパイ、卿、民謡」などで検索していたが、うなぎパイは覚え間違いで、ただのウナギ料理だった。




「Lord Rendall 」
Andreas Scholl




有名な「グリーンスリーブス」やウナギ料理についてもご説明があります。

 W・F・バッハのときにも拝見したことがあります。

Le concert de la loge Olympiqueさんのところで、少しお勉強をさせてもらいました。「レイトンによるヘンデル」の追記記事(ちょうど、ヘンデルも聴いてみたかったところでした)でガルッピの4声の協奏曲第4番ハ短調。YouTubeも真似させてもらいました。



Gallupi
「concert a Quattro No.4 in Cm」



遺産の分け方を歌に出来るなんて、
凄いなあと思ったのが正直なところでした。

ところで、君には愛をあげるというのも
分配している歌なのでしょうか。
こんな直截的な歌があるのか知りませんが。

歌にはいろいろと意味があるのに、
私はあんまり歌詞を見ないし知らないので、
人生損をしていると言われます。

確かに、受け取りが少ないです。
もらいたがらないというのも、
けちの一種なのかも。




2012年6月23日土曜日

たぶん、の続き

前回のタイトルが「たぶん、Tito」だったのは、動画をアップしてくださった方が、Tito Parisの名前を出したくなかったのだろうと思ったからだ。でも、よくわからない。Tito Parisも、この一曲しか聴いたことがないくらい。


日本の新しい著作権法 (WIRED.JP)馬鹿馬鹿しい法律だと思う。


ところで、
昔、DIY・インテリアブログ関係をよく見ていたときに、どなたかのブログのリンク先で、二つのブログに出会った。


ひとつは、
「引越し後のあなたの部屋から」さん  ハウスクリーニング業を営む「サトケン」さんのブログ。


サトケンさんは、NHKの熱中夜話(2009.5月頃)にも出演されて、自作のフットバスをご紹介していたくらい、器用で工作が得意な方である。最近は、お仕事がお忙しくてブログの更新はあまりされていないようだ。
でも、掃除屋さん業の怖い話から人力工作まで面白い話が盛りだくさんである。
こちらで、
建物探訪 江戸東京たてもの園(2008.2.26)を知った。これについてはまた別記事で。
キャラ弁(2008.4.22)にびっくりさせてもらった。
洋館みたいな賃貸(2007.828)外人さんがお住まいだった素敵なマンションに憧れた。




もうひとつは、
「わたしの雑記帖」さん  dcandyさんのブログ。
長い間、ちょくちょく拝見している。コメントを差し上げたこともないけれど。


この間、dcandyさんがおじさまおばさまのおうちに遊びに行かれる記事<ゆかいな生活 (2012.5.30)>があった。ビーフンを盛ったお皿が本当に綺麗だった。
私は、老後、カレーとチャーハンに焼きそばか、パスタの簡単な晩ご飯にしたいと思っていて、そんな気軽なごはんのときに、綺麗なお皿があれば、どんなによかろうかと思うのである。


そうえいば、ワインを毎日開けながら、カレーとかチャーハンを作っている方のブログを拝見したことがある。私は、自分のプロフィール別版というか、自己紹介欄に書いたくらい、カレーとかチャーハンが大好きだ。
最近の我が家の晩ご飯といえば、もう既に老後が始まっているようである。幸せだ。


そうそう、サトケンさんの自己紹介欄にもカレーがある。





2012年6月20日水曜日

たぶん  Titoの nha manera


夏におすすめ

Tito Parisの
Nha Manera





ときどき、思い出しては、
YouTubeでこの曲を探していたのですが、
気がつきませんでした。

また、あとで書き足します。


プロフィールもどき、更新しました。
サイドバー下です。
よろしかったら、ご覧ください。




2012年6月19日火曜日

何とかタイトルを付けたいのですが


らっきょうは好きな食べ物ではありませんでした。
食べようと思ったこともありませんでした。
でも、健康によさそうなので
10年以上前から、
自分でも漬けてみるようになりました。
もちろん、下処理済みのらっきょうを使った
「簡単漬け」です。

ただ、ここ数年、
鳥取のらっきょうSサイズが手に入りにくくなり、
まして、5月から6月にかけて、
体調が悪かったり、ぼうとしていたら、
買い損ねて漬けられないこともよくあります。

今年はぎりぎり二瓶、漬けました。
らっきょう一袋の中のサイズはランダムでした。
お値段が10年前よりずいぶん高くなっています。
<Sサイズとお酢がポイントだと思います>





写真上の紺色の蓋付きビンは、
らっきょうを入れると綺麗なのですが、
我が家の焦げ茶色のテーブルと
全く色が合いません。

夫のぬか漬けと(ぬか漬けパック利用)。
茄子ときゅうりがなくて、残念でした。


実は、らっきょうを漬ける度に、
ニオイにむせて、胸が悪くなって寝込みます。
下処理をしなおすので肩も凝ります。
保管場所にも困ります。
でも、あと二瓶は欲しいくらい、
よく食べるようになりました。




2012年6月16日土曜日

波打つボーダー


私は、手足は長いけど、胴も長いので、
几帳面なボーダーは、
視線が上から下へと下がって、
余計長く見えます。
なので、ボーダーは苦手でしたが、
去年、ゆるゆるっとしたボーダーを買いました。


インナーとしては、
シンプルなTシャツより、
ずっと使い勝手がいいです。
勧めてくれたお店の方には感謝。



なみなみボーダー
nicole



アリゲーターは、
20数年近く前のものです。
重たくて首が凝るからと付けることはなくて、
壁にぶら下げていたら、
いつのまにか軽くなっていました。
アリゲーターも年を取ったのね。






2012年6月13日水曜日

聞きかじり Jockey Full of Bourbon


今週末借りてみようかな

Down By Law(Jim Jarmusch1986)
Tom WaitsのJockey Full of Bourbon
trailer




Jockey Full of Bourbon(Soundtrack)
長いバージョン




Down By Law  (wiki.jp)


YouTubeで映画をざっと見ましたが、よかったです。
今度、本当に借りにいかなくちゃ。




袖丈の長い話

もう夏を迎えようとしているのに、ライトグレーのスプリングコートを買ったときのこと。


そのコートは、シンプルなステンカラーコートで、見た目はゆったりとしていたが、試着してみると痩せ気味の私にも割とタイトだった。それより、袖丈が短いようで気になった。私は腕がゴリラのように長くて、若いときはレディースの服が合わず、メンズのジャケットやシャツを羽織っていたことがある。パンツもね。


でも、最近の袖丈は昔のように長くないし、春物なので、袖丈が長いのも重たいし、たくし上げて着るかもしれない。それにワンサイズ展開だったので、大きいサイズはなかった
店員さんや同行の夫にもバランスをよく確認して見てもらったが、可笑しくないよねということで、買って帰った。でも、お店の鏡の前では、袖丈というと必ず思い出す話を瞬時に思い出していた。


それは、もうかなり前に、「海幸山幸」HPの友人が、繁華街にある量販系のアパレルショップでバイトをしていたときのこと。
これは春ではなく秋に聞いた話で、当時は、まだまだ少なかった中国人観光客の若い女性がお店に来て、冬のコートを試着した。とても気に入ったようだったが、袖丈が七分袖といえばもう大げさだけど、それくらい短かくて悩んでいたらしい。
友人がどうしたものかと一緒に思案していたら、男性の店長さんがやってきて、「短いのが流行りですよ」と言った。そして、お客さんは買って帰ったそうだ。


そのお店では音楽がいつも賑やかに流れていて、ガンズ・アンド・ローゼズの曲がかかると、私の友人は、同じガンズ・アンド・ローゼズファンのバイト友達と、目を合わせて片腕を挙げて一緒に喜んだらしい。そのお友だちは、アルゼンチン人だと聞いたような気がする。
この話を、「海幸山幸」でも拝見したことがあると思うのだけれど、少し記憶間違いがあるかもしれない。


こうして、袖丈とガンズ・アンド・ローゼズをワンセットで思い出すようになったが、スプリングコートを買った後で、お店のブログを見ていたら、接客してくれた人とは違う店員さんが同じコートを着ている写真があった。
斜め45度(適当)に後ろ向きで左半身が写っていたが、袖が手の甲の半分近くまで掛かっていた。


やはり短かったのかと一瞬焦った。でも、小柄な店員さんのようで、袖丈が長すぎるように見えた。まあ、適当な大きさのコートなのだろう。
気温が高くなって、この綿100%のスプリングコートを手洗いした。洗濯機でもOKだそうだ。干すとき、選択表示に縮む恐れあり、と書いてあったので、少し伸ばし加減に引っ張った。
ちょっと長くなったような気がした。だけど、それはそれで不安で、我ながら貧乏性は始末に負えない。


さて、どうして今頃、コートの袖丈の話なのかというと、この間、陰陽師さんという方が翻訳された短編が面白いとご紹介したが、陰陽師さんの別ページ「陰陽師的音楽堂」に、ガンズ・アンド・ローゼズの曲にまつわる話を書かれていたのを覚えていたからだ。


開いてみると、やはりあった。そして、読み直してみると、書かれていたことを自分はあまり覚えていなかったことに驚いた。興味深いお話だった。わたしも陰陽師さんと同じような体験があるのだが、それはさておき、陰陽師さんが訳されたガンズ・アンド・ローゼズの歌といい、短編といい、場所にまつわるタイトルが続いている気がするが、私は長い間居場所を変えていない。
ずっとここにいるので、どうしてそこから出ないの、とよく不思議に思われる。度が過ぎると気持ち悪がられるか、忘れられてしまうようだ。




*陰陽師さんの陰陽師的音楽堂ページ 「アクセル・ローズはどこへ行ったんだ」(ガンズ・アンド・ローゼズ)
陰陽師さんのHP 「ghostbuster's book web.」





2012年6月9日土曜日

家具屋さんで

知人の家具屋さんへ寄って、ちょっとお手伝い。
家具屋さんの新しいブログも、だいぶ落ち着いてきた。

Macの簡易ソフト i Webで作っているお店のHPは、i Webとともに今月いっぱいで終了。

そのHPは、ページをだいぶ削除したし、始めたときとはだいぶ違っているのだが、内容や構成はともかく、こちらが何も操作しなくても、勝手に写真の影の付き方が濃くなっていたり、ずれたりしている。

Macの i Webに対するやる気のなさが、ずるっと出ているような感じ。

ともあれ、家具屋さんでは、オーダー家具は届いたらすぐ配達で、店主が写真を撮る暇もなさそう。
私もあまり写真を撮る時間がなかった。






天板がガラスの籐テーブルです。
中庭をのぞんでいます。



とっても楽しい家具屋さん。
今日は、シャーデーと邦楽(伝統音楽)が掛かっていました。





2012年6月7日木曜日

案山子である理由とお勧め短編

<レッスン前日と綿菓子>の記事で、私は自分が案山子みたいだと書いたが、へのへのもへじ顔だけではなく、もうひとつ理由がある。
目がかなり悪くて、車の運転が出来ない。だから、徒歩や自転車で自分の好きなところに行けないところへ行くと、もうそこから一本足の案山子のようにそのまま動けなくなってしまう。また、景色を楽しむにも視力が要る。家屋の中どころか、外にいても空間が限られているように感じてしまって、閉所恐怖症気味になる。でも、緑生い茂る山の中をドライブしてもらうのは最高に好きだ。


その点、地方都市とはいえ今住んでいるところは、建物や人の動きなどぼやけ気味でも見ていられるし、出かけたら手にとって眺められる物がそこそこある、という安心感がある。
至近距離で見るといえば、小中学生の頃は、私は読書が好きで活字中毒気味だと自分で思っていたほどだが、案外、他に見るものが無くて仕方なく見ていただけだったと思う。
もっと小さい頃は外で走り回っていて、まさしく、ラモーの小曲「Les Sauvages」、野蛮人だったのだが。
大人になってからは、いよいよ目も悪くなって、あまり読書をしていない(パソコンは文字を拡大できるから、非常に有り難い)。


だから、文学にも疎くて、これからお勧めする作品二つは、結構ご存知の方も多いのかもしれないけれど、とても面白い。
夏の暑くて暑くてたまらない昼間に読むのにぴったり。でも、5月や6月の静かに空が明るくなっていく朝方や、夕刻の日が落ちるまでの長い時間に読んでもいいかな。ビールがあればいいな。これから梅雨でも、晴れ間は結構あるしね。


二編とも「陰陽師的音楽堂・陰陽師的日常」(Homeはghostbuster's book web. 管理人 陰陽師さん)という方のサイトから。
この方のサイトには何年か前にめぐり逢ったのだけれど、何で検索したか、どなたかのリンク先だったか、理由は覚えていない。ご自分で小説の翻訳をされていて、幾つか拝読したが、どれも非常に面白かった。アンソロジー『魔法のお店』(荒俣宏編、当ブログ2011.12.15)に編纂されているH・G・ウェルズの作品もあった。


さて、今回のお勧め短編は


*ジョイス・キャロル・オーツ『これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?』


私は、アメリカのティーンエイジャーみたいに、バスルームで長時間お化粧したり、車で町やデートに出かけるような生活をしてみたいと憧れたことがある。今は、アメリカの若者ですら車離れらしいが。
そんな60年代のティーンエイジャーであるコニーが、アーノルドに誘われるのだが、アーノルドの年齢が分からなくなっていくあたりから、だんだんと背筋が寒くなってくる。


陰陽師さんのブログ記事  <ジョイス・キャロル・オーツとボブ・ディラン>
陰陽師さんの翻訳     『これからどこへ行くの、今までどこにいたの?』


*フラナリー・オコナー 『善人はなかなかいない』
お祖母さん(訳ママ)が、息子一家とフロリダへ車で出かける途中の話。お祖母さんの昔話が可笑しいのだが、寄り道した後にお祖母さんが思い出してしまったことが、よくありそうな話で吹き出してしまった。映画みたいな短編。


陰陽師さんの翻訳  『善人はなかなかいない』




話は最初に戻るが、あまり「もの」が見えなくても、私はもっと冒険したほうがいいようだ。他に見るものが無くて、なんて。続きはまた書こう。


そうそう、ボブ・ディラン、私の苦手とするタイプの人だと思っていたが、「One More Cup of Coffee for I Go 」(Desire,1976)を聞いて、これは好きだと思った。


YouTubeを探したけれど、ご本人が歌っているのはなくて、残念。私が探していたら、夫が自分のブログに載せると言い出した。またか、と思ったが探し出してくれたので感謝。日本語のタイトルで探せばよいなんて、びっくり。当時は「コーヒーもう一杯」で、ヒットしていたらしく、聞いてまたびっくり。





同じ曲を聴いても、互いの世界が違っているのは嬉しいが、言うほど、たいした世界でもない。つがいのように似ていたら、どうしよう。



2012年6月4日月曜日

先週の追記  青いバッグ他、書いては追記ばかり

まず「青いバッグ」(5/23)
青いバッグのことだけれど、先日、ユニクロg.u.のオンラインストアを見ていたら、よく似たバッグがあった。2連チェーンでほとんど同じ。ワオオ、こちらで買えば良かったのか。


その青いバッグを買った時に、メイドインジャパンでないことが気になったと書いたが、特に日本製にこだわっているわけでない。できるだけ応援しようと思っている程度である。それに、日本では工場のみならず、農場でも外国の方々が働いていることが多いのだから、生産地にこだわるのは無意味な時代なのだろう。


でも、物を買うときに生産地を確認して見るのは、とても楽しい。
ユニクロは、近頃カンボジア製が増えている気がする。カンボジアがこれからの主流になるのかな。その次はどこに行くのだろうか。


昔昔、あるショップで服を買ったらイタリア製で、次はポーランドにルーマニアと変わった。ハンガリーもあったかな。そして最後に、カットソーを買ったときはマダガスカル製だった。それから先は知らない。今、我が家は衣類も家電も「世界の工場」製が圧倒的に多い。


また、イタリア製といっても、日本からアパレルメーカーが進出するように、イタリアにも「世界の工場」は進出しているそうだ。現地の人を雇用しないのは何処へ行っても同じだそうで。


ライブドアニュース ナイジェリアでの中国商人




次に、「この一週間」5/27


5/17に宇宙線量が瞬間的に増えたらしいのだが(in Deepさん6/1
屋久杉に宇宙変動の跡=奈良時代に超新星爆発か_年輪を分析 名大グループ
奈良時代の775年に宇宙線量が過去3千年間で最大の増加率だったとか。ふーん。


景気回復の兆しが見えたか、というのも2月から3月の間だけで、これこそ瞬間的な出来事だったのでは。またデフレ大魔王(それも二人、そうりとにちぎん)が景気を悪くさせてしまっている感じ。景気は気分、気持ち次第だと思うので、世界中の景気をよくすることが、<戦争に至らない近道>だと思う。




最後に、前回の記事(6/1)
人の恋など知ったこっちゃない、と可愛げのないことを書いたけれど、やはり、世界に愛が増えるのは素直にうれしい。


ロケットニュース24 IsaacさんのAmyさんへのプロポーズ(さすがにタイトルを丸写しして書くのは恥ずかしい)


たくさん友達がいるんだなあ、と思った。
追記の追記 こんなことを書いてはいけない。すみません。愛はどんどん増えて、幸せも増えて、減りはしない。

2012年6月1日金曜日

レッスン前日と綿菓子

私はピアノを習っているが、お正月あたりから、やる気をなくしてしまい、練習がおろそかになっている。弾きたい曲を探すのも面倒でやっていない。
それで、また一段と腕が落ちてしまった。2月くらいから、初級〜中級レベルの曲で、先生が選んでくださった曲を課題にしているが、一向に仕上がらない。


それは牧歌的な曲で、美しい娘に恋をして失恋し、ちょっとだけ嘆いているけれど、全体的に可愛らしさに満ちて、明るい光の中でそよっと物語られる感じ。
技術的にも曲想的にも、ソナチネアルバムくらいで、プロが弾けば面白いけれど、私が弾けば、全く面白くなくて退屈してしまう。平易な曲ほど弾くのは難しいのだが、単純だからというより、自分に合わない曲だから嫌なのだと思う。モチベーションが上がらない。

私は、自分自身は案山子みたいなのに、牧歌的とか風光明媚とか、のどかな景色には落ち着かないたちなのだ。それに可愛い旋律よりも、都会でトンテンカンテン、パーカッションを鳴らしているような音楽がいいなあ。
とうとう、レッスン前日にしか練習をしなくなり、近頃は、嫌々練習していることに涙さえ出そうになっている。こういう私自身が気持ち悪いのだけれど、それは棚にあげておく。

このままでは、時間がもったいないし、指導してくださる先生にも申し訳なく、先週のレッスンでは途中まで弾いて、
「先生、私はこの人の恋なんて、知ったこっちゃない、ってつい思ってしまうのです。早く終わればいいのにって」と訴えた。
先生は素知らぬ顔で、
「ええ、そんなふうに聞こえますよ」と言われた。

「きれいな曲って、私にはわかりません。それに、この曲にはシュールなところがないじゃないですか」と重ねて嫌悪感を濃厚に漂わせてみたが、
「ええ、ありませんよ。単純に普通に綺麗に弾けばいいのです。
それにね、単純で普通な恋ほど、シュールかもしれませんよ」。

いつも先生は、私の好きな曲を、大人の趣味と呆け防止を兼ねて弾かせてくださっているが、今回ばかりはどうしても、この曲を弾かないといけないみたいだ。
私自身も最初は、たまにはこんな優しげな曲もプラスになるかも、と思っていた。でも、だんだんと身もだえするほど嫌になり、気持ちが凶暴化してくるのはどうしてだろう。

この曲を巡りながら、あれこれ嫌悪感が増して膨らんでくる様子は、まるで綿菓子みたいだ。ただし、綿菓子機の中の種(この曲)からではなく、私の記憶や経験が勝手にもわもわと巻き付いている。この曲自体が不愉快なものに変化して巻き付いてきたわけではない。


相手は何一つ変わっていないのに、思うようにならないということで自分の気持ちが変化する、これは人間関係でも何にでもよくあるパターンだといえるが、ピアノの上達には役立たない観察である。
それに、別に私の好みとか趣味とかどうでもよくて、一生この手の曲は嫌だ、と私が叫んでいても、誰も知ったことではない。それは十分よくわかっているのだけれど。


ちょっと哲学的なことを考えてみたが駄目だった。スピリチュアル方面でよく聞く、「私をなくす」とか「自我を薄める」とかいうやつが必要なのだろうか。歌なら何でも歌っちゃうプロの歌手魂を見習うべきなのだろうか。

こうして昨日も、レッスン前日で嫌悪感ばかりが募っていたのだが、とりあえず「知ったこっちゃない」と弾くことにした。いつも通り。
そのとき、自分にどういう変化が突然訪れたのかわからない。でも、これまでの葛藤がほとんど無くなっていた。相変わらず、この曲は好きでもないし、私が何かを悟って聖人になったわけでもないのに。


綿菓子がしぼんだだけのかもしれない。長い間綿菓子を食べていないけれど、しぼむと棒に張り付いて、べたっとしていたかな。

好き嫌いというのは、何でも一括りには言えないもので、牧歌的な曲が苦手と書いたが、ベートーベンのピアノソナタ「田園」(op.28)の2楽章と3楽章を練習したことがある。ソコロフが弾いているのを聞いて、気に入ったのだが、もう全体的にどんな曲か忘れてしまった。2楽章の最初、左手のスタッカート部分だけは好きで覚えている。


Grigory Sokolov-Beethoven Sonata op.28/Ⅱ(YouTube別ウィンドウで開きます)


上の動画の関連動画で出てくる、ラモーのLes Sauvages(野蛮人)も練習した。これは短くて好き。どなたの演奏がいいのか分からないけれど、ソコロフで。そういえばこの間、先生にラモーを弾かせてくださいとお願いしたけれど、駄目だった。


Rameau
Les Sauvages