2013年3月14日木曜日

3月の豆ごはん

季節的には、ちょっと早い気がするグリンピースご飯を炊いた。大好きだ。
でも、うすい文豆はまだ少量しか出ていないから、普通のグリンピースにする。
大体豆ごはんなんて、4月中旬から5月初めごろにかけて食べるものだと思うが、近頃、スーパーには早くから並び始めているから驚く。

そうそう、3月の豆ごはんというと、大阪で食べたのを思い出す。ちょうど今頃だった。晴天の翌日で雨、寒かった。

大阪の街中を車で走っていた。運転はもちろん、家人。
あるところの信号で止まったとき目に入ったお店があった。和食のお店で、暖簾か何か目立つものにうなぎの字が見えた気がする。数年前なのに、細かなことは覚えていない。
それに、私の目は何も見えないから字が見えた筈はないし、ウナギは好きではない。でも、お昼はそこにしようと決めた。

お店の入り口近くにお昼のメニューが書かれていたと思う。「豆ごはん」とあった。グリンピースご飯と書いていたかもしれない。こんな3月のまだ寒い頃に豆ごはんだなんてと、少々面食らいつつも、入ってみた。
一階ではなく二階に案内されたので、とまどった。大きな水車が設置されていて、それが嘘くさいと言うよりも、けったいな雰囲気を醸し出していて、ぐるりと回るように階段を上がった。
二階は二階で、テーブルと椅子があるのではなく、右手に大きな広間のお座敷があって、左手には個室のお座敷があった。

左手の小さな個室に通されると、ひときわ大きな銅鑼があった。
間近で実物を見るのは初めてだ。その前には黒電話。来るところを間違ったかと思ったが、お値段が高くてひるみそうなところという感じでは無い。お品書きを渡されて、私は豆ごはんの定食にした。普通のお値段だった。

ところが、一向に注文を取りに来てくれなかったか、何の用事だか忘れたが、お店の人を呼ばなければならなかった。襖を隔てた隣のお客さんの給仕に来たお店の人をつかまえると、はいはいと聞いてくれたのだが、
「何かあったら、鳴らしてくださいね」
と言って、下へ降りていった。

鳴らすって何を?
銅鑼だろうか。電話なのだろうか。私達家族は、分からなかった。

豆ごはんは美味しかった。

支払いは一階入り口の近くだった。領収書は要りますか、と聞かれて、もらうことにした。接客でもない調理をするでもないような普通の女性が、椅子に座ってカウンターで領収書を書き始めたが、ふっと止めて両手で顔を覆い、間違えましたと言った。
そして驚いているのか笑っているのか半々で、あたふたと書き直し始めたのだが、何故かまた、失敗をして狼狽えていた。
私は別に領収書は要らなかったので、結構です、と断ることにした。でも、何をそんなに笑うほど、間違えたのだろうか。
私の視力では見えないのが、残念だった。

店の名前を覚えていないので、Googleマップで調べてみた。
お店は「割烹とんぼ」さんだった。

銅鑼は本当に鳴らすらしい。
記憶間違いで書いている部分があると思うけれど、それはそれでごめんなさい。



2013年3月10日日曜日

面妖な町


前回続き。

駒井邸を訪ねるのに、付近の駐車場が結構満杯で予定外のところに停めた。そのおかげで、たまたま猫町カフェさんというお店に入ることとなった。
お昼のランチは3種類。
私はカレーが好きなので、野菜カレーを注文した。夫は地鶏のソテーセットで牡蠣のチャウダーや自家製のお漬け物付き。
どれも丁寧に作られていた。繊細でとても綺麗。

このお店の辺り、一乗寺には「恵文社一乗寺店」という有名な本屋さんがある。
一度入ったことがある。雑貨や作家ものクラフトも多数置いてあったが、小さなポチ袋だけを買って帰った。
近所に住んでいたら、しょっちゅう通っているかもしれないけれど、どうなんだろう。もう、こうした本屋さんに、わくわくしながら行くことはないかもと思う。

それよりも、一乗寺がご実家だという知人に遭遇するほうが、面白いかもしれない。知人といっても、私は電話でしか声を聞いたことがない。
猫というより、狸かもしれない。狸おやじ。

猫町カフェさんの店名由来となった、萩原朔太郎の「猫町」(青空文庫)
「私」が見た猫の町の話。
冒頭に引用されたショウペンハウエルの言葉といい、第3章といい、今読んだ方がよく分かると思った。中枢部は、記号的には、猫でも杓子でも、それこそ狸でも何でもよいが、猫でないと様にならないし、売れないだろう。



京都駒井邸




何だか、とってつけたように載せて、
故駒井博士にお悪いです。




2013年3月8日金曜日

松ぼっくり



京都の駒井家住宅(駒井卓博士・静江記念館)を
訪ねました。


ピアノの上の松ぼっくり。
庭の松は、まだまだ成長を続けているそうです。 



松は長寿の象徴。


お昼ごはん、
駒井邸から、ちょっと離れた駐車場に車を駐めていたのですが、
そこの鼻先にあったお店に入ってみました。


grill&cafe猫町さん


店の中から。


後で検索すると、
萩原朔太郎の小品に由来する店名だそうで。





2013年3月5日火曜日

バナナの力説

だいぶ日が長くなってきた。
ちょくちょくと、病院へ「ちょっとお見舞い」に行っている。

入院されているのは、お若いときから様々な疾病で入院経験をお持ちの自称ベテラン患者でいらっしゃるが、付き添われている奥様が、だいぶお疲れのようだ。

先日は買い物をしたあとに、病院へ回る予定だった。でも、デパートの地下を二つ回ったのに、お見舞いにと考えていた品がなくて困ったなと思った。
それで、デパ地下で自宅用に買ったバナナを差し上げることにした。
ちょうど小さな紙袋が余分にあったので、それに入れた。

これは、付き添いの奥様に召し上がっていただくためである。
バナナは進物用ではないし、立派な奥様に失礼じゃないかと気がとがめたが、家人が言うには、
「バナナはリンゴやメロンと違って、ナイフもフォークもお皿も要らない。みかんと同じで皮を剥くだけで食べられる。
昔は高級品でお見舞いの定番だったバナナも、今はそうじゃないから、誰もお見舞いにバナナは持って来ないだろう。
親戚の人は特に持って来にくいと思うよ。
バナナは朝食にもおやつにもなるし、夜食にもちょうどいい。
付き添いの方に差し上げるには、ぴったりだよ」

なるほど。
一聞けば二十は答えが返ってくる家人である。

さて、その力説付きのバナナだが、奥様は大変喜んでくださった。
奥様にはお気遣いなくといつも言われているし、手ぶらでお伺いすることも多いが、何か気が和んだり、あると助かるようなものがないかなと、考えるのも楽しい。

この間は、加賀棒茶で有名な丸八製茶場のお茶のティーバッグがあったので、お持ちしてみた。テトラ型のティーバッグで、缶ではなく6ヶ入りの袋にした。
店で遠目から見ると、個性的なパッケージだと思ったのだが、近くで見るとそんなに好きな絵柄ではない。だけど、プチギフトにはよい感じ。


そうだ、話は変わるが、ずいぶん昔のこと。
朝は10時過ぎ頃、市役所近くの停留所でバスを待っていたら、ふらふらとどこからともなく若い女性が出てきた。薄着だったから、春か夏の頃だった。
停留所のすぐそばにある自動販売機で、ジュースなどをごろんごろんごろん、と何本も買って、両手に抱えた。
すっと手を挙げてタクシーを拾い、走り去った。
友達に会うのだろうか、何だか気楽でいいなあ、と思った。

追記
両腕に缶ジュースを抱えたまま、すっと手を挙げられるわけがなく、ちょっと国道際に立っただけでタクシーが止まったのだった。


2013年3月3日日曜日

ひょっとして、こんな道だったのだろうか。

もう3月になってしまった。
ずいぶん前に書きかけていたの話。

昨年末、友人と会って話をしていたときのこと。
新しい職場の話を聞いていたのだが、そこから車の故障の話になった。前に聞いたことがある話とは別の故障の話だったのだが、故障というよりは運転ミスで、それも道路に関連してのことだった。

その友人は、長い間アメリカに住んでいた。ある時、仕事でオレゴン州を車で走っていて、急にお腹が空いてしまい、買っておいたサンドイッチを無性に食べたくなったらしい。どうしても我慢できず、運転をしながらサンドイッチのパックを開けて、添えられていたマヨネーズのチューブを破ろうとしたら、なかなかそれがうまく破れない。
ふと、気がつくと突然道が曲がっていることに気がついた。時既に遅く、曲がりきれずに横へ突っ込んだそうで、そこは砂漠地帯だった。

砂漠といっても、荒れた地形にサボテンが生えているような砂漠なんだと思う。オレゴンには高原型砂漠があるそうだ*(wiki.jp)


さて、前に聞いた故障のときは、車に詳しい人が現れて助かったそうだから、その砂漠で、救世主ジョンは来なかったのかと聞いてみた*(当ブログ2011.12.22) 。残念ながら現れなかったそうだ。
どうやってそのトラブルから脱出したか聞く前に話が逸れたので、今度会ったら、サンドイッチに後からマヨネーズを掛けるものなのか合わせて聞いてみようと思う。

話が逸れたというのは、友人が、そのジョンさんに直してもらった故障の遠因となったことを思い出して、何か感じるものがあったらしく、また話してくれたからなのだが、それは、別の車で、アメリカ中部の南北の州にまたがって何度か行き来していたときのことだそうだ。2011.12.22の記事では、友人がミシガンから横断していたときと書いたが、私の記憶間違いであった。別の出来事と混同していた。

ともあれ、友人が南の仕事を終えて北へ帰る途中のあるところに、横手にいつも見える山があったそうで、その山を上っていく道が見える。
「それがね、道がね、曲がっていてね、その曲がった道がどうしても気になって」と、ある日ついに、そこを通って帰ろうと友人は決めた。
そこに山があるからではなく、曲がった道、山道があるからということだった。
ところが、
「途中まで上りかけたんだけどね、気が変わって引き返すことにして降りていったら、町の中で調子が悪くなってしまって」

こうして二つの話を合わせると、なるほどと思った。
アメリカはあくまで道はまっすぐで、突然道がカーブするなんて予定外だったのだろう。反対に、くねくねと曲がる道は、単調なドライブが続くと、惹きつけるものがあったのだろう。

でも、遠くからは小高い丘のように見えた山も、近づけばかなり大きかったのかもしれない。ナビも無いし、途中で引き返して正解だったのではないだろうか。
と、私は自分の中で、映画に出てくるような何も無いところを走るまっすぐな道と、青空の中にのんびりと構えた山、そして遠目でもはっきりと見える蛇行する道、つまり美しいドライブウェイを思い描いていたのだが、いや全然違う、こんな道だったのかもしれない。

それは、元トラック野郎の珈琲バカさんが経験した山の道路の話。崖と谷の世界。
そういえば、我が家も車で出かけて、怖い思いをしたことは何度もあった。私の別の友人もよくHPに書いているが、峠は怖い。山道は怖い。

*「珈琲バカさん」のわこうさんのブログ(top) 
「嗚呼、トラック野郎」内の「曲がらんね」(2010年3月15日)

ネットで車のことを検索していて、拝見しました。この方は多方面でご活躍されていらっしゃるようで、HP(ブログ)に載せられているプラモデルが面白く、美しいです。


物流の要、トラックの運転手さんには感謝です。


そうだ、元々は道というか道路の話で、インフラ、なかでも高速道路の老朽化にようやく関心が向けられるようになってきたこの頃、日本の高速道路建設は、諸外国と違ってコストが高くなるのは必然、ということに納得した話を書こうと思っていたのだった。

*短足おじさんの思いつ記
「高速道路無料化の愚(2009年8月15日記事)
大型トレーラーが写っていますが、短足おじさんが仰るように、こんな車が高速を走るようになるとは建設時に考えていなかったでしょうね。
「珈琲バカ」のわこうさんがトラックの運転手だったころの話と読み合わせると、過積載や、道路構造の問題点などが運転手の責任になって大変なことがよく分かりました。


これは無理かも。
*痛いニュース(2013.2.27)
時速80キロ・車間4メートル、トラック隊列自動走行/NEDO


まあ、インフラ整備を期待したいです。ばらまきじゃありません、必要ですね。