2013年6月30日日曜日

一息ではなく、ゆっくり

健康備忘録

ヒアルロン酸が大事みたい。
「ハダカデバネズミ」が、ガンにならない理由 (WIRED、6月26日)
最初、苦労してハダカデバネズミを一気読みしたが、ハダカでデバだった。
裸で出っ歯。何だか近しいものを一瞬感じてしまうが、それはなかったことにしよう。

こんな痩せ痩せのねずみなのに、長寿だそう。
それも本気で長寿、30年近く生きるそうで、呼吸も普通のネズミと比べてゆっくり。まさしく長息。蟻や蜂のように群れを形成して生活するのも特徴らしい(wiki,jp 上のWIRED記事中に文中リンクがあります)。

検索してみたら、このネズミは結構有名なようだ。
貴志祐介さんという方の『新世界より』というSF本があるらしく、アニメ化もされたそうだが、それにバケネズミというものが出てくるらしい。ハダカデバネズミを進化させた生物となっている。
それはそれとして、本のタイトルにもなっている、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、そのなかでも第2楽章を編曲した「家路」は、私が通った小学校では学校に残って遊んでいる子どもたちに下校を促す曲だった。貴志さんの小説でも同様に使われているらしい。

私は、この「家路」が大の苦手だったので、ずっとドヴォルザークを聞きたいと思ったことは無かったが、何年か前に一度、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」を小さな小さな音楽会で聞いたことがある。
なかなかよかった、ような記憶がある。弦楽の先生やプロ奏者として活躍されている方々の演奏はもちろん、素晴らしかった。






2013年6月29日土曜日

クルマは潰さずに

飛行機からいつもの車の話。

春、我が家は車を買い替えた。10年以上乗った前の車とお別れするのは、大変辛かった。そのもう一つ前の車も10年はとっくに過ぎて、走行距離も20万キロ以上だったが、廃車ではなくニュージーランドに行くことになっているとディーラーの人から聞いていた。なので、別に寂しくも悲しくもなく、のんびりと余生を送って欲しいと願った。
ところが、前の車と今の車はメーカーが違う。今の車のメーカーが下取りはしてくれたが、すぐ廃車かと思うと、悲しかった。
せめてオークションにかけられて、必要な部品を取ってもらえたらと思った。
この辺のことを私は全く知らない。

ともあれ、何処かをのんびりと走っていて欲しい。公園か空き地で、のんびりと停まっていて欲しいと、時折私は夢みる。


アメリカ自動車中古パーツのリサイクル業者LKQさんの話

アメリカの自動車リペアパーツの市場は2000億ドル。自動車の修理交換でリサイクル部品が既に80%(数量ベース)以上、使われているらしい。
日本はどうなのだろうか。

珈琲バカさんのバンパー哀歌 






抜け落ちていた人

この間書いた『フランバース屋敷の人々』で、主要人物であるウィリアムの名前が落ちていた。クリスチナの二人の従兄弟のひとりで、マークの弟にあたる。
わざとではないが、何となく書くのが面倒で、それに私はクリスチナとウィルが中心となる第二部が苦手だった。
馬の話が読みたいのに、飛行機の話だったのも面白くなかったし、大体、第一部の終わりからして、クリスチナとウィリアムの関わり方が腑に落ちなかったせいだろう。

その飛行機の話なのだが、1912年のロンドン、本の中では、馬車もまだ走っているが、裕福な地区では自動車も多く走っていたようだ。そして、飛行機が飛び始めて間もないというのに、既に「飛行学校」(訳文ママ)飛行機の教習所みたいなのが幾つか出来ていて、運転を習いに来る生徒の予約もいっぱいだったりしている。

その「飛行学校」の指導員であるサンディという青年が、お金持ちで美貌の生徒ドロシーにお茶をご馳走する場面がある。私はこの二人が、主人公たちより終始好きだった。かといって、読み返してみれば、ウィリアムも別に嫌ではない。ただ、馬ほど好感が持てないだけかもしれない。

ウィリアムとサンディは、お金を稼ぐために幾つもの航空ショーに参加し、曲芸飛行をやってのける。この第二部『雲のはて』では、全編を通じて、そうしたショーや曲芸飛行に伴う危険や事故が容赦なく書かれている。
でも、読みながら、単葉機・複葉機の区別すら、私は気にしていなかったと思う。

さて、現代の話。
つい一週間ほど前に、米連邦航空局職員で「ウィングウォーカー」(飛行中の複葉機の主翼に乗ってパフォーマンスをする)のジェーン・ウィッカーさんという方が、飛行機の墜落により亡くなったのを知った。私はテレビも新聞も見ないので、事故のことはすぐには知らなかった。

人は、というより、アメリカの女性(お国の大きさからして、ニュースの頻度が多いので)はこんなこともできるのかとタフさに驚くことが多いが、ウィッカーさんと息子さん二人や、もうすぐ結婚する予定だったフィアンセとの写真を拝見すると胸が痛む。

ジェーン・ウィッカーさん

US-2 新明和工業 私は全く技術系に弱いのだが、スレを拝見すると救難用の素晴らしい水陸両用飛行艇のようだ。離着水の技術が素晴らしく、実際に操作・救助する海自の人たちの能力もすごいようだ。当たり前のように見えるけれど、日頃の訓練のたまもの。
新明和さんが、理髪店のシャンプー台やゴミ収集機、立体駐車場などを作っている身近な会社だとは知らなかった。

こうして書きながら、私には何の技術も能力も経験もないことに気付く。
それとは何も関係ない話だが、洗濯機の買い替えを決めた。それでも新しい日がやって来そうで嬉しい。




2013年6月23日日曜日

続きではないけれど

今宵は満月だそうだ。残念ながら、雨が降り出した。

空を見上げるといえば、ちょうど先日、映画「天地明察」のDVDを借りてみた。
原作は同じタイトルで、冲方丁氏の『天地明察』。江戸時代の囲碁棋士であり天文暦学者である安井算哲(後の渋川春海)を描いた作品だが、原作やコミックはまだ読んでいない。

唐突に借りたので、映画についての予備知識はなかった。

V6の岡田君が主演で好感が持て、最初はまあ、色々と目をつぶっても楽しいのだが、だんだん白々とした気持ちになってきて不愉快になり、しらぁと終わった。
演出やキャストとか、何やかんやと嫌なのかもしれない。
見る直前まで監督が誰だか知らなくて、DVDのケースを見て私が見たくないと思っている映画を撮っている人だったので、嫌な予感はしていた。それが当たってしまったというより、やはりそうだったかと妙に納得してしまった。
原作を読んでいたら、もっと怒っていたかもしれない。

ああ、悪口を連ねてしまったが、何を言いたかったか思い出した。
安井算哲をバックアップする中井貴一演じる光圀公が、プーチソ閣下にそっくりだった。

*冲方丁 (wiki.jp)



続き

前回記事の続き。
『フランバース屋敷の人々』のテレビドラマ化は、主役たちが原作のイメージとは違って残念だったけれど、イギリスの児童文学で思い出したのが『床下の小人たち』(メアリー・ノートン著)。
これもドラマ化されていないかと動画を検索すると、あった。

The Borrowers (1992年)


アリエッティは可愛いし、ポッドとホミリーの両親も男の子もイメージ通りな気がする。
1973年アメリカ制作の映画か何かの動画もあったが、こちらは舞台向きの人たちなのかも。髪型がアメリカホームドラマっぽいホミリーが怖い。
他にも映像化されているようだ。
宮崎アニメはハイジの頃から苦手だから、見ない。

さて、順序は逆だが、今度は『床下の小人たち』の原作が気になって、読み返してみた。本の紙が黄ばんで古くなって、この本によく出てくる、吸い取り紙、にできそうだ。
最初の出だしで、ケティおばさんが使用している「朝ごはんの間」について、朝の日差しで明るい部屋も、太陽の動きとともに「妙にしらじらした光」で悲しげな雰囲気を漂わせるようになるまで、細かく書いている。イギリスやヨーロッパの映画には、ハッピーエンドがあまりない、という話を思い出した。現実的でシニカルなのが自然に感じる。

男の子のアリエッティら小人に関する見方も、「怒りっぽくて、うぬぼれや」と的確だ。小人が何故小人になってしまったか、という考察も面白い。
この小人シリーズは、二作目からは記憶になくて、また時間があれば読んでみよう。

最後に。『フランバース屋敷の人々』に頻繁に出てくる狩猟で思い出したが、

『狐になった奥様』  ガーネット著(wiki.jp)

狐になりたての頃のシルヴィア奥様のテーブルマナーが、いじらしく可愛い。子狐たちの性格描写もおもしろかった。
短編小説で、シルヴィア奥様の変化に伴う夫テブリック氏の変わらぬ愛情や心理描写が連綿と続くのだが、それよりテブリック氏が「妻が狐になっては仕方がない」と受け入れたこととか、氏の世間との関わり方のほうが印象的だった、はずなのだがよく思い出せない。
この本は借りて読んだので、手元にない。
プロジェクト・グーテンベルクで原文が読めるようだ。でも、読んでみるには季節的には冬がいいかな。
挿絵の版画がよかった。




2013年6月22日土曜日

『フランバース屋敷の人々』のテーマ曲が、実に耳に付く。

夏になってしまった。
お昼ごはんがビールで、晩ご飯がソフトクリームだったらいいのに、と思う。
今日は雨上がりで、涼しいくらいだけど。

ところで、先日、馬が好きな方にお貸ししていた本が返ってきた。もう、40年以上前に書かれた『フランバース屋敷の人々』(イギリス、K・M・ペイトン著)三部作である。

そのシリーズは、第一次世界大戦前後のイギリスが舞台で、第一部は、12歳の少女クリスチナがロンドンから田舎のラッセル伯父の家に引き取られ、二人の従兄弟や屋敷の使用人たち、地方社会の人々との交わりを通して、どうたらこうたら、という物語である。
この第一部の主役は何と言っても馬だろう。クリスチナはラッセル伯父にまず乗馬を習うように言われ、馬に親しみ、狩りを楽しみ、レースを観戦する。最後は狩猟舞踏会にドレスアップして出かけるまで成長したクリスチナも、馬とは違う乗り物に乗ってフランバースを後にする。
その最初の一冊だけ、小学生の頃に買ってもらい、箱入り装丁の表絵が大好きだった。乗馬服に身を包んだクリスティナの後ろ姿が堂々と格好良くて、こんなふうに馬に乗れたらと憧れたものだった。

このシリーズは時々、読み返してみると、面白い。クリスチナが将来受け継ぐ両親の遺産だけが乙女チックなファンタジーだけれど、辛くて(からくて)現実的な筆致で綴られていく。

お貸ししていた方も非常に気に入ってくださった。
「実はね、続きがあるんですよ」
と話すとびっくりされていた。

三部作の物語は後味よろしく、完結だったはずなのに、好評すぎて読者に後押しされて続編が出たらしい。大人になってから知った私は、急いで買いに行ったのだが、読んでがっくりしてしまった。私に限らず、大概の人は読むんじゃなかったと思うだろう。

ところが、これもまた時間を置いて読み返したら、思わぬというか気に入らない展開を受け入れてしまったし、前の三部作と同じで読み返すほどに分かることがあったのだが、その四作目はどこかに行ってしまって、読み返そうにも手元にない。


さて、この物語ならドラマ化されて、動画に上がっているかもしれないと検索すると、70年代にドラマ化されていて、ファンの方々が少しずつアップしてくださっている。


YouTubeの「Flambards episode one」 、最初の方が、かなり長く見られて嬉しい(クリックしてみてください)。でも、何故かこのブログには、そのままアップできないのが、残念。


いきなり終盤で申し訳ないけど。
Flambards TV series Final/Credits



テーマの音楽が、70年代の音楽で、何だか不思議。制作は70年代初頭かと思ったら1979年なので、80年代寸前の音楽なのだろうが、どうもそういう気がしない。

シリーズ四作目とおなじくらい、がっくりしたのが、演じる人たち。
20世紀初頭の時代に合う顔立ちか70年代の顔立ちなのか、どうしても馴染めない。

マークは、一作目から常にハンサム、美貌の持ち主、魅力的だとしつこく書かれているし、クリスチナの友人ドロシー、彼女も圧倒的な美貌の持ち主のはずなのだが、両者とも、イメージとは違う。
圧倒的に美しい人たちは、圧倒的な美男美女に演じて欲しいと思う。

そして、ディック、彼は淡いブロンドとで、マークとは別のタイプながら匹敵するくらいハンサムなはずなんだけど。
主人公のクリスチナは、端から自信満々すぎて、いつも笑顔なのに可愛く思えない。

と違和感ありで残念なのだが、このTVドラマは全編見たいと思うし、結局この人たち、これだけ印象的なら、ドラマはリメイクしにくいかもしれない。



テーマ曲とともに




レコードのノイズが入っています。
ライナーノートに、
TVシリーズの人たちが写っていますが、
イメージ的には途中のこんな方たちの方がまだしっくり来るかな。

ともあれ、動画主さんたち、ありがとう。