2012年9月28日金曜日

お直しが無事に

お直しに出した喪服を受け取りに行った。お店で着て仕上がりを確かめてみると、すっきりときれいに仕上がっている。
すかさず私は古い冬のロングスカートを持ち出して、お店の人に見てもらった。丈を短くしてもらおうと思うのである。

と以下、そのスカートのお直し内容について書いていたのだが、出来上がってからにしよう。お店には持っていかなかったけれど、合わせて買ったジャケットもあって、これは希望の形がまだ煮詰まっていないし、処分したほうがいいのかなと思案中。生地が傷んでいないから、私が器用だったら何かに作り替えることができるのだが。
知り合いの年配の女性は、ジャケットをちくちく手縫いでバッグにされていた。素敵だった。

それに冬物のジャケットは衿の形が多少変であっても袖丈が長くても短くても、巻物や小物で誤魔化せるようだ。ただ、肩だけは何とかしたほうがいいなあと自分のジャケットを見て思う。

*器用に洋服をリメイクしていたひと 
ドラマ「すいか」(2003年)の絆(ともさかりえ)ちゃん 信用金庫制服のベストに刺繍を。
2003年は冷夏で、スタジオの眩しい夏のセットが時折痛々しい気がしながら見ていた。
大好きなので、DVDで何度も見直している。
このドラマに出演した人たちが多く出ている映画を見たけど、私にはピンと来ず残念だった。



関係ありませんが、教えてもらったので。

 
国立科学博物館

2012年9月25日火曜日

秋の日差しでちょっと日焼けして

夕刻、半時間足らずの間に日は落ちて、あっという間に空気が冷たくなってくる。
こんな時間帯には『ローマ熱』という短編小説を読むのがいいかもしれない。イーディス・ウォートン作。

タイトル通り、舞台はローマ。アメリカ人女性二人がランチを終えて、テラスに出る。
昼下がりの明るい陽光、夕暮れ、そして夜を迎え、やがて二人の闇に迫っていくお話。ただし、季節は春のようだ。
陰陽師的音楽堂さん*がご自分で訳し、ご紹介されていたのを読んだ。

二人の女性というのは、スレイド夫人とアンズレイ夫人で、若い頃から同じ階級同士のつきあいがあり、似たような結婚生活を経て、今はともに裕福な寡婦で、それぞれに美しい一人娘がいる。
この小説はこの中年女性二人しか登場しない。娘たちも声だけで、あとはレストランの給仕とお客くらい。私はお芝居(というより、演劇)は苦手だけれど、お芝居にしたらとても面白いと思う。

検索すると、この短編は意外な結末が有名だそうだが、事実は小説より奇なりで、あくまで小説らしい、あるいは映画やドラマなどにも通じる結末で、それほど驚きはしない。だけど、ふたりの会話や描写だけに終わらせず、結末まで読み進めさせる推進力が作家の力量なのだろうか、とても面白かった。
ただ、これを読んでいると主人公二人の関係と読み手である私の三者に書き手も加えて、読みながら解釈めいたものが頭の中に構築されてしまう。というのは、最初、二人の容姿の描写が始まったときから既に展開が感じられて、何か見知った物語(自分の経験なども)をなぞったり比べるように、読んで分析してしまうのだろう。文学部の文学研究はこういうことをしているのだろうか。
いや、小説でも音楽でも映画でも、そういう解釈が書かれているレビューのほうが読んで楽しいと思うのに、自分で書こうと思うとなかなかである。

まあ、どっちにしても小柄で色の白い女の子は、昔から可愛いものである。

*陰陽師的音楽堂さんhome「ghostbuster's book web.」内に
ご自身が訳された『ローマ熱』
陰陽師的音楽堂さんが訳される短編、当ブログでは「案山子である理由とお勧め短編」(2012.6.7)で二つ。


ところで、昨夜レゴの動画を見ました。すごい。



フローリングから畳、畳からフローリングへと
マシンの全長が長くて凄いのですが、
このボール転がしラインには結末がありません。
んんん、もう一回見るにはしのびないです。
行き場のない生産工場を彷彿させます。
何か終わり、上がりがあったほうがいいですね。



2012年9月23日日曜日

今日の面々

朝晩は寒いくらいに気温が下がるが、昼間は日差しがきつい。
今日は、昼から車を見に行った。うちの車は点検を終えたばかりだが、古いしかなり走っているので、万が一に備えて考えておかねばならない。

大手メーカーのディーラーで、最近モデルチェンジをしたというコンパクトカーを見る。デザインは惹かれるのだが、内装はしっくりこない。勿論、うちの車のほうがぼろいのだけれど、簡素でつましいという割り切り方をしているのに比べて、その車はシートのてかり加減が落ち着かない。

でも、営業マンは若くて感じが良い。私達が様子見の客だということで、特に踏み込んだ説明をするわけでもないが、質問をしたら歯切れ良く言葉が返ってくる。
「このシートはどう?」
「はい、我が社でも高品質のものです」
「ふーん」
暑さしのぎに、どうでも良い話を私は聞く。
「スピーカーは何ですか?」
「はい、普通のスピーカーです」
「普通って何?」
「普通のスピーカーです」
これでは何だから、あちこちチェックをしながら質問すると普通に答えてくれた。

答えにくいような質問もしてみる。この車のターゲット層から我が家は外れているので、向こうも戸惑っているみたいだった。主流とは、全然かけ離れている車でやってきたし。
ついでに別の車も見せてもらう。ネットでの車レビューは、メーカーや車種を問わず酷いものが多いが、こうして見る限りどの車も堂々として、秋の陽差しの中で輝いている。

帰り際、営業マンの男の子(私は他にもお兄さん、お姉さんなどと呼ぶことが多い)パンフを手渡してくれて、来店記念ですとニコニコしながら小さな包みを自分の胸の前で持った。
「お礼のうどんです」
あらあら。
「うどんはうどんでも、普通のうどんではありません」と一息おいて、差し出しながら、
「讃岐うどんです」

わはは。”いわく付きの讃岐うどん”ではなく”普通の讃岐うどん”だと思ったが有り難く頂戴した。可笑しかったので、名刺はもらっていたけれど、その男の子の名前を覚えて帰ることにした。
彼は毎回、お客さんに手渡しながら練習を積んでいるのかもしれない。
それに実は今日の午前中、親戚からお土産の讃岐うどんをもらったばかりだったので、余計に可笑しかった。私は、讃岐うどんより普通のおうどんのほうが好きだけれど、今日の楽しさがダブルになった感じがする。

ところで、昨日はお彼岸の中日で、旗日だったらしい。祝日だものね。


これは普通のTシャツです。




夏場、さらさらしたモダールTシャツが重宝したので、先日秋物の七分袖を買ったのだが、サイズを間違えてしまった。
胸の薄い私には襟ぐりが大きすぎる。中央を縫うかピンで留めようかなと思っていたけど、使ったことのないイヤリングで留めたらちょうど良かった。
きょうもTシャツはお安いのだが、q n i u l oになってしまって、買い替えに行くのがためらわれた。前からあれこれ理由付けしては、行ったり行かなかったり。
自分の行動について、そうしている(してしまった)理由とか都合とかは後で考えるものである。

「意識による判断の7秒前に、脳が判断」 WIRED ARCHIVES
他にリベットの実験など。 工事中


2012年9月19日水曜日

お直しに出してみた

近所に洋服のお直し屋さんがある。これまで、何度も利用したことがある。中高年のおじさん、おばさん達がいつも休むことなくミシンを踏んでいるお店だ。私もおばさんだったが。そうか、いつのまにか、年が近くなっている。


さて、そのお店にもHPがあり、洋服の仕立て直しもやっていることがわかった。洋服の修理・直しが看板なので当然かもしれないけれど、私としては、ハンガー掛けして伸びてしまったパンツの裾上げや、ウエストや袖丈を出したり引っ込めたりするイメージしかなくて、時代遅れとなった服を今風に仕立て直してくれるところだとは思っていなかった。
住宅でいうと、リフォームだけでなく、リノベーションもしてくれるという感じかな。

HPでジャケットのリサイズ例などを見て、長年、自分の気持ちに引っ掛かっていた冬の喪服を相談してみることにした。16,7年前の古い喪服で、毎年着られるか思案しながら処分せずに置いてあった黒の上下である。
ジャケットは肩パッドが入っていて、取り外しが出来ない。肩山も少し外へ落ちている。全体にボックス型の長めのシルエット。スカートは膝丈を少し出るくらい。幸いなことにほとんど着る機会が無く、最後に着たのが8,9年前だった。
その時は中年以上はロングスカートを着ている人が多く、誰がどんな格好をしていたか覚えていないけれど、私の装いは浮くこともなく変ではなかったと思う。
もう一着持っている喪服は3シーズン着られるが、冬には難しいから、この古いのを処分するのだったら買い替えなければいけない。

でも、何となく惜しい。デパートのフォーマルコーナーで、喪服ということで買ったのだが、ちょっと他のと違っている。普通の喪服ぽくないけれど、きっちりしたスーツでもなく、もちろんお洒落な外出着風でもない。不思議なので記念に取っておきたいのだが、第三者から見たら、さっさと処分してしまいなさい、と言われる服になるだろうか。
大体、夫の母からもらった『私の嫁いびり』という古い家事の本には、フォーマルウェアは流行があるからバーゲンで買えと書いてあった。その通りだと思う。
こうして後生大事に取ってあるのを恥ずかしく思いながら、お直し屋さんに持っていき、まずスカートで様子を見ることにした。買ったときは今より太っていたので、サイズが大きい。

試着室から出るなり、さっとピンが入る。
まずウエストは2㎝詰めることになった。私としては、もう少し詰められると思っていた。スカート丈も短くして軽快な感じにしたかったのだけれど、丈はちょうど良いと言われた。鏡を見ると家でチェックしたときと長さが違っていて、かがんだり立ったりして確かめ、そのまま直さないことにした。それより、腰回りがだぶついているので詰めた方がいい、とアドバイスされた。実はウエストよりも最初にピンを打たれたところで、確かにそれが一番のポイントみたいだ。その腰回りの詰め方をフレア風かセミタイト風か相談をした。

大変手際がよい感じなので、ジャケットも見てもらうことにした。仕立て直す価値があるのだろうか。それがまず一番の問題だ。
肩パッドを外して薄いのに付け替えれば大丈夫と言われた。私は肩幅が広いので、パッドは必要ないかと思ったが、あったほうがいいらしい。ボックスタイプのジャケットだったので、ウエストを少し絞りたいと話すと、サイドにラインが入っていて別にウエストはいじらなくてもいい、というような説明を受けたが忘れた。
ここで一旦料金を聞いてみた。HPに書いてあった通りで、問題はない。
本当は肩幅を詰めたほうがもっといいと言われて、私もそう思ってはいたのだが、プラスの料金をどうしようかと悩んだ末、詰めることにした。

あっという間に済んでしまった。

お店に行く前は、出来上がりのシルエットをどうするかとか、裾を変形にしましょうとか、難しい選択を迫られたらどうしようかと心配をしていた。お直しの費用の問題だけではなく、センスが心配だった。私は洋服があまり分からないし、失礼ながらお直し屋さんで変なデザインを提案されても分かるだろうか。こうしたことを「こなメモ」のこなさん*が心配されていた気持ちが本当によく分かる。
だけど、今回はリサイズだけだったからかもしれないが、さすがお直しのプロだけあって、一目見るなりテキパキと提案してくださって安心した。

仕上がりが楽しみだ。受け取ってがっくりすることはないと思う。
それに、喪服って用意していると、かえって着る機会が遠のくような気がする。買ったときがそうだった。私にとっては縁起物である。

*こなさん 「コーヒー&ミルク (2012.7.02)」内で、パンツのお直しをご近所のテーラー&リフォーム店に依頼していいかどうか悩んでいらっしゃった。
こなさんとは年が違うし、今回リフォームに出した服の種類がトレンドに関係するものではないのだけれど、心配はそこなのです。



2012年9月15日土曜日

夕方にお出かけ

夕方、夫に運転をしてもらって街へ出た。
西の空は明るいのに、南の方から暗い雲が押し寄せてきて、雨がぽつぽつ降り出した。
あっという間に目的地に着いたけれど、あっという間に大雨になっていて、風も強く吹き始めたので先にデパートの前で降ろしてもらった。

デパートのエレベーターホールというか、外の入り口と内側の入り口の間は、買い物客や突然の大雨で雨宿りに飛び込んだ人で、混み始めていた。そこに混じって、駐車場に車を駐めに行った夫を待ちながら、Tシャツの前や後ろにメッセージやら文字をプリントした人(おじさん)が今日はやけに多いなあとぼうっと眺めた。
もうこの時期は夏ではないだろうけれど、夏はTシャツにものを言わせられる季節なんだなあと思った。

さほど待つこともなく、体半分が雨でびしょ濡れになった夫が、こんな大雨は私のせいであるかのように、ぷりぷりしながらやって来た。
明日だったら、もっと大雨かもしれないよ、と言い訳をする。
こうして出てきたのは、お店にネットで見た色違いの小物を取り寄せてもらっていたのを受け取りに来ただけだったので、買い物というほどでもなく用事はあっという間に済んでしまった。

デパートを出て、ぶらっと隣の店舗へ移ってみた。エレベーターで上がって、ぶらっと一回りし、またぶらっと下へ降りる。雨は小雨になっていて、一緒に駐車場まで歩いて帰った。

一時間足らずのことだったが、買い物袋一つ下げて、お客さん気分でいられるのは楽しい。そういえば、さっきのお店で顧客カードを作りましょうかと言われて、一応書き込んだ。二度と買いそうにないお客だろうけれど、もうこれは一種の形式であり記号学なので、個人情報云々の問題は別にして、そこは素直に記入した。

こういうのを書くとき、いつも思うのだけれど、今住んでいるこの愛すべき古き借家も、私の字がきれいだったら格が上がるかもしれない。でも、今や番地だけで、ビル名さえもう書くことはない。ビルの名を見ると、明らかに昭和半ばあたりに建った名前だと感じる。

いやはや、私の字は魔除けなのか、DMが来ることは滅多にない。

メモ:薄手の柄物ワンピースに春物の七分袖丈の青いニットを上から被る。
   少し涼しくなった夕方には、薄いストールをだらりと垂らしてちょうどよかった。





2012年9月13日木曜日

「ナンシイのピアノ」続き、ウサギを調理する

アーサー・ランサムの『スカラブ号の夏休み』に、野ウサギを調理するシーンがあったそうで、全然覚えていなかったけれど、ドンキイさんのページ(前記事)を拝見して思い出した。
イギリスは狐狩りの国だし、ウサギはパイにされる国なので、向こうの子どもたちはそういうのに慣れているのかと思ったら、さすがにドロシアとディック姉弟も難儀したようだ。

野ウサギのシーンといえば、映画「Down by Law」にも可笑しなRabbit Sceneがある。脱獄囚3人の中の一人ロベルト(ロベルト・ベニーニ)が野ウサギをあぶり焼きしているシーン。
DVDを見る前にこの動画を先に見たときは?だったけれど、映画を通して見たらなかなか味わいのあるシーンで面白い。


Down by LawのRabbit Scene


塩こしょうもなく食べるのはきつそうです。
独り言なのに英語で頑張って話すロベルト・ベリーニ

同じジャームッシュ監督の「Dead Man」で殺し屋3人組が一人減り二人減りで、最後に残ったのが野宿しながら火のそばで、美味しそうに何かのお肉を食べていた記憶があるのだけれど。
それより、みんな喉は渇かないのだろうか。 「Down by Law」はニューオリンズが舞台でミシシッピ川流域なので川は映るけれどワニは出そうだし、とても飲めそうにはない。

ところで、「ウィンターズ・ボーン(Winter's Bone、2010年)」という映画では、ヒロインと幼い姉弟が食糧としてウサギではなくリスを撃って捌く練習をしていた。
父親が失踪し、担保に入っている家を取り上げられないように、ヒロインであるリー・ドリー(ジェニファー・ローレンス)は弟妹を残して父を捜しに行かなければならない。もしもの場合に備えて、銃を使って食糧を得られるようにしなければならない。
私は、3人のきょうだいと精神を病んだ母親がどんな貧困生活をするのか心配だったけれど、思ったほどは困窮していなかった。ライフラインが止められるわけでもなく、リーは毎日きちんと着替えて家事をこなし、拒絶されても脅されても、殴られても蹴られても、どこに連れて行かれても終始タフだった。
でも、お金を工面しようと、リーが軍の入隊一時金を目当てに面接を受けに行き、18歳の成人に達していないということで面接官から説明を受けていたのが印象的だった。どうということのないシーンかもしれないけれど、同時期に借りた他の映画でも、入隊一時金でお金を工面しようとする場面があったので。

リスはウサギより美味しいらしい。「イギリスで、リス料理がじわじわ人気」(all about japan、2008年11月)


2012年9月10日月曜日

「ナンシイのピアノ」が聞けるようになっていた

ピアノの練習をまたサボり勝ちになっている。
それで、どうしてもピアノ関係のことには、足を向けて寝てしまっているというか、敷居が高くなってしまっている。このブログでも、ピアノ関係のことは、それっきりの記事が多い。

本当は、この夏はフランスの作曲家シャミナードについて書こうと思っていた。夏にピアノを練習するというと、ナンシイのことを思い出して、同時にシャミナードの名前も浮かんでくるからだ。
ナンシイというのは、アーサー・ランサムの『スカラブ号の夏休み』に出てくるアマゾン海賊で、妹はペギイ。

小学5年生の夏休み、私は学校の図書室から『スカラブ号の夏休み』を借りて、夢中になって読んだ。これは『ツバメ号とアマゾン号』シリーズとして知られる12巻のうち、最後から2番目の本である。
この本から読み始めたのは一番面白そうだったのと、最初の数冊は、図書室で誰かが積み上げて一生懸命読んでいたからだった。

最初のページを開いた途端、ナンシイとペギイの海賊姉妹の虜になってしまった。長い夏休みでもシリーズ12冊は読み切れず、『スカラブ号の夏休み』はまさしく夏の思い出となりかけながら、少しずつ借り出しては読み進めた。
いつかお小遣いで12冊全部買おうと思いながら、結局は一冊も買えず、大人になってから『スカラブ号の夏休み』だけ買った。あとはそのうち、と言っているうちに買う気がなくなってしまった。
実はもう、登場する他のたくさんの子どもたちやヨットの漕法などの細々としたことに、頭がついていけなくなっていたのかもしれない。近所の図書館で借りてみたこともあったが、私はナンシイとペギイ以外あまり興味が持てないのだった。

『スカラブ号の夏休み』の記憶は既に薄れている。もちろん本はあるのだが置き場所が悪くて虫が出そうで怖い。紙魚みたいな虫ではなくて、何か変な虫。
でも、ずっと忘れなかったことがある。それが、ナンシイが大おばさんの前でピアノの練習をしなくてはいけない、ということで練習していたのがシャミナードだったということ。この聞いたこともない作曲家の名前と、ナンシイの練習曲がどんな曲だったのか興味津々だった。
あとは、芝刈りのこととか、インテリのドロシアとディック姉弟が半熟玉子を作るのに、3分きっちりで茹でていることかな。

さて、時折思い出してはシャミナードの曲をネットで検索していたが、最初の頃はほとんどヒットしなかった。特に音源を探しても、midiの時代でまったくといっていいほど無かった。

ともあれ、次第に検索すればシャミナードについて名前が上がるようになり、いつのまにかYouTubeにもアップされるようになっていて、数も増えている。
まず聞いて驚いたのは、結構大人っぽい流麗な曲なのね、ということだった。どんな曲なのかは全然分からないにしても、海賊ナンシイが日頃は丸っきり練習していないようなので、もっと子ども向けの曲なのかと思っていた。私は少しショックだった。私はいつまでたっても上達しないのに、ナンシイは弾けるのねってと大人げなく僻んでしまった。
一時は無料楽譜でシャミナードをプリントアウトしてみようと思ったくらいだったが、私にはあまり合わないどころか、練習を積まないと弾けそうにない。

そうそう、シャミナードを思い出したのは、「気ままな生活」さん(top)がスティーヴン・ハフの新譜『French Album』をご紹介されていて(2012.9.6)、その中にシャミナードの名前があったので。
さらに、「気ままな生活」さんの直近記事では「作曲家ワイセンベルクとジャズ(2012.9.4)」という珍しい話題を取り上げられていて、大変面白く読ませていただいた。私は、ワイセンベルク様が好きなのに、スカルラッティとバッハをちょろりと聴くくらいで、何も知らない。「気ままな生活」さんの素敵な選曲と文章を拝見していると、空っぽの自分に中身が付いていくようでとても有り難い。

最後に「ナンシイのピアノ」は聞けるようになっていただけではない。検索すると、
ドンキイ探検隊調査報告書さんHP(home)
「ナンシイのピアノ」が取り上げられていた。ヤホイ(という年でもないが)!
練習風景を読むと、まあ、ナンシイはまるで私そのものではないか。大おばさんの前でナンシイ(ペギイか)は”何とか音楽に聞こえるまで上達している”ので、私もがんばろうと思う。

ドンキイさんのHPを拝見していると、また読みたくなってくる。まずは、我が家の『スカラブ号の夏休み』に虫が付いていないか、見てみよう。
そうそう、私の友人もアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』シリーズの大ファンだ。でも、一度も友人とは、ランサムの話をしたことがないのが不思議。


2012年9月8日土曜日

ご存知かもしれないけれど、げんまい

友人のブログ*を拝見していると、お米と麦の話があった。前にも友人がご実家で食べていたお米とご近所がらみの話があって、拝読したときはそうなのかあ、と思った。友人からは世の中のちょっとした事情やいきさつを教えてもらって興味深い。

さて、私は、自分のプロフィールもどきに好きな食べ物として、ご飯系を列挙している。でも、小さい頃からパンも同じくらい好きで、若い頃はパンがないと不機嫌どころか、人生が終わったかのようなごね方をしていた。反対に、ご飯はどちらかというとほとんど食べなかった。

今はどちらも均等に食べている。今でも、パン(とバター)がないとイライラしてくることを考えると、パンは私にとって必須の食べ物すぎて、あえてご飯系を多く書いたのかもしれない。それはともかく、友人は麦が好きだという。

おかげでいろいろなことが思い出せた。
小さい頃、私は麦ご飯を食べていた。父が出来るだけ医者に掛からないような生活を心がける人だったせいか、父がいるときは麦ご飯だった。
そうそう、20代でも一時、健康にいいと思ってお米に麦を混ぜて食べていたことがある。どういう理由で止めたかは忘れた。
やろうと思わなかったのが玄米食で、玄米を食べると健康にいいと聞いたり見たりしていたが、私は面倒くさそうなので自分ではやる気にはなれなかった。

また、私はベジタリアンの女性が書いた料理の本を持っていたのだが、菜食主義ではなく調理法に興味を持ったのと、本の中の料理や生活全般の写真が好ましかったためだった。だけど、ほとんどレシピを試すには至らなかった。

ふとある日、何でもよく知っていらっしゃる方に、玄米食や菜食主義について少し尋ねてみた。もう今は引っ越していらっしゃらないピアノのA先生である。食事や栄養、健康について知識が豊富で、相談に来る人が絶えなかった。

先生は私の問いを聞くなり、すぐさま、
「極端な菜食主義や玄米食をしていると皮膚がかさかさになって干からびるわよ」
と、けたけたと笑いながら仰った。私が質問をすれば必ず笑って答えてくれる人だった。私はA先生だけでなく、A先生のお友だちみんなに陰で笑ってもらえていたと思う。


あ、お米の話だった。
へええ、と帰ったが、後に思い当たる人がいた*。でも、全然当たっていない人もいた。当たっていない人は、極端な食餌療法をしていなかったようだ。

A先生から聞いて以来、私は玄米食や菜食主義に少し警戒心を持つようになった。一方で、お米については農薬を落とすことに気をつけていたし、一時期お米屋さんで精米して買っていたので、豆知識を少々教えてもらったりした。だけど、寄りやすいお店がなくなったので、スーパーで袋に入ったのを買っている。

そうそう、玄米食についてはきちんとした知識を持たないままだったけれど、ある日インテリア関係のブログで、そっとご紹介されていたので有り難く思った。

*まずは友人のHP 「海幸山幸」内の日誌
*玄米食について  「ふくい米ドットコム」内の「危ない玄米食」
          発芽玄米についての記事もあり。
 A先生は、発芽玄米については肯定的で、安全なメーカーの商品はないかと研究されていた(当時)。A先生のことも、すいぶん昔の話となった。
*インテリア「つぐみのひげの王様」長い間拝見している。
「危ない玄米食」をそっとご紹介されていたのは、玄米を使ったお菓子の記事だったから。この方の別ブログも素敵。
追記
*思い当たる人 というのは、直接知った人ではありません。



2012年9月6日木曜日

こんな時にちょうど

前回の「Maria Lando」はちょっとヘビーな気がする。歌っているSusana BacaはMaria (この歌では、そこで働いている女性の総称としてのマリアだと思う)と違ってお金には困っていないみたいに見えるが。

それで、気分転換にレニーニの「Candeeiro Encantando」をYouTubeで聴こうとしたら、ブラジルの「Cordel Encantado」という小説をテレビドラマ化したときのサントラアルバムの中に含まれていることが分かった。





サントラ全曲がアップされていたが、3番目の Nuria Mallenaが歌う「Quando Assim 」が、何とも普遍的な、どこにでもありそうなメロディーで、気が抜けてよかった。
ずっと聞き続けるタイプの曲じゃなくて、ある一日のどこかで現れて消えていく感じ。きっとドラマの中でうまく、そっと使われているに違いない。と思ったら、王アウグストとマリア・セザリアのテーマ曲として使われているそうである(wiki)。結構メインなのかしら。


Nuria Mallena
「Quando Assim 」
訳は分かりません。






レニーニ
「Candeeiro Encantando」
訳はまだです。


ライヴ イン シテ
キューバのベーシストYusaさんが加わって格好いいのですが、
私は聞くのなら普通のが好きです。


ブラジルといえば、C先生ブログのピックアップ記事でこんなのがあった。
(橘玲の世界投資見聞録)
ファドを歌っているからだよ、と思ってしまった。ポルトガルといったらファドだけれど。ブラジルのように明るく歌って踊ってで景気を盛り上げないと。
まだ観光客が来ているからいいけれど。つくづく観光資源は大事だと思う。
ポルトガルのタイルも売り込もう。


偉そうに書いているが、私も歌って踊る元気がない。でも、よその方のブログを拝見していると、「クリックしてくだされば小躍りして喜びます」と書かれている方が多かったので、出来るだけクリックしている。みんなで、小躍りしましょう。

2012年9月4日火曜日

つきがよくなってきたかも

顔面タイムトラベル(脱力して20歳老ける、力を入れて顔のパーツを整えて福笑いをし、それが現在の年の顔だと信じる)をしているうちに、9月になってしまった。
顔だけではない、背筋を伸ばして姿勢もよくしよう。

でも、元気になってきた気がする。日中も暑さがましになり、過ごしやすくなってきたからだと思うが、「ブルームーン」が終わったせいかもしれない。満月と満月の間がしんどかったのかもしれないといい加減なことを書いてみる。何故なら私は両方とも見ていない。夜空の月のことは忘れていた。

そのくせ、月といえば7月にレンタルで「ミッション:8ミニッツ」を借りて、その監督がデヴィッド・ボウイの息子ダンカン・ジョーンズと知り、処女作の「月に囚われた男 MOON」を見た。
ちょうど、イーストウッド監督の「スペース・カウボーイ」(2000年)と月にまつわる映画も借りていた。「スペース・カウボーイ」では、トミー・リー・ジョーンズがもてていた。どうして、中高年のおじさんは魅力的に見えるのだろう。それはミッションが与えられて張り切っているからなのだろうけれど、よろよろトレーニングしていても可愛く見える。

映画のことだけれど、ひと月以上前のことなのと、どれもゆっくりと見る暇が無くて、細かなことはあまり覚えていない。改めて動画で「スペース・カウボーイ」の予告編を見たら、チャーミングだったおじさんたちも、ただのおじいさんに見えるようにも撮っていて、うーん本当におじいさん達だ。

「ミッション:8ミニッツ」といえば、「ジョニーは戦場へ行った」も思い出したので、今度見てみようと思う。昔テレビで見かけて惨い状況(死なせてもらえないこと)が怖くて見なかった映画だ。この「ジョニーは戦場へ行った」でキリストらしき男役で出演したというドナルド・サザーランドは「スペース・カウボーイ」でも出演していて、主役のカウボーイ達の一人を演じている。

そうだ、どうして8月は息苦しかったかというと、次の曲を思い出してアップしようとしていたからかもしれない。

ペルーのSusana Bacaが歌っている。他の曲もよく似ている。特に好きというのではないが、嫌いでもなく、iTunesに残している。

デヴィッド・バーンのワールドミュージックレーベル「ルアカ・バップ」からリリースした「The Soul of Black Peru」(1995年)より「Maria Lando」。歌詞はいつものところから。


Maria Lando




Maria Landó
(マリア・ランド)

La madrugada estalla como una estatua
夜が明ける、彫像のように
como una estatua de alas que se dispersan por la ciudad
翼のある彫像のように。その翼は町を覆って拡がる
Y el mediodía canta campana de agua
そして正午に鐘が鳴る。水の鐘だ
campana de agua de oro que nos prohíbe la soledad
金の水の鐘、それはわたしたちに孤独を感じさせない
Y la noche levanta su copa larga
そして夜はその長いグラスを上げる
su larga copa larga, luna temprana por sobre el mar
長い長いグラス、早い月が海の上に

Pero para María no hay madrugada
しかしマリアに朝はない
Pero para María no hay mediodía
しかしマリアに正午はない
Pero para María ninguna luna
しかしマリアには月もない
alza su copa roja sobre las aguas
彼女は赤いグラスをいくつもの海に持ち上げる

María no tiene tiempo (María Landó) 
マリアには時間がない
de alzar los ojos
目を上げるにも

María de alzar los ojos (María Landó) 
マリア、目を上げるには
rotos de sueño
寝ていないためにつぶれた
María rotos de sueño (María Landó) 
マリア、つぶれた、寝ていないために
de andar sufriendo
苦しんだために
María de andar sufriendo (María Landó) 
苦しんでいるマリア
sólo trabaja
ただ働く

María sólo trabaja, sólo trabaja
マリアはただ働く、ただ働く
sólo trabaja
ただ働く
María sólo trabaja
マリアはただ働く
y su trabajo es ajeno
そしてその仕事は他の人のもの


***
これではあまりに暗いかもしれません。

Space cowboys
「Fly Me to The Moon」


歌は映画のテーマ曲でぴったりですが、
宇宙に出る前の地上の話のほうがよく覚えています。

健康診断シーン
視力検査のシーンが好きです。