2012年9月25日火曜日

秋の日差しでちょっと日焼けして

夕刻、半時間足らずの間に日は落ちて、あっという間に空気が冷たくなってくる。
こんな時間帯には『ローマ熱』という短編小説を読むのがいいかもしれない。イーディス・ウォートン作。

タイトル通り、舞台はローマ。アメリカ人女性二人がランチを終えて、テラスに出る。
昼下がりの明るい陽光、夕暮れ、そして夜を迎え、やがて二人の闇に迫っていくお話。ただし、季節は春のようだ。
陰陽師的音楽堂さん*がご自分で訳し、ご紹介されていたのを読んだ。

二人の女性というのは、スレイド夫人とアンズレイ夫人で、若い頃から同じ階級同士のつきあいがあり、似たような結婚生活を経て、今はともに裕福な寡婦で、それぞれに美しい一人娘がいる。
この小説はこの中年女性二人しか登場しない。娘たちも声だけで、あとはレストランの給仕とお客くらい。私はお芝居(というより、演劇)は苦手だけれど、お芝居にしたらとても面白いと思う。

検索すると、この短編は意外な結末が有名だそうだが、事実は小説より奇なりで、あくまで小説らしい、あるいは映画やドラマなどにも通じる結末で、それほど驚きはしない。だけど、ふたりの会話や描写だけに終わらせず、結末まで読み進めさせる推進力が作家の力量なのだろうか、とても面白かった。
ただ、これを読んでいると主人公二人の関係と読み手である私の三者に書き手も加えて、読みながら解釈めいたものが頭の中に構築されてしまう。というのは、最初、二人の容姿の描写が始まったときから既に展開が感じられて、何か見知った物語(自分の経験なども)をなぞったり比べるように、読んで分析してしまうのだろう。文学部の文学研究はこういうことをしているのだろうか。
いや、小説でも音楽でも映画でも、そういう解釈が書かれているレビューのほうが読んで楽しいと思うのに、自分で書こうと思うとなかなかである。

まあ、どっちにしても小柄で色の白い女の子は、昔から可愛いものである。

*陰陽師的音楽堂さんhome「ghostbuster's book web.」内に
ご自身が訳された『ローマ熱』
陰陽師的音楽堂さんが訳される短編、当ブログでは「案山子である理由とお勧め短編」(2012.6.7)で二つ。


ところで、昨夜レゴの動画を見ました。すごい。



フローリングから畳、畳からフローリングへと
マシンの全長が長くて凄いのですが、
このボール転がしラインには結末がありません。
んんん、もう一回見るにはしのびないです。
行き場のない生産工場を彷彿させます。
何か終わり、上がりがあったほうがいいですね。