2012年9月19日水曜日

お直しに出してみた

近所に洋服のお直し屋さんがある。これまで、何度も利用したことがある。中高年のおじさん、おばさん達がいつも休むことなくミシンを踏んでいるお店だ。私もおばさんだったが。そうか、いつのまにか、年が近くなっている。


さて、そのお店にもHPがあり、洋服の仕立て直しもやっていることがわかった。洋服の修理・直しが看板なので当然かもしれないけれど、私としては、ハンガー掛けして伸びてしまったパンツの裾上げや、ウエストや袖丈を出したり引っ込めたりするイメージしかなくて、時代遅れとなった服を今風に仕立て直してくれるところだとは思っていなかった。
住宅でいうと、リフォームだけでなく、リノベーションもしてくれるという感じかな。

HPでジャケットのリサイズ例などを見て、長年、自分の気持ちに引っ掛かっていた冬の喪服を相談してみることにした。16,7年前の古い喪服で、毎年着られるか思案しながら処分せずに置いてあった黒の上下である。
ジャケットは肩パッドが入っていて、取り外しが出来ない。肩山も少し外へ落ちている。全体にボックス型の長めのシルエット。スカートは膝丈を少し出るくらい。幸いなことにほとんど着る機会が無く、最後に着たのが8,9年前だった。
その時は中年以上はロングスカートを着ている人が多く、誰がどんな格好をしていたか覚えていないけれど、私の装いは浮くこともなく変ではなかったと思う。
もう一着持っている喪服は3シーズン着られるが、冬には難しいから、この古いのを処分するのだったら買い替えなければいけない。

でも、何となく惜しい。デパートのフォーマルコーナーで、喪服ということで買ったのだが、ちょっと他のと違っている。普通の喪服ぽくないけれど、きっちりしたスーツでもなく、もちろんお洒落な外出着風でもない。不思議なので記念に取っておきたいのだが、第三者から見たら、さっさと処分してしまいなさい、と言われる服になるだろうか。
大体、夫の母からもらった『私の嫁いびり』という古い家事の本には、フォーマルウェアは流行があるからバーゲンで買えと書いてあった。その通りだと思う。
こうして後生大事に取ってあるのを恥ずかしく思いながら、お直し屋さんに持っていき、まずスカートで様子を見ることにした。買ったときは今より太っていたので、サイズが大きい。

試着室から出るなり、さっとピンが入る。
まずウエストは2㎝詰めることになった。私としては、もう少し詰められると思っていた。スカート丈も短くして軽快な感じにしたかったのだけれど、丈はちょうど良いと言われた。鏡を見ると家でチェックしたときと長さが違っていて、かがんだり立ったりして確かめ、そのまま直さないことにした。それより、腰回りがだぶついているので詰めた方がいい、とアドバイスされた。実はウエストよりも最初にピンを打たれたところで、確かにそれが一番のポイントみたいだ。その腰回りの詰め方をフレア風かセミタイト風か相談をした。

大変手際がよい感じなので、ジャケットも見てもらうことにした。仕立て直す価値があるのだろうか。それがまず一番の問題だ。
肩パッドを外して薄いのに付け替えれば大丈夫と言われた。私は肩幅が広いので、パッドは必要ないかと思ったが、あったほうがいいらしい。ボックスタイプのジャケットだったので、ウエストを少し絞りたいと話すと、サイドにラインが入っていて別にウエストはいじらなくてもいい、というような説明を受けたが忘れた。
ここで一旦料金を聞いてみた。HPに書いてあった通りで、問題はない。
本当は肩幅を詰めたほうがもっといいと言われて、私もそう思ってはいたのだが、プラスの料金をどうしようかと悩んだ末、詰めることにした。

あっという間に済んでしまった。

お店に行く前は、出来上がりのシルエットをどうするかとか、裾を変形にしましょうとか、難しい選択を迫られたらどうしようかと心配をしていた。お直しの費用の問題だけではなく、センスが心配だった。私は洋服があまり分からないし、失礼ながらお直し屋さんで変なデザインを提案されても分かるだろうか。こうしたことを「こなメモ」のこなさん*が心配されていた気持ちが本当によく分かる。
だけど、今回はリサイズだけだったからかもしれないが、さすがお直しのプロだけあって、一目見るなりテキパキと提案してくださって安心した。

仕上がりが楽しみだ。受け取ってがっくりすることはないと思う。
それに、喪服って用意していると、かえって着る機会が遠のくような気がする。買ったときがそうだった。私にとっては縁起物である。

*こなさん 「コーヒー&ミルク (2012.7.02)」内で、パンツのお直しをご近所のテーラー&リフォーム店に依頼していいかどうか悩んでいらっしゃった。
こなさんとは年が違うし、今回リフォームに出した服の種類がトレンドに関係するものではないのだけれど、心配はそこなのです。