2011年12月30日金曜日

手ぶらでは戻らない

ずいぶん前の話だが、繁華街の長い歩道が工事中だったときのこと。
狭くなった道幅のせいで、私は歩道の端から、とび職姿のお兄さん(若者の意味)の後ろについて、ずっと歩くことになった。工事のもう一方の端には3,4人の作業員のお兄さんたちが座っていて、休憩を取っていたように見えたのだが、私の前を歩いていたお兄さんがそばまで来ると、その一人が大声で怒鳴った。


「手ぶらで戻ってくるなよ」


先輩格のお兄さんに言われて、私の前を歩いていたお兄さんの、のんきな感じが吹き飛んだ。このお兄さんは、端っこの現場で指示された仕事を一人で済ませてきたのだろう。でも、作業が終わったら、気配り、目配りをして、何か片付けられるものや必要なものを見つけて、持ち帰るべきだった。


この時以来、私も家の中を行き来する度に、出来るだけ手ぶらにならないようにしている。だけど、反復横跳びで何でも手が届く家なので、そんな必要もあまりない。


私は手ぶらというか、手持ちぶさたで、人生を過ごしてきたような気もする。でも、今は何かしているふりをしなくて済んでいる。
大変幸せなことだと思う。




lenine
Hoje Eu Quero Sair Só acustico
 わたしは一人で出かけたい




2011年12月29日木曜日

二つの未来

テレビで映画「ゲット スマート」が放映されていたようで、
その映画関連で、いろいろ思い出しました。


関連と言っても、
私が「ゲット スマート」の前後に順番で見ていった映画のことで
それは次の通りなのですが、
最後二つの未来映画は、ちょうどTさんだったか、
BOBさんだったかのブログでご紹介されていたので、
楽しみにレンタルしに行ったような気がします。




まず、友人に勧められて
Little Miss Sunshineを見ました。
大好きな映画です。






おにいさん役ポール・ダノ出演の映画も見ましたが、
おじいちゃん役のアラン・アーキンとおじさん役のスティーヴ・カレルが
両方出ている映画が、
大好きなダンスシーン
アン・ハサウェイも綺麗で好き。





次にアラン・アーキン出演の古い映画
Gattaca(ガタカ)
近未来を描くSF映画です。
ジュード・ロウが出ていました。
遺伝子の優劣で「適正者」と「不適正者」に分けられる未来社会で、
主人公(イーサン・ホーク)は当然不適正者
私は視力が悪いから、こんな世界では真っ先に抹殺されるでしょう。



その次に見たのが
Idiocracy(邦題『26世紀青年』)
未来は馬鹿ばかり。

賢い人たちが結婚せず、子どもも残さない一方で、
馬鹿な人たちは、子だくさんで子孫を増やしたため、
500年後には馬鹿ばかり残るという設定。
インフラが十分に機能しているのが変でしたが。
適当に見ました。



さて、遺伝とか家系の点から、我が身と夫を振り返りますと、
先祖、両親に比べて
人間の器が
格段に小さくなっています。
それでもまだ夫は、しっかりしています。



Tさん<T先生=T閣下ブログ、BOBさんについては、また後日。
いつも有り難く拝見しています。

2011年12月28日水曜日

Tous les Matins du Mond

映画「めぐり逢う朝(Tous les Matins du Mond)」のDVDが再販されていたようだ。17~18世紀フランスの作曲家であり、ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者である、サント=コロンブとマラン・マレの物語である。
映画を見たいと思ったときは、中古のDVDが高すぎて買えず、まずサントラを買った。このアルバムは、ほとんど曲をスキップせずに、一枚丸ごとに近く聞ける愛聴盤で、音楽監督と演奏はJordi Savall。
結局、映画は、どうにかこうにかして見たのだが、もう一度ゆっくりと見たいというよりは、断片をつなぎ合わせておくだけでいいかな、と思う。サントラでかなり堪能できる。


もちろん、美しい映像の映画で、押しつけがましい台詞はなかったように思う。忠実な時代考証も面白くて、最初の方は食い入るように見た。なかでも、みんなの衣装が、洗濯したてのような真っ白い衿を付けているのが印象的だった。衿だけは頻繁に洗えそうである。


だが、その時代考証があだとなっているのは、青年マラン・マレが宮廷音楽家となって出世をし、壮年期・老年期になると、見事な「(容姿の)変態ぶり」に、全く楽しめなかったことだ。ドパルデュー父子が交代して演じているのだけど、誰もが、あの「aged Marais」(YouTubeコメント欄にあった)にはがっくりしてしまうだろう。再販される前のDVDは3,4万とふっかけていたが、再販価格は3800円くらいで、この落差以上のものがある。


それに、サント=コロンブの姉娘が、不憫でならない。亡き母は、サント=コロンブの思い出の中で、いつまでも瑞々しく美しい。コロンブは頬に涙を伝わらせながら、妻(の亡霊)を前に弾いている。静謐と陰影に重点を置いたという映像で描き出される。
娘たちは昼間の世界にいた。池での水遊びや明るい笑顔。だが、マレが宮廷に出入りしだした頃、姉娘は変わらずに簡素な家で家事をし、畑を耕している。マレとは一緒になれずに病気になり、かさかさと干からびていく。大きくて重たい寝台。乾いてかたかたと鳴り出しそうな家具調度。色のない部屋。父親コロンブの艶やかに光るヴィオールと比べて、何と素っ気ないことか。


wikiによれば、コロンブは愛娘二人と自宅で音楽会を催していたというので、姉娘は不幸ではなかったと思う。


Tous les Matins du Mond より


「Improvisations sur les folies d'Espagne」
Marin Marais


「L'arabesque」
Marin Marais


「Marche pour la ceremonie des Turcs」
トルコの儀式のためのマーチ
Jean Baptiste Lully

 

死ぬ間際、横で弾き始めるマレに、どのように弾くべきか伝えていました。
二言三言で。楽譜に付いている速度記号のように。
La Reveuse


再び「Marche pour la ceremonie des Turcs」
映画とは関係ありません。
演奏 Orquesta Barroca Eutherpe


2011年12月25日日曜日

ほんとは呪文も要らないのかも

「近場の異次元」(12/21の記事)であるお風呂の中で、いつも取るに足りないことを考えている。小さい頃から考えてきたことを焼き直しているだけで、それはもう進歩がない。時間が止まっている。時間が止まっているのではなく、私の身にまとう空気感が、歩くタイムカプセルみたいだ。


さて、時間の停止というと、アメリカのテレビドラマ「奥様は魔女」のサマンサを思い出す。何か大変なことが起きると、サマンサは時間をちょっと止めて、周囲の人たちが静止している間に、状況を都合よく描き換えている。
もし、サマンサのような魔法使いが世界のどこかにいて、私が時間を止められているほうの立場だとしよう。私のこの一瞬一瞬は、魔法使いが止めている時間の連続であるかもしれない。数秒に感じているのが、数分、数時間に値することかもしれない。時間というのも当てにならない経験のような気がする。


ところで、サマンサたちは、杖が無くても呪文を大して唱えなくても、瞬間移動も出来れば時間を止めることも出来る。初めてハリー・ポッターを読んだとき、変な気がしたのは、その杖のせいだと気付いた。
杖を買いに行くところからして、その必要性を忘れていた。ハリポタでは杖と呪文がなければ、魔法は使えない。料理は杖を振り振り一から作っていて、テーブルにいきなりは並べられないし、その場で姿を消すことも違う場所への移動も大げさな感じがする。一体これが魔法使いなのかと、まどろこしいほどに思えた。
それに比べて、「奥様は魔女」は何とアメリカ的なことだろうか。大概のことは、頭に描いた瞬間、たちどころに意思通りにやってのけるのである。


サマンサの動画です。短いのを選んでみました。
下のとは違う話ですが、昔、再放送を見ていたときに
サマンサと母のエンドラが、ダーリンの顔をいじるシーンがありました。
目鼻立ちをちょっとずつ変えて、「ハンサム過ぎない?」と二人で笑っていました。



2011年12月24日土曜日

単純な備忘録 Young Frankenstein,Tom Cruise,Peter Gabriel

備忘録なので、どんどんアップしよう。特殊メイクに関係なく楽しかったもの。
 
メル・ブルックスの「Young Frankenstein」より
大好きな映画です。


「The Addams family 」


Tom Cruiseのダンス


Peter GabrielのSledgehammer




再び「Young Frankenstein」
ドクター・フランケンシュタインと従僕アイゴールの会話
脳の移植手術を巡り、脳を用意したアイゴールに
「Who's brain was it?」
Abby,someone.  .....Abby normal」



「Young Frankenstein」のテーマで
バイオリンの短い曲「Transylvanian Lullaby」があります。
映画の動画ではありませんが、なかなか楽しく演じていらっしゃいます。




2011年12月23日金曜日

煮物

夫が煮物を作りました。
サラダもそうだった。



「Vin Diesel(The Pacifier)」のRodriguez

そしてRodriguez 。


「ワイルド・スピードMEGA MAX」シリーズのヴィン・ディーゼルが主演しているディズニー映画がある。「キャプテン・ウルフ(The Pacifier)2005」。海軍特殊部隊のエリート軍人ウルフが任務として、亡きプラマー教授の家族を守るために子どもたちの世話をすることになる話。ディズニー公認らしきYouTubeの動画で全編見ることが出来たのだが、繰り返し見てしまい、レンタルまでした。
下の動画の初めの方に、ウルフ大佐役のヴィン・ディーゼルが、二女のルルに寝る前の昔話をするシーンがある。




子どもに話して聞かせている昔話なのに、何と言っているのかわからない。
「昔々、あるところに」で始まり、「妖精の一家が、ある日魔法の森へ行って、秘密の・・・・・・溜息・・・・・・・ロドリゲス、そして溜息」で、終わってしまうようだ。このあっという間に完結する話って何だろう。
親切なことにYouTubeのコメント欄に、この物語を載せてくれていた人がいた。


Once upon a time there was a family...Of Elves. And one day the little Elf Family went into...the magic forest to find a secret ....Gnome....facility. Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium. So three Elves laid down heavy suppressive fire on the gnomes. While the others,maneuvered around to the right flank, finishing off anything left alive. *sigh* And not one of the elves were left behind that day. We got them all. Even the teeniest...littlest Elf of all, Rodrigues.  *sigh*  

その人は、主語などを書き間違えていて(上記のは訂正済み)、読んでいる途中で私は混乱してしまった。Elves(妖精たち)とgnoms(子鬼たち)はどうなったのかわからない。否定語がわからない。それで、映画をレンタルして全ては解決したのだが、


上の話を読んでいて参ったのは、gnomsが森の秘密基地でやっていたことである。


Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium.


私は夏の間、プロコフィエフの「毒キノコの話」続編を勝手に書いてみていたのだが、それは、ベニテングタケの国が石油や天然ガス、ウランなどの地下資源を利用して大国となり、入出国カウンターではルーブルをドルに替える話にしていた。だけど、もうこの一文を聞いた(読んだ)からには、何の意味があるだろう。ただのキノコだ。シチュエーションに一行で負けてしまった。それに、1分ちょっとで完結する物語をどうやったら書けるのだろう。
「長靴をはいた猫」「戦争に行くキノコ」に続いて、これが決定打となり、私は、続編を書くのは止めにした。


次の二つ目の動画は、このヴィン・ディーゼルの物語だけを、YouTubeの利用規約に則り、著作権を侵害しないように、うまくカットして編集している。
Gnomesの秘密基地を攻撃したElf一家は、その日は皆、生還できた。ウルフ大佐は自分が率いてきた部隊のことを思い出したのか、感慨深げに小さなぬいぐるみを手に取り、安堵の溜息をつく。
一番若くて小さなRodriguezでさえ、も?




Once upon a time there was a family...Of Elves. And one day the little Elf Family went into...the magic forest to find a secret ....Gnome....facility. Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium. So three Elves laid down heavy suppressive fire on the gnomes. While the others,maneuvered around to the right flank, finishing off anything left alive. *sigh* and not one of the elves were left behind that day. We got'em all. Even the teeniest...littlest Elf of all, Rodrigues.  *sigh*  


............Rodriguez,where is Rodriguez?

2011年12月22日木曜日

「 Jack Soul Brasileiro」のJack

続いてJackです。
Lenine
 「Jack Soul Brasileiro」

acustico MTVより
オーケストラと



ジルベルト・ジルの番組で
Gil + Lenine


TV出演(音があまりよくありません)
ソロ





歌詞と訳です(家人のブログから)



Jack Soul Brasileiro
ブラジル魂のジャック
E que som do pandeiro
そしてこのパンデイロの音
É certeiro e tem direção
正確でコントロールされている
Já que subi nesse ringue
ステージに上がれば
E o país do swing
スイングの国
É o país da contradição...
矛盾の国だ

Eu canto pro rei da levada
おれは歌う 祭り上げられた王として
Na lei da embolada
混乱の法で
Na língua da percussão
パーカッションの言葉で
A dança mugango dengo
ムガンゴ・デンゴ・ダンス
A ginga do mambolengo
Charme dessa nação...
この国の売り物

Quem foi?
誰だ
Que fez o samba embolar?
サンバを混乱させたのは
Quem foi?
誰だ
Que fez o côco sambar?
ココナッツにサンバをやらせたのは
Quem foi?
誰だ
Que fez a ema gemer na bôa?
Quem foi?
誰だ
Que fez do côco um cocar?
ココナッツを被ったのは

Quem foi?
誰だ
Que deixou um ôco no lugar?
そこをへこませたのは
Quem foi?
誰だ
Que fez do sapo
サポを
Cantor de lagoa?...
どっぷり歌わせたのは

E diz aí Tião!
そこではチャオと言う
Tião! Oi!
チャオ、ハーイ
Fosse? Fui!
行くか?行った!
Comprasse? Comprei!
買うか?買った!
Pagasse? Paguei!
払うか?払った!
Me diz quanto foi?
いくらだったんだ?
Foi 500 reais
500レアルだった
Me diz quanto foi?
いくらだったんだ?
Foi 500 reais
500レアルだった
Olha Tião!
おい、チャオ
Oi!
ハーイ
Fosse? Fui!
行くか?行った!
Comprasse? Comprei!
買うか?買った!
Pagasse? Paguei!
払うか?払った!
Me diz quanto foi?
いくらだったんだ?
Foi 500 reais
500レアルだった
Me diz quanto foi?
いくらだったんだ?
E foi 500 reais...
500レアルだったって

Jack Soul Brasileiro
ブラジル魂のジャック
Do tempero, do batuque
スパイスさ、ドラムの
Do truque, do picadeiro
トリックさ、ステージの
E do pandeiro, e do repique
パンデーロの、打ち鳴らしの
Do pique do funk rock
ファンクロックのかけ声
Do toque da platinela
プラチネーラのタッチ
Do samba na passarela
忍び足のサンバ
Dessa alma brasileira
このブラジル魂
Eu despencando da ladeira
スロープを滑り降りる
Na zueira da banguela
歯のない・・・
Nessa alma brasileira
そのブラジル魂で
Eu despecando da ladeira

スロープを滑り降りる
Na zueira da banguela...(2x)
Quem foi?
誰だ
Que fez o samba embolar?
サンバを滑らせたのは
Quem foi?
誰だ
Que fez o côco sambar?
ココナッツにサンバをやらせたのは
Quem foi?
誰だ
Que fez a ema gemer na bôa?
Quem foi?
誰だ
Que fez do côco um cocar?
ココナッツを被っているのは
Quem foi?
誰だ
Que deixou um ôco no lugar?
そこでへこませたのは
Quem foi?
だれだ
Que fez do sapo
サポに
Cantor de lagoa?...
どっぷり歌わせたのは


E diz aí Tião!
そこではチャオと言う
Tião! Oi!
チャオ、ハーイ
Fosse? Fui!
行ったか?行った!
Comprasse? Comprei!
買うか?買った!
Pagasse? Paguei!
払うか?払った!
Me diz quanto foi?
いくらだったんだ
Foi 500 réis...
500レアルだった

Eu só ponho BEBOP no meu samba
おれのサンバにビーバップを入れる
Quando o tio Sam
サムおじさんが
Pegar no tamburim
タンバリンを掴んだら
Quando ele pegar
彼が手にしたら
E no pandeiro e no zabumba
パンデイロとバスドラムを
Quando ele entender
彼が聞いたら
Que o samba não é rumba
サンバはルンバじゃないって
Aí eu vou misturar
そこでおれは混ぜるぞ
Miami com Copacabana
マイアミとコパカバーナを
Chiclete eu misturo com banana
チューインガムとバナナを混ぜるんだ
E o meu samba, e o meu samba
おれのサンバ、おれのサンバ
Vai ficar assim...
このまんまで行く

Ah! ema gemeu...(5x)
ああ、驚いた
Aaaaah ema gemeu!
ああ、驚いた



*ジルベルト・ジルはブラジルの文化大臣も務めました。
(2003-2008年)

「Benny & Joon」とサム、ルーシー

アメリカで長く農学の研究職に就いていて、昨年、日本に帰って来た友人がいる。日本ではアメリカにいたときと同じ緯度のところで、仕事をしている。ときどき南下。

その友人から聞いた話。帰国する直前だったか、少し前だったか、ミシガンの方から大陸を横断して西海岸の方へ、車を走らせていたときに、小さな町の中でエンストし、路上で立ち往生してしまった。集まってきた人たちに、車を直すのが上手なひとはいないかと尋ねたら、皆が口をそろえて、ジョンだという。車のことなら、何でも分かるという。では、ジョンは何処か、と聞くと、ジョンはあそこだ。何と、そのジョンがすぐ横を通りかかっていた。

ジョンはもちろん、ばっちりと直してくれた。感謝して修理代金を尋ねると、晩ご飯を奢ってくれるだけでいいと言うので、一緒にダイナーで食事をしたそうだ。私は、今度友人に会ったら、この楽しい話をまたリクエストして聞いてみたいと思う。
名前がジョンでなかったら、ごめんね。

兄ベニーと、妹ジューンの物語
「Benny & Joon」(妹の恋人、1993アメリカ映画)



この映画は、出てくる人たちはみんな好きだし、兄妹の家もラブリーで好きですが、
わたしは自動車修理工のベニーが一番好きで、
ルーシーとの恋はどうなるのか心配しました。
*あらすじはこちらの「おちゃのま*しねま」さんで。
今、検索したら、しかるべきブログに出会ったというパターンですが、
よその方は、素晴らしいコメントを書かれていますね。


映画の主題歌
The Proclaimers 「I'm gonna be 500miles」


2011年12月21日水曜日

近場の異次元

お風呂に入ろうと脱衣所でいると、扉一枚挟んだだけの隣のリビングから、家族の話し声や雑音が聞こえてくる。浴室の中でも、どう響くのか割と大きく聞こえてくることもあるけれど、大概はそんな音も意識から消えてなくなる。それに窓からの車の騒音も大きい。


お風呂の中でひとりでいると、外から遮断されているような気がしてくる。私が髪を洗っている間に、うちの中には誰もいなくなっているのかもしれない。舞台から役者が消えるように。お風呂は切り取られたひとつの箱で、窓からの騒音はサービスで付けてくれたBGMなのかもしれない。


お風呂から上がって脱衣所に出ると、リビングにいる家族の声やテレビ(今は無いけれど)の音が聞こえてくる。また外の世界とつながったような気持ちになる。
ほら、「ライオンと魔女」で、子どもたちがクローゼットの奥に入ったら、別の国があって、そこでしばらく過ごして帰ってくると、クローゼットに入る直前直後と変わらず、ほとんど時間が経っていないというような、あれと同じ感覚。
物語とは違うのは、30分お風呂に入っていたら、その分、テレビで放映されていた映画も話が進んで終盤に差し掛かっていること。クライマックスの音がけたたまし、かった。今はテレビが無くて、雑音だけなのだけど。


リビングに出ると、飛び出す絵本のように、平面で横になっていた人や家具が起き上がり、声も立ち上げて、こしらえた空間のように感じる。
果たして、ここにいる私の家族は、さっきと同じ人たちなのだろうか。証拠はないもの。別の人間か物体がうまく家族とすり替わっているのかもしれない。と思いながら、鬼の居ぬ間に食べたらしい、アイスクリームの包みなどをゴミ箱に捨てる。


お風呂もそうだけど、トイレでも同じ。出てくるたびに、前と状況はほぼ同じで、自分自身も変わっていないことを鏡で確認しつつ、元いた場所に合わせるように出て行く。何食わぬ顔をして。



テーブルの上に台をときどき置きます。
上にも下にも空間ができます。
下に本を入れると、
即席の小さな本棚になります。
目が悪いので、もう本はあまり読むことはないのですが。



2011年12月18日日曜日

家具屋さんで クリスマス

家具屋さんで

リストのWeihnachstsbaum(クリスマスツリー)s186

大人になって始めるピアノは辛い。技巧的に上達せず、指が回らないというもどかしさ以上に、音楽というものが分からない。「ゆっくりでもいいから、歌うように弾いてください」と指導していただいても、そのうたごころが私にはない。リズム感はないし、拍感もわからない。ものぐさなので、カウントするのも面倒だし、呼吸のタイミングもわからない。
練習中のハイドンも、先生曰く、「その場でどじょうすくい」。音楽が前に進まない。
ところが、ピアノを弾きたい、という憧れは小さい頃からあった。
だけど、作曲家の誰それの曲を弾いてみたい、というような気持ちは全くなくて、洋楽ヒットポップスの合間に小耳に挟んだ、ちょっと変わったエキゾチックな音楽をピアノやギターでさらりと弾けたらいいなと思っていた。バッハやチェンバロ、古楽などは、聞いたら好きだったし、バッハをチェロで弾けたら格好いいなあと思っていた。
私にとってクラシックは無縁の世界で、ベートーベンやモーツァルトなど一括りで皆同じで、興味がなかった。
レッスンで一番困ったのは、弾きたい曲が何なのか自分でもわからなかったことだと思う。
それが、初めて発表会に出たのが、10年以上も前のクリスマスのことなのだけど、他の生徒さん達が弾くピアノ曲にびっくりした。楽しくて興味深い曲が意外とあった。小さな生徒さん達を追うように、私でも弾ける曲を探すようになった
技巧的に易しいが、聴き映えがする曲。  そして、あまり知られていない。
練習していても、聞いていても飽きない曲。面白くて、べとべとしていなくて、美しい。

リストの小曲を知るようになったのは、ここ数年のことで、リストの曲を弾くようになるとは、と自分でもかなり驚いた。
皆さまのブログや海外のYouTube、無料楽譜サイトのおかげである。こうして、私が知らない曲に遭遇して、へえっと驚いている間に、小さな子どもたちは、あっという間に上達して、私を追い越していく。そして、子どもたちは、自由に楽器を鳴らしたり歌を歌ったりして、世界を広げていっている。

では、クリスマスも近いので、
リストが孫娘のために作曲したピアノ曲集(全12曲)です。
詳しくは、
  左のサイドバーにある<ピアノ独奏曲・協奏曲>をクリックしてvol.8

今年は4番を練習しようと思いましたが、間に合いませんでした。
一昨年は1番、去年は9番を練習しました。






2011年12月17日土曜日

昨年まで、この有名な和泉式部の歌をわたしは知りませんでした。


とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり 

Lhasa de Sela

知ったときがその時。
Lhasa de Selaが亡くなっていた。2010年1月1日。
私と夫は、音楽情報に疎いので、全然知らなかった。
Fabrizio de Andreのときもそうだった。
ふたりで驚いて、哀しんだ。    
Google翻訳みたいな書き方だけれど。

 The living roadより
my name


anywhere on this road



la maree haute


歌詞はカナダのこちらの方からどうぞ。

2011年12月16日金曜日

紙の注文はこちらで

前回の記事「頼んだら、幾らでも出してくれると思うよ」で、
アメリカの町のイメージに合う曲はないかと考えました。

掘っ立て小屋から紙がいっぱい刷られて出てくるように、
ノリがよくて、じゃんじゃか浮かれ沸き立つような、
でも、のんびりとした昼間のビールにも似合いそうな音楽。 
アメリカンは難しいです。
いや、わたしが知らないだけの話です。

と、今日は12月の明るく晴れたお天気のせいか、
流れるように美しいというアルビノーニの名が。
もちろん私には、アルビノーニは袖刷り合うこともない人だったのですが、
rainbow's endさんの音源ガイド(1355番で知りました。
そういえば、アルビノーニは紙問屋の息子さんだったのですね。
紙はいくらでも提供してくれそうです。

作品10は全部聞いたことがありません。
今年は4番にしてみます。
Albinoni concerto op.10  No.4




rainbow's endさんのれびゅー、
イタリアもので検索したときから時々拝見しています。
「サイレント・マイノリティのための音源ガイド」だけあって、
ご紹介されているものの多くは、
わたしには未知のジャンルなのですが、
れびゅーのどの文章も濃厚で、深遠。
筆致の圧力かかりまくりなのに、
音楽と同じで、
読み終えれば夜の闇か明け方のしじまに消えていくような、はかなさも。
わたしなぞとは漢字の分量からして違います。

ところで、日本では、少し時期的に紙問屋は分が悪いですね。

2011年12月15日木曜日

家具屋さんで

家具屋さんで


頼んだら、幾らでも出してくれると思うよ。

『魔法のお店』(荒俣宏監修)というアンソロジー本がある。最初、奇想天外社から出版されていて、昔、図書館で読んだ。手元に置いておきたいと思って、しばらくして文庫本を買ったら、『新魔法のお店』(筑摩書房、1989年版)には、読み返したいと思っていた「ガラス瓶の船」(P・スカイラー・ミラー著)がなかった。
でも、一番好きだった「お茶の葉」(H・S・ホワイトヘッド著)はあったし、「われらの町で」(R・A・ラファティ著)もあった。


その「in our block われらの町で」。町の一角に、掘っ立て小屋が並んでいる。最初の小屋からは、裏に工場もないのに荷物が凄い勢いで次から次へと出てきて、トラックいっぱいに荷が積まれている。興味を持ったアートとジムが、小屋の主に聞けば、何でも即座に、大量に出荷できるという。
その隣の小屋は、代書屋だけれど、タイプライターはない。美人のおねえさんは、外でアート達が待っている間、タイプライターの音を猛スピードで響かせて、5秒で3ページの代書を完璧にしてくれた。その次の小屋では、冷蔵庫もないのに、店のおねえさんが冷えたビールを出してくるし、ラベルの間違えたスペルも、手で一滑りすれば直っている。


さ、欧州も日本もここの人たちに頼んで、いっぱいお札を刷ってもらおうよ。
紙代もインク代も格安。間違いなし。
で、聞いてみたらいいよ。どうやって刷ったのですかって。代書屋のおねえさんが答えてくれるから。

2011年12月12日月曜日

パンの三つどもえ

かなり前のことなので、記憶間違いかもしれないけれど。


大学時代、3,4人でパンの話をしていた。その中に、同じ学部で同じサークルだった人がいて、高校の頃を思い出して、長崎弁でこう言った。朝、高校の近所のパン屋さんで、パンを買いに寄ることがよくあった、そこは、前日の売れ残りのパンが安く売られているのだけど、3個を一つに丸めて売っていた。
ぎゅっと三つを固めて、一つの袋に入れて売っていたというのだが、聞いていた方はびっくりした。かなりの人気だったらしい。今にしてコスト面から考えると、3個そのままなら大きな袋がいるだろうが、一つに丸めてなら小さな袋で済む。


ところで、その長崎弁の人だが、顔や体に影のない人だったように思う。もちろん凹凸があって、私よりずっと「くっきりはっきり」した人だった。そう、大きな声で、はっきりと長崎弁で話し、マイペースで、いつでもにこにこと自分の機嫌を保っていられるイメージが、思い出すまでもなく浮かんでくる。
印象が強いからといって、私には決してわかりやすい人でもなかった。ある日、その人が、よそのサークルのノートに何か書き付けてあるのを読んでから、やはりシュールな人だと思って、隠れて敬意を表していた。もちろん、何でも跳ね返す力が強い人だし、そんな私の秘めた敬意など丸っきり関係のない人である。まあ、その人に限らず、私の敬意なんて、誰にとっても取るに足りないもの。
そうそう、私達のサークルには日頃集まる場所もなく、つるむことなく、みんなてんでバラバラにいて、月に一回くらい学外に場所を決めて集まった。とりたてて不自然とも不便とも思わなかった。一応、音楽の関係。そんなサークルに一年生で一番乗りで入ったのが、その人だった、と聞いている。


さて、その人が当時UKロックやプログレが好きだったということとは関係ないのですが、
今年借りて見た映画の一つが、



肩の力を抜いて見られる、パロディ・ゾンビ映画です。
ホラーやゾンビが苦手なわたしでも見られました。




2011年12月11日日曜日

レニーニのDois Olhos Negros、ニット帽のゲストドラマー

ブラジルの
レニーニ
Lenine

わたしは、「見飽きないレニーニのライブ (Acustico MTV)」を数ヶ月に一回は見て、
やっぱり見飽きない、聞き飽きないとレニーニにうっとりとなります。
ギターを弾くレニーニ。力強いレニーニ。


さて、このライヴ での特にお気に入りが、
ゲストが入れ替わり立ち替わり来てセッションしていくところです。
いつのまにかYouTubeで、そのゲスト毎のセッションがたくさんアップされて、
分割して見られるようになっていました。


下の動画は、ニット帽のゲストドラマーが来たときのものです。
パーカッションが二人なんて最高です。
緊張感がたまりません。


それにしても予期しない動画から、載せることになるものなのですね。
でも、ちょうどよい気もするし、大好きだし。これからどんどん貼り付けていこう。
静止画像がちょっと残念。


Dois Olhos Negros  (二つの黒い瞳)


2011年12月10日土曜日

わたしの大好きな<Tom Waitsの>長靴

前回のプロコフィエフとキノコ王国の話の続きです。


プロコフィエフの「おばあさんの話」は、1918年。前年に「束の間の幻影」(op.22)が出版されていて、その中にある曲で、私がトライしたものとモチーフが似ていたりする。弾きこむにはもう少しイメージを膨らませたほうがよいかもと、プロコフィエフ短編集中の一遍「毒キノコの話」の続きを書いてみた。ひと夏費やしたが、書けば書くほど面白くない。


ちょっと先輩の物語でも読んでみよう。と、ここで読み直したのがシャルル・ペローだった。青空文庫で読んだので、タイトルが「猫吉親方 またの名 長ぐつをはいた猫」になっている。でも、読み始めると、忘れたことがないあらすじなのに、あっという間に話に引きこまれてしまった。文章は小気味よく、展開はスピーディ。痛快。完璧。傑作。
こんな話を作れたら、最高です。


何はさておき、衣装が大事。
グリム童話でも、博士になるために最初に衣装を整える話があった。
上から目線で一喝命令されると、猫の言うことでも、ははあと従っちゃうのよね、お百姓さん。大人になって読み返すと、童話は益々興味深い。

クリストファー・ウォーケンの「長靴をはいた猫」。
1988年の映画でレンタルがあれば是非見てみたいと思います。
YouTubeに予告編がありましたが、下のはダンスシーン。



もうひとつ。
Tom Waitsの「Russian dance」に合わせた動画です。
ブーツがいっぱい出てきます。
何故か見飽きません。大好きなのです。



ちなみにコンピューターアニメで「長靴をはいた猫」(アメリカ、ドリームワークス社)が公開されているそうです。YouTubeで「puss in boots」を検索したら、それがいっぱい出てきてびっくりしました。日本は来年3月公開予定だそう。

2011年12月9日金曜日

キノコのタイトル負け

この夏、プロコフィエフの短編集を買った。プロコフィエフは私の大好きな作曲家で、初夏から、四つの小曲からなる「おばあさんの話」op.31の3曲目を練習していた。1曲目は昨年練習したが暗譜が出来ず、そうこうしているうちに全く弾けなくなった。2番、4番は来年弾いてみるつもり。


さて、以前書評にプロコフィエフの短編集新刊の話があったのを思い出し、音楽と同じくらいに面白いというプロコフィエフの文章が読みたくて、その本を注文してみた。
地下にあるベニテングタケのキノコ王国へ、小さなターニャが出かける「毒キノコの話」は何としてでも読んでおこう。きっと3番にぴったりの曲だろう。


届く前にプロコフィエフの日本滞在日記が公開されているので読んでみたのだが、亡命前に日本に来ていたのね。
大体、私は素養が無くて、プロコフィエフが大好きと言っている割に、知っている曲もほとんどなく、プロコフィエフのこともWikiで読んだ程度。日本に滞在したことは頭に入っていなかった。以前、伝記の最初を立ち読みし、子どもの頃、手ほどきをしてくれたド近眼のお母様よりピアノがたちまち上手になって、お母様に悔し涙を流させたような話は覚えている。馬鹿にしていじめたそうだ。でも、この話はわたしの捏造・覚え間違いかもしれない。あとはプロコフィエフ好き、音楽好きの方々のブログを拝見する度に、楽しく「発見」と勉強をさせてもらっている。


届いた短編集は、うやむやと読み終えた。お目当てのキノコ王国の話は、弾いている曲にぴったりだったと思ったけれど、ある日、ストラヴィンスキーが「ふくろうと猫」という興味を惹く歌曲を作っているのを知り*、ストラヴィンスキーの作品リストを見てみると、初期の歌曲で「戦争に行くきのこ」(1904)というのがあった。


素晴らしい。タイトル素晴らしすぎ。
The mushrooms went to war 
The mushrooms going to war
How the mushrooms went to war
などと英訳されるようだけど、
キノコ王国では、大ヒット間違いなしであろう。


実際、戦争に行く、いや行かされるのは、キノコではなくてカブトムシだし。
というのは、ネットで検索したら、歌詞を訳してくださっているブログ(ナメサメカメンチョさん)があって、カブトムシが出兵していた。
プロコフィエフとストラヴィンスキーにはバレエ曲の依頼で因縁めいた話があるようだが、
まずは、おばあさんの話、こんな曲です。


Tales of an grandmother  op.31  1918年

Victor  Merzhanov演奏   part1/2   No.1,No2


    part2/2   No.3 No4

気ままな生活さんのブログで『もし大作曲家と友達になれたら』(スティーブン・イッサーリス著)という本を紹介されている中で、イッサーリスがストラヴィンスキーの「ふくろうと猫」という歌曲を「宇宙人のこどもが聴くのにぴったり」と勧めていたからなのだけど、気ままな生活さんの記事は5月。その時は気がつかなかったのだが、まあよくあることだと思う。

2011年12月8日木曜日

ドナドナは戻ってこなかったと思うけれど

カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)の「ラメント・ボリンカーノ」。


歌をギターと足で演じるカエターノ。こんなふうに歌い始める人は見たことがありません。
ライヴ「粋な男(Fins Estampa)」から



プエルトリコの作曲家ラファエル・エルナンデスの曲を歌っています。


農夫が荷を積んで町の市場に幸せ一杯に出かけます。もし荷が売れたら、妻(母?)に服を買ってあげようと道々楽しげに歌いながら行くのですが、町へ着いても誰も荷を買おうとしない、町は貧しさで死んでいる、農夫は泣きながら、ボリンケン(プエルトリコ)私の国は、私の家族はどうなるのでしょうと神に問いながら、帰ります。


わたしは昔、友達にこの曲を紹介したとき、丸々日本語の訳詞も付けたことがあります。スタジオ録音版のCDの訳詞です。
YouTubeもないころで、曲だけでは話の展開がわかりにくいと思ったのですが、友達は当惑したことでしょう。「貧しい」に弱いわたしが、カエターノのこの歌を聞く度に涙してしまいそうになることは話しませんでした。わたしには、「情」はあまりないのですが、貧しさのツボ、があるのです。


歌の終わりはこうなっています。


Borinquen, la tierra del edén      エデンの地ボリンケン
La que al cantar, el gran Gautier     偉大なガウティエが歌のなかで
Llamó la perla de los mares.       すべての海の中の真珠と呼んだ
Ahora que tu te mueres         今、おまえは死のうとしている
Con tus pesares             悲しみとともに
Déjame que te cante yo tambien.    わたしにもおまえのことを歌わせてほしい
Yo también.                わたしにも





それはともかく、市場は売り手と買い手で賑わっていて欲しいです。

2011年12月7日水曜日

回れば回るほど

知人の家具屋さんに頼まれて、写真を撮って小さなカードを作った。名刺代わりにするお店の案内カードである。賃金をもらい、その家具屋さんで取り扱っているガラス作家の小物を買って帰った。


家具屋さんは私に賃金を払うことで、代価としてカードを得て、私はガラスの小物が買えた。家具屋さんはまた、ガラス作家に注文することが出来る。作家は作品を製作し、受け取った代金で何か購入するかもしれない。こうしてお金は回る。幸せも回る。ポケットを叩くとビスケットはふたつ、ではないが、回れば回るほどお金の価値が倍増していくような気がする。世の中にどんどんお金(currency)が流通して、循環しますように。


今回買った小物はこれです、とご紹介したいのですが、普段写真を撮る習慣がなく、代わりに今晩使ったこちらを撮ってみました。ガラス作家は同じ西川孝次さんです。