2011年12月21日水曜日

近場の異次元

お風呂に入ろうと脱衣所でいると、扉一枚挟んだだけの隣のリビングから、家族の話し声や雑音が聞こえてくる。浴室の中でも、どう響くのか割と大きく聞こえてくることもあるけれど、大概はそんな音も意識から消えてなくなる。それに窓からの車の騒音も大きい。


お風呂の中でひとりでいると、外から遮断されているような気がしてくる。私が髪を洗っている間に、うちの中には誰もいなくなっているのかもしれない。舞台から役者が消えるように。お風呂は切り取られたひとつの箱で、窓からの騒音はサービスで付けてくれたBGMなのかもしれない。


お風呂から上がって脱衣所に出ると、リビングにいる家族の声やテレビ(今は無いけれど)の音が聞こえてくる。また外の世界とつながったような気持ちになる。
ほら、「ライオンと魔女」で、子どもたちがクローゼットの奥に入ったら、別の国があって、そこでしばらく過ごして帰ってくると、クローゼットに入る直前直後と変わらず、ほとんど時間が経っていないというような、あれと同じ感覚。
物語とは違うのは、30分お風呂に入っていたら、その分、テレビで放映されていた映画も話が進んで終盤に差し掛かっていること。クライマックスの音がけたたまし、かった。今はテレビが無くて、雑音だけなのだけど。


リビングに出ると、飛び出す絵本のように、平面で横になっていた人や家具が起き上がり、声も立ち上げて、こしらえた空間のように感じる。
果たして、ここにいる私の家族は、さっきと同じ人たちなのだろうか。証拠はないもの。別の人間か物体がうまく家族とすり替わっているのかもしれない。と思いながら、鬼の居ぬ間に食べたらしい、アイスクリームの包みなどをゴミ箱に捨てる。


お風呂もそうだけど、トイレでも同じ。出てくるたびに、前と状況はほぼ同じで、自分自身も変わっていないことを鏡で確認しつつ、元いた場所に合わせるように出て行く。何食わぬ顔をして。



テーブルの上に台をときどき置きます。
上にも下にも空間ができます。
下に本を入れると、
即席の小さな本棚になります。
目が悪いので、もう本はあまり読むことはないのですが。