2012年10月31日水曜日

書けば他愛もなく

書いているそばから嘘になったのが、夜のこおろぎ2。週に二度三度、自転車で帰る人の歌声が聞こえていたはずなのに、全くそんな気配はないようだ。一度だけ、例の時間帯、夜の11時半頃に若い男性の歌声が聞こえたのが、ノリが悪かった。切れが悪い。別人だと思う。

書いているそばから本当になったのが、女医さんの話。早速女医さんに会うことになった。

私は、秋の花粉症で10月初めから皮膚のトラブルが続いていた。一度は治まりかけていたものの、胸の付近に発疹が出来て、4,5日前から夜も眠れぬほど痒みが酷くなった。すると、いろいろぶりかえすように、衣服と触れる箇所もかぶれたり、体のあちこちに発赤も広がる。
とにかく痒いので、皮膚科で内服薬を処方してもらったほうがよさそうだと思った。

でも、来週は病院の定期検診があり、前回の血液検査結果を聞く予定だし、この皮膚炎が万が一内臓系の病気からの可能性があるのなら、病院内あちこち回ればいいから、我慢しようかとも考えた。
いや、でも胸をかきむしりたくなるほど痒かったので、皮膚科の女医さんに診てもらいに行った。5年ぶりの診察だった。先生は白いお顔で華奢な感じは変わらず、それでいて風格が漂っていた。

やはり蕁麻疹ではないかということで、いきなり「しいたけ食べた?」と聞かれた。いえ、しいたけは食べていませんと答え、頭の中で最近食べていない理由を呑み込む。
蕁麻疹の原因は、食品以外にもさまざまで、疲労や寒暖の差によるものもあるらしい。道理で、朝起きて着替えている間に、それまで何ともなかった皮膚に、発疹や発赤が急に出来るわけである。
胸や腕、脚など丁寧に観察してもらって、処置室で看護婦さんに薬を塗ってもらうことになった。看護婦さんも前からいた人だった。私の平原のような胸に薬を塗ってくれた。

先生が処置室のカーテン毎に、患者の具合をチェックしに来たとき、思い出した。頭のてっぺんにも、ほんの小さく盛り上がった箇所があって、傷になっているのだろう、そこに触れると痛い。
先生に「いつから?」と聞かれて困った。覚えていない。朝目覚めたら、ベッドのヘッドに頭をぐいぐい押しつけて寝ていたことがあったので、そのせいかもしれないと話した。籐のベッドで、巻き目に頭が当たっていたのである*(訂正)。
でも、それがいつかは覚えていない。何だか、自分が馬鹿というか呆けたような気がした。
先生は虫眼鏡でよく見てくださって、抗生剤入りの薬が追加となった。

薬局では、薬剤師さんと一緒に下を向いて、カウンターに置かれた薬と用法の説明を聞いていたが、最後に「頭に傷ができちゃいましたか」と明るい調子で声をかけられた。私は顔を上げて、そうなんですと笑いかけ、カウンター向こうの薬剤師さんを見た。薬剤師さんは、ツルッツルの頭に指を突き立てていた。私は、つい視線をその頭に留めてしまった。

でも、昨夜書いたとおり、J'ai mal à la têteである。頭痛ではないけど。


*書いたすぐそばから、訂正。ベッドのヘッド部分には、頭を傷つけるようなものはなかった。籐をジョイントして巻いてある部分も上の方だけである。でも、傷の部分にぴったり当たる箇所があってそのせいだと思ったのだけれど。
籐の家具は、軽いし、通気性が良く、丸くて当たりがよく、体を傷つけないのが長所。うちのベッドは、借家の畳の上に置けるということでそれにしたのだが、古さに馴染みすぎている。色を塗り替えてみたいとよく思う。
ベッドは、ファブリックで8割は決まると思うのだが、カバーなど買うと高いし、作るのは大変そうだし。


2012年10月30日火曜日

帽子の続き、頭を守ってもらおう。

私は子どもの頃もよく帽子を被っていたが、大学2,3年生のときにスーパーで麦わら帽子を買って以来、外出時はずっと帽子を被り続けている。何せ、頭が弱いのである。

夜目遠目笠のうちで、顔も隠せる。目深に被って、七難隠してきた。

最初の、リボンではなくちょっと派手な赤い生地が巻かれた麦わら帽子はお気に入りだったけれど、風にあおられて飛んで、川の中に落ちてしまった。

広島は川が多くて、自転車で急勾配の橋をなんとか上り切り、下り始めると吹いてきた風に帽子がよく飛ばされる。帽子留めを買うまで、その麦わら帽子以外にも一つや二つ犠牲になった帽子はあるかと思う。
ぴたっと欄干の上に着地して、難をまぬがれた帽子もあった。

さて、その麦わら帽子から、もう30年近く被ってきたというと、そこそこの帽子のコレクターかと思われるかもしれないけれど、全くそうではない。
幸か不幸か気に入った帽子と出会うことはまれで、実用本位の帽子を買うとどれもなかなか長持ちして、暑さ寒さをしのいでくれているので、数は少ない。

お気に入りの帽子のひとつが、前回、写真を撮ってみた帽子である。広島市役所から路面電車ですぐ次の電停近くに、アーケード付きの地元商店街があって「鷹野橋商店街」というのだが、その西口のアーケードが切れた付近にあった雑貨屋さんで買った。
私は、その商店街を通らずに外の通りから回り込んで行くことが多かった。当時は、その通りも賑やかで、人がよく歩いていた。今は中心部なのに少し寂れ気味。
雑貨屋さんはというと、小さなビルの1階テナントに入っていて、コンクリート打ちっ放しの狭い狭い店舗だったが、ぎゅっと面白いものが詰め込まれていた。
今のカフェ兼雑貨屋みたいなシンプルテイストでスカした感じではなくて、現代アートや普通のポストカード一枚からCDにファブリック、アクセサリーに店主がヨーロッパで買い付けてきたという鞄や靴まで、店のテーブルやチェスト、壁一面に素敵なものが所狭しとあった。
あのお店を思い出すと決まって、昔テレビで見た古い映画「若草物語」の雑貨屋も思い出す。4人姉妹がクリスマスプレゼントを買いに行くお店で、キャンディも本も手袋もそろっている雑貨屋さん。さすがに大きなお店だったが。

結局、帽子を買ったお店は、街中のメジャーな通りに移転し、今でいうハイソな感じになってしまい、私は行かなくなった。500円で買えるものを探していたのに、数万円の洋服や鞄、靴がメインになっていた。

ああ、帽子の話だった。頭が弱いので、すぐネジが外れる。

このFred Bareと内側にラベルが付いた帽子は大変なお気に入りで、色違いで黒も持っている。どちらが先か分からないけれど、一つ買った後、すぐ色違いを買いに行った。私は黒自体はあまり着ないが、帽子も靴などと同様に黒系、茶系と必要で、この帽子は他では見かけなかったから、色違いを買っておいてよかったと思う。
目立たないけれど、ハートマークが分厚く縫い込まれている。ただ、深く被ると髪がぺしゃんこになってしまい、帽子を取った後が大変。また、子どもが小さいときは汗も気になるということで、だんだん被る頻度が減り、ここ暫くは被ることはなくなっていた。

それをいざ、久しぶりに被ろうと思ったら、すっかり似合わなくなっている。仕方がないので、親戚の子にでも譲ってみようかと思った。
洗濯は禁止だけれど、洗っても型崩れしない。
この帽子に代わる秋冬の帽子も買った。それはごく普通の帽子で、質もよくないが、これで古いFred Bareの帽子を荷物にして送れる。

ところが、最後の記念にと写真を撮ってみて、気持ちが翻った。惜しくなったからではない。やはり、ただの古ぼけた帽子に思えたからだ。というより、長い間私の頭を守ってきた帽子で、洗ったとはいえ被ってもらうには気の毒だということにようやく気がついた。

ところで、私はフランス語はこれだけしか知らないのだが、帽子を被るたびに、家のその辺りから、
Tu as mal à la tête? (頭が悪いのか?)と聞こえることがあるので、
Oui,j’ai mal a la tête.と答えることにしている。頭痛持ちだから。



*『魔法のお店』(荒俣宏 編 ちくま文庫)内の「マルツェラン氏の店」(ヤン・ヴァイス作)
老店主が店をたたもうとしているのに、どうしても売れない帽子の話があります。いつまでも新品のままでいる帽子。

 ー 奇妙なことだが、誰もその帽子を持って行かなかった。きっと、多くの人たちは、無慈悲な歳月のことを頭に思い浮かべ、年老いていく顔の上にのった永遠の帽子の姿に恐れをなしたのだろう。

主人公の「ぼく」は続けて、死ぬまでその帽子を被っていろとは強制されていないのに、そんな強迫観念を抱かせる帽子、冷酷な帽子と書いていました。


私は、昔はどんな帽子も恐れることなく、見かけたら試しに被っていました。でも、今はどんな帽子を見ても、被ったときの似合わない残酷さに恐怖心を抱きます。
でも、まあ、深刻には考えません。一生、頭を守ってもらおう。



2012年10月29日月曜日

玄関の柿と帽子 Fred Bare


切りかぶのほうに、
アップする前に、
ちょっと試しに撮ってみました。
帽子は20年以上も前のものです。





帽子の下に顔みたいに写っているのは、
お皿です。

内側を見ると、クマの絵が描いてあります。
Fred Bare Hat Wear
でも、クマはbear、この絵はクマじゃないのかな。

クマが牛に見えたのですが、
やっぱりクマでした。





2012年10月27日土曜日

レーガーのクリスマス曲

初めて自転車に乗った日を思い出す。お使いはしなかったけれど。


自転車に乗るお使い二足歩行ロボット


カラパイアさん(2012.10.25)




さて、今年も準備が遅くて、リストの「クリスマスツリー」12曲*のうち、弾いてみたいと思っていた曲を練習できていない。

昨年は昨年で、12月も迫ってきた11月の終わり、リストは間に合わないから、レーガーのクリスマス曲はいかがでしょう、と先生にうかがったところ、また今度にしましょう、と言われた。
私はスローペースなので、年を越すと思われたようだ。実際、前にリストの2曲を練習したとき、二つともクリスマスを過ぎてしまった。松の内くらいまでツリーは飾るそうだから、いいかもしれないと密かに思ったのだが。お正月は苦手だし。

家で先によく練習をしてから、見ていただくようにしなくては。
先生にも、ときどき、
「今日の出し物はこれで終わりですか」
と冗談交じりに聞かれる。
私がいつもどこでも手持ち無沙汰なのは、手に何か持とうとしないからなのかも。

話が逸れたが、レーガーの曲は、みんな知っている「きよしこの夜」をアレンジした曲で、連弾もあると知って無料楽譜を探したが、
編曲がBenderという方だそうで、残念ながらなかった。

Regerはヘビーな人らしく*、それも私には好ましい感じがするが、この曲は普通に清らかで愛らしい。



 Max Reger 
Weihnachtstraum
演奏はIzumi Watanabeさん










リストのWeihnachstsbaum(クリスマスツリー)s186(当ブログ2011.12.18)
*Reger  「木曾の音楽小屋さん」(top)
 最初にご紹介くださっているのは、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(2007.11.7)

私は、このレーガーをまだ載せていないはずなのだが、肖像写真を見ると馴染み深い気がする。


2012年10月23日火曜日

昔と今は違うはずなのに、 追記10.26


前回記事に出てきたテーブルマナーでの男女差別で思い出したが、私は長い間、書きかけのことがあった。理美容院の違いである。でも、またそれは今度にしよう。

さて、私は男女差別主義者で、例えば医者にかかるなら女医さんだと思っている。男性のお医者さんは、どうも性格が屈折していてこちらが気を遣うことが多かった気がする。ストレスを溜めたあげく、趣味に没頭していそうだったし。
これに反して、女性のほうは合理的で無駄がなく、本当に頭がよくてスペックが高そうに感じる。開業医のお医者さんを見ると、その細腕で、一体何人の看護師や従業員を食べさせているのだろうか、凄いなあとよく思う。

ただし、専門外のことでオピニオンリーダーになりたがる人がいるようで、私は意見されたくないので、診てもらおうと思ったことはない**。

でも、これまでお世話になった先生達を思い浮かべると、男性のお医者さんでも立派な方がいらっしゃった。有り難く思う。今の主治医も男性だ。

私が定期検診で診てもらっているその若い男性の先生は、患者を呼ぶとき、かなりアホめいた発声で聞く度にがっくりするのだが、お会いすると印象が知的に変わる。
屈折どころか、屈託無く育ってこられた感じがして、感じが良い。背も鼻も高くて顔も長く、たいそうな馬面だと思うのに、”きれいめ”なのは間違いない、かな。ある意味、ある種の典型的な医者の感じはするけれど。(後日追記、馬面ではなく、面長だった)

後ろに控えている看護師さんたちは、看護婦さん、やっぱり女性がいい。看護婦さんて、気が強い人ばかりかと思っていたら、いろいろな人がいるのを知った。

いくら男女差別主義者で偏見に満ち溢れた私でも、世の中、優秀でテキパキできる女性ばかりになってしまったら、無駄がなくなって困ると思う。ドイツのメルケルさんはケチだと聞くし。

こんなことばかり書いていては、いけない。世界には何も自由がないところが多いようだ。
男女差別をなくすということ、そもそも、フェミニズムの必要はどこから来たか考えたが、「苺畑さん」*のブログ記事を拝見し、なるほどなあと思ったことがある。



   苺畑さんが、[ブックワームさん]のブログ記事をご紹介されて
ーアメリカのフェミニズムというと、今や全体的な女性の集団という勢力拡大が目的であって、日々の生活の中で個々の女性達が直面する苦労をいかにして緩和するか、ということではないー 原文ママ 


全体主義者と個人主義者のことについてもよく分かり、こうした記事を読むと、それはもう、若い頃の自分を思い出して、私は嫌なヤツだったと思うけれど、どうして今も嫌なヤツなのだろう。




*「苺畑より」ブログさん
 ”April 16, 2012 何故フェミニストはアン・ロムニーを嫌うのか”
他にもフェミニズムに関するカテゴリー記事があります。
別記事で、機会均等と結果均等は違う話など、例えば、
ある集団の中で男女差が大きいので、半数は女性にしよう、という結果均等を求めるような主張についてなど。 これは機会均等とは別。

*まんが日本昔話 過労死するお嫁さん
「深んぼのすげ笠」「嫁田の話」
友達のHPで読ませてもらった話を思い出す。男女差別の話ではないが、同級生や近所だった女の子、男の子(既に成年だけど)たちの消息。お母様から聞いた話。気持ちの優しい人たち。
かと思えば、パワハラ、セクハラまがいの品のないおじさんせんせー。


今日は、ここまで。

追記  10.26


**「専門外なのにオピニオンリーダーになりたがる人がいる」と書いた。こちらで「何とか問題」(私はテレビも見ないし、今は新聞も読まないから目にすることは減ったし、元々系統が違う)になると、よく名前を見かけた人のことが浮かんだのだ。でも、ちょうど「苺畑より」ブログさんの最近の記事の中に、そういう話もあったのだった。
真似してすみません。

October 19,2012 「留守番中の少女、強盗に発砲」の終わりのほう

まさしく、none of your business かなあ。私は、苺畑さんのブログを、C先生のブログを通じて知った。政治については分からなくて、給食とか教育、生活に関することなどで、アメリカの「自由」について、書かれているのが興味深い。



*占いで面白いのがある。
アメリカは星座で言うと乙女座だそうだ。 項目「乙女座の恋愛と結婚」に出てくるが、恋愛の話ではなくて、「米国人は個人主義で団体行動が嫌い、だがテロの行為に対しては一致団結する」。






2012年10月20日土曜日

10月の覚え書き おかしなおかしな訪問者

秋は思いのほか忙しい。

久しぶりにIn Deepさん*のブログを拝見した。タイトルが「黒い太陽を見ながら『キリストの最後の晩餐』の真実を探しに」(2012,10.17)。キリストの最後の晩餐は、キリストと弟子達がテーブルに着席してではなく、古代ローマの貴族達のように寝そべって食べていたのではないかという話。


中世ヨーロッパはテーブルマナーどころかフォークもなくて手づかみで食べていた話は、ご存知の方が多いかと思うが、そうした点から考えると、キリストの時代はどうだったのだろうかと、なるほど気になってくる。
でも、そうしたタイトル記事の内容に加えて、In Deepさんのブログは、いつも少し横道に逸れた話が面白い。誰それと誰それが似ているとか、映画の話など。

今回は酒井美意子さん(1926年-1999年)という「マナー研究家の第一人者」を紹介されていた。酒井美意子さんは旧加賀藩前田本家第16代当主前田利為のご息女らしい。そのやんごとなき方が自著で書かれたことを引用されているのが面白かった。孫引きで恐縮だが、

”女性はパーティーで鶏肉をお皿にとるとき、脂身の少ない淡泊な部位である胸肉などホワイト・ミートをとり、男性はコクのある赤みを帯びた部位である腿肉ダーク・ミートをとる決まりがあったらしい”、そこを、

「これに敢えてマナーに反し、男性向きとされるダーク・ミートをいただくことにしている。
なにしろテーブル・マナーは男尊女卑の18世紀に作られたのである」
            『食通にささげる本』(1979年)


酒井さんは毅然として格好よさそう。
レディーファーストも男尊女卑に基づいている、と聞くけど、まあ、今の時代日本で好きなものを好きなように食べられるのは幸せだ。

話は中世ヨーロッパの食卓に戻って、わしづかみで食べていたことなのだけれど、映画「おかしなおかしな訪問者」(1992年コメディー)を思い出した。
ジャン・レノが騎士役で12世紀初頭から1990年代にタイムスリップしてくる話。当時の生活をなかなか忠実に再現していたそうで、当然食卓シーンがあったと思うのだが、ジャン・レノがバスルームでトワレか何か全部入れて入浴するシーンしか覚えていない。検索したら同じような(記憶の)方がいらっしゃった。

この映画の続編かリメイクがあるとは知らなかった。アマゾンで見たらビデオはあるがDVDはないようで、もう一回見るにはと考えていたら、動画にアップされていた。


Les Visiteurs 1



今晩、見てみよう。


In Deepさん(top)
「黒い太陽を見ながら『キリストの最後の晩餐』の真実を探しに」(2012,10.17)
古代ローマの美食家「アピシウス」もご紹介くださっていて面白い。

たまねぎ地獄さん(top)中世ヨーロッパの食卓



全然関係ないけれど、履歴を消去するまえに。それも大体がC先生ブログの些細なご紹介からだけど。
*「藻類の超高速増殖で日本が産油国になる?」日経ビジネス (2012.10.15)で紹介されていたそうで、
筑波大学 渡邉先生と彼谷先生のプロジェクト(筑波大学)
   ガソリン代、何とかならないかな。

ブリヂストンの免震ゴム、リニューアルした東京駅に採用(ライブドアニュース)
ブリヂストンだけでなく、他のゴム会社も耐震製品を作っているようで地震対策に期待したい。

*「短信・きょう琴線に触れた言葉」(阿比留瑠比記者のブログ)2011.7.25
ラ・ロフシュコー公爵の『箴言集』


2012年10月16日火曜日

夜のこおろぎ2、レスピーギの連弾曲

今は秋といえども、いつのまにかシーズンオフになっていた虫の音について書いていて、思い出した。

夜も深夜近く、11時半から12時、あるいはそれも過ぎて歌声が外の歩道から響いてくることがあった。自転車で通る人の歌声なのだが、女性でソプラノ、何かクラシックの歌曲を歌っている。あまり若くはなさそうだが、分からない。
街のほうでのサークルや個人のヴォイストレーニングの帰りか、それにしては遅い。
こんな夜中に帰っていて、危ないじゃないのと心配をしてしまう。歌では防犯にはならないだろう。

それが、週に一度ならず二度三度頻繁に聞こえる。夜でもうるさい車の音に負けず朗々と響き始めると、ほらやって来たと思うのだが、秋冬は聞こえても春夏は聞こえない。こういうのが2シーズン続いたのだが、ある年、いきなり若い男性の声に変わった。同じ時間帯で同じ道を同じ方向で走っていく。
歌はクラシックではなくて、今時の日本の歌のようなのだが、全然聞いたことがないから分からない。いつもノリにノって声を張り上げている。今年は、この若い男性に変わって3シーズン目かもしれない。

私にはこのチェンジが理解できなかった。あの女性はどうしているのだろう。

ところで、夜のこおろぎ(10/11)では、イタリアのニーノ・ロータの曲をアップしたが、同じくイタリアはレスピーギに連弾曲集がある。「SEI PICCOLI PEZZI」*。

私はレスピーギは好きだが、この連弾曲集は全体的に好きな曲調の曲はあまりない。
ところが、2曲目の「シチリアの狩人の歌」、これがもう一度聞いたら、ミッキーマウス・マーチのように耳から離れない。前回記事の連弾曲Gavrilinの「タランテラ」*が思い出せないほどだ。

4曲目の「楽しいクリスマス」、これは本当に鐘の音も楽しげに響く曲。プリモは簡単といえば簡単なのだけれど、二人で合わせるとなったら難しそうだ。
私は、正確にリズムが刻めず好き勝手し、音符が少なく暇になるとすぐ休んでぼうっとしてしまうので、連弾はとてもいい練習になる。



RESPIGHI

Sei Piccoli  Pezzi
6つの小品



素敵な演奏。
アップしてくださってありがとう。

2曲目は1:46あたりから
4曲目は5:05あたりから

                             レスピーギの作品 この曲集については、こちらで知りました。


*前回のGavrilin連弾記事にアニュータさん追記 といってもたいした話ではありません。


別の動画が見つかりました。
絵がとても素敵、今から聞いてみます。
この連弾曲集はあまり好きじゃない、
としつこく書いてしまいますが、クリスマスに向けて一曲練習中。





2012年10月14日日曜日

秋の花粉症を侮っていて

秋晴れが続いていたが、今日は夕方から曇りがち。

一週間くらい前から、目の痒みだけではなく、腕や服が当たる脚の皮膚が突然かぶれたように赤く腫れたり、痒くてたまらなくなったりして、落ち着かない。
秋の花粉症で、今年はずいぶん酷い。花粉より大陸から化学物質が飛んでくるほうが、嫌だなあと思っていたが、やっぱり花粉も辛い。秋晴れだからといって、洗濯物を外へずっと干していたし。空気は乾燥しているし。
あんまり痒いので、保冷剤を当てて冷やした。

子どもが小さいとき、アトピーが酷くて、周囲の人が皆心配してくれた。痒いときには冷やすと教えてくださった方がいた。何でも知り合いのお子さんは、夜寝るときは氷枕をし、水を凍らせたペットボトルを抱き枕にして寝たそうだった。痒みの軽減に効果的で、やがてアトピーも治り、風邪も引かない体質になったとか。
今は、夏の節電グッズで体を冷やす商品がいっぱいあって、よいかもしれない。

天気予報で、黄砂が飛んでいると聞いて、嫌になる。

ところで、久しぶりに連弾曲を聞いた。

Valery Gavrilin*

Sketches, Tarantella


同じくGavrilin
Waltz


これはバレエ曲「アニュータ」(1982年)からだそうです。*


Valery Gavrilin(wiki.1939-1999 ロシアの作曲家

追記 「Ballet-Classic趣味のバレエとバイオリンの日々」さんが、記事中にご紹介してくださっていた「アニュータ」関連の記事を拝見して、あらすじを読むととても面白かった。原作はチェーホフで『すねかじりのアンナ』(アニュータはアンナの愛称)、原題は『首に下がるアンナ(勲章)』で、「首に下がる」は「すねかじり」の意味らしい。

アニュータで思い出したのが、チリのアニータさん。こちらは豪快なすねかじりでした。



2012年10月11日木曜日

夜のこおろぎ

ついこの間まで、夜になると虫の音が聞こえていたような気がするのだが。
今年は10月になってもまだ聞こえると思っていた。でも、毎年どうだったか、よく覚えていない。

映画音楽で有名なニーノ・ロータの「子どものための7つの小品 SETTE PEZZI PER BAMBINI」という作品集がある*。その中に「夜のこおろぎ」という曲があって、1ページの大変短い曲。さすがにこれは動画に上がっていないようだ。

でも、私が練習した曲があった。2ページの短い曲で、練習していたときは音源が無くて、こんな感じかなと弾いて、先生に見ていただいた。




CANTILENA
子守歌




この曲は、4拍子で始まって3拍子に変わるところがある。
ここで一旦終わって、息を吸い、次の曲想と3拍子を感じて弾き始めなければいけない。でも、聞いている人にはそれを分からせてはいけない。と先生が仰った。

映画のシーンがさっと次の場面で変わるように。

ええええ、そんなこと言われても。
楽譜にはメモが残っている。
「音の長さ フレーズの長さ 空気感 間を取る 余韻を味わう」
いつものことながら、私は適当に弾いていたようだ。

この作品集は、全部目を通したわけではないが、どれを聞いてもニーノ・ロータを感じさせると思う。全部目を通していないけど。
ニーノ・ロータも、映画音楽でというよりも、ロータへのトリビュートアルバム「アマルコルド」*とか、カエターノ・ヴェローゾのアルバム「O Maggio a Federico E Giulietta フェデリコ・フェリーニ監督とジュリエッタ・マッシーナへのオマージュ」くらいでしか耳に馴染んでいないのだが。
映画自体も、ヨーロッパよりアメリカンが気楽で好き。
 


PUCCETTINO NELLA GIUNGLA
ジャングルのブッチェッティーノ

 
この曲もピアニストが弾くと、いいなあ。
私はこんなふうに弾けません。



*NINO ROTA 「ニーノ・ロータ 子どものための7つの小品 関孝弘 校訂・解説」 全音楽譜出版
関先生の解説によると、ニーノ・ロータの本質は純クラシックだったそうで、動画にもロータのクラシック音楽がたくさんアップされていた。

*アマルコルド  1981年のハル・ウィルナー(wiki.jp)がプロデュース。
         後で追記予定。
         




2012年10月9日火曜日

ご近所にひとつは欲しい山と

まだまだ暑い休日、まんが図書館(全国初の公立漫画図書館)、現代美術館のある比治山(ひじやま)へ。山といっても、地方都市の街中にありそうな城郭跡ほどの小さな丘で、他にも大きな施設や石碑などがあり、いろいろな人を見かける。ご近所の人には散歩コース。

車で行って駐車場に駐めて、付近を散策。
柄にもなくワンピースを着て行った。ここにはスカートやワンピースでは来たことがないような気がする。すれ違う人の多くは半袖だった。薄物のワンピースにカーディガンを羽織ってぶらぶらしていると、よそから来た人や美術館来館者にも見えるかもしれない。
この間から外出の度にそのワンピースを着るようにしているが、肩の凝らないスタイルとはいえ気後れしがちなので、服を着る練習にはちょうどいい場所だと思った。
何といっても、ここは山だし現代美術館だ。何でも受け止めてくれるだろう。

不景気で元気がないとはいえ、現代美術館は懐が深い。今回、中には入らなかったが、現代芸術の中には「こんな置物もらってどうしましょ」とか「夏休みの工作や思いつきを大げさにしただけみたい」とか「数をこなさないと作品にはならないよね」などと私なら主婦目線で考えがちなものを、悠々と呑み込んでいる。税金でだけど。

それにしても、現代芸術についてこんな意地悪なことを書いてみたが、世はすべて自分の鏡、自分の姿を見て感じていることが具現化されていると思えば、それは私の身の置き所の無さゆえの嫉妬かもしれない。

さて、ここの現代美術館、20何年前だかの建設途中が一番面白かった。
一度、夕方に、工事の人たちが帰ったあと、歩いたことがある。

建設・建築現場には立ち入ってはいけません!
なのだが、子どもが遊べる広場や売店に公園事務所がすぐそばにあり、現場との境もたいしてなかったのだった。
それで、散歩がてら立ち寄っていく人も多かった。コンクリートや砂の小山に混じって、広い階段広場らしきものが出来ていた。ふもとから中心地まで街並みが望めたかと思えば、そこらを歩いている人たちの影がまばらに浮き上がって来た。
海岸のテトラポットを渡って歩くようだったし、既に廃墟となったところを歩くような感じだった。


まんが図書館のある広場
とても普通にいいところです。







比治山(wiki.jp)
現代美術館、ないと寂しいですが、そんなに行くところでもなく。でも、ぐるっと外周するだけで気分が味わえるのは、ありがたい。



2012年10月6日土曜日

「鞣す」が読めませんでした。

先日、バッグのことで気になることがあったので調べていたら、「革の鞣し方がいい」と書いてあった。読めなかった。呆けたのか、バッグや革に関する言葉が咄嗟に思い浮かばない。仕方なく調べて、「なめす、鞣す」と分かった。
漢字を分解すれば、なるほど、革を柔らかくするね。
こういう場合、すぐ調べないで、頭の体操をしたほうがよかったかな。

続けて「鞣す」で気になることを検索したら、靴のお手入れサイトが見つかった。まだ、よく見ていないけれど、懇切丁寧でとても参考になりそう。

クツゴト 心が豊かになる靴選びの流儀(top)さんの
鞣しってなんですか(2009.8.05)

ところで、革といえば、今日もまた車の話。以下、日記。

先週修理を終えたうちの車は絶好調なのだが、燃費が悪くて古いので、時間があるときに次の車を下見しておこうと出かける。
我が家は中古でも新車でも20万キロ以上、新車で購入なら10年は乗ることにしているから、次が最後の買い物になりそうで、今まで一番慎重になっている。それに先も分からない世の中だし。

さて、今日は没個性でマイナー過ぎて誰も気がつかないという、うちの車みたいなセダンに試乗させてもらった。もちろん国産なのだが試乗車自体もレアで、担当してくれたお店の方がオーナーである。とても大事にされているようで、新車のようにぴかぴかだった。

そのせいか、見た目は評判ほど地味ではなくて、予想以上に華があるくらいだった。いいなと思ったが、燃費が悪いのが気に掛かる。経済的に余裕のあるひとならいいけれど。中古で買うのがお得だと思ったが、全然売れていない車なので、中古もほとんどないようである。

内装はいたってシンプルでシートは控えめな本革、今の革は進化して劣化はあまりないそうだ(当ブログ8/19記事)。内外装でバランスが取れている気がする。質感とバランスは大事だと思う。
先日、別の大手メーカーの車で、てかるシートに乗ったときは空々しい気がして、質素なうちの車が可愛く見えたが、今日は、少しみすぼらしさを感じた。でもまあアナログの時計も付いているし、よく走るし、充分だろう。よそのディーラーばかり回っていても、何も言わずに(車だけど)連れて行ってくれる。

ところで、そこのディーラーは中古から新車まで所狭しと展示してあった。パズルのように車を移動させている。よそのメーカーも扱っているし、外車や納車まで半年待ちと言われているスバルも置いてあった。手堅そう。お店の人は全員作業服を着て、車の整備に忙しそうであった。
担当の方の名刺を見ると、お店の展示車のように、ぎっしりと文字が詰まっていた。重量税を余分に取られそうなくらいだ。それくらい、よく働いていらっしゃるのだろう。

帰り際、試乗させてもらった車のナンバーを見て、結婚記念日かなと思った。聞いてみると、図星だった。

おめでとう。そして、試乗させてくださって、ありがとう。
失礼なことを言ったり聞いたりで、ごめんなさい。


今、思い出したが、試乗車とうちの車は、地味さ加減で何か通じるものがある、共感を得られるかもと期待して、お店に行ったのだった。
お店の人には、何も無かったようだった。


2012年10月4日木曜日

何の変哲もないスカートに

先週、お直しに出したスカートを受け取って来た。

そのスカートは、14,5年前にジャケットとセットで買った、丈の長いロングスカートである(冗語)。

着た期間が短かったので、あまり生地は傷んでいない。色はモカブラウンかな、買った当時はオフホワイト・ベージュ・茶系の服を中心に着ていたけれど、今は加齢のせいで茶系の色は野暮ったくなるので、処分すべきか迷いながらそのままになっていた。

でも、やっぱり勿体ないので、これを膝丈くらいのスカートにしようと思った。イメージをつかむため、外出着用の膝丈スカートを試しに当ててみると、そっくり恐ろしいくらいにぴったり重なる。そのまま切り取ればよいのかな、とそのスカートも持参してお店で相談をしてみた。

見本用



茶系は着ないと言いつつ、
合わせる靴の都合で買ったスーツのスカートです。


お直し屋さんも見るなり、はい、それで決まり。

ただ、見本のスカートは膝より少し上で膝の出具合が気にならなくはない。お直しするスカートは気持ち程度長くすればどうかと提案された。そして見本用のスカートとウエストの仕様が違っているから、そのままそっくり型抜きしてしまうと丈が短くなると説明を受けた。
確かに考えてみたら、その見本用スカートは、買ったのは既に5年くらい前のこと。これからの年代でその長さはどうかということかもしれない。だけど、これを完全に膝丈にすると、私の場合オバサン化しすぎて履かないような気がする。それで、総丈で2センチほど長くなるようにお願いした。

また、ウエストのベルト部分を通っていた細長い紐を取って、ホックに変えることになった。このスカートは前身頃にファスナーが付いていて、紐でウエストを留めるのだけれど、紐だけだと少々不安だったので取ることに決めた。唯一のデザインポイントだったが実用を優先した。
ここでついでにウエストを出して見てはと言われて、ほんのわずか、出すというかホックに替える際の調整も兼ねて加減してもらった。




お直ししたスカートです。



元ウエストについていた紐を添えて。
蝶結びできるくらい長く垂れていました。


モカブラウンは地味ながら、
いろいろな色に合いそうです。


何年ものかわからないニットと。
色はもっと芥子色、マスタードイエローです。
スカートの色もちょっと違いますね。
細身のニットより、ぶかぶか系のほうがよく合うようです。

今回のまとめ

よかった点
*ロングより使い勝手が断然よさそう。
 丈の長さは膝よりほんの少し上で、お店の人のアドバイスを聞いて大正解。

反省点

*ウエスト
もう少しゆとりがあったほうがよかったかな。ウエストきちきちはよくない。


またウエスト部分は、最初サイズ調整できる3段ホックが紐の代わりに付けられたが、みっともなかったので、受け止め一個の普通ホックに付け替えてもらった。
でも、これは断然元の紐のほうがよかったと思う。

*今後の課題
こうして、あまり特徴のないロングスカートの丈詰めで、さらに何の変哲もないスカートにして満足しているのだが、古着屋さんへ行けば、ベーシックなスカートもお洒落なスカートもたくさんあるのだろうなあ。
でも、私は選べない。
たくさんあると、何が何だか分からなくなってしまう。


次にもう一着、大物のお直しを考えている。それでもう今年はお終いにしよう。
ついでに、お直しについて検索していたら、出会った記事

「伊オヤジはなぜ細いパンツを好むのか?」(B.R.SHOPのBackyard Talk vol.020)
イタリア人男性は、意外と足が長くなくて脚が細い(でも、日本人より腕は長い)。
お尻が四角形なので、パンツは腰を落とし気味にはけて格好良く見える。日本人は少しでも脚を長く見せようと、ウエストの位置を引っ張り上げる傾向にある(メンズパンツの場合)

これはよく分かる。偏平ヒップの私は長い胴が余計長く見えてしまう。ヒップが大きいと、腰の位置が高く見えるので、ローライズでも脚が長く見えて羨ましい。

*洋服お直し屋さんのHPをいろいろ拝見して
購入時、体に合っていない既製品を買ってしまうのは残念だが、オーダーメイドよりも既製品のほうがデザインは綺麗な場合が多いと、いったようなことを書かれていたのを2,3見かけたような気がする。
お直しもいいですが、既製品に合う体型になりましょうというご提案も。
今日の記事は、古い服のリメイクで、ちょっと趣旨は違うけれど。

追記
うさぎの切りかぶ このスカートにカーキTシャツを合わせてみた写真を載せました。
あまり上手に写真を撮れないものですね。

2012年10月1日月曜日

アルミのゴミ箱

土曜日、有り難くも台風が無事通過し、お昼も3時過ぎに夫婦で外へ出てみた。
秋冬物のパンツを買う必要があって、お店に幾つか入る。というより、必要にかこつけて、一種の呆け防止と話の種に普段行かないお店に厚かましくも入っていく。

2,3箇所回って、半月ほど前に改装をしたばかりというファッションビルに行ってみた。ここは、何度かのぞいたことがあるのだが、店内は若くてお金とエネルギーをファッションにつぎ込める人たちばかりで、くたびれた中年には足を踏み入れがたい。
なのに入ってみるのは、そのお店は前々から什器が素敵で、アンティークのテーブルや真鍮のラックなどがやんわりとゴージャスで見ていて楽しいから。
ファーの小物を見ていると、店員さんが感じよく接客してくれた。とても美人でお店にマッチしている。残念ながら小物は予定外だったので何も買わずに出たが、最後まで丁寧で、今度会ったら思わず買ってしまいそうである(と書いてみる)。

アーケード街にぶらぶらと入る。人がただ歩いているだけの、通り抜け専用にも面倒に思われる長い繁華街なのだが、ここで否応が無しに目に入ってくる若い男の子達はお洒落に力が入っている。
入りすぎだろうなあ。男子お洒落度の熱さと圧力が、可愛い女の子達の空気感を押しのけているようだ。

とそこへ、車の修理が終わったという連絡を受けたので、買い物は延期してそのままディーラーに回ることにした。朝、部品交換を頼んだときは、翌日引き取りの予定だったのに、するすると済んでしまったようだ。よっぽど暇なのだろうかと余計な心配をする。

10㎞も走っていない代車に給油をすると、何故か6リッター入って、ハイオクの値段を久しぶりに見た*。
ディーラーでは、ショールームは既にエアコンを緩めていて、蒸し暑かった。夫が営業マンと話をしている間にトイレを借りた。何故かトイレに誘われたような気がしていたのだが、奥まったところに上手に配慮して作ってあって、広かった。8月に同じ会社の別の営業所へ中古車を見に行ったときのことを思い出した。そちらの店は山の町中に立地していて、建物は古く、節水の張り紙をしてあるようなところだった。

そうそうトイレに呼ばれたのは、洗面カウンター下にあるゴミ箱のせいだと気がついた。アルミでペダル付きだ。いかにもデザインしました、という感じが無くて好ましい。トイレに入ったときはその存在すら気がつかなかった。夫が前々からこの店のゴミ箱を褒めていたのでこれのことかしらと思ったが、ショールームのは違うものかもしれない。

でも、トイレから出てもゴミ箱は見あたらない。いや、私の視力はメガネを掛けても前方4,50センチまでしかよく見えないので、展示車やソファー以外はすぐには識別できない。もちろん、ゴミ箱が車より目立ってはいけない。それで、夫に聞いてみたが、知らないなどと言って邪険にされた。

帰宅して早速検索すると、それはギリシアはMAST社のアルミペダルビンで今は販売中止らしい。駅前の雑貨屋さんでペダル無しのタイプが展示してあったようだが、我が家にはサイズからして合わなかったので、目に入らなかったのだろうか。
こうして書きながら家の中を見渡しても置けそうにないし、今それが欲しいわけでもないが、好い感じだと思う。

街を歩く男の子達も軽いのなら、シンプルでなくてもいいから、これくらい力が抜けていればいいのに。と、くず入れ(私も使ったことがない言葉)みたいなオバサンである私が言ってもねえ。
ご存知の通り、素材としてのアルミは熱伝導率がいいし、生産コストは高いけれど用途は広くリサイクルできて、優秀。そんなに冷たすぎもせず、頭も高くない。







ゴミ箱の詳細は日々是デザインさん
画像もお借りしました。


*今日10月1日から、環境税導入。