2012年10月30日火曜日

帽子の続き、頭を守ってもらおう。

私は子どもの頃もよく帽子を被っていたが、大学2,3年生のときにスーパーで麦わら帽子を買って以来、外出時はずっと帽子を被り続けている。何せ、頭が弱いのである。

夜目遠目笠のうちで、顔も隠せる。目深に被って、七難隠してきた。

最初の、リボンではなくちょっと派手な赤い生地が巻かれた麦わら帽子はお気に入りだったけれど、風にあおられて飛んで、川の中に落ちてしまった。

広島は川が多くて、自転車で急勾配の橋をなんとか上り切り、下り始めると吹いてきた風に帽子がよく飛ばされる。帽子留めを買うまで、その麦わら帽子以外にも一つや二つ犠牲になった帽子はあるかと思う。
ぴたっと欄干の上に着地して、難をまぬがれた帽子もあった。

さて、その麦わら帽子から、もう30年近く被ってきたというと、そこそこの帽子のコレクターかと思われるかもしれないけれど、全くそうではない。
幸か不幸か気に入った帽子と出会うことはまれで、実用本位の帽子を買うとどれもなかなか長持ちして、暑さ寒さをしのいでくれているので、数は少ない。

お気に入りの帽子のひとつが、前回、写真を撮ってみた帽子である。広島市役所から路面電車ですぐ次の電停近くに、アーケード付きの地元商店街があって「鷹野橋商店街」というのだが、その西口のアーケードが切れた付近にあった雑貨屋さんで買った。
私は、その商店街を通らずに外の通りから回り込んで行くことが多かった。当時は、その通りも賑やかで、人がよく歩いていた。今は中心部なのに少し寂れ気味。
雑貨屋さんはというと、小さなビルの1階テナントに入っていて、コンクリート打ちっ放しの狭い狭い店舗だったが、ぎゅっと面白いものが詰め込まれていた。
今のカフェ兼雑貨屋みたいなシンプルテイストでスカした感じではなくて、現代アートや普通のポストカード一枚からCDにファブリック、アクセサリーに店主がヨーロッパで買い付けてきたという鞄や靴まで、店のテーブルやチェスト、壁一面に素敵なものが所狭しとあった。
あのお店を思い出すと決まって、昔テレビで見た古い映画「若草物語」の雑貨屋も思い出す。4人姉妹がクリスマスプレゼントを買いに行くお店で、キャンディも本も手袋もそろっている雑貨屋さん。さすがに大きなお店だったが。

結局、帽子を買ったお店は、街中のメジャーな通りに移転し、今でいうハイソな感じになってしまい、私は行かなくなった。500円で買えるものを探していたのに、数万円の洋服や鞄、靴がメインになっていた。

ああ、帽子の話だった。頭が弱いので、すぐネジが外れる。

このFred Bareと内側にラベルが付いた帽子は大変なお気に入りで、色違いで黒も持っている。どちらが先か分からないけれど、一つ買った後、すぐ色違いを買いに行った。私は黒自体はあまり着ないが、帽子も靴などと同様に黒系、茶系と必要で、この帽子は他では見かけなかったから、色違いを買っておいてよかったと思う。
目立たないけれど、ハートマークが分厚く縫い込まれている。ただ、深く被ると髪がぺしゃんこになってしまい、帽子を取った後が大変。また、子どもが小さいときは汗も気になるということで、だんだん被る頻度が減り、ここ暫くは被ることはなくなっていた。

それをいざ、久しぶりに被ろうと思ったら、すっかり似合わなくなっている。仕方がないので、親戚の子にでも譲ってみようかと思った。
洗濯は禁止だけれど、洗っても型崩れしない。
この帽子に代わる秋冬の帽子も買った。それはごく普通の帽子で、質もよくないが、これで古いFred Bareの帽子を荷物にして送れる。

ところが、最後の記念にと写真を撮ってみて、気持ちが翻った。惜しくなったからではない。やはり、ただの古ぼけた帽子に思えたからだ。というより、長い間私の頭を守ってきた帽子で、洗ったとはいえ被ってもらうには気の毒だということにようやく気がついた。

ところで、私はフランス語はこれだけしか知らないのだが、帽子を被るたびに、家のその辺りから、
Tu as mal à la tête? (頭が悪いのか?)と聞こえることがあるので、
Oui,j’ai mal a la tête.と答えることにしている。頭痛持ちだから。



*『魔法のお店』(荒俣宏 編 ちくま文庫)内の「マルツェラン氏の店」(ヤン・ヴァイス作)
老店主が店をたたもうとしているのに、どうしても売れない帽子の話があります。いつまでも新品のままでいる帽子。

 ー 奇妙なことだが、誰もその帽子を持って行かなかった。きっと、多くの人たちは、無慈悲な歳月のことを頭に思い浮かべ、年老いていく顔の上にのった永遠の帽子の姿に恐れをなしたのだろう。

主人公の「ぼく」は続けて、死ぬまでその帽子を被っていろとは強制されていないのに、そんな強迫観念を抱かせる帽子、冷酷な帽子と書いていました。


私は、昔はどんな帽子も恐れることなく、見かけたら試しに被っていました。でも、今はどんな帽子を見ても、被ったときの似合わない残酷さに恐怖心を抱きます。
でも、まあ、深刻には考えません。一生、頭を守ってもらおう。