2012年8月29日水曜日

車はガソリンで走って欲しいと思っていたら

この間、車に乗っていて大変怖い思いをした。私は運転できないので後部座席にいたのだが、車の運転がどんなに危険か、胃から下が腑抜けになるくらい感じた。

それでも、我が家は車が必要な生活をしているし、乗り物に乗るのが好きな私は、うちの車が好き。今時「大衆車」と銘打たれる車はないと思うのだけれど、我が家の車は「大衆車」と言われるのがぴったりなほど恐ろしく地味で、あまりにも地味すぎて変に思われる車である。内装も見た人が絶句するほど簡素で、光るものがあまりない。時計も存在感の薄いアナログ時計だ。でも、スペースが充分で手足と胴が長い私には有り難い。
残念なのは、買い替えを念頭に置いておかねばならぬほど古くて、燃費が悪いこと。原油価格も高止まりで、円高でなければ一体幾らなのかと思う。これだけは円高で幸いだ。
ガソリン価格については、税金の二重取り問題とか、トリガー条項というのがあるらしいのだが、もう万事うやむやで高いままだろう。

電気自動車や省エネ型の車が開発されるのは歓迎だけれど、一人乗り用の小さな車とか、動く椅子みたいなものよりも、車らしい車が好きだなあ。それかいっそ地面を離れて走る物体とかね。

*空気を動力にして走る自動車 AirPod 「Gigazine」ニュースサイト
既に2年くらい前から開発されているとか。こういう形と割り切ろう。

*このAirPodを検索したら、「それ、ええがな」さんというサイトがすぐ出てきた。
拝見すると、バイクなどの乗り物中心に面白くてきれいなものをご紹介してくださっている。
「トルコライスマニアックス」(2007.12.9)の記事に、こんなところで遭遇するとはと驚いた。

夫は若い頃、バイト先近くの喫茶店で「トルコランチ」を食べるのが楽しみだったらしく、それはごはんとスパゲティが載ったお皿に、カレーがかかっていたものだったらしい。
トルコランチが正式には何なのか分からないまま記憶に残っていたそうで、うちでカレーを食べるときに何回かに一回は、ご飯だけではなくスパゲティも少量茹でて、ワンプレートに盛り付けて「トルコランチ」と称して食べるようになった。
ある日、夫は「トルコランチ」を検索し、確かに存在していたのを知って喜んでいた。

*原油高騰だけではなく、世界的に大凶作で、小麦粉の価格も当然上がる。
日本麵・菓子用8%値上げ

未来のコンピューターはアナログ式(WIRED) 消費電力から考えた研究だそうだ。
「結果の正確さに多少難があっても構わない」という発想に、少し妬んでしまう。
私は頭が硬くてパラダイムの転換が苦手、それにたくさん難があるからだ。


2012年8月28日火曜日

お手入れは簡単に、その1。

暑くて、息が詰まるような一週間だった。

さて、まずは白髪のお話。美容院で定期的にカラーリング(ヘアマニキュア)してもらっているが、全く無害というわけでもないし、経済的にも頻繁には出来ず、ある日を境に白髪が突然目立ってくる。

こういうのをどうしたらよいのか、部分的に染めたほうがいいのかと美容師さんに相談をすると、マスカラを塗れば簡単と勧められた。それも、100均ので充分だと言われる。

私は視力も悪いけれど、角膜やら結膜やら目自体も弱く、アイメイクをしないからマスカラを持っていない。大体お化粧もろくに出来ないので困る。

私にマスカラが分かるのだろうかと思いながら、100均ではなくドラッグストアに寄った。かなり前に美容師さんが250円の眉墨を勧めてくれたのと同じシリーズでマスカラがないかと探してみたら、残念ながら無かった。
それで赤茶系で安くて安全そうなの?を買って帰り、前髪の白髪が目立ち始めた頃に、塗ってみると面白いように染まって分からない。へええと感心して、毎日出かける前にちょこちょこ付けるようになった。見えないところは仕方がないと諦めることにした。

でも、ある日、マスカラ一本で、どれくらい保つのだろうかと消費量が気になった。コストを心配するうちに、美容院で白髪染めをする日になり、翌日からはしばらくマスカラを塗らなくていいことに気がついた。その日が来るまで分からなかった。


お世話になっている美容院はとってもリーズナブル。指名料とかサービス料とかをレジで恐ろしく加算される心配がない。ポイントカードもないし、お飲み物サービスもない。とても気楽。

そのうえ、美容師さんも同年代の女性なので、話をしやすいし、話さなくてもよいし、何より腕がよい。私はヘアスタイルを決めるのが苦手で全面的にお任せしたいくらいだ。幾つか提案してもらっても、どれもよいような気がする。だけど、
「それくらいは自分で決めましょう」ときっぱり言われる。
髪型の選択以外は何も緊張することがないので、つい脱力しているのだが、私の顔は脱力すると20歳くらい老けることに気がついた。洗髪の時も、顔に力を入れておこうと思う。


追記:  いつも美容師さんからアドバイスしてもらうのは、
   ○白髪を気にするよりも、洗髪後よく乾かすことが大事
   ○頭皮マッサージをすること


Liszt
Un sosipiro(ため息)




全然関係ないけれど、リストのこの曲はrcsicaさんのチャンネルで知った。残念ながら、まだ練習中のをアップされたままなので、上の方の動画にした。
rcsicaさんの選曲が結構好みで、中でもブラジルの作曲家やポルトガルのSeixasに興味を持って、無料楽譜を探したことがある。
次のはrcsicaさんの弾くリャードフ。


Liadov
prelude op.40 no.3

 

ロシアの作曲家リャードフは8月28日(当時使われていたユリウス暦では8月15日)に亡くなったそうだ。リャードフは、「音楽の玉手箱(オルゴール)」が有名、なかなか可愛い曲で好ましい。リャードフはとても怠け者だったそうなので、親近感を覚えるが、才能や能力は豊かだったらしい(wiki.jp)。
プレリュードは夏の終わりに聞く曲ではないけれど、以前練習したことがあるので。

だらだらと長く書いて、申し訳なくも、今日も無事終えたと感謝して終わり。
何で話が長くなったのかというと、髪の話だったからだろうか。



2012年8月22日水曜日

夏のロードムービー

夏なので、思い出した映画。


「世界最速のインディアン」(wiki.jp

インディアンとは、1920年型オートバイのブランド。アンソニー・ホプキンス演じるバート・マンローが改造バイクの改良に日夜励み、ニュージーランドの田舎町からアメリカのユタ州ソルトフラッツでのレースに参加する映画。


The World's fastest Indian(2005)
世界最速のインディアン





ソルトフラッツに着く前も着いてからも、モテモテのバート・マンロー。中でも、私はオカマの受付嬢とのやりとりが好きで、オカマ嬢が出ているところは何度も見返した。



もうひとつ、
「The Station Agent」
パトリシア・クラークソンが好きな友達に勧められて見た映画。
小人症の主人公フィンが、友人の遺言で古い駅舎を譲り受け、そこで知り合ったオリヴィア(パトリシア・クラークソン)とジョーらと交流を深めていく物語。
よい映画だったが残念なのは、主人公が煙草を吸っていたこと。
もうひとつ、映画を見ながらずっと、ワゴン車でコーヒースタンドを開いているジョーの売り上げ、つまり日々の糧ばかり心配してしまった。私にはトイレと同じくらい、いつも気に掛かる問題。



The Station Agent(2003)
trailer


夏の鉄橋シーン




工事中

2012年8月19日日曜日

ソファや車のファブリック

車の点検の時期が近づいている。去年の車検の時に燃費の良い車に買い替えようと検討したが、あまり気に入る車がなくて見送った。私は運転はできなくて家人が運転するのみだが、今の車には長く乗っているので非常に愛着がある。

それでも、いつ故障するか分からないし、知りたいこともあって、「何とかフェア」をやっているディーラーに行ってみた。かなり値落ちした中古車があって、面白いので見せてもらった。


我が家の簡素な車と比べると、シートが革張りというだけで高級感がある。それも、艶のないタイプで好ましかったけれども、革というのはシートとしては難しいかもしれない。というのは、以前東京の家具屋さんのHP*で、家のソファや自動車のシートには布製の張り地が適しているというようなことを読んだ記憶があるからだ。

営業の方も「日光でひび割れたりしてきますね、屋根付きの車庫がいいですね」と説明してくれたが、我が家の車は、家でも出先でもどこでも吹きっさらしの炎天下、路上駐車が運命なので、革製シートは無理だろう。

ちょっとここで話が逸れてあれこれ書いていたのだが、別の機会に書き直すことにして、シートの話に絞ることにする。

改めて東京の家具屋さんのHPを読み返してみると、椅子張り専用の布地は、革と比べて滑りにくく、耐摩耗性があって丈夫なので、自動車のシートの張り地にも使われるし、湿度の高い日本のソファには特にお勧めということだった。
また私は、地元の家具屋さんで話をちらりと聞くことがあって、ソファは布製をお勧めすることが多いと聞いたことがある。もちろん、革製のソファも長年取り扱っておられて、用途やインテリア、好みに合わせてアドバイスされていて、どちらかに優劣をつけるようなことではない。

さて、その東京の家具屋さんは「空間工房(東京家具工業株式会社)」と仰るのだが、数年前、格子戸か何かで検索していたときに出てきたお店で、家具の説明が他の家具店と違ってとても面白かった。
ソファについても、日本の家庭では何故ソファの前に座ってテレビを見てしまうか、ソファがいかに座りにくく、姿勢を保つのが難しいか丁寧に書かれていて、そうよそうよと頷いたものだった。
今はテレビや周辺機器が大きく変わり、日本の住環境、リビングの広さなども変化しているし、ソファ自体も進化を遂げいているだろうから、お分かりになりにくい方もいらっしゃるかもしれない。でも、私も、ソファに座るのが苦手だった。座り心地がよいとか、お茶を飲みやすいとか、話をしやすいとかの使い勝手の良いソファに滅多に出会ったことがなかった。空間工房さんの言われるとおりにソファの前に座って、ソファを背もたれにすることが多くて、それが大変不愉快なのだった。

我が家のソファは、コーナーをくっつけたもので腰に負担は掛かるし、横になって仮眠もできなくて、今は二手に分けて使っている。
私は寝椅子が欲しくてたまらない。ディヴァン、カウチと呼ばれるようなタイプの寝椅子が欲しい。そこに横たわれば、まさに廉価版格安『オブローモフ(女性形にすべきだが)』*になってしまって、もう起きてこないかもしれない。


空間工房(東京家具工業株式会社)top
 ソファ ソファの役割や機能、張り地について、途中から説明があります。
他のアイテムも、親切な説明や家具の配置に関するヒントを書かれています。
例えば、食器棚は、開き戸より引き戸のほうが使いやすいが、引き戸ではデザインがモダンなイメージになりにくいから造りを工夫をしたなど。

「オブローモフの生涯より」(映画) まだ見たことがありません。原作は読みかけて、面倒になって読み切れませんでした。



2012年8月17日金曜日

一休み


お盆の間、リビングの壁の塗り替えをした。我が家は借家なのだが、大家さんから許可を得て、あちこち壁を自分たちで塗っている。今回は10年くらい前に塗ったところの塗り直し。色は引き続き白系であまり面白くないが、さっぱりときれいになった。

これでこの夏、私のささくれていた気持ちも、だいぶ収まった。




アイスティーにピスタチオ。


ピスタチオといえば、夏前に、音信不通になっていた人からのお土産というイランのピスタチオをお裾分けでもらった。会ったことはないが時折話題になる人で、無事でよかったねえと思った。でも、ピスタチオの小さな缶の蓋には英語が大きく書かれていた。ハートマークで囲んであった。国同士、喧嘩をしていても、英語とマーケットには勝てないね。
ともあれ、こちらからは見えない世界のことで心配をしていたら、「○○○(名前適当)、ハート」みたいな感じで返ってきたような。本当に、心配など要らぬお世話だった。

ただ、ピスタチオは本場のはずなのにあまり美味しくなかった。




2012年8月13日月曜日

今日はおぼんだったのか

この夏は妙に気持ちがささくれ立つ。

いつも、気持ちが落ち込んだときに開く本が数冊あるのだが、それらを当てずっぽうにめくれば、どれも必ず「感謝が足りない」と出てくる。それが分かっているので、もう本を手にすることすら止めた。

昨晩、ふと、あるフレーズが耳に浮かんできた。何かなと思ったら、Violeta Parraの「Gracias a la vida」だった。淡々と叙情的で、繰り返し聞けるとても好きな曲だ。でも、今まで歌詞は知らなかった。

そこで、改めて歌詞を読んでみたが、うーん、昨日も今日も歌詞には、あまり気持ちが入っていかない。それでも、曲は好きだが。
感謝どころか、目一杯愚痴っていたい。何が嫌だって、全ての原因が自分であるのが嫌だ。おまけに陳腐で矮小すぎて、自慢できる愚痴がひとつもない。

さらに今日は、
「あれから5年、大不況は終身刑となりつつあります」というタイトルに打ちひしがれた(今日の覚書、集めてみました様ブログ)。
そういえば、今日の覚書様は、ちょっと前の「笑顔は『心臓に良い』」というエントリーで、「引きずってどうする、愚痴・不平・不満を言っている間は原因は憑いて回る」と書いてくださっていた。

うん、何だかどうでもよくなってきたよ。でも、明日になれば、また愚痴ってしまうんだ。
と、ここでアップしようとして、ヴィオレッタ・パラについて、Wikipediaを読んでびっくり。この曲を作った翌年、自殺したそうである。ヴィオレッタ・パラの曲は、当ブログでも「ねじれていく」(2012.4.13)にメルセデス・ソーサが歌う「Volver a los 17」を取り上げているが、パラ自身については、全然知らなかった。



Violeta Parra
「Gracias a la vida」(1966年)
命への感謝


歌詞は例によってこちらから→☆

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me dio dos luceros que cuando los abro
二つの目をくれた。それは開くと、
Perfecto distingo lo negro del blanco
完全に見分けられる。黒と白を
Y en el alto cielo su fondo estrellado
そして、高い空に星がちりばめられた底も
Y en las multitudes el hombre que yo amo
大勢のなかにいるわたしの愛する人も

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado el oído que en todo su ancho
耳をくれた。耳を澄ませば
Graba noche y día grillos y canarios
夜でも昼でも分かる。コオロギ、カナリアの鳴き声が
Martirios, turbinas, ladridos, chubascos
ハンマー、風車、犬の鳴き声、雨音が
Y la voz tan tierna de mi bien amado
わたしの恋人のほんとうにやさしい声が

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado el sonido y el abecedario
わたしに音と文字をくれた。
Con él, las palabras que pienso y declaro
それとともに、わたしが考え、話すことばをくれた
Madre, amigo, hermano
母、友、兄弟
Y luz alumbrando la ruta del alma del que estoy amando
わたしの恋人の魂の道を照らす光をくれた

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado la marcha de mis pies cansados
疲れた足でも歩けるようにしてくれた
Con ellos anduve ciudades y charcos
それを使い歩いてきた。いくつもの町、沼を
Playas y desiertos, montañas y llanos
浜辺と砂漠、山と平野を
Y la casa tuya, tu calle y tu patio
そしてあなたの家、あなたの住む通りとあなたの憩う庭を

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me dio el corazón que agita su marco
かごの中でときめく心をくれた
Cuando miro el fruto del cerebro humano
人の頭が考えたことが分かった時
Cuando miro el bueno tan lejos del malo
悪から遠く離れた善が分かった時
Cuando miro el fondo de tus ojos claros
あなたの澄んだ目の奥にあるものが分かった時

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado la risa y me ha dado el llanto
わたしに微笑みと涙をくれた
Así yo distingo dicha de quebranto
それで幸せと悲しみが区別できる
Los dos materiales que forman mi canto
わたしの歌を形作る二つの素材
Y el canto de ustedes que es el mismo canto
そしてその同じ歌があなたの歌にもなる
Y el canto de todos que es mi propio canto
そして私自身の歌がみんなの歌になる

Gracias a la vida, gracias a la vida
命に感謝、命に感謝




2012年8月11日土曜日

詰まったり、詰まらなかったり

昨日は、ピアノのお稽古だった。例によって例の曲を弾く。
今まで、生徒(小さい子をのぞく)を滅多なことでは褒めない先生が、「うまくなったじゃない」と仰ってくださった。
でも、うっかり「うっ、まく」と言いかけてしまったので、仕方なく最後まで言い切ってしまわれたようだった。
さらに、「やれば、普通に出来るじゃない」。それこそ行きがけの駄賃(7/6)で言っていただいた。この先生は、前記事のA先生ではない。うさぎブログのU先生とお呼びしよう。
ともあれ、最初が悪すぎたので、ようやく何とか詰まらずに弾けるようになっただけのこと。スラダンでいうと、花道がジャンプシュート決めて、花道を知る他校のチームがびっくりしている感じ。


私が長い間習っている割に、余りに進歩がないし練習もしないので、いつだったか、
「練習するのが好きじゃないのだったら、他にしたいことがあるんじゃないですか。ピアノでなくても、趣味はいろいろありますよね」
と、先日引用させてもらった斎藤雅広さん(8/2記)ではないが、先生にも私は言われたことがある。大変、ショックだった。私は、U先生に教えていただいていることが、大いなる喜びで自慢だった。U先生は、教師でもあるが、素晴らしいピアニストで、これ以上の先生はいらっしゃらないと思う。
うーん、破門?

そういえば、斎藤さんが、よもや私のブログに目を通されることはないと思うが、私に都合の良い抜き書きをしてしまったので、
あれでは読む人に誤解を生じていることだろう。もう少し丁寧にフェアな書き方をすればよかった。斎藤さんも、U先生も、いきなり学習者を門前払いをするとか、別の道を行けと言われているわけではなかった。
現に斎藤さんが、NHKの「趣味悠々」で教えていらっしゃるのを一度だけ見たことがあるが、初心者のために曲をアレンジして、音楽的に、弾く人も聞く人も満足できて共に喜べるように工夫をしていたし、とても丁寧に指導していたのが印象に残っている。
生徒を選び、ハードルを上げて、これを飛べない人は駄目よではなく、レッスンの場に利権も特権もそこには設けていなかった。

私が保存しておいた、その斎藤さんの「Q&A」は、プロを目指す人たちに向けての、覚悟を求める叱咤激励だったと思う。周囲から変人と言われてもやりたいのならやりとおせ、のたれ死にしたら親は骨を拾ってやれ、とまで書かれていた。プロになるなら、音楽でもスポーツでも、お金が掛かるというのも真実だろう。過激に見える部分以外をきちんと書いておくべきだったと反省している。まあ、大部分が意図的に過激だったが。

ところで、私の場合、私自身が進歩がなくて辛い以上に、U先生も苦しかった、つまらなかったのではないかと思う。いくら辛抱強く、練習の仕方まで細かく教えても、やってこない生徒には、時間もお金も無駄だと思われるのは無理がない。私も、友達が何かで行き詰まっているのを聞くと、気分転換や別のことをやればと勧めるもの。

要は、今回たまたま引用させてもらった教師としての斎藤さんもU先生も、生徒のやる気を問うていて、真剣な質問なら内容が稚拙に見えたとしても答えてくれただろうし、斎藤さんは生真面目にQ&Aで回答していた。斎藤さんに限らず、先生というものは、必ず何とか応えてくれる有り難いものだと思う。

ということで、私も生徒として、初心忘るべからずと姿勢を正すことにした。楽しみでやっているので、音楽を聞きかじるだけでも上澄みだけでも充分と思うけれど、レッスンでは、近頃なあなあで適当にやっているという感じで、先生には申し訳なかったと反省している。


さて、昨日は先生に持ち上げていただいたが、いつも通り、すぐ「口を開けたまま、しゃべるような弾き方をしない」、「リズムはウッ、ダダ、ウッダダではなく、ウタタウタタ」など変なところをいっぱい訂正していただいた。
どういう弾き方がいいか、自分でも試すように言われた。もちろん、前々からそうするようにご指導はあったが。その試行錯誤もあまり無駄なことはしないように、教えてくださっている。ただ、先生のお宅を一歩出ると、すっかり忘れてしまう。

気分が乗っている間に練習をしよう。私はいろいろとすぐ落ち込む質だ。人生球拾いのつもりで、気分を上げよう(この間、久しぶりに野球をちらっと見たからね)。

最後に、全然関係のない話。お金持ちのご一家がご近所にいらっしゃるのだが、とてもダンディなご主人に「こんにちは」とご挨拶をすると、「はいはいはい」と返事をしてもらったことがある。私のような貧乏人は、子どものようにしか見えないのかもと思った。


いやあ、お金持ちは、何事も煮詰まったりしないのだろうなあ。
「はいはいはい」。この調子で、しばらくやってみようかなあ。


2012年8月10日金曜日

気分転換


私は何かあると、すぐ気持ちがくさくさして、ぐれかける。
でも、火曜日、動画を見て大笑い。(いつものBOBさんブログで知りました)。

マリナーズの川崎選手のフェイク盗塁モーション。実況キャスターの大笑いに釣られて釣られて、元気になった。川崎選手の他の動画も見て、いいなあ、この人と思った。ダンスが上手なのが羨ましい。わたしもサインが欲しい。遠くからでも、もらえるようだ。




頭で解決しようとしたら、よくない。別に解決すべき問題でもないのに。だったら、私は何を抱えているのだろう。何も無いのに、何かあるふりをするのはやめようと思ったのを忘れていた。



もうひとつ、廣宮孝信さんの「国の借金」新常識(top)8月8日の記事。
  
私は、経済はよくわからないので、普段はC先生ブログでご紹介された廣宮さんのエントリータイトルを見るだけで精一杯なのだが、今日は自分で開いて拝見してみた。マクロもミクロも全然分からなくても元気が出てくる文章の力。エネルギッシュ。

”国の借金についての否定的観念の形成は、国民の心的エネルギーがネガティブに傾いているのが原因かも。マスコミや政治家は、原因ではなくて結果かも”以降、後半が特に面白かった。ありがとう!


*廣宮さん 当ブログ「島に橋 その2(2012,7/10)



2012年8月7日火曜日

音が分からないので「木」で選んだピアノ

我が家のピアノ購入記。

電子ピアノからアコースティックピアノへの買い替えだったが、「耳と手」で選ばなかった。全体の「木の感じがいい」という「見た目」で選んだ。かれこれ12,3くらい前の話になるだろうか。
最初、ピアノを選ぶのは簡単だと思っていた。希望のメーカーブランドがあったし、自分の運をあてにしていたので、お店に行けばすぐ決まると思っていた。
また、出来れば、黒い塗装のピアノではなく、最近の言葉で言うと「木目調」のピアノが欲しかった。我が家は借家で狭くて暗いので、アメリカのホームドラマで見るような、背が低くて圧迫感のない、インテリアに溶け込む茶系のアップライトピアノがいいなと思っていた。

そんな可愛い木目のピアノを、いつも店先に置いているのが見えるピアノ専門店、浜松ピアノさん(*後注)へ、まず下見に行った。憧れのお店である。そのお店は、ピアノの先生がピアノを買われたお店なので、なおさら他のお店で買うことは考えられなかった。弟子が先生に相談せず、勝手に買うわけにはいかない。
実は、先生というのは、今教わっている先生ではなく、当時同じマンションに住んでいらっしゃった方だ。国産の珍しいApollo(東洋ピアノ)ブランドのグランドピアノをお持ちだったので、ここではA先生とお呼びしたい。
A先生は我が家とは家族ぐるみでおつきあいくださり、先生には、細かなことでもよく気に掛けていただいた。楽譜どころか椅子まで要らないのを頂戴したこともある。その上、何度も、ピアノをそのうち譲ってあげるからお待ちなさいと言ってくださった。先生も人生の節目にいらっしゃって、老後のご予定を考えておられたからだった

先生のApolloはApolloでも、いわくつきのグランドピアノだそうで、ひょんな事情でA先生の元へやってきたらしい。どのピアノにも素敵な物語は付きもので、由来を聞けば、益々譲っていただくのを楽しみにしていたのだが、事情というのは変わるものである。これは無理だとそのピアノは諦めたが、初めてのレッスンで椅子に座ったときから魅せられて虜になっていた私は、買うならApolloだと決めていた。
こうして、意気揚々と出かけたのに、何とお店では取り扱っていなかった。私が不確かなことを書いて誤解が生じていけないのだが、先生のApolloピアノは、たまたま、お店の中古ルートでお嫁に来たようである。当時は、自社のまともなHPを持っている会社なんて大企業でも少なくて、電話帳の広告を見るほうが早かったくらいで、事前に取扱いメーカーなどを調べられなかった。そんな時代だったというのが、今からすれば不思議。

お店でApolloがないと分かると、後はもう狼狽えるのみ。
一気に緊張して早く出直したいと思った。若社長さんに弾いてもらったが、音の違いが分かるわけがない。初めから自分の耳は当てにしていなかった。期待していたのは、直感とか、天からの声だったのに、一向に啓示は降りてこない。よっぽど耳が悪いのだろうか。
と言いつつも、今、思い出したが、私は普段、Apolloを弾かせてもらい、若々しさはないけれど、低音が豊かで深みのある音に接しているので、ピアノに関しては「何か分かる」と思っていたのだった。でも、実際は全く分からなかったし、Apolloと比べてどのピアノもタッチが軽いのにも驚いた。

ようやく、見た目重視で選ぶつもりだったことも思い出したが、お店は輸入ピアノが中心でどれも素敵でこれも分からない。焦るばかりだったが、アップライトが群立しているような中に、木の感じが非常に好ましいピアノがあった。店先のお洒落なピアノやスタインウェイなどの超高級ピアノと比べると、かなり地味である。そのピアノを一回りすると何となく好ましい。その好ましさが何であるか分からない。地味なくせして予算を上回っていたが、カタログをもらって帰った。

カタログを見ると、実物よりも綺麗に撮っているせいか、木目が感じ良くて、気持ちがどんどん傾いてくる。カタログの効果は大きいと思う。見ていたら、本当に欲しくなってくるもの。

だけどこれを、天の声、直感というには、あまりにも心許いだろう。いい音で、一生大事にしたい、これよこれ、という出会いでピアノが欲しかった。何かどんでん返しはないだろうか。
とりあえずピアノの先生にご相談をして、一緒に付いて来ていただくこととなった。
お店でA先生はぱらぱらっと弾いては、どのピアノも、うーんいい音ね、迷うわねと仰った。ピアノの選択は、先生に委ねていた部分もあったので、ちょっと困ってしまった。先生にしてみたら、ピアノは高価な買い物なので、アドバイスはできても、これにしなさいとは言えない立場だろう。

子どもも連れて行ったが、ほとんど興味を示さない。これにはがっくりした。指差して欲しかったが、我が子にも天の啓示はなかったようだ。

それでも、候補が二つに絞られた。最初から気になった「木の感じがよい」ピアノ。もう一つは、そのクラスでは、コストパフォーマンスが最もよいとお店が一押しのお勧めピアノで、先生も音はとてもいいと仰った。夫は、その紫がかった色調の艶出し塗装のピアノを気に入っていた。夫は視力が2.0で間違いがないかもしれない。
でも、私は、その艶出しが、べたっとして見えてきた。確かに綺麗かもしれないが、私の好みからしたら、甘めに感じる。
それで、最初のピアノに決めた。堅牢で押しつけがましさが無く、控えめできれいだ。

結局、最初の直感じゃないの、と言われそうだし、よく思い出せば、カタログをもらった段階で気持ちがのめり込んでいたようだが、それはピアノを購入するという興奮であって、何だか違う気がする。「きれいな木目」というのもカタログからの後付け情報のような感じもする。「木の温もり」というのは大概のピアノにあるものだ。
なので、何となく佇まいが好ましかった、全体としての「木の感じ」がよかったと繰り返し言うしかない。
そして、こうして木で選べたのは、目の保養のため家具屋さんによく出かけていたせいかもねと、家族には何百回と話している。その割に、木材の知識はなく、この家具(ピアノ)は何の木から出来ているのかと尋ねられても、まったく分からない。黒い塗装だったら、本当に迷ったことだろう。音には違いがないそうである*。

後日、納品されて、我が家にぴったりと収まった。最小サイズなのに、よく鳴り響く。音も澄んでいて明るく、ギターのような音色がする。これをいいと言う人もいれば、単調で好きじゃないという人もいるようで、様々だ。楽器の個性なので仕方がない。
でも、私は、音もタッチも分からず、よく無事に「自分のピアノ」を選択できたものだと、しみじみ思う。私には申し分のない、いいピアノである。もし、最初の下見に行った日に戻ったとしたら、同じ物を選べるかどうか、それは分からないけれども。
そんな「偶然の必然」で、運良く出会って手に入れられたと思うと本当に感慨深いが、これがこのピアノの唯一の物語かもしれない。このピアノの記事を書くのに、やたら時間が掛かった。それだけ控えめで忠実なピアノとも思える。この購入記もApolloの話が半分ではないだろうか。

あのピアノを巡る話のほうがずっと面白くて、あっという間に書ける気がする。ピアノだけではなく、私は一時期、自分の人生の半分はA先生で出来ているのではないかと疑っていたこともある。その先生も、引っ越されてしまった。A先生もApolloピアノも遠くなりにけり、である。


浜松ピアノ社(広島)  とても綺麗な楽器屋さん。家具屋さんと通じるものを感じます。

*ピアノの塗装については、当然楽器店や調律師さんたちのHPが詳しいですが、廉価版の木目よりは、黒い塗装ピアノが丈夫と書かれていたものがありました。要は手入れ次第ですね。




2012年8月6日月曜日

埃を払ってやりました

前記事で、ピアノの購入やメンテナンスについて、うろ覚えのいい加減なことを書いてしまったと気になって、ピアノ販売店や調律師さんのHPを幾つか見てみた。

ピアノの購入に当たっては、国産であろうと輸入であろうと、新品でも中古でも、品質が確かで気に入ったのを買い、とにかく大事にしてあげる。というのは、ピアノには寿命がある。外側が木材で出来ているので家具と同じように思いやすいが、車と同じで一種の精密機械を内包している。それらは消耗するし、木材も経年劣化する。日頃のお手入れが大切。古いピアノが蘇るのは、元々の材がよかったのと、オーバーホールや調律などのメンテナンスによるもので、相応の出費が必要となる。


と、大雑把にまとめてみたが、調律師さん達のHPをあちこち拝見するうちに、私は、お稽古の心構えと同様に、ここでも初心を忘れているのに気がついた。我が家のピアノをもっと大事にしなくては、と慌てて乾いた布で埃を払ってやった





Jaccha Heifetz
 Fallaの
「 Spanish Dance」




Balkan Dances(7/12)の関連動画で見かけたと思うのですが、
Fallaの「スペイン舞曲」が気に入って聞いています。


ハイフェッツをもう一曲。

Mendelssohn
Violin Concerto
Heifetz
Cantelli指揮



こちらは、ピアニスト斎藤雅広さんのマサヒロ瓦版
ー ハイフェッツのメンデルスゾーン
旋律はちゃんと歌い抜かれているからさすがだ。
甘美な曲を甘美に弾かない(笑)ー
惹かれて聞いてみました。






2012年8月2日木曜日

調律前に思い出したこと、選り好みの権利はない

梅雨で湿気たピアノの調律をお願いしないといけない、と思いながら日が過ぎている。


ピアノの部屋には除湿器は置いてあるが、かなり熱が出て、狭い部屋なのでその場にいられないほど暑くなる。エアコンで、24時間一定の温湿度に保つのが理想的である。だけど、そんな余裕はない。


ちょろちょろと弾く程度だから、まあ年に一回調律すればいいでしょう、と思っているが、「楽器のメンテナンスにお金を掛けられないような貧乏人は、音楽をするな」という言葉が浮かんでくる。


そうそう、ずばっと、


ピアノなんて、ばんばん買い替えなさい、輸入ピアノなんてなおさらよ、外車と同じでメンテばっかり必要。その点、国産ピアノ、ヤマハはいいよ。
ピアノに時間もお金も掛けられないのなら、やらなくていいよ、他にやることあるでしょう。


となかなか大胆なことを仰っていた方がいた。ピアニストの斎藤雅広さんだ。斎藤さんはヤマハで講師だけではなく、アドバイザーみたいなことをなさっているためか、それを割り引いても、ピアノ購入の選択肢については他に聞いたことがないご意見でなるほどと思ったものだった。

これは以前、斎藤さんのブログで拝見した記事だったが、そのブログには「ピアノQ&A」のページというものがあり、読者からの質問に答えられているのが、特に面白かった。
参考になることばかりだったので、一部保存しておいた。読み返すと一層面白い。今、斎藤さんのHPには、そのページが見あたらず、NHKの「趣味悠々」講座をされていたときのQ&Aとも違うようである。後でゆっくり検索して見てみたい。


さて、その「ピアノQ&A」は、斎藤さん自ら文中で「別名お仕置き部屋」と言われていた。プロのピアニストを目指したい、あるいは子どもを音楽家への道に進ませたいという読者の悪意も他意もない投稿に斎藤さんが容赦なく真摯に返答され、質問者の脳天気さが浮き彫りになってしまうのだが、私も一緒にお叱りを受けている気分になってくる。私はただの趣味でプロを目指すとかは関係ないが、投稿された方々の無邪気さはそのまま通じる。よくぞ投稿してくださったと思う。


斎藤先生のお言葉

「あなたは何でもご自分で試そうとはせず、略〜、『人がこう評価したから』で判断して、なるべく無駄をしないでお金もかけず楽して、世を渡ろうとしているとしか思えません」
  ー これは別の回答で「器用に立ち回るな」と仰っていたのと通じると思う。

「文化というのは、そもそも時間とお金と労力を費やすもので、


人にものを聞けばすぐ答えを得られる等と考えているのなら、改めるべきだし失礼です。私は『お答えロボット』ではありませんし、


時間とお金を使ってCDやコンサートで何十人もの演奏を聴き、楽譜も何種類もの権威ある楽譜を買い揃えて勉強し、略〜、先生方のレッスンも受けられ、様式を把握してからここにいらっしゃい。
人に質問し答えてもらえるためには資格がいる、無勉強・無教養であってはならない」


他にも、伝統を継承する正しい読譜力をつけていく、練習は緻密に、地道なことができないような子どもならやめたほうがいい、と厳しいようで親身な細かいアドバイスが綴られている。
私も、ピアノの先生によく言われるが、練習は「急がば回れ」だなあと思う。


斎藤先生のお言葉で今日は締めくくろう。
「どんな課題曲であっても、あなたに才能があればよい曲に聴こえますし、やる気があれば努力したことはすべて実になるものです。勉強する身で選り好みする権利などないと知るべきです」


はい、その通りです。
いくら趣味で弾いているとはいえ、この曲は嫌だ、と選り好みする権利はないのかもとちょっと謙虚な気持ちになった。それよりも、近頃レッスンでは、大人の趣味だから、好き勝手させてください、いいでしょ、という態度になっていたのではないだろうか。
と深く反省した。


一曲の代わりに


お豆腐の上の大葉は
私が切りました。
なんと不細工なのでしょう。
いつも手を抜かず綺麗に切る夫とは違います。
とうもろこしも適当です。


私の弾き方と同じです。