2012年11月30日金曜日

郵便屋さん、ありがとう。

いろいろ書きかけたが、省略して、
郵便屋さん、無事配達してくださって、ありがとう。

先様は、体調不良などの事情があって今年2度も転居されていたそうなのに、私は知らなかった。あちこち回ったようだけれど、無事届いたと連絡をいただいた。

体が元気だと気力も出るよねえ、とお話をした。
と、ここでまた、いろいろ書きかけてしまうので、略して、終わろう。

ともかく、よかった。

Eメールも思えば、いつも無事届いたり、頂いたりで、有り難い。





2012年11月29日木曜日

連れ連れ

今日の徒然。

洋服ブラシを買いに行ったときのこと。「うさぎの切りかぶ」のほうにも書いているが、少し別の話。
デパートの実演販売に行ったときは、ちょうど先客が帰る間際だった。次に私がお店のおじさんから説明を受けていると、いつの間にかお客さんが、3,4人集まって来ていた。
一緒に連れだってお買い物中のお客さんではないようだった。

他に買い物客も見あたらないフロアの一角が急にざわめいて、私は一人でお客さんを引き寄せたみたいに思えて嬉しかった。
こういうことは、夫と一緒の時によく起こる。
買い物はいつも夫婦で行くのだが、失礼ながら閑古鳥が鳴いていたお店の中に入ると、いつの間にか、どこからともなくお客さんたちが寄って来て、突然賑わい始めることが多い。

たぶん、私達とお店のミスマッチ具合に、
「中年の夫婦が寄ってみているなんて、何かいいものあるかしら」とか、
「あの人たちが入っているくらいなら私も入っても大丈夫ね」とか、
安心感を与えているのだろう、間違いない。

特に夫は、一人で店にいても私が一緒でも、いつのまにかお客さんを呼んでいる。
これが容姿によるものだったらよいが、そうではない。夫を連れてあちこち出歩けば多少、招き猫程度の経済効果があっていいのかもしれないが、買い物に出かける用事がないのが残念だ。

ところが私一人となると別で、お客さんを呼び寄せたことはないと思う。二人だと私も普通に見えるのに、一人だとあっという間に存在感がなくなってしまう。
それで、今回、ブラシの実演販売箇所でお客さんが増え、よいサクラになった気分でとても嬉しかった。
と思ったが、後からバラバラと集まってきた人たちがサクラで、私の買い物気分を盛り上げてくれていたのかもしれない。
買い物は相互に盛り上がると愉しい。

人を呼び寄せるほどではないが、小さなことで私はラッキーというか、シンクロめいたことが続いている。
いろいろなものが関連して出てくる。と、またツラツラと書いていたが、略。

ただ、あまりよい話ではないのもある。
メキシコが主な舞台のマット・デイモンの古い映画「すべての美しい馬」を以前見たが、最後のほうで判事が言ったことが気に掛かり見直していた。
前は飛ばし気味に見ていた、「煮ても焼いても食えないような少年」が、主人公達から離されて連れて行かれるシーンを見た後で、現実世界でのメキシコの悲しいニュースを知った。あそこは私には怖い話ばかりで、ほくほくしたカボチャをどうして作っていられるのか不思議。

最初の話に戻って、お客さんを引き寄せられる自慢をした割に、我が家にはお客さんがほとんど来ないのは、どうしてだろう。
何もミスマッチがないせいだろうか。
あまりにも私達は、古いビルに馴染んでいてサプライズが無い。

それに、私が逆さまにした箒を手に持って離さない感じだからかな。
いや、永遠に帰らない先客だからか。
来年は、お客さんに少々来ていただけるように、気持ちをオープンにしておこう。

*映画「すべての美しい馬」(wiki.jpビリー・ボブ・ソーントンが監督

映画のラスト近く、法廷で判事は、主人公ジョンの数奇な体験を聞いて、「嘘つきは自分のついた嘘を忘れてしまう」とその話が嘘ではないと無罪の判決を下すのですが、ルーピーを始め、現政権はみんな嘘つきですね。



2012年11月25日日曜日

自分で自分の首をしめない、その2

前回の続きで、ピアノのお稽古に関連することを書こうと思ったけれど、書きたかったことの大半は忘れてしまった。
要するに、弾き始めはテンポと曲想を思い浮かべ、自分の弾ける速さで弾き始めないといけない。なのに、弾けるところの速さで弾き始めるから、難しいところになるとテンポが落ちてしまうか、急いで弾いてミスをしてしまい、それは自分で自分の首を絞めているようなものだ。

ということを何十回も先生から注意されている。
最初、ほんの何秒か時間を取るだけでいいのに。それを惜しんで急ぐからいけないらしい。

私は、体や指が覚えているかと思って弾き始めるのだが、何でも準備無しでいきなりは無理だもんね。

ところで、この間のお稽古ではなかなか腑に落ちることが多く、おまけに休日で雨だからと迎えに来てくれた家人(夫と書くと嫌がる)との帰り道での会話も、有意義だった。
昼前だったのでお昼ご飯の話になっていたのだが、家人は、おネギの切り方や盛り方の話を始めた。女性(私)は「投げるように盛りつける」が、男性(料理家や家人)は「そっと置く」というのである。
女性は手際ばかりを重視して、手間を抜きがちで、ささっとやってしまう。
反対に男性は盛り付けに十分に時間を取るという。大きなものを扱うときは大胆に。細かく切るときは繊細に。
「繊細なときほど、ゆっくりとした動作でやるんだよ」と家人が力説する。

ふんふんと聞きながら、レッスンで先生から注意いただいたことを思い出す。

8分音符や16分音符が出てきても、急がない。速く弾いて誤魔化さない。十分に時間を取ってもいいくらい。とにかく、あわてない。

反対に4分音符ははしょりすぎで、音価が短くなりがち。
特に私は音が前に行かないで真下に落ちていく弾き方になっていて、実際の長さが足りないのに一休み入った感じになっていて、次の音につながらず、
「いつまで指を置いておくの、伸ばしているの、次は何なの?、と聞こえます」と先生がよく仰る。

と、おネギの切り方を音楽に転換して話を聞いていたが、家人が「送迎付きで優雅なお稽古だね」という。
うーん、何とも地味な古い車に乗り降りするオバQです。お稽古も不況で回数を減らしています。

そうだそうだ、自分で自分の首を絞めることもできるけれど、自分で自分を解放することもできるのだった、そういう話なのだがまた今度。





今日のもらいもの


たまにはこちらにも。




*ステンレス皿は、香川のSteal Factoryさんです。






2012年11月20日火曜日

自分で自分の首を絞めない、その1

春は春で大騒ぎしたが、秋は晩秋の小春日和の日、スカートを買った。

もう幸せです。ありがとう。

私は、小さい頃から紺しか似合わないと言われ、経済的な事情もあって母からあてがわれたものしか着たことがなかった。成人して洋服代にお金が割けたのも一時で、子どもが生まれてお母さんの格好をしだしてからは、そのままである。
いや、ちょっと普通のお母さんとは違っていたかもしれない。というのは、他の人と違う方向を向きがちだったからだと思う。明後日ってではなく、一昨日くらいの方向。
でも、人は皆、好き勝手な方向を向いていると思う。

話を戻すと、と、いろいろ書いたけれど略して、

この春から、服の経年劣化や自分自身の加齢ということもあって手持ちの洋服を見直し、無理してでも必要なものは新調してきた。

今回の買い物は、ニットが一番の目的で、パンツの色違いを来年に備えて見るだけ見ておくつもりだった。
お目当ての店に寄るとスカートが掛かっていた。
洋服のお店なのでそりゃそうなのだが、それを手にとって、世の中の女性が普通にスカートを買うように、私も買うことができた。これが春以上に嬉しい。
自分がスカートを履くということが単純に嬉しい。
いやあ、性別が分からなくなった人がこれです!と開放されたみたいだけれど、本当にそれくらい嬉しい。

自分で自分の首を絞めていたんだと思う。パンツのほうが便利だとか、節約しなきゃとか、スカートなんて着る機会がないだろうとか諦めていた。老後を諦めるほうが簡単だった。



スカートはこれです。

膝丈よりほんのちょっと上です。
何かと合わせたのはまた今度切りかぶに。



ごく普通のスカートかな。


友人が旅行先のイギリスから
送ってきてくれたポストカード




これは、男性がスカートを履いているのじゃないかと思うのだが、家人は女性だと言う。こんな顔をした女性がイギリスには多いのではないかと。そう?
WOMENSってあるけれど。
私がスカートを履くとこんな感じになるのではないかと、家人は恐れていたのかもしれない。

ところで、自分で自分の首を絞めないというのは、よくピアノのお稽古で先生から注意される。でも、長くなったので、また今度。



*ああ、アマゾン。C先生のところで紹介されていた。
我が家もアマゾンで購入が多いけれど、赤字で売れというのはどうだろう。
安く安くで結局、コスト削減、リストラで買い物できる消費者がいなくなる。

C先生のブログタイトルは、ちょっと恥ずかしくて書きにくいです。私も女性だからということにしておこう。





2012年11月19日月曜日

スザーノのいないハミルのような

先日、定期検診のため、主治医に診てもらいに病院へ行った。

この検診日は予約制だとはいえ、安心できない。この日のために万全の体調を整えなくてはならない。病院へ行くにも待合室で待つにも体力と気力が要る。
何か特に病気ではなくても、体調がひどく悪いときというのは、ただ横になって寝ていたいもので、これまでにも具合が悪くて検診の予約を取り消すために、うなりながら電話をしたことが二度ほどある。そして、電話予約は出来ないので、次は飛び込み扱いで、延々と待たなくてはならない。

さて、前に面長という言葉が出てこず、失礼なことを書いてしまった主治医のことだが、この背も鼻も高くきれいめな先生が、患者を呼ぶときにどうしてアホっぽい声を出すのかいつも不思議だった。

でも、それは一種の照れかもしれないと思った。
何もかも高得点の人間でいるとかポーズに力が入っているよりは、少しくだけた感じのほうが、この先生には楽なのかもしれない。患者のほうも、緊張がほぐれる。そうそう、私がお世話になっている女医さんで眼科の先生(最近ご無沙汰しているが)にも、そういう方がいらっしゃった。

と勝手なことを考える。余計なお世話でごめんなさい。

ところで、全然関係ないが、ヴィトール・ハミル(Vitor Ramirラミルではなく、ハミルと発音するそうです)というブラジルのミュージシャンがいる。この人と同じブラジルのパンデイロ(タンバリン)奏者マルコス・スザーノが加わった共同名義のアルバムがある。
『Satolep Sambatown』(2007年)。
私はこのアルバムしか聞いたことがなく、のうちの一曲「Cafe da Manha」が好きなのだが、残念ながら動画はアップされていない。
「Cafe da Manha」にこだわって動画を探したせいか、ハミルのよい感じのが出てこなくて、若い頃やライヴの動画を見ると、何だか力が抜けてくるし、マイナス面ばかり感じてしまうのは、『Satolep Sambatown』がいいからだろうか。

さすが、スザーノ・マルコス。ってずっと書いていましたが、マルコス・スザーノの間違いでした。何で間違えたのかしら。

でも、ハミルは、面白い曲を作っているような気もするから、ときどき聞いてみよう。

Vitor Ramil
Cafe da Manha
1996年
(スザーノなしで、残念)



歌詞はまた。


これはスザーノが加わると、断然格好いいので、どんどん無料で公開してほしい。そのほうがいい宣伝になると思う。

最後に。動画の若い頃のラミルさん、主治医に似ているかもしれない。面長なところ。

ラベルがレニーニなのは、マルコス・スザーノとレニーニのアルバムがあるからです。
Olho de Peixe(魚の目)1993年。



2012年11月17日土曜日

今週の覚え書き


レスピーギの連弾曲集「六つの小品」で別の動画が見つかりました。前の記事にも貼り付けさせてもらいましたが、ここでも。
正直、あまり曲調が好きじゃないのですが、クリスマスに向けて一曲練習中なのと、演奏も絵も素敵だったので。


Respighi
six little pieces,for 4 hands






No.561   ロムニーさんと現首相の災害対策軽視・明治の教訓15メートル堤防が村を守る 岩手
廣宮さんのまとめ 「大きい」「小さい」よりも「機能する政府こそ必要」に賛成

でも、記事冒頭に、N経の記事を引用されていて、それに「ブッシュ大統領(当時)がハリケーン・カトリーナの対応に失敗」とあるのですが、私は苺畑さんの記事を拝見しているので、そうは思いませんでした。きっとN経なのでそれはともかく、ロムニーさんが緊縮財政派と聞いて困るなとは思いました。ケチではお金が回りません。リストラしたら、ものが買えない消費者(消費者というのでしょうか)が増えて、どんどん、どん底に。

ところで、ブッシュ前大統領は、靴をよけられるし、すぐジョークも返せるところがよかったと思います。切れて怒る政治家ではありませんでした。

靴といえば、ライス元国務長官がフェラガモの靴を買いに行っていて非難された話も忘れられません。
でも、もうこのお二人も遠くなりにけり。






2012年11月15日木曜日

優しくて暖かなサンバ



昔昔、友人の友人がカセットに音楽を入れて送ってくれました。
アルバム「素晴らしきサンバの仲間たち」(1976年録音)*からは一曲、
Mano DecioのSAUDADE  DO PASSADO(懐かしきあの頃)
心温まるサンバです。

このアルバムをYouTubeで何曲か聴きましたが、
どれも良い曲ですが大体同じ感じ、というか、
一曲をたまに聴くと心和む気がします。


Mano Decio
SAUDADE  DO PASSADO




訳はこんな感じではないかということです。


Hoje tenho o dom de um novo canto
今日は新しい歌の贈り物がある
Meu samba é mensagem de lamento e prantos
ぼくのサンバは嘆きと涙のメッセージだ
Com o rufar dos meus pandeiros
ぼくのタンバリンの伴奏を付けて
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Sinto em mim
ぼくの中に感じてくれ
Uma saudade que o passado me deixou
あの日々がぼくに残した郷愁を
Mas a tristeza não me dominou
しかし悲しみがぼくを支配することはない
Meu samba é nostalgia
ぼくのサンバが郷愁なんだ

Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる




*日本での発売は最初が1980年、次が1990年のようです。



2012年11月14日水曜日

ああ、少し近くなったような


日本、増税ばかりで気が滅入り、お給料は削減され、復興予算はとんでもないところに使われ、政策は左に曲がります、というトラック以上で、もう鬱になりそうだった。


今夜は小躍り。
歌詞とは関係ありませんが。

Carlinhos Brown
Seo Ze




訳はいつものところからです。「箱と曲」
(工事中)  

Seo Zé
(セオ・ゼー)

O Brasil não é só
ブラジルはただ
Verde, Anil e Amarelo
緑、青、黄色だけじゃない
O Brasil também é
ブラジルはまた
Cor de Rosa e Carvão
ピンクもチャコールもある
Patrimônio de Antônio
聖アントニオの遺産
Anônimo nômade
無名の遊牧民
Homem que rompe Adão com facão
アダムがマチューテ刀で倒した男
Seo Zé
セオ・ゼーは
Tá pensando em boi
考えているんだ
Bananeira Sangrou
バナナを食わされる雄牛のことを

Mais um pro Baião de dois
バイオン・ヂ・ドイス(料理)をもう一つくれ
Lampião findou cabôco
悪党の親玉ランピオンはカボーコ(?)を平らげた
Vamos chamar
呼ぼうよ
Brás Cubas
ブラス楽団を
Pra dançar quadrilha
4人ダンスを踊るために
Pra subir pra Cuba
キューバに行くために
Com toda família
家族みんなで
Se encontrarmos Judas
出遭ったら
Celebrando budas
ブッダを祝福しているユダに
Perfilamos mulas
ラバの絵を描こう
Pra abalar Belém
ベツレヘムを揺さぶるだろう
Seo Zé
セオ・ゼーは
Tá tangendo em boi
雄牛で遊んでいたんだ
E a porteira serrou
ゲートはかんぬきがかかっている
Quem foi nunca mais se foi
彼は絶対来なかった
A roseira flororô
君が花の咲いたバラだったら

Seo Zé tá pensando em boi
セオ・ゼーは雄牛のことを考えているんだ
Seo Zé tá pensando
セオ・ゼーは考えているんだ 



*セオ・ゼーは伝説の盗賊団の頭だったそうですが。brazil ポルトガル語ではbrasil
*国家の目的 2012.11.14 三橋貴明さん「新世紀のビッグブラザーへ」
*待ちに待った衆院解散・総選挙  阿比留瑠比さん


2012年11月12日月曜日

適当に、てきとわ

過去記事を少し見直したら、動画が消えているものがあった。
そういえば、10月から違法DLの罰則化、リッピング規制など著作権法が改正実施されるのだった。
うーん、「もう、誰も音楽なんかにお金を払わないですよ」「音楽にお金を払うこと自体間違っていたのかもしれない」と仰った大物歌手お二人のお言葉を思い出す*。
もうお二人はさんざん儲けていらっしゃるからいいけれど。

業界は、規制規制で結局は自分たちの首をしめているのじゃないかという人も多いと思う。どんどん彼方此方で音楽を流していかないと、私のようにテレビも見ない、新聞も読まないではどうやって新しい音楽を知ることが出来るのだろう。
でもまあ、強制的に流れてくる音楽よりも、個人的に好きな音楽を聞く方が断然楽しいが。
口ずさんだだけで、はい罰金という時代が来ないように祈ろう。気がついたら、いろんな法律が通っているらしい。

それにしても歌って、愛に苦しんだり、反社会的、リベラルで自由な世界を望むものが多いのは当然かもしれないけれど、私はどうも性格が愛についていけない。世界が愛と幸福に包まれていたらどんな歌が流行るのだろうか。

愛という言葉が出てこない歌。
この歌には何か社会的な背景があるかもしれない*。でも、お前も俺もどっちでもいいじゃないか、と思いつつ、明確に区別しておきたいこともある。よそのひとに土足で上がりこまれたら嫌だもの。
訳はいつものところから。



Rashid Tahaの

Tekitoi (お前はだれ) 2004年




tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?

té pas qui té pas quoi
お前は誰でもない、何でもない

tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?
mais moi tekite quoi
しかし、俺、お前はだれ、お前は何

n'oublie pas q'avant toi
忘れるな、お前の前に
y'en as d'autre que toi
お前じゃないやつがいる
et qu'après toi crois moi
で、お前の後、信じろよ
y'en auras y'en auras

tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?
té pas qui te pas koi
お前は誰でもない、何でもない
tekitoi té qui moi
誰だお前?誰だ俺?
mais toi té qui té quoi
しかし、お前は誰?何?

y'en auras d'la bavure
染みが付くぞ
et té coller au mur
で、壁にのり付けだ
et dans ce tas d'ordure
で、このゴミの山に
y'auras ti toi y'auras ti moi(x2)
お前は来る、俺は来る

y'auras ti les langue de boie
つまらん言葉が来る
des ciel en tout cas y'en auras
空、とにかくそれは来る
du sang qui cool y'en auras pas

流れる血、それは来ない
tekitoi tekimoi
お前はだれ?だれだ、俺?
te pas qui té pas quoi
お前は誰でもない、何でもない
tekitoi tekimoi
お前はだれ?誰って、俺?
mais toi te qui te quoi ?
しかし、お前は誰?お前は何?

y'auras ti toi y'auras ti moi
お前は来る、俺は来る
y'auras ti les langues de bois
つまらん言葉が来る
des ciel en tout cas y'en auras
空、とにかくそれは来る
du sang qui cool y'en auras pas
流れる血、それは来ない

il était k'une fois
昔のことだ
ou sa ne finiras
それは終わらない
mais tout sa, mais tout sa
しかしそれみんな、しかしそれみんな
c'est entre toi et moi
お前と俺の間にある

t est qui dit moi si t'est pas toi
お前は誰、言えよ、お前がお前じゃないなら
si t'est pas moi dit moi t'est qui
お前が俺じゃないなら、言えよ、お前は誰

tekitoi, tekimoi, tekitoi
お前は誰、俺は誰、お前は誰

tekitoi tekimoi
お前は誰、俺は誰
te pas qui té pas quoi
お前は誰でもない、何でもない
tekitoi tekimoi
お前は誰、誰だ、俺
mais toi te qui te quoi ?
しかし、お前は誰、お前は何?

n'oublie pas q'avant toi
忘れるな、お前の前に
y'en as d'autre que toi
お前じゃないやつがいる
et qu'après toi crois moi
で、お前の後に、信じろよ
y'en auras y'en auras
そんなやつが来る、来るんだ


*これは、BOBさんという方の2011年、8月14日記事。
YOMIURI ONLINE、エンタメの「yuimiyoriな話」第36回最終回について書いておられます。
(YOMIURI ONLINEには元の記事はもうありませんが、検索すればいろいろな方の記事に出てきます)

対談の途中で、「19世紀の頭頃に出版社ができ、楽譜というものを売り始めて〜」というのがありますが、輸入楽譜はとても高いです。

*ラシッド・タハについては、この曲しか知りません。



2012年11月9日金曜日

ニットには、ほつれのん

スーパーで買い物をし、持参の小さな折りたたみ袋(エコバッグ)にあれこれ詰めていたとき、バッグのマジックテープにストールがからみついてしまった。
去年まで、ストールを巻いて長く垂らすなんてことがなく、せいぜいがマフラーなどを巻いて上着に押し込むことが多かったので、こういうのは初めてだった。

冷や冷やしながらストールを剥がした。スーパーのレジ袋は前のようにロゴ入りで結構、そこで買い物したよと広告するから、名目「無料」配布して別のところで価格に転嫁してくれるほうが、いいなあ。それにもう物の価格なんてよく分からない。

ストールは破れはしなかったものの、毛羽立っていた。糸が出ているところは、「ほつれのん」を適当に刺して、目立たなくした。「ほつれのん」とは長いお付き合い。







ほつれのんを突き刺して、裏へ通す。


すると何事もなかったかのように、
ほつれが収まってくれるのですが、
意味のない撮り方をしていると気がついて、
ここで止めてしまいました。
また、切りかぶのほうに載せます。

ははは。


ほつれのん(京都のみすや忠兵衛さん)

もうひとつ。乗り物がすきなので。でも、乗れるのは自転車だけ。
ライブドアの痛いニュースに、広島の会社の「タケコプター」ならぬ「一人乗りヘリコプター」(広島県府中市ヒロボー、松坂晃太郎社長)が紹介されていた。


「時速100㎞で30分間飛行が可能な電動ヘリコプター! 
電動式のためエンジン式に比べて騒音が少ない」




画像もお借りしました


ヒロボーさんのボーは紡績の紡だそうで、もとは「広島紡績」。前社長松坂敬太郎氏(2011年死去)が業種転換されたらしい。無人ヘリコプターの会社として知らない人がいないそうなのだが、私は全く知らなかった。
ヒロボー株式会社home




2012年11月7日水曜日

ああ、何だかいろいろ遠ざかっていく

タイトルとは関係ない話。
皮膚科へ行くと、「11月12日は、いいヒフの日」というポスターがあった。ポッキーの日の翌日だ。蕁麻疹は落ち着いたが、ふと加齢のせいで、発疹やかゆみが起こるような話を思いだした。

ところで、前回の11の占い?とかで、書き込んだ4曲のうち、最後がレニーニの「Jack Soul Brasileiro」 だった。わたしの○○を表すらしい。家人は、ちょうど歌詞を訳していたラサ(Lhasa de Sela)の曲にしていた。ラサはお父さんがメキシコ人で語学研究者、お母さんはアメリカ人で写真家・女優、キャンピングカーで育つ)

曲はYouTubeでもアップされているが、ほとんど聞いたことがない。歌詞だけ写させてもらった。




El payande(パヤンデの樹)



Nací en la playa de mar y arena,

わたしは海と砂の浜辺に生まれた

Bajo la sombra de un payande.
パヤンデの樹の陰だった

Como mi madre fue una esclava,
母さんが奴隷だったから

También la marca yo la llevé. 
同じようにその印を付けていた


¡ Ay !
ああ
Suerte maldita de llevar cadenas,
鎖を付けるなんて呪われた運命
Y ser esclava, 
奴隷だなんて
Y ser esclava de un vil señor.
下卑たご主人様の奴隷だなんて

繰り返し





***


*映画 「マンディンゴ」(1975年)見ていませんが。レンタルする勇気もあるかどうか。BOBさんという方のところにご紹介記事があります、2011.3.19記事。

映画「リンカーン 秘密の書」(2012年、ティム・バートン、ティムール・ベクマンベトフ監督wiki.jp)というのが公開中だとは知りませんでした。
こちらは、デジタル・クワルナフさんの記事で(2012.11.4)で知りました。リンクが変かも。
同じくクワルナフさん(2012.9.02安彦良和さんの「古事記」や「ヤマトタケル」をいつか読んでみたいと思いつつ、コミックや書籍を購入する余裕がないのが残念。
冲方丁&三宅乱丈「光圀伝」も面白いと聞いています。





2012年11月4日日曜日

今週の覚え書き 縦に11。

11月は豪勢に1ばかりが並び立っている日が多いような気がする。実際は11.1, 11.11だけだけど。
そのせいか、11の項目を書き込む占い?を思い出した。2007年くらいに、ともさかりえさんのブログで紹介されていて流行ったそうだが、私がやってみたのは3,4年前だった。
人名や曲名を書くのは覚えていたけれど詳細を忘れていて、紹介してくれていたブログも閉鎖されたようで分からない。検索してみたら、幸いにもやり方を書いてくれているブログが幾つか出てきた*
縦に1から11まで数字を先に書いておき、指示に従って、興味のある人(異性)の名を書いたり、知り合いの名を書き込んだりして、最後のほうは歌のタイトルを書き込むことになっている。

私は、一体どんな曲を書き込んだのだろうか。最近、いろいろと気を取られるがあって、音楽をゆっくりと聞く暇がない。書き込んだ人の名は覚えている。家族の他は、著名人二人。実はその二人や音楽にまつわる結果が面白かったので、この占い?を気晴らしに書き込んでみた紙の端切れをまだ持っていた。

著名人というのは一人はハドリアヌス帝で、もう一人は当時の首相である。だから、3年くらい前だと覚えていたのだが、今なら誰を書き込むかなあ。
それよりも驚いたのは、音楽の選曲だった。よく当たったという記憶しかなかったのだが、改めて見ると面白い。うーん、これもまた今なら何を選ぶだろうか。
まあ、皆さん、やってみてください。*「占い?ーつれづれ」さん

でも、1番の横には数字を書き込むのだけど、これは意味があるのかな。


続けて数字の話。C先生のブログで紹介されている記事を拝見しては、世間の動きを教えてもらっているのだが、先日は、一年で7,500~7,600億円の赤字を2年続けて出した会社の話があった。掲示板に書き込む人は皆面白い。
一日あたり20億はともかく、
「0.01秒で230円幾ら、たいしたことがない」。
このセンス、いいなあ。そして、次の人が一秒で24000円、一分で幾らと書き込みが続く。

また、あるブログで「イマドキの経済人の言葉」というのが紹介されていた。気になって検索すると、つい2,3日前から遡って2010年、2008年と割と前から幅広く紹介されている記事のようだ。
さて、その「イマドキの経済人」の言葉を読むと、げんなりする。豊かさが丸っきりない。デフレ大魔王に仕える鬼たちみたいだ。
かといって、「昔の経済人」の松下さんも、安く安くと値段を下げてくれて有り難い神様のように思えるが、工場の海外移転は早かったと聞くし、結局従業員を大事にせず、製品も消費者も安物にしてしまったのかもしれない。
わたしも価格を比較して安い物をもちろん探すけれど、本当に欲しいものは、デザインがきれいで壊れず、お金を出す価値があるものだろう。

最後に。さっきの一日あたり幾らと計算してくれていたサイト、今度は別の会社の、6段階下げの説明が面白かった。軍隊でいうと、少佐から軍曹に。みんな博学で反応が早い。
少佐   この辺にいたのが、
大尉
中尉
少尉
准尉
曹長
軍曹   だそうだ。

でも、どうして日本、こんなになってしまったのだろう。
国家破産や借金の脅しに負けないほど、円が強いせいか。

そうこう書きながら、この土日もデフレに協力したような過ごし方だった。