2012年11月29日木曜日

連れ連れ

今日の徒然。

洋服ブラシを買いに行ったときのこと。「うさぎの切りかぶ」のほうにも書いているが、少し別の話。
デパートの実演販売に行ったときは、ちょうど先客が帰る間際だった。次に私がお店のおじさんから説明を受けていると、いつの間にかお客さんが、3,4人集まって来ていた。
一緒に連れだってお買い物中のお客さんではないようだった。

他に買い物客も見あたらないフロアの一角が急にざわめいて、私は一人でお客さんを引き寄せたみたいに思えて嬉しかった。
こういうことは、夫と一緒の時によく起こる。
買い物はいつも夫婦で行くのだが、失礼ながら閑古鳥が鳴いていたお店の中に入ると、いつの間にか、どこからともなくお客さんたちが寄って来て、突然賑わい始めることが多い。

たぶん、私達とお店のミスマッチ具合に、
「中年の夫婦が寄ってみているなんて、何かいいものあるかしら」とか、
「あの人たちが入っているくらいなら私も入っても大丈夫ね」とか、
安心感を与えているのだろう、間違いない。

特に夫は、一人で店にいても私が一緒でも、いつのまにかお客さんを呼んでいる。
これが容姿によるものだったらよいが、そうではない。夫を連れてあちこち出歩けば多少、招き猫程度の経済効果があっていいのかもしれないが、買い物に出かける用事がないのが残念だ。

ところが私一人となると別で、お客さんを呼び寄せたことはないと思う。二人だと私も普通に見えるのに、一人だとあっという間に存在感がなくなってしまう。
それで、今回、ブラシの実演販売箇所でお客さんが増え、よいサクラになった気分でとても嬉しかった。
と思ったが、後からバラバラと集まってきた人たちがサクラで、私の買い物気分を盛り上げてくれていたのかもしれない。
買い物は相互に盛り上がると愉しい。

人を呼び寄せるほどではないが、小さなことで私はラッキーというか、シンクロめいたことが続いている。
いろいろなものが関連して出てくる。と、またツラツラと書いていたが、略。

ただ、あまりよい話ではないのもある。
メキシコが主な舞台のマット・デイモンの古い映画「すべての美しい馬」を以前見たが、最後のほうで判事が言ったことが気に掛かり見直していた。
前は飛ばし気味に見ていた、「煮ても焼いても食えないような少年」が、主人公達から離されて連れて行かれるシーンを見た後で、現実世界でのメキシコの悲しいニュースを知った。あそこは私には怖い話ばかりで、ほくほくしたカボチャをどうして作っていられるのか不思議。

最初の話に戻って、お客さんを引き寄せられる自慢をした割に、我が家にはお客さんがほとんど来ないのは、どうしてだろう。
何もミスマッチがないせいだろうか。
あまりにも私達は、古いビルに馴染んでいてサプライズが無い。

それに、私が逆さまにした箒を手に持って離さない感じだからかな。
いや、永遠に帰らない先客だからか。
来年は、お客さんに少々来ていただけるように、気持ちをオープンにしておこう。

*映画「すべての美しい馬」(wiki.jpビリー・ボブ・ソーントンが監督

映画のラスト近く、法廷で判事は、主人公ジョンの数奇な体験を聞いて、「嘘つきは自分のついた嘘を忘れてしまう」とその話が嘘ではないと無罪の判決を下すのですが、ルーピーを始め、現政権はみんな嘘つきですね。