2012年8月7日火曜日

音が分からないので「木」で選んだピアノ

我が家のピアノ購入記。

電子ピアノからアコースティックピアノへの買い替えだったが、「耳と手」で選ばなかった。全体の「木の感じがいい」という「見た目」で選んだ。かれこれ12,3くらい前の話になるだろうか。
最初、ピアノを選ぶのは簡単だと思っていた。希望のメーカーブランドがあったし、自分の運をあてにしていたので、お店に行けばすぐ決まると思っていた。
また、出来れば、黒い塗装のピアノではなく、最近の言葉で言うと「木目調」のピアノが欲しかった。我が家は借家で狭くて暗いので、アメリカのホームドラマで見るような、背が低くて圧迫感のない、インテリアに溶け込む茶系のアップライトピアノがいいなと思っていた。

そんな可愛い木目のピアノを、いつも店先に置いているのが見えるピアノ専門店、浜松ピアノさん(*後注)へ、まず下見に行った。憧れのお店である。そのお店は、ピアノの先生がピアノを買われたお店なので、なおさら他のお店で買うことは考えられなかった。弟子が先生に相談せず、勝手に買うわけにはいかない。
実は、先生というのは、今教わっている先生ではなく、当時同じマンションに住んでいらっしゃった方だ。国産の珍しいApollo(東洋ピアノ)ブランドのグランドピアノをお持ちだったので、ここではA先生とお呼びしたい。
A先生は我が家とは家族ぐるみでおつきあいくださり、先生には、細かなことでもよく気に掛けていただいた。楽譜どころか椅子まで要らないのを頂戴したこともある。その上、何度も、ピアノをそのうち譲ってあげるからお待ちなさいと言ってくださった。先生も人生の節目にいらっしゃって、老後のご予定を考えておられたからだった

先生のApolloはApolloでも、いわくつきのグランドピアノだそうで、ひょんな事情でA先生の元へやってきたらしい。どのピアノにも素敵な物語は付きもので、由来を聞けば、益々譲っていただくのを楽しみにしていたのだが、事情というのは変わるものである。これは無理だとそのピアノは諦めたが、初めてのレッスンで椅子に座ったときから魅せられて虜になっていた私は、買うならApolloだと決めていた。
こうして、意気揚々と出かけたのに、何とお店では取り扱っていなかった。私が不確かなことを書いて誤解が生じていけないのだが、先生のApolloピアノは、たまたま、お店の中古ルートでお嫁に来たようである。当時は、自社のまともなHPを持っている会社なんて大企業でも少なくて、電話帳の広告を見るほうが早かったくらいで、事前に取扱いメーカーなどを調べられなかった。そんな時代だったというのが、今からすれば不思議。

お店でApolloがないと分かると、後はもう狼狽えるのみ。
一気に緊張して早く出直したいと思った。若社長さんに弾いてもらったが、音の違いが分かるわけがない。初めから自分の耳は当てにしていなかった。期待していたのは、直感とか、天からの声だったのに、一向に啓示は降りてこない。よっぽど耳が悪いのだろうか。
と言いつつも、今、思い出したが、私は普段、Apolloを弾かせてもらい、若々しさはないけれど、低音が豊かで深みのある音に接しているので、ピアノに関しては「何か分かる」と思っていたのだった。でも、実際は全く分からなかったし、Apolloと比べてどのピアノもタッチが軽いのにも驚いた。

ようやく、見た目重視で選ぶつもりだったことも思い出したが、お店は輸入ピアノが中心でどれも素敵でこれも分からない。焦るばかりだったが、アップライトが群立しているような中に、木の感じが非常に好ましいピアノがあった。店先のお洒落なピアノやスタインウェイなどの超高級ピアノと比べると、かなり地味である。そのピアノを一回りすると何となく好ましい。その好ましさが何であるか分からない。地味なくせして予算を上回っていたが、カタログをもらって帰った。

カタログを見ると、実物よりも綺麗に撮っているせいか、木目が感じ良くて、気持ちがどんどん傾いてくる。カタログの効果は大きいと思う。見ていたら、本当に欲しくなってくるもの。

だけどこれを、天の声、直感というには、あまりにも心許いだろう。いい音で、一生大事にしたい、これよこれ、という出会いでピアノが欲しかった。何かどんでん返しはないだろうか。
とりあえずピアノの先生にご相談をして、一緒に付いて来ていただくこととなった。
お店でA先生はぱらぱらっと弾いては、どのピアノも、うーんいい音ね、迷うわねと仰った。ピアノの選択は、先生に委ねていた部分もあったので、ちょっと困ってしまった。先生にしてみたら、ピアノは高価な買い物なので、アドバイスはできても、これにしなさいとは言えない立場だろう。

子どもも連れて行ったが、ほとんど興味を示さない。これにはがっくりした。指差して欲しかったが、我が子にも天の啓示はなかったようだ。

それでも、候補が二つに絞られた。最初から気になった「木の感じがよい」ピアノ。もう一つは、そのクラスでは、コストパフォーマンスが最もよいとお店が一押しのお勧めピアノで、先生も音はとてもいいと仰った。夫は、その紫がかった色調の艶出し塗装のピアノを気に入っていた。夫は視力が2.0で間違いがないかもしれない。
でも、私は、その艶出しが、べたっとして見えてきた。確かに綺麗かもしれないが、私の好みからしたら、甘めに感じる。
それで、最初のピアノに決めた。堅牢で押しつけがましさが無く、控えめできれいだ。

結局、最初の直感じゃないの、と言われそうだし、よく思い出せば、カタログをもらった段階で気持ちがのめり込んでいたようだが、それはピアノを購入するという興奮であって、何だか違う気がする。「きれいな木目」というのもカタログからの後付け情報のような感じもする。「木の温もり」というのは大概のピアノにあるものだ。
なので、何となく佇まいが好ましかった、全体としての「木の感じ」がよかったと繰り返し言うしかない。
そして、こうして木で選べたのは、目の保養のため家具屋さんによく出かけていたせいかもねと、家族には何百回と話している。その割に、木材の知識はなく、この家具(ピアノ)は何の木から出来ているのかと尋ねられても、まったく分からない。黒い塗装だったら、本当に迷ったことだろう。音には違いがないそうである*。

後日、納品されて、我が家にぴったりと収まった。最小サイズなのに、よく鳴り響く。音も澄んでいて明るく、ギターのような音色がする。これをいいと言う人もいれば、単調で好きじゃないという人もいるようで、様々だ。楽器の個性なので仕方がない。
でも、私は、音もタッチも分からず、よく無事に「自分のピアノ」を選択できたものだと、しみじみ思う。私には申し分のない、いいピアノである。もし、最初の下見に行った日に戻ったとしたら、同じ物を選べるかどうか、それは分からないけれども。
そんな「偶然の必然」で、運良く出会って手に入れられたと思うと本当に感慨深いが、これがこのピアノの唯一の物語かもしれない。このピアノの記事を書くのに、やたら時間が掛かった。それだけ控えめで忠実なピアノとも思える。この購入記もApolloの話が半分ではないだろうか。

あのピアノを巡る話のほうがずっと面白くて、あっという間に書ける気がする。ピアノだけではなく、私は一時期、自分の人生の半分はA先生で出来ているのではないかと疑っていたこともある。その先生も、引っ越されてしまった。A先生もApolloピアノも遠くなりにけり、である。


浜松ピアノ社(広島)  とても綺麗な楽器屋さん。家具屋さんと通じるものを感じます。

*ピアノの塗装については、当然楽器店や調律師さんたちのHPが詳しいですが、廉価版の木目よりは、黒い塗装ピアノが丈夫と書かれていたものがありました。要は手入れ次第ですね。