2011年12月25日日曜日

ほんとは呪文も要らないのかも

「近場の異次元」(12/21の記事)であるお風呂の中で、いつも取るに足りないことを考えている。小さい頃から考えてきたことを焼き直しているだけで、それはもう進歩がない。時間が止まっている。時間が止まっているのではなく、私の身にまとう空気感が、歩くタイムカプセルみたいだ。


さて、時間の停止というと、アメリカのテレビドラマ「奥様は魔女」のサマンサを思い出す。何か大変なことが起きると、サマンサは時間をちょっと止めて、周囲の人たちが静止している間に、状況を都合よく描き換えている。
もし、サマンサのような魔法使いが世界のどこかにいて、私が時間を止められているほうの立場だとしよう。私のこの一瞬一瞬は、魔法使いが止めている時間の連続であるかもしれない。数秒に感じているのが、数分、数時間に値することかもしれない。時間というのも当てにならない経験のような気がする。


ところで、サマンサたちは、杖が無くても呪文を大して唱えなくても、瞬間移動も出来れば時間を止めることも出来る。初めてハリー・ポッターを読んだとき、変な気がしたのは、その杖のせいだと気付いた。
杖を買いに行くところからして、その必要性を忘れていた。ハリポタでは杖と呪文がなければ、魔法は使えない。料理は杖を振り振り一から作っていて、テーブルにいきなりは並べられないし、その場で姿を消すことも違う場所への移動も大げさな感じがする。一体これが魔法使いなのかと、まどろこしいほどに思えた。
それに比べて、「奥様は魔女」は何とアメリカ的なことだろうか。大概のことは、頭に描いた瞬間、たちどころに意思通りにやってのけるのである。


サマンサの動画です。短いのを選んでみました。
下のとは違う話ですが、昔、再放送を見ていたときに
サマンサと母のエンドラが、ダーリンの顔をいじるシーンがありました。
目鼻立ちをちょっとずつ変えて、「ハンサム過ぎない?」と二人で笑っていました。