2012年6月1日金曜日

レッスン前日と綿菓子

私はピアノを習っているが、お正月あたりから、やる気をなくしてしまい、練習がおろそかになっている。弾きたい曲を探すのも面倒でやっていない。
それで、また一段と腕が落ちてしまった。2月くらいから、初級〜中級レベルの曲で、先生が選んでくださった曲を課題にしているが、一向に仕上がらない。


それは牧歌的な曲で、美しい娘に恋をして失恋し、ちょっとだけ嘆いているけれど、全体的に可愛らしさに満ちて、明るい光の中でそよっと物語られる感じ。
技術的にも曲想的にも、ソナチネアルバムくらいで、プロが弾けば面白いけれど、私が弾けば、全く面白くなくて退屈してしまう。平易な曲ほど弾くのは難しいのだが、単純だからというより、自分に合わない曲だから嫌なのだと思う。モチベーションが上がらない。

私は、自分自身は案山子みたいなのに、牧歌的とか風光明媚とか、のどかな景色には落ち着かないたちなのだ。それに可愛い旋律よりも、都会でトンテンカンテン、パーカッションを鳴らしているような音楽がいいなあ。
とうとう、レッスン前日にしか練習をしなくなり、近頃は、嫌々練習していることに涙さえ出そうになっている。こういう私自身が気持ち悪いのだけれど、それは棚にあげておく。

このままでは、時間がもったいないし、指導してくださる先生にも申し訳なく、先週のレッスンでは途中まで弾いて、
「先生、私はこの人の恋なんて、知ったこっちゃない、ってつい思ってしまうのです。早く終わればいいのにって」と訴えた。
先生は素知らぬ顔で、
「ええ、そんなふうに聞こえますよ」と言われた。

「きれいな曲って、私にはわかりません。それに、この曲にはシュールなところがないじゃないですか」と重ねて嫌悪感を濃厚に漂わせてみたが、
「ええ、ありませんよ。単純に普通に綺麗に弾けばいいのです。
それにね、単純で普通な恋ほど、シュールかもしれませんよ」。

いつも先生は、私の好きな曲を、大人の趣味と呆け防止を兼ねて弾かせてくださっているが、今回ばかりはどうしても、この曲を弾かないといけないみたいだ。
私自身も最初は、たまにはこんな優しげな曲もプラスになるかも、と思っていた。でも、だんだんと身もだえするほど嫌になり、気持ちが凶暴化してくるのはどうしてだろう。

この曲を巡りながら、あれこれ嫌悪感が増して膨らんでくる様子は、まるで綿菓子みたいだ。ただし、綿菓子機の中の種(この曲)からではなく、私の記憶や経験が勝手にもわもわと巻き付いている。この曲自体が不愉快なものに変化して巻き付いてきたわけではない。


相手は何一つ変わっていないのに、思うようにならないということで自分の気持ちが変化する、これは人間関係でも何にでもよくあるパターンだといえるが、ピアノの上達には役立たない観察である。
それに、別に私の好みとか趣味とかどうでもよくて、一生この手の曲は嫌だ、と私が叫んでいても、誰も知ったことではない。それは十分よくわかっているのだけれど。


ちょっと哲学的なことを考えてみたが駄目だった。スピリチュアル方面でよく聞く、「私をなくす」とか「自我を薄める」とかいうやつが必要なのだろうか。歌なら何でも歌っちゃうプロの歌手魂を見習うべきなのだろうか。

こうして昨日も、レッスン前日で嫌悪感ばかりが募っていたのだが、とりあえず「知ったこっちゃない」と弾くことにした。いつも通り。
そのとき、自分にどういう変化が突然訪れたのかわからない。でも、これまでの葛藤がほとんど無くなっていた。相変わらず、この曲は好きでもないし、私が何かを悟って聖人になったわけでもないのに。


綿菓子がしぼんだだけのかもしれない。長い間綿菓子を食べていないけれど、しぼむと棒に張り付いて、べたっとしていたかな。

好き嫌いというのは、何でも一括りには言えないもので、牧歌的な曲が苦手と書いたが、ベートーベンのピアノソナタ「田園」(op.28)の2楽章と3楽章を練習したことがある。ソコロフが弾いているのを聞いて、気に入ったのだが、もう全体的にどんな曲か忘れてしまった。2楽章の最初、左手のスタッカート部分だけは好きで覚えている。


Grigory Sokolov-Beethoven Sonata op.28/Ⅱ(YouTube別ウィンドウで開きます)


上の動画の関連動画で出てくる、ラモーのLes Sauvages(野蛮人)も練習した。これは短くて好き。どなたの演奏がいいのか分からないけれど、ソコロフで。そういえばこの間、先生にラモーを弾かせてくださいとお願いしたけれど、駄目だった。


Rameau
Les Sauvages