2012年6月7日木曜日

案山子である理由とお勧め短編

<レッスン前日と綿菓子>の記事で、私は自分が案山子みたいだと書いたが、へのへのもへじ顔だけではなく、もうひとつ理由がある。
目がかなり悪くて、車の運転が出来ない。だから、徒歩や自転車で自分の好きなところに行けないところへ行くと、もうそこから一本足の案山子のようにそのまま動けなくなってしまう。また、景色を楽しむにも視力が要る。家屋の中どころか、外にいても空間が限られているように感じてしまって、閉所恐怖症気味になる。でも、緑生い茂る山の中をドライブしてもらうのは最高に好きだ。


その点、地方都市とはいえ今住んでいるところは、建物や人の動きなどぼやけ気味でも見ていられるし、出かけたら手にとって眺められる物がそこそこある、という安心感がある。
至近距離で見るといえば、小中学生の頃は、私は読書が好きで活字中毒気味だと自分で思っていたほどだが、案外、他に見るものが無くて仕方なく見ていただけだったと思う。
もっと小さい頃は外で走り回っていて、まさしく、ラモーの小曲「Les Sauvages」、野蛮人だったのだが。
大人になってからは、いよいよ目も悪くなって、あまり読書をしていない(パソコンは文字を拡大できるから、非常に有り難い)。


だから、文学にも疎くて、これからお勧めする作品二つは、結構ご存知の方も多いのかもしれないけれど、とても面白い。
夏の暑くて暑くてたまらない昼間に読むのにぴったり。でも、5月や6月の静かに空が明るくなっていく朝方や、夕刻の日が落ちるまでの長い時間に読んでもいいかな。ビールがあればいいな。これから梅雨でも、晴れ間は結構あるしね。


二編とも「陰陽師的音楽堂・陰陽師的日常」(Homeはghostbuster's book web. 管理人 陰陽師さん)という方のサイトから。
この方のサイトには何年か前にめぐり逢ったのだけれど、何で検索したか、どなたかのリンク先だったか、理由は覚えていない。ご自分で小説の翻訳をされていて、幾つか拝読したが、どれも非常に面白かった。アンソロジー『魔法のお店』(荒俣宏編、当ブログ2011.12.15)に編纂されているH・G・ウェルズの作品もあった。


さて、今回のお勧め短編は


*ジョイス・キャロル・オーツ『これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?』


私は、アメリカのティーンエイジャーみたいに、バスルームで長時間お化粧したり、車で町やデートに出かけるような生活をしてみたいと憧れたことがある。今は、アメリカの若者ですら車離れらしいが。
そんな60年代のティーンエイジャーであるコニーが、アーノルドに誘われるのだが、アーノルドの年齢が分からなくなっていくあたりから、だんだんと背筋が寒くなってくる。


陰陽師さんのブログ記事  <ジョイス・キャロル・オーツとボブ・ディラン>
陰陽師さんの翻訳     『これからどこへ行くの、今までどこにいたの?』


*フラナリー・オコナー 『善人はなかなかいない』
お祖母さん(訳ママ)が、息子一家とフロリダへ車で出かける途中の話。お祖母さんの昔話が可笑しいのだが、寄り道した後にお祖母さんが思い出してしまったことが、よくありそうな話で吹き出してしまった。映画みたいな短編。


陰陽師さんの翻訳  『善人はなかなかいない』




話は最初に戻るが、あまり「もの」が見えなくても、私はもっと冒険したほうがいいようだ。他に見るものが無くて、なんて。続きはまた書こう。


そうそう、ボブ・ディラン、私の苦手とするタイプの人だと思っていたが、「One More Cup of Coffee for I Go 」(Desire,1976)を聞いて、これは好きだと思った。


YouTubeを探したけれど、ご本人が歌っているのはなくて、残念。私が探していたら、夫が自分のブログに載せると言い出した。またか、と思ったが探し出してくれたので感謝。日本語のタイトルで探せばよいなんて、びっくり。当時は「コーヒーもう一杯」で、ヒットしていたらしく、聞いてまたびっくり。





同じ曲を聴いても、互いの世界が違っているのは嬉しいが、言うほど、たいした世界でもない。つがいのように似ていたら、どうしよう。