2012年6月27日水曜日

レッスン後日談、私次第というよりは と、Berekeke

<レッスン前日と綿菓子6月1日の記事ー
今、練習している可愛らしい曲が身もだえするほど嫌になり、とうとう全く練習をしなくなって、ピアノが弾けなくなってしまった。ところがある日、突然、何事もなく平然とその楽譜に向き合えた>の続き


さて、この話からほぼ2週間後、膨らませたガムがぺしゃっとつぶれて、唇の周りに張り付いたみたいなことになってしまった。
先生に普通に弾く心構えができたと宣言しておきながら、やっぱり駄目でしたという大変気まずい空気が漂う展開となった。先生はひと言、「最後にもう一回、弾いて終わりにしましょう」と仰ったが、破門にされなかったのが不思議なくらいである。そこは、私は大人なのだから、自分から申し上げなければいけなかったのかもしれない。


今回、この曲にこだわったのには、いろいろと理由がある。
私は大人からピアノを始めたとはいえ、既にレッスン歴は長い。だけど進歩がほとんど無い。気に入った曲や発表会では、ゆっくりとたどたどしく、何とか曲がりなりに弾いてきたが、それはあくまでも曲がりなりにであって、普通にさらさらではない。
いつまでもこれでは、面白くない。乗り越えなくてはならない壁がどこにあるかは分かっている。とっかえひっかえ練習曲を替えても、自分が変わらない限り、同じである。
先生からも「もうそろそろ次の段階へ」と言われる。
その点、今、練習している曲は、ちょうどよい教材だった。最適かもしれない。



帰宅してからも、レッスン室での後味の悪さに、あれこれ考えたりもしたが、2,3日経つと何故か不意にもう一回がんばることにした。弾いてみようと思った。


すべては気分次第だ。理由はない、と思う。


この気分が続いている間に、練習をしよう。これが「ノリ」なんだろう。気分は、「わたし」自身じゃない。好き嫌いなど関係ないところに乗っかればよいのかも。


ただ、行きつ戻りつした間にちょっと学んだというか、自分が無関心なものに対して、いかに邪険で冷淡になっていくか、その過程が練習状況に映し出されたのが可笑しかったし、いい発見もあった。このことも忘れないように、次回、書き留めておこう。


ところで、Geraldo Azevedoという人の「Berekeke」という曲が気に入っている。「Woman on Top」という映画で使われたのだが、映画も途中までしか見ていない。後で、と一旦置いておくと再開するアクションにエネルギーが要る。
その「Berekeke」をこのブログに前に載せているのかと思ったら、まだだった。
もう3日前のことは覚えていない。過去の記事は恥ずかしくてあまり目を通さないから、3回に一度はお気に入りの同じ曲を載せてみようかと思ったりしている。夏休みの日記と同じというか、毎日同じでいいのかもと。
習作として、毎回同じテーマで書き綴っていくとか、ますます面倒なブログになりそう。
よく読まれている記事などをトップに出すようにブログを変えられるが、このブログの場合、ハムや器、クラシックの曲を検索して来訪された方が、記事を見てがっくりとされている感じが自分でもよくわかる。


夏にお勧め
特に意味のない歌だそうです。
(私は今まで、あまり歌詞を気にしなかったので)

Geraldo Azevedo
「Berekeke」




同じサントラ内に
レニーニの曲「O Ultimo Por do Sol」(最後の日没)もあります。
当ブログ(2012,1.1.「一年のループ」記事内)