2012年12月26日水曜日

しがみつかなければ、いつの間にか消えていく

買い物へ行けば、お正月用品が並んでいる。私はお節(平仮名だと読みにくいので漢字で)料理が苦手で、作ったことがない。
お節が苦手なのかお正月が苦手なのか、まあこれは、クリスマスのほうが好きでお正月はあまりと思う人たちも多いだろうし、理由については、くどくどと書くほどでもないが、きっと今から、くどくどと書くだろう。

一応伝統食とされるお節の中で、好きで食べられたのは栗きんとんとか黒豆にごまめくらいだが、私の母が料理が下手だったわけではない。母は年末まで働いていたので最小限のものしか作らなかったが、細かくうるさい人で、材料をどこそこの店で買うようにと町を越えてあちこち回らされた。それこそ、隣のご町内ではなく、隣の市内まで買いに行かされた。

ある年から、とても立派な海老で海老フライを作ってくれるようになった。でも、私達子どもが成人して、時間的に余裕が出来はじめてからは、熱心に普通のお節を作り出したようである。これは、一緒に住んでいる私のきょうだいから聞いた。ただし、自分の好きではないものは入れないようだ。私はあまり帰省したことがないから分からない。

母と同世代の人たちは模範的なお節を作るのが夢だったのだろう。
私はお節の由来などはよく知らないが、もともとは質素な節句料理だったのが、デパートの陰謀で派手になり、お正月にはお節を作るのが奨励された世代なんだと思う。
夫の母も叔母も、「きょうの料理」をバイブルとして一生懸命に作っていた。

でも、昔、新聞の生活欄で見たお正月の神様へのお供えは、本当に簡素なものだったし、神様は新鮮なものしか召し上がらないよ、と私は思うことにしている。
またお雑煮も嫌いではないどころか、お餅は我が家の常備食とまでなっているくらいなのだが、神様に召し上がっていただくため、と思っても年明け早々に食べたくはない。

こんな感じで年末年始に何もせずにいるので、家人から「日本人、やめてしまえ」と罵られる。ほら、だからこのブログでも、12月はいっぱい写真を撮ったりして、暇そうでしょう。

新年を迎えるのは嬉しいが、お正月が嫌なのはどうしてか。もう、夫の実家に行かなくてよくなってから久しく本当に気楽なのに、こうして書いていると、涙が出そうになるほどお正月が疎ましくなってきた。

ああ、この感覚だ。何度もしつこく書いてきたが、私がピアノの練習で苦手な曲を前に、身もだえして涙を浮かべていたときと同じ。あ、もうひとつ、家人のよく聞いている曲を聞き始めた途端、感じる気持ちといっしょ。
ただし今は、苦手だったその曲も普通に楽譜と向かい合って、素知らぬ顔で弾けるようになっている。


さて、あら、どうしたことでしょう、こうあれこれ、くどくどと書いていたら、何故か苦手な気持ちがなくなってきた。
つい数行前の、出そうだった涙はどこに行ったのか。私が消えたのか、お節が消えたのか。まあ、既に開放されているのだから、あれやこれや考える必要はなかったのだ。
ただお正月の過ごし方については、今から家人ともめそうではあるが、それは仕方がないかもしれない。しみついて取れない音楽の嗜好と同じで、お互い様だろう。

でも、私は、のんきに気分良く過ごせそうな気がしてきた。嬉しい。



それにお節にだってよい思い出がある。
昔、同じビルに住んでいらしたピアノのA先生が、片手の掌に載るくらいの小さな小さな三段のお重にお節を詰めて分けてくださったことがあった。私が家族とは別に、一人でお正月を過ごしているので、気遣ってくださったのだった。
先生のお節は上品で本当に美味しかった。
関西は旧家のたいそうなお嬢様だったというA先生は、文武両道でセンスもよく、お料理は特にお上手だった。思えば、摩訶不思議なほどの能力を持っていらっしゃる方だった。

A先生というと、この映画を思い出す。今は、立派なマンションにお住まいだそうで、よかったよかった。




「マダム・スザーツカ」

マダム・スザーツカと少年マネクの連弾シーン。


Schubert
Fantasie in f-Moll





この動画はpart4です。
手前のpart 3の終わりでは、
マネクがトロイメライを弾いています。
それも素敵。

アップしてくださってありがとう。