2012年2月1日水曜日

節分 そこにあると思えば出来てしまう

もうすぐ、節分だ。明くる日は立春。旧暦では年初の頃だが、私には一年でいちばん注意を要する怖い時期だ。節分という文字通り、節目にこつんと当たってつまづくように、何かがちょっと変わる。突然、体調を崩すだけならいいけれど、しばらく些細なトラブルが続いたりする。
「ほらね、節分だからね」とひいひいとしながら思う。


だけど、これからは出来るだけ「毎年この頃になると」という過去の法則に従うのはやめようかな。法則というよりは、一種のバイオリズムで、身を低くして無理をせず、やり過ごさなければいけない時期なのだとは思うけれど、節分の頃=トラブルではないかもしれない。突然、体調を崩したりトラブルがあるのは、年がら年中で、自分の不注意や天候不順から発することではないか。


それを、待ってましたと「ほらね、やっぱり節分は怖いわ」と言いたいがために、私は自分で怖いものを作り出して招いているだけではないかと思う。何も無いところからでも、あると思えば、何かが出来てしまう。
そういう負のイメージで、「恐れていたこと、心配していたこと」を現実に作り出すのは得意なのだけれど、いいものを作り出すことには全く慣れていない。簡単なのかもしれないのに。
言葉巧みな人はどうなのだろう。言霊で自分の人生自由自在なのだろうか。


まあ、節分、立春と春を暦では迎えるとはいえ、2月は一年で最も寒い時期なので、体調には気をつけようとは思う。そうそう、元々は四季や一年の節目毎に邪気を払う、いい機会なのだろう。


ところで、まんが日本昔話に節分と鬼の話があって、「節分の鬼」は、最初の語りが面白い。おっかあと一人息子に先に死なれ、一人で村の外れに暮らすおじいさんと、村の人たち疎遠になってしまった様子がよくわかる。



もうひとつ節分と鬼の話があった。「節分の福鬼」。どちらにも共通なのは、「福は外、鬼は内」と半ば自棄ではあるが威勢良く豆まきをして、鬼を家に招き入れてしまうようになるところ。厚くもてなせば、鬼も福の神に変わる。もともと鬼も神も違いはなかったかもしれないが。