2012年2月5日日曜日

よく話す16世

前の節分にまつわる記事で、言葉巧みな人はどうなのだろう、と書いて思いだした人がいる。


第265代ローマ教皇ベネディクト16世である→Wikipediaヨーゼフ・ラッツィンガー前枢機卿ヨハネ・パウロ2世の後を受けて教皇に選出され、ベネディクト16世として就任したとき、ベネディクトってどういう意味だろうかと、家のものに尋ねた。
Benedict、beneはbon、dictは話す、だから、よく話す、上手に話す人だね」
と言われて、なるほどと思った。
「上手に話す、うまく言う、口が上手い、口達者」
ふふふ。benediction 祝福というよりは、こちらのほうが頭に入る。


でも、こうして書いていると、ベネディクト系の言葉を祝福、元のベネディクトゥス Benedictusを「幸いなるかな、祝福がありますように」と訳した人のほうが、凄いような気がしてきた。
口下手な人に、つっかえつっかえ極めて曖昧に祝福されるより、「大丈夫」とひと言、体にも心にもすとんと落ちるように祝福された方がいい。後はすべて天に委ねればよい、のかな。


私はしどろもどろタイプで、ピアノのレッスンでも先生によく指摘される。音が前に出ずに意味不明で、どこに向かっていっているのか分からないと仰る。
そうそう、私は、ポケットに手を入れて品物を確かめ、Aさんに「差し上げよう」と取り出して腕を伸ばしかけて、「いや、Aさんは好きじゃないかもしれない、Bさんに上げた方がいいのかも」と宙をさ迷って再び手をポケットに入れてしまうというような、面倒くさい奴である。
何だかんだ言って、けちなのかもしれない。