2012年3月26日月曜日

和食が出てこないスクラップブックとSisters of Mercy

春の女神は麦の穂を持っている。


麦というと、「いしいしんじ」の小説『麦ふみクーツェ』を思い出す。
先日まで、この本は私のお気に入りだった。最初、借りて読んだとき、麦踏み用の靴を履いた人「クーツェ」に慣れなくて妙に読みにくかったし、たくさんのねずみや陰気な数学者であるお父さんが息苦しくて読むのが面倒になって、飛ばして読んだところもある。主人公「ねこ」が島の吹奏楽団で打楽器として発する「にゃあ」というかけ声も好きではない。
だけど、「ねこ」と楽団、「ねこ」が音楽修行中に出会う人たちが魅力的で、終盤の章は弾みが付いて楽しかった。音楽、特に合奏の楽しさが溢れ出てくる一冊である。
とても気に入ったので、そのあと同じ作家の『プラネタリウムのふたご』を借りて読んだ。サーカスのクマの話が出てきて、ちょうどシューマンの連弾曲「クマの踊り」を弾いていたときで、ぴったりとイメージが合った。でも、後は覚えていない。


それからだいぶ経ってしまったが、この間、図書館でいしいさんの『ポーの話』を借りてみた。ところが、読み始めると気持ち悪いというより居心地が悪い思いがしてきた。主人公の名前がポーというのはともかく、”メリーゴーランド”とか”ひまし油”とか、主要な人物にはあだ名のような名前がついているのに、その他大勢には全く名前が出てこない。これは、ひょっとして村上春樹か、とふと思い当たった。


その上、クーツェもそうだったがポーもどこの国かわからないような設定で、人間も街の様子も、まるで宮崎駿の「魔女の宅急便」のようだ。国籍が無印の人間が綺麗な街に住んでいる感じ。試しに「似ている」で検索してみたら、皆さまがたのレビューがいろいろと参考になって面白かった。


ということで、クーツェにも冷めてしまった気がするのだが、もう一度手にとって再読し始めると、演奏のヒントは満載だし、楽しいことは楽しい。
この本の中では用務員さんがゴシップ雑誌の記事を切り貼りしてスクラップブックを作っていた。それを「ねこ」が引き継ぐ。この小説の中の人物やそれぞれにまつわる人生のからくりも、そのスクラップブック記事が土台でもあるので、それらをうまくプロットにまとめた小説なのだろう。でも、和食が出てこないスクラップブック、空気が外国なのだ(本当に出てこなかったか確かめなきゃ)。


そういえば、村上春樹のエッセイ『スクラップブック』を読んだことがあるが、別のエッセイで読んだ、うさぎ亭という定食屋さんのコロッケとお漬け物の話を覚えている。でも、村上春樹はもう20年近く読んでいないし、これからも読むことはないと思う。

そうそう、いしいさんのHPで「げてものごはん」と名付けていたページがあった。クリックして開いた途端、写真を見てのけぞってしまった。レインボーロールというネーミングだったかな、青や緑色のカラフルな豚肉ロールカツが並べられていた。衣に色素を混ぜて揚げているのだった。


いや、これはもうだいぶ昔のことでよく覚えていないし、今はHPが変わって見あたらない。




Leonard Cohen
トリビュートアルバム「Tower of Song」(1995)から
Sisters of Mercy

Sting&The Chieftains



CDの解説にはスティングがこの歌を
「売春宿の歌だ」って言ったと書いていました。
よく知りませんが、
外国の歌や小説には
よく売春宿の話が出てくる気がします。
どんちゃん騒いで楽しそう。
『クーツェ』では、
「ねこ」がチェロ弾きの先生と共に売春宿に行って、
物語を聞かせます。
その設定に既視感がどうしてもついてまわるのですが、
世の中すべて既視感と情報の共有で出来ているような気もするし、
まあいいかなと。いちいち言うことではないのかも。