2012年4月16日月曜日

集うのに慣れていないけれど

数年前から、産経新聞を取っている。広告が入らなくてマイナーな新聞ということで、購読を始めた。
でも、配達してくれるのは地方紙の新聞販売所で、産経新聞は地方では購読者数が少ないということで委託しているそうだ。


その産経新聞で、久田恵さん(Wiki.jp)というノンフィクションライターが、生活欄で『家族がいてもいなくても』というタイトルで連載をしている。久田さんは著書もたくさんあるようなのに、私はどれひとつとして読んだことがない。その上、私は新聞もあまり読まなくて、久田さんの連載も気がつけば読む程度である。


なので記憶が間違っているかもしれないが、連載によると、久田さんは、ご実家でお母様を介護して看取ったあと実家をリフォームし、地域開放型のフリースペース兼、ご自身が主催する人形劇団の練習スペースを作った。でも、すぐにその家を長男夫婦に譲り、今はワンルームマンションで一人暮らしをして、元実家だが現在は長男宅のフリースペースに通う生活らしい。


久田さんは、「おひとりさま」として気楽に仕事をし生活をしていて、私も家族とは別行動でも平気なほうなので、共感を覚えることが多い一方で、人形劇団の練習スペースとか、地域の人たちに自宅を開放するなんて、面倒なことをよくやるなあ、と思っていた。
人がいつも集まってくるなんて、落ち着かないし、想像しただけでも疲れてしまう。偏見に満ちたことを言って申し訳ないが、人形劇団なんて、しょっちゅう集まってワイワイしていそうで、パフォーマンス自体も苦手だと見る前から感じてしまう。


ところが、2月4日の記事で久田さんが、人形劇団の人たちって、気まぐれで、劇団関係の手仕事のある日でも誰一人として現れなくて殺風景な部屋にぽつねんと一人でいる日がある、と書いてあったので、驚いてしまった。一人で料理を作っていたら、ふらっと誰かが思いがけず、寄ってくれることもあるらしい。


へええ、みんな自由なんだ。好き勝手に生きているんだ。
自由でなかったのは、偏見に満ちた私だったんだ。


ここ長い間、気の合う人たちと集まることが滅多になくなって、性格がいじけてきているのだろうか。集う人たちへの僻みとか偏見とかがマックスになっていたのかもしれない。


私は、来客を面倒に思うような年になったと言うことがあるが、お客さんが来てくれると嬉しいし、一緒に食べたり飲んだりしていると、それはそれは楽しいのである。
また、大勢集まるところは疲れるなんて言っている癖に、私も呼んでもらえれば、いそいそと行ってしまうだろう。きっと帰らぬ客で迷惑を掛けるに違いない。


この時期、集まるといえばお花見だが、今年も、お花見に行かなかった。それはそれで寂しくもなく、私の幸せには変わりなかったのだけれど、むかし近所の山に登ったお花見を思い出す。本当に楽しい思い出である。




ところで、産経新聞のことだが、増税が決まったら購読を止めるつもりでいる。今でも、家人が読むので、仕方なく取っているだけである。
不景気の中の増税って、もう息も出来なくなりそうである。呼吸するにも税を取られそう。


別にいい曲ではないのですが、息抜きによいかと思い、
Marisa Monteの短い曲
「Statue of Liberty」(1:14)を探しましたが
無かったので
また探しておきます。