2013年2月20日水曜日

まわりくどくも、10年

前回、神社で参拝するときの拍手を打つ回数について書いたが、厳密に決まっていたわけでもなく、せいぜい明治時代くらいから全国的に統一されたのだと思う。検索するといろいろ出てくると思うが、神事をしにお参りにいくわけでもないし、あまり深くは考えまい。
作法とは順路のようなもので、それに則って進めば、ああだこうだと悩む無駄がなくて安心できる。
まあ、そうしたお参りも一種の方便で、神様でさえも「一種の方便(メソッド)だと言ってしまえば、身も蓋もない」とどなたかが書かれていたのを読んだことがある。すべては記号でお印のようなもの、かもしれない。

話が逸れていきそうなので、本題。
ここ数日、PさんのHPを読み返していた。そのHPは既に10年くらい前に閉鎖されているのだが、少しプリントアウトして残しておいた。Pさんというのは、哲学者由来のお名前で、教養講座のページはあったが、あとは、ほとんど私には理解できない話ばかりだった。
でも、面白かった。

教養講座の中に経済史から今後の世界を考えるという話があって、商品価格がサイクル理論で上がっていき、中東戦争も勃発し、原油価格は上昇するでしょうと書かれていた。
これは、誰もが予想できる当たり前の話だったかもしれない。
そういえば当時、「国家破産で円大暴落」というタイトルの本が、年中閉店セールの幟を掲げている紳士服店のように新聞の広告面を占めていたので、原油価格の上昇とともに円安(暴落)になったらどうしようかと思っていた。
原油価格のことばかり私は取り出して書いているが、ちょうどその頃、今と同じように車の買い換え時期にあったからだ。

あのときに選んだ車、つまり今、乗っている車を買うときに、ひとつだけ気になったのが燃費だった。当時乗っていた車も同じメーカーで平均8〜9㎞しか走らない。せめて11キロは出て欲しいと常日頃から私はやかましく言っていたのだが、燃費は変わらないようで悩ましかった。
いや、他のメーカーと比べても正直大差ないと思ったのだが、原油価格自体が将来的に大幅に上がるのではないかと不安だった。多少燃費のよい車に乗っても仕方がないようなことになるかもしれない。

だけど、車を購入するときに原油価格が上昇しそうなのが怖い、なんて言う人はいない。私は試乗車の中で、
「今はガソリンが70円、80円でも100円を越して、120円、140円になるかもね」と呟いたのだが、あっけなくその夜だったか、購入を決めてしまった。

それから世界では気になることはいっぱいあったが、幸い全世界を巻き込むような戦争には至らなかった。
そうそう原油価格はぐんぐんと上昇していった。
ほらね、と思う余裕はなかった。世間は素早い。理論ではなく現実への対応が早くて、低燃費エンジンが開発され、消費者はエコカーにどんどん乗り換えていったのに、我が家は燃費の悪さを嘆きながらも、今の車が好きなので買い替える気にならなかった。

でも、あの10年前、燃費の悪さを承知で何故選んでしまったのだろう。

PさんのHPにはちゃんと答えが書いてあった。
ワイマール体制下のドイツ政府とドイツ国民に対してのコメントで、
「皆、当面の傷みを感じず過ごせればよく、破局の先送りを甘受するのが民主主義国家とその国民なのだ」
別に当時のドイツ人に限らず、今が良ければ先のことは考えまい、と思うのが人間の常なのだろうが、意外と世の中、そういうものなのね、ということに驚くことが多いという話なんだろう。だって、人間だもの、ということか。
それに、先のことばかり考えていては物事は進まない

ともあれ、あのとき、好きなものを選んで後悔はなかった。困ることはあっても。



うーん、それにしても社会保障関連の税・保険料負担の上昇に、その日は来るのね、というのを実感している。