2013年2月13日水曜日

何事ものんびりしてしまって

この間、ようやく氏神さんへ初詣に行ってきた。

参拝するとき、宮司さんが出てこられて幣で頭を払ってくださるのだが、今回タイミングが合わず、「二礼二拍手一礼」と大きな声でご指導を受けた。

いや、もちろん存じています。

と少々慌てながら、バタバタと頭を下げたり、柏手を打ったりしたのだが、私は手を合わせても、頭が空っぽになっていて何も言葉が出てこなかった。
いや、何をするにしても無意識ではいけない。ぼうっとお参りにきてしまっていた。

でも、忘れずに小さな神棚に祀るお札をふたつ、買って帰った。

さて、その氏神さんなのだが、昔、大変博識な先生に、そこは出雲大社系列の神様を祀っておられるから、出雲式で「二拝四拍手一拝」で拝礼するようにと教わったことがある。
他にも作法を細かく教えていただいて、私は一時期お参りに定期的に通っていた。
どうしてお参りに行っていたかというと、願い事があったわけではなく、日々無事暮らせているお礼を申し上げ、あることについてどうしたらよいですか、という質問を委ねるためだった。

最初は堂々と四拍手していたのだが、だんだんと二拍手したあとそっと二拍手加えるという姑息なやりかたに変わり、お終いには二拍手になった。
こうして、割と熱心に一人でお参りをしていたのだが、ある日、ぱたりと行かなくなってしまった。というのは、神社のすぐ近くに、私にとって関所のような難所が出来てしまったからだった。どうもその近くを通りにくい。

そして皮肉にも、どうしたらよいですか、と困り事の中心にあったものが、私のそばを離れたのはいいが、そこに鎮座してしまったのだった。

だけど、それから数年経ち、難所を通り過ぎるのも平気になってきた。勢い余って氏神さんも、また今度と通り過ぎてしまって申し訳ないが、その難所、確かに私の中では存在感が消えて無くなっているようだ。

有り難いなと思う。

最後に。今日は全然別のことを書きたかった。