2012年11月30日金曜日

郵便屋さん、ありがとう。

いろいろ書きかけたが、省略して、
郵便屋さん、無事配達してくださって、ありがとう。

先様は、体調不良などの事情があって今年2度も転居されていたそうなのに、私は知らなかった。あちこち回ったようだけれど、無事届いたと連絡をいただいた。

体が元気だと気力も出るよねえ、とお話をした。
と、ここでまた、いろいろ書きかけてしまうので、略して、終わろう。

ともかく、よかった。

Eメールも思えば、いつも無事届いたり、頂いたりで、有り難い。





2012年11月29日木曜日

連れ連れ

今日の徒然。

洋服ブラシを買いに行ったときのこと。「うさぎの切りかぶ」のほうにも書いているが、少し別の話。
デパートの実演販売に行ったときは、ちょうど先客が帰る間際だった。次に私がお店のおじさんから説明を受けていると、いつの間にかお客さんが、3,4人集まって来ていた。
一緒に連れだってお買い物中のお客さんではないようだった。

他に買い物客も見あたらないフロアの一角が急にざわめいて、私は一人でお客さんを引き寄せたみたいに思えて嬉しかった。
こういうことは、夫と一緒の時によく起こる。
買い物はいつも夫婦で行くのだが、失礼ながら閑古鳥が鳴いていたお店の中に入ると、いつの間にか、どこからともなくお客さんたちが寄って来て、突然賑わい始めることが多い。

たぶん、私達とお店のミスマッチ具合に、
「中年の夫婦が寄ってみているなんて、何かいいものあるかしら」とか、
「あの人たちが入っているくらいなら私も入っても大丈夫ね」とか、
安心感を与えているのだろう、間違いない。

特に夫は、一人で店にいても私が一緒でも、いつのまにかお客さんを呼んでいる。
これが容姿によるものだったらよいが、そうではない。夫を連れてあちこち出歩けば多少、招き猫程度の経済効果があっていいのかもしれないが、買い物に出かける用事がないのが残念だ。

ところが私一人となると別で、お客さんを呼び寄せたことはないと思う。二人だと私も普通に見えるのに、一人だとあっという間に存在感がなくなってしまう。
それで、今回、ブラシの実演販売箇所でお客さんが増え、よいサクラになった気分でとても嬉しかった。
と思ったが、後からバラバラと集まってきた人たちがサクラで、私の買い物気分を盛り上げてくれていたのかもしれない。
買い物は相互に盛り上がると愉しい。

人を呼び寄せるほどではないが、小さなことで私はラッキーというか、シンクロめいたことが続いている。
いろいろなものが関連して出てくる。と、またツラツラと書いていたが、略。

ただ、あまりよい話ではないのもある。
メキシコが主な舞台のマット・デイモンの古い映画「すべての美しい馬」を以前見たが、最後のほうで判事が言ったことが気に掛かり見直していた。
前は飛ばし気味に見ていた、「煮ても焼いても食えないような少年」が、主人公達から離されて連れて行かれるシーンを見た後で、現実世界でのメキシコの悲しいニュースを知った。あそこは私には怖い話ばかりで、ほくほくしたカボチャをどうして作っていられるのか不思議。

最初の話に戻って、お客さんを引き寄せられる自慢をした割に、我が家にはお客さんがほとんど来ないのは、どうしてだろう。
何もミスマッチがないせいだろうか。
あまりにも私達は、古いビルに馴染んでいてサプライズが無い。

それに、私が逆さまにした箒を手に持って離さない感じだからかな。
いや、永遠に帰らない先客だからか。
来年は、お客さんに少々来ていただけるように、気持ちをオープンにしておこう。

*映画「すべての美しい馬」(wiki.jpビリー・ボブ・ソーントンが監督

映画のラスト近く、法廷で判事は、主人公ジョンの数奇な体験を聞いて、「嘘つきは自分のついた嘘を忘れてしまう」とその話が嘘ではないと無罪の判決を下すのですが、ルーピーを始め、現政権はみんな嘘つきですね。



2012年11月25日日曜日

自分で自分の首をしめない、その2

前回の続きで、ピアノのお稽古に関連することを書こうと思ったけれど、書きたかったことの大半は忘れてしまった。
要するに、弾き始めはテンポと曲想を思い浮かべ、自分の弾ける速さで弾き始めないといけない。なのに、弾けるところの速さで弾き始めるから、難しいところになるとテンポが落ちてしまうか、急いで弾いてミスをしてしまい、それは自分で自分の首を絞めているようなものだ。

ということを何十回も先生から注意されている。
最初、ほんの何秒か時間を取るだけでいいのに。それを惜しんで急ぐからいけないらしい。

私は、体や指が覚えているかと思って弾き始めるのだが、何でも準備無しでいきなりは無理だもんね。

ところで、この間のお稽古ではなかなか腑に落ちることが多く、おまけに休日で雨だからと迎えに来てくれた家人(夫と書くと嫌がる)との帰り道での会話も、有意義だった。
昼前だったのでお昼ご飯の話になっていたのだが、家人は、おネギの切り方や盛り方の話を始めた。女性(私)は「投げるように盛りつける」が、男性(料理家や家人)は「そっと置く」というのである。
女性は手際ばかりを重視して、手間を抜きがちで、ささっとやってしまう。
反対に男性は盛り付けに十分に時間を取るという。大きなものを扱うときは大胆に。細かく切るときは繊細に。
「繊細なときほど、ゆっくりとした動作でやるんだよ」と家人が力説する。

ふんふんと聞きながら、レッスンで先生から注意いただいたことを思い出す。

8分音符や16分音符が出てきても、急がない。速く弾いて誤魔化さない。十分に時間を取ってもいいくらい。とにかく、あわてない。

反対に4分音符ははしょりすぎで、音価が短くなりがち。
特に私は音が前に行かないで真下に落ちていく弾き方になっていて、実際の長さが足りないのに一休み入った感じになっていて、次の音につながらず、
「いつまで指を置いておくの、伸ばしているの、次は何なの?、と聞こえます」と先生がよく仰る。

と、おネギの切り方を音楽に転換して話を聞いていたが、家人が「送迎付きで優雅なお稽古だね」という。
うーん、何とも地味な古い車に乗り降りするオバQです。お稽古も不況で回数を減らしています。

そうだそうだ、自分で自分の首を絞めることもできるけれど、自分で自分を解放することもできるのだった、そういう話なのだがまた今度。





今日のもらいもの


たまにはこちらにも。




*ステンレス皿は、香川のSteal Factoryさんです。






2012年11月20日火曜日

自分で自分の首を絞めない、その1

春は春で大騒ぎしたが、秋は晩秋の小春日和の日、スカートを買った。

もう幸せです。ありがとう。

私は、小さい頃から紺しか似合わないと言われ、経済的な事情もあって母からあてがわれたものしか着たことがなかった。成人して洋服代にお金が割けたのも一時で、子どもが生まれてお母さんの格好をしだしてからは、そのままである。
いや、ちょっと普通のお母さんとは違っていたかもしれない。というのは、他の人と違う方向を向きがちだったからだと思う。明後日ってではなく、一昨日くらいの方向。
でも、人は皆、好き勝手な方向を向いていると思う。

話を戻すと、と、いろいろ書いたけれど略して、

この春から、服の経年劣化や自分自身の加齢ということもあって手持ちの洋服を見直し、無理してでも必要なものは新調してきた。

今回の買い物は、ニットが一番の目的で、パンツの色違いを来年に備えて見るだけ見ておくつもりだった。
お目当ての店に寄るとスカートが掛かっていた。
洋服のお店なのでそりゃそうなのだが、それを手にとって、世の中の女性が普通にスカートを買うように、私も買うことができた。これが春以上に嬉しい。
自分がスカートを履くということが単純に嬉しい。
いやあ、性別が分からなくなった人がこれです!と開放されたみたいだけれど、本当にそれくらい嬉しい。

自分で自分の首を絞めていたんだと思う。パンツのほうが便利だとか、節約しなきゃとか、スカートなんて着る機会がないだろうとか諦めていた。老後を諦めるほうが簡単だった。



スカートはこれです。

膝丈よりほんのちょっと上です。
何かと合わせたのはまた今度切りかぶに。



ごく普通のスカートかな。


友人が旅行先のイギリスから
送ってきてくれたポストカード




これは、男性がスカートを履いているのじゃないかと思うのだが、家人は女性だと言う。こんな顔をした女性がイギリスには多いのではないかと。そう?
WOMENSってあるけれど。
私がスカートを履くとこんな感じになるのではないかと、家人は恐れていたのかもしれない。

ところで、自分で自分の首を絞めないというのは、よくピアノのお稽古で先生から注意される。でも、長くなったので、また今度。



*ああ、アマゾン。C先生のところで紹介されていた。
我が家もアマゾンで購入が多いけれど、赤字で売れというのはどうだろう。
安く安くで結局、コスト削減、リストラで買い物できる消費者がいなくなる。

C先生のブログタイトルは、ちょっと恥ずかしくて書きにくいです。私も女性だからということにしておこう。





2012年11月19日月曜日

スザーノのいないハミルのような

先日、定期検診のため、主治医に診てもらいに病院へ行った。

この検診日は予約制だとはいえ、安心できない。この日のために万全の体調を整えなくてはならない。病院へ行くにも待合室で待つにも体力と気力が要る。
何か特に病気ではなくても、体調がひどく悪いときというのは、ただ横になって寝ていたいもので、これまでにも具合が悪くて検診の予約を取り消すために、うなりながら電話をしたことが二度ほどある。そして、電話予約は出来ないので、次は飛び込み扱いで、延々と待たなくてはならない。

さて、前に面長という言葉が出てこず、失礼なことを書いてしまった主治医のことだが、この背も鼻も高くきれいめな先生が、患者を呼ぶときにどうしてアホっぽい声を出すのかいつも不思議だった。

でも、それは一種の照れかもしれないと思った。
何もかも高得点の人間でいるとかポーズに力が入っているよりは、少しくだけた感じのほうが、この先生には楽なのかもしれない。患者のほうも、緊張がほぐれる。そうそう、私がお世話になっている女医さんで眼科の先生(最近ご無沙汰しているが)にも、そういう方がいらっしゃった。

と勝手なことを考える。余計なお世話でごめんなさい。

ところで、全然関係ないが、ヴィトール・ハミル(Vitor Ramirラミルではなく、ハミルと発音するそうです)というブラジルのミュージシャンがいる。この人と同じブラジルのパンデイロ(タンバリン)奏者マルコス・スザーノが加わった共同名義のアルバムがある。
『Satolep Sambatown』(2007年)。
私はこのアルバムしか聞いたことがなく、のうちの一曲「Cafe da Manha」が好きなのだが、残念ながら動画はアップされていない。
「Cafe da Manha」にこだわって動画を探したせいか、ハミルのよい感じのが出てこなくて、若い頃やライヴの動画を見ると、何だか力が抜けてくるし、マイナス面ばかり感じてしまうのは、『Satolep Sambatown』がいいからだろうか。

さすが、スザーノ・マルコス。ってずっと書いていましたが、マルコス・スザーノの間違いでした。何で間違えたのかしら。

でも、ハミルは、面白い曲を作っているような気もするから、ときどき聞いてみよう。

Vitor Ramil
Cafe da Manha
1996年
(スザーノなしで、残念)



歌詞はまた。


これはスザーノが加わると、断然格好いいので、どんどん無料で公開してほしい。そのほうがいい宣伝になると思う。

最後に。動画の若い頃のラミルさん、主治医に似ているかもしれない。面長なところ。

ラベルがレニーニなのは、マルコス・スザーノとレニーニのアルバムがあるからです。
Olho de Peixe(魚の目)1993年。



2012年11月17日土曜日

今週の覚え書き


レスピーギの連弾曲集「六つの小品」で別の動画が見つかりました。前の記事にも貼り付けさせてもらいましたが、ここでも。
正直、あまり曲調が好きじゃないのですが、クリスマスに向けて一曲練習中なのと、演奏も絵も素敵だったので。


Respighi
six little pieces,for 4 hands






No.561   ロムニーさんと現首相の災害対策軽視・明治の教訓15メートル堤防が村を守る 岩手
廣宮さんのまとめ 「大きい」「小さい」よりも「機能する政府こそ必要」に賛成

でも、記事冒頭に、N経の記事を引用されていて、それに「ブッシュ大統領(当時)がハリケーン・カトリーナの対応に失敗」とあるのですが、私は苺畑さんの記事を拝見しているので、そうは思いませんでした。きっとN経なのでそれはともかく、ロムニーさんが緊縮財政派と聞いて困るなとは思いました。ケチではお金が回りません。リストラしたら、ものが買えない消費者(消費者というのでしょうか)が増えて、どんどん、どん底に。

ところで、ブッシュ前大統領は、靴をよけられるし、すぐジョークも返せるところがよかったと思います。切れて怒る政治家ではありませんでした。

靴といえば、ライス元国務長官がフェラガモの靴を買いに行っていて非難された話も忘れられません。
でも、もうこのお二人も遠くなりにけり。






2012年11月15日木曜日

優しくて暖かなサンバ



昔昔、友人の友人がカセットに音楽を入れて送ってくれました。
アルバム「素晴らしきサンバの仲間たち」(1976年録音)*からは一曲、
Mano DecioのSAUDADE  DO PASSADO(懐かしきあの頃)
心温まるサンバです。

このアルバムをYouTubeで何曲か聴きましたが、
どれも良い曲ですが大体同じ感じ、というか、
一曲をたまに聴くと心和む気がします。


Mano Decio
SAUDADE  DO PASSADO




訳はこんな感じではないかということです。


Hoje tenho o dom de um novo canto
今日は新しい歌の贈り物がある
Meu samba é mensagem de lamento e prantos
ぼくのサンバは嘆きと涙のメッセージだ
Com o rufar dos meus pandeiros
ぼくのタンバリンの伴奏を付けて
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Sinto em mim
ぼくの中に感じてくれ
Uma saudade que o passado me deixou
あの日々がぼくに残した郷愁を
Mas a tristeza não me dominou
しかし悲しみがぼくを支配することはない
Meu samba é nostalgia
ぼくのサンバが郷愁なんだ

Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる




*日本での発売は最初が1980年、次が1990年のようです。