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2013年8月19日月曜日

薄べったいわたしの話

平和と聞くと、かえって怖い気がしてくる今日この頃。
平穏だったらまだ気持ちが落ち着くかも。

ところで、話題としては、1ヶ月前か、11ヶ月先でいいような、今ならもう既にそっとしておいてやれ、というようなシーズンオフかもしれないが、「ブラックブック」(2006年、ポール・バーホーヴェン監督)という映画の話。ジャンルは、戦争・サスペンス。
私は精神が脆弱で、肉体的に苦痛を伴うものは見るのも苦手で、コメディが一番好き。それで、この戦争ドラマもちょっと怖かったり、ドキドキするシーンは適当にやり過ごそうと思ったけれど、引き込まれてしまい、あっという間に見終わった。
とても面白かった。

ヒロインのラヘルことエリスがスパイとして潜入した職場で仲良くなった、口の大きい女友達ロニーが、戦前と戦後で立場を反転させているが、彼女はあっけらかんと「笑っていたら何だかこうなってしまったの」と言っていた。
笑う門には福来たる、である。

ドイツ側のムンツェ大尉はお得な役柄で、俳優の温和な顔つきがなおさらマッチし、エリスとこの人は幸せになって欲しいと思わせる。
重々しい大作、ではないところが、好印象の映画。ちなみに、エリスもロニーも胸が大きくて、女性のバストがよく目に入る映画だった。
私は体も薄べったいが、話も薄べったい。

最後に。
平穏って、運動とか「の力」とか学とかそういう言葉が付かなくて、研究もされないし、有り難い状態だなあ。






オランダの女優
カリス・ファン・ハウテン


 




2013年8月11日日曜日

丸い日、曲がる、回る


暑い。暑さの正念場のような日が続く。

新しいメガネが出来たので、取りに行く。
わたしには高価だが、思い切って奮発した。
文字通り奮発。なので、元気が出るような気がする。


掛けていて楽しいカラーにした。

わたしの代わりにフランク君に掛けてもらおう。





眼鏡屋さんはr.さん。オーナーは同じ方なのに、前は店名がglasses-r.さんだった。
前の長い店名の方がいいような気がする。眼鏡屋さんってすぐ分かるし。ただ、店名を書くときとか伝えるときとか、大変だったのかな。

さて、お店を出て、駐車場で車が出てくるのを待ちながら、ふとターンテーブルを見た。IHI製だ。
今まで気にも留めたことがなかったので、へええとつぶやいたら、何故か駐車場の係員さんが、すかさず、
「大概がIHI製ですよ。それか日立造船ですね」
と教えてくれた。両方とも似たようなことを幅広くやっているようだが、IHIは、どういうわけだか外国の自動車会社とどうたらこうたらとニュースに出ていたような気がする。何だか曲がっているのでは。


丸といえば、円。眼鏡屋さんも最初のお店は、コイン通りにあった。造幣局があるからコイン通り。

廣宮孝信さん「国の借金」”新常識”

最後に。明日からお盆休みの店舗が多い。夕日も沈みきらない7時過ぎ、どこも早めの閉店準備で丹念に掃除したり、張り紙をしたりして、順にブラインドやスクリーンを降ろしていっている。お店の灯りがきれいだった。


2013年7月19日金曜日

脱兎のごとく

あっという間に帰り道の話。

高速道路、名だたる名所を次から次へとかすめて素通りで帰る。
出発したときは薄曇りで、山の方は雨もぱらついたが、下るに連れて薄日が差してきた。
名古屋北部の小牧も渋滞なく通り、木曽川を渡る。日暮れには少し早くて明るい。
iPodの曲が、カルリーニョス・ブラウンの「Argila」になったのだが、この曲はノイズのような雨音めいた音が入る。

と、フロントガラスに雨粒が落ちてきた。お天気雨だ。

曲にぴったり合わせたかのようで、雨粒越しに前方の空と雲の写真を撮ろうと思ったが、カメラが手近になくて残念だった。
久しぶりに会った家族のことをちょっと思い返す。



Carlinhos Brown
 Argila
(粘土)



粘土でペインティングした人たちの動画もあるのですが、
見ると疲れてしまう気がして。


歌詞と訳は、いつもの「箱と曲」から


Argila
(アルジーラ)

Uganda, cubana, ipanamana, baiana, luanda, nada ruanda, 
kinshze, manga, banana
ウガンダ クバナ イパナマーナ バイアナ ルアンダ ナーダ ルアンダ
 キンシャサ マンガ バナナ 

Vinha rindo e circulando
笑い、回りながらやって来た
Sobre tudo o cobertor
ブランケットの上いっぱい
Do teu olhar verreu meus olhos
君は僕の目をちらりと見る
E do teu olho joio
そして君の目から落ちる
Uma gota de orvalho
露のしずく
Que era vidro se quedou
それはガラスのように砕け散り
Vivendo em despedace
かけらとなって生きている
E o coração coador
そして心を見透す君は
Sorriu vexado de amargor e se pintou
苦々しく微笑み、顔に模様を描く
Com a lama da lagoa pra à toa correr ê ê ê ê ê
沼の泥で、気の向くまま走るために

Uganda, cubana, ipanamana, baiana, luanda, nada ruanda, 
kinshze, manga, banana
ウガンダ クバナ イパナマーナ バイアナ ルアンダ ナーダ ルアンダ 
キンシャサ マンガ バナナ 

Se for feito de argila
粘土でできているとしても
Seis enfeites de darei
六つの飾りをあげよう
Flores não andam em dúzia
花は束にするとよくない
Só foi uma que eu robei
僕は一本だけ摘んだ
Sorriu vexado de amargor e se pintou
苦々しく微笑み、顔に模様を描く
Com a lama da lagoa coa voa
沼の泥で、(工事中)

Ê zuzuê
エズズエ
Ê zum zum zum
エズンズンズン
Ê zuzuê
エズズエ
zum
ズン

Uganda, cubana, ipanamana, baiana, luanda, nada ruanda, 
kinshze, manga, banana
ウガンダ クバナ イパナマーナ バイアナ ルアンダ ナーダ ルアンダ
キンシャサ マンガ バナナ 

Solidão anda de muda
孤独な男は心変わりをしながら歩き
Sei pra sempre te amarei
ずっと君を愛していることを知る
Procurei pôr essas curvas
そのくびれを求めていく
Quem no Tororó deixei ê ê ê ê ê
トロロー特有の

Ê zuzuê
エズズエ
Ê zum zum zum
エズンズンズン
Ê zuzuê
エズズエ
zum

ズン




カルリーニョス・ブラウンの前記事は「ああ、少しは近くなったような(2012.11.14)」祝衆議院解散だった。ああ、本当に今でも嬉しい。




2013年6月29日土曜日

クルマは潰さずに

飛行機からいつもの車の話。

春、我が家は車を買い替えた。10年以上乗った前の車とお別れするのは、大変辛かった。そのもう一つ前の車も10年はとっくに過ぎて、走行距離も20万キロ以上だったが、廃車ではなくニュージーランドに行くことになっているとディーラーの人から聞いていた。なので、別に寂しくも悲しくもなく、のんびりと余生を送って欲しいと願った。
ところが、前の車と今の車はメーカーが違う。今の車のメーカーが下取りはしてくれたが、すぐ廃車かと思うと、悲しかった。
せめてオークションにかけられて、必要な部品を取ってもらえたらと思った。
この辺のことを私は全く知らない。

ともあれ、何処かをのんびりと走っていて欲しい。公園か空き地で、のんびりと停まっていて欲しいと、時折私は夢みる。


アメリカ自動車中古パーツのリサイクル業者LKQさんの話

アメリカの自動車リペアパーツの市場は2000億ドル。自動車の修理交換でリサイクル部品が既に80%(数量ベース)以上、使われているらしい。
日本はどうなのだろうか。

珈琲バカさんのバンパー哀歌 






2013年4月21日日曜日

Celso FonsecaのParadiso(パラダイス)


外は夕刻だというのに、まだまだ明るかった。傘を開くと、強い風が雨を吹き付けてきた。ちょっと歩いたら、息が白く見えるのに気がついた。

お世話になったN先生を偲ぶ会がホテルで開かれて、夫とともに出席。
N先生が、ご自分で段取りを考えていらっしゃったというその会は、何とも言えず洒脱な、N先生のお人柄そのままの、本当に心温まる会となった。
神仏混淆ハイブリッド式と先生は仰っていたそうだが、ご遺族と出席者代表によるご焼香の後、祭壇が一変した。神職資格を持つ方が祭詞を奏上され玉串が奉られた。この一連の流れが極めて自然に行われた。

そして和やかに、先生のご希望通りに明るく楽しく、出席された皆さまとともに先生を偲んで歓談し、お別れを告げることができた。
何と素晴らしい会だったことだろう。
先生、ありがとう。

帰りは、風も止んでしめやかに降る雨が心地良いくらいだった。


Celso Fonseca
Paradiso
(パラダイス)


訳はいつもの箱と曲からです。
歌の最初のほうというか、
歌い方とか声とかあまり好きではないのですが、
この曲は気に入りました。
バックがいいですね。


Paradiso
(パラダイス)

O que a vida perguntar
人生が求めるもの
Deixa a vida responder
それは人生に応えさせる
Tolo é quem não quer acreditar
信じようとしない者は愚かだ
O chamado da paixão
パッションの叫び
o que alegra o coração
心を歓喜させるもの
O que a vida tem de mais vulgar
どんな人生が俗に香るのか

Venha ser meu paraíso
ここに来てぼくのパラダイスになってほしい
Artifícios furta-cor
虹色の装置
Tudo aquilo que eu preciso
ぼくが必要なものはそれだけ
É você meu céu azul
君はぼくの青空

Céu azul é de quem surfar
青い空はサーフィンをする者に属す
Vem na onda azul do mar
海の青い波に入り
Solta o ar e prende o fôlego
息を吐いて止めるんだ
O que eu chamo ilusão
ぼくがイリュージョンと呼ぶもの
Outros chamam solidão
みんなそれを孤独と呼ぶ
O que a rima tem de mais vulgar
どちらの押韻が俗に香るのか





2013年3月3日日曜日

ひょっとして、こんな道だったのだろうか。

もう3月になってしまった。
ずいぶん前に書きかけていたの話。

昨年末、友人と会って話をしていたときのこと。
新しい職場の話を聞いていたのだが、そこから車の故障の話になった。前に聞いたことがある話とは別の故障の話だったのだが、故障というよりは運転ミスで、それも道路に関連してのことだった。

その友人は、長い間アメリカに住んでいた。ある時、仕事でオレゴン州を車で走っていて、急にお腹が空いてしまい、買っておいたサンドイッチを無性に食べたくなったらしい。どうしても我慢できず、運転をしながらサンドイッチのパックを開けて、添えられていたマヨネーズのチューブを破ろうとしたら、なかなかそれがうまく破れない。
ふと、気がつくと突然道が曲がっていることに気がついた。時既に遅く、曲がりきれずに横へ突っ込んだそうで、そこは砂漠地帯だった。

砂漠といっても、荒れた地形にサボテンが生えているような砂漠なんだと思う。オレゴンには高原型砂漠があるそうだ*(wiki.jp)


さて、前に聞いた故障のときは、車に詳しい人が現れて助かったそうだから、その砂漠で、救世主ジョンは来なかったのかと聞いてみた*(当ブログ2011.12.22) 。残念ながら現れなかったそうだ。
どうやってそのトラブルから脱出したか聞く前に話が逸れたので、今度会ったら、サンドイッチに後からマヨネーズを掛けるものなのか合わせて聞いてみようと思う。

話が逸れたというのは、友人が、そのジョンさんに直してもらった故障の遠因となったことを思い出して、何か感じるものがあったらしく、また話してくれたからなのだが、それは、別の車で、アメリカ中部の南北の州にまたがって何度か行き来していたときのことだそうだ。2011.12.22の記事では、友人がミシガンから横断していたときと書いたが、私の記憶間違いであった。別の出来事と混同していた。

ともあれ、友人が南の仕事を終えて北へ帰る途中のあるところに、横手にいつも見える山があったそうで、その山を上っていく道が見える。
「それがね、道がね、曲がっていてね、その曲がった道がどうしても気になって」と、ある日ついに、そこを通って帰ろうと友人は決めた。
そこに山があるからではなく、曲がった道、山道があるからということだった。
ところが、
「途中まで上りかけたんだけどね、気が変わって引き返すことにして降りていったら、町の中で調子が悪くなってしまって」

こうして二つの話を合わせると、なるほどと思った。
アメリカはあくまで道はまっすぐで、突然道がカーブするなんて予定外だったのだろう。反対に、くねくねと曲がる道は、単調なドライブが続くと、惹きつけるものがあったのだろう。

でも、遠くからは小高い丘のように見えた山も、近づけばかなり大きかったのかもしれない。ナビも無いし、途中で引き返して正解だったのではないだろうか。
と、私は自分の中で、映画に出てくるような何も無いところを走るまっすぐな道と、青空の中にのんびりと構えた山、そして遠目でもはっきりと見える蛇行する道、つまり美しいドライブウェイを思い描いていたのだが、いや全然違う、こんな道だったのかもしれない。

それは、元トラック野郎の珈琲バカさんが経験した山の道路の話。崖と谷の世界。
そういえば、我が家も車で出かけて、怖い思いをしたことは何度もあった。私の別の友人もよくHPに書いているが、峠は怖い。山道は怖い。

*「珈琲バカさん」のわこうさんのブログ(top) 
「嗚呼、トラック野郎」内の「曲がらんね」(2010年3月15日)

ネットで車のことを検索していて、拝見しました。この方は多方面でご活躍されていらっしゃるようで、HP(ブログ)に載せられているプラモデルが面白く、美しいです。


物流の要、トラックの運転手さんには感謝です。


そうだ、元々は道というか道路の話で、インフラ、なかでも高速道路の老朽化にようやく関心が向けられるようになってきたこの頃、日本の高速道路建設は、諸外国と違ってコストが高くなるのは必然、ということに納得した話を書こうと思っていたのだった。

*短足おじさんの思いつ記
「高速道路無料化の愚(2009年8月15日記事)
大型トレーラーが写っていますが、短足おじさんが仰るように、こんな車が高速を走るようになるとは建設時に考えていなかったでしょうね。
「珈琲バカ」のわこうさんがトラックの運転手だったころの話と読み合わせると、過積載や、道路構造の問題点などが運転手の責任になって大変なことがよく分かりました。


これは無理かも。
*痛いニュース(2013.2.27)
時速80キロ・車間4メートル、トラック隊列自動走行/NEDO


まあ、インフラ整備を期待したいです。ばらまきじゃありません、必要ですね。




2013年2月20日水曜日

まわりくどくも、10年

前回、神社で参拝するときの拍手を打つ回数について書いたが、厳密に決まっていたわけでもなく、せいぜい明治時代くらいから全国的に統一されたのだと思う。検索するといろいろ出てくると思うが、神事をしにお参りにいくわけでもないし、あまり深くは考えまい。
作法とは順路のようなもので、それに則って進めば、ああだこうだと悩む無駄がなくて安心できる。
まあ、そうしたお参りも一種の方便で、神様でさえも「一種の方便(メソッド)だと言ってしまえば、身も蓋もない」とどなたかが書かれていたのを読んだことがある。すべては記号でお印のようなもの、かもしれない。

話が逸れていきそうなので、本題。
ここ数日、PさんのHPを読み返していた。そのHPは既に10年くらい前に閉鎖されているのだが、少しプリントアウトして残しておいた。Pさんというのは、哲学者由来のお名前で、教養講座のページはあったが、あとは、ほとんど私には理解できない話ばかりだった。
でも、面白かった。

教養講座の中に経済史から今後の世界を考えるという話があって、商品価格がサイクル理論で上がっていき、中東戦争も勃発し、原油価格は上昇するでしょうと書かれていた。
これは、誰もが予想できる当たり前の話だったかもしれない。
そういえば当時、「国家破産で円大暴落」というタイトルの本が、年中閉店セールの幟を掲げている紳士服店のように新聞の広告面を占めていたので、原油価格の上昇とともに円安(暴落)になったらどうしようかと思っていた。
原油価格のことばかり私は取り出して書いているが、ちょうどその頃、今と同じように車の買い換え時期にあったからだ。

あのときに選んだ車、つまり今、乗っている車を買うときに、ひとつだけ気になったのが燃費だった。当時乗っていた車も同じメーカーで平均8〜9㎞しか走らない。せめて11キロは出て欲しいと常日頃から私はやかましく言っていたのだが、燃費は変わらないようで悩ましかった。
いや、他のメーカーと比べても正直大差ないと思ったのだが、原油価格自体が将来的に大幅に上がるのではないかと不安だった。多少燃費のよい車に乗っても仕方がないようなことになるかもしれない。

だけど、車を購入するときに原油価格が上昇しそうなのが怖い、なんて言う人はいない。私は試乗車の中で、
「今はガソリンが70円、80円でも100円を越して、120円、140円になるかもね」と呟いたのだが、あっけなくその夜だったか、購入を決めてしまった。

それから世界では気になることはいっぱいあったが、幸い全世界を巻き込むような戦争には至らなかった。
そうそう原油価格はぐんぐんと上昇していった。
ほらね、と思う余裕はなかった。世間は素早い。理論ではなく現実への対応が早くて、低燃費エンジンが開発され、消費者はエコカーにどんどん乗り換えていったのに、我が家は燃費の悪さを嘆きながらも、今の車が好きなので買い替える気にならなかった。

でも、あの10年前、燃費の悪さを承知で何故選んでしまったのだろう。

PさんのHPにはちゃんと答えが書いてあった。
ワイマール体制下のドイツ政府とドイツ国民に対してのコメントで、
「皆、当面の傷みを感じず過ごせればよく、破局の先送りを甘受するのが民主主義国家とその国民なのだ」
別に当時のドイツ人に限らず、今が良ければ先のことは考えまい、と思うのが人間の常なのだろうが、意外と世の中、そういうものなのね、ということに驚くことが多いという話なんだろう。だって、人間だもの、ということか。
それに、先のことばかり考えていては物事は進まない

ともあれ、あのとき、好きなものを選んで後悔はなかった。困ることはあっても。



うーん、それにしても社会保障関連の税・保険料負担の上昇に、その日は来るのね、というのを実感している。





2013年2月3日日曜日

いっぱい、聞きかじってきた

2月1日、何だか騙されているような気がする。
2月2日、何だかあえて印象が薄い。
これは暦の感覚のことなんだが、あとに、節分、立春と続くせいだろうか。

さて、このあいだからについて話を書きかけていたのだが、さすがだけあって道のりは遠いし、脇道へ逸れていってしまうので、今日はまた車の話で前回記事の続き。

車が趣味ではないが、車検の時期や走行距離20万キロに近づいているので、目下最大の関心事となっている。
できればもっと長く乗りたいのだが、燃費が悪くてガソリン代が負担である。

でも、これはと思うような車が無い。
そんな折り、先週ひょんな展開で車Aを試乗しに行ったときに、突然名前が浮上してきた車がある。地味で不人気らしい。Aと同じメーカーなのに、その名を出すと営業の人たちが狼狽えた。積極的に売りたくないようだ。
それならば買い手にとってはよい車だろうと益々惹きつけられたが、展示試乗車は県内に3台くらいしかない。

幸い中古車があったので、先に見に行ってみた。年式は昨年で新しく、カタログよりずっと実物はきれいで好ましい。中はさっぱりとしているが、落ち着いていて貧相ではない。我が家は高級感は要らないから、これくらいでちょうどよい感じ。
飽きずに長く乗れそう、ということは回転率を考えるだけの販売なら、売り手は嫌がる。
また、そのメーカーを好む人たちからはテイストが違うようだ。至れり尽くせりのおもてなし感がないし、ステータスシンボルでもない。知名度が低い。

つまり不人気車の王道で驚くことではないのだが、この中古車販売店の担当者から話を聞いて改めて感じたのは、いまだ回転率だけの販売の仕方が主流なのかということだった。
今の若い世代は、自分の価値観を大事にすると思うから、販売の仕方や車も変わってきているのではとないかと暗に思っていたので、意外だった。
道理であの車Aは、中に乗り込んだときから降りたくなるような車作りをしているわけである。車自体を5年後にヨタヨタと壊れるように作っているわけではなく、わざと飽きるように作っているとはさすがだ。

その点、同じメーカーでも高級車になると、きめ細かく配慮がされていて、他のメーカーに流れることはなさそうだ。
輸入車も200万円台でも中を覗けば、バランス良く作っている。10年前、うちの車に決める前に、Vサインで笑っている車を見せてもらったが、上品にまとめてあった。そのメーカーは本国では大衆車なのに、販売戦略がうまいようだ。何よりロゴが大事なのかもしれない。
そういえば、近所のお店で外車ばかり止まっているところがある。アウトレットの衣料品店なのだが客筋がよくて、最高級車や個性的できれいな外車ばかりで面白い。
お金があるから輸入車というのでもなく、内外のバランスが取れていて落ち着くのが魅力なんだろうな。

ところで、今回担当してくれた方は、車が大好きなおじさんで質問をすると何でも答えてくれたし、中古車市場の話も海外まで及んだ。
話が芋づる式に出てくる。
会話は弾むがそろそろ帰ろうかと、だんだん場所を移動するのだが、見に行った車は一番壁際を制していたので、横長の店舗中央まで距離がある。おまけに中古車に囲まれているのでその都度、おじさんの解説が入る。
車自体ではなく、その車体の需要が生まれる理由とか、その車種が中古車市場でどういう位置づけかとか社会現状を語ってくれる。興味は尽きないが、じりじりと我が家の車まで来たときは、さすがにほっとした。

「話し出すと止まらないもんで」とおじさんも苦笑しながら、名刺を渡してくれた。

「もっとクルマの話、しませんか」と書かれてあった。
もうお腹いっぱいです。

今日はここまで。



2013年1月28日月曜日

地味だけど狼狽させる


寒い。
この寒さが始まったのは25日の金曜日だったか、この日ある方のブログで日本の最低気温にまつわる話を拝見した。八甲田山とカメラのニコンの話で、リンク先には昔作られた「八甲田山」の映画もご紹介があった。私は艱難辛苦やヒューマニズムが苦手で映画のほうは見ないと思うが、雪中行軍は興味深かった。
その方のブログ*では車や高速道路のカテゴリーもあって、おかげさまでひとつ思い出したことというか納得がいったことがあるのだが、今日は別の車の話。

その金曜日のこと。我が家は車の買い換えを検討中で、ネットで車情報を見ていたときにセダンの車が目に入った。メチャクチャ普通の形が好ましい。我が家は地味で普通にきれいな形の車を探している。調べると、何と燃費がよい。昨年モデルチェンジをしてから評価が一変したようで、そこそこ褒めている。

有力候補にしている、とあるメーカーの「地味で普通だが燃費が悪い車」の問題が一挙に解決されたとばかりに、試乗の申し込みをした。こういうときはネットより電話のほうが早い。

日曜日に決まる。
出かける前に、本日の試乗車の情報を確認していると同じメーカーで見たこともない車が突然出てきた。セダンではないが、形は普通に綺麗だ。コストパフォーマンスもよい。
なのに不人気車みたいで、あまり情報も得られないまま、まずはお目当てのディーラーを訪ねた。
お客さんが多くて混雑していた。高速のサービスエリアのように見えた。
試乗車もまだ空いておらず、電話受付の担当者の代わりに別の営業の方がしばらく応対してくれた。
ざっと話のやりとりをして、これから乗る予定の車Aが、同じ会社のベストセラー車Bと北米市場では値段がほとんど変わらないと聞くが、日本ではAのほうがかなり高くなっている。どうして、こんなに差があるのか尋ねた。

すると、Bのほうはライバル社の価格と対抗するために低く抑えたらしい。今から徐々に高くなります、という答えであった。Bもすぐ近くに展示してあった。
そのBやら何やらはいかがですか、と営業マンから車種名が幾つか出てきたが、我が家には合わないので興味を持ったことはない。それよりも、ネットで直前に見つけたCの車の名を出してみた。
今まで「〜ですよねえ」と適当に相づちを打っていた営業マンが何故かそわそわしだした。同じメーカーだが販売網が違うせいだろうか。いや、違う販売網の車でも自社(自車)自賛ムードで、人生のステータスシンボル、またはステージシンボルである車を貶めたりはしていない。特に中高年の夫婦の前では。でも、我が家はそういうのに、関心はない。

「あれはいい車なんですがねえ」と営業マンは肯いたが、「高くなったはずですよ、確か」。
空気は否定的である。

はて、高くなったと言うが、価格は見てきた。でも、本当はオプションをバカのように付けさせる車なのかもしれず、「そうなんですか」と答えておく。
と、試乗車が空いたみたいで、電話受付の担当の方が来られた。見るからに疲れていた。誠実そうだが、試乗しても何も言わない。お愛想笑いもしない。仕方がないのでこちらが話してみるが、会話も打たせて取るタイプでもないようで無口だ。
会社が繁盛するということも、人には厳しいものだ。

さて、肝腎の車は、実物を見ると外見は失望程度だったが、聞きしに勝る(ネットで読んだ)以上に、内装にがっくりだった。
昭和の香りがするとあったが、本当であった。質素とチープは違う。この値段でこの車はないだろう。
でも、燃費が魅力的な長所だと話しておいて、ついでに「内装のこの部分、変えたほうがいいですよ」と言っておいた。
改めてこの担当者にも候補車を聞かれたので、Cの名前を出してみた。すると、初めて表情が変わった。やはり、「高くなったんじゃないですかねえ」と同じことを言う。

もうAの車とディーラーには用はなくなったのだが、恒例のトイレの話。
先週見に行ったところと同じく、お花畑だ。飾り立てている。手を洗うカウンターには、ラッピングされたジャムのような瓶がいくつか置いてあった。

ここからの帰り道、犬も歩けば棒に当たる(この場合はラッキーな意味合い)で、ちょうど別の販売網があったので寄ってみた。確かそこでCの車を取り扱っていたはずである。
大変愛想の良い若い営業マンが出てきてくれた。単刀直入にCの車はある?と聞くと、困ったような顔をされた。
その店には展示車はないし、置いている店をすぐには答えられない、分かりませんということだった。お手間は取らせたくなかったので、家で調べるからいいと断って、カタログは一応置いてあったのでもらった。
ちょっと質問をしてみたら、「嘘ついても仕方ないんで、正直に言いましょう」。
あまり正直が似合わないような人なのだが、ご自分に損なことはしない人みたいで、
「これは、あまりご要望のない、つまり売れていない車で、今まで1台だけ、出たことがあります。
一気買い(一騎買い?)というか、もうその車だけ目当てで来られて」。

電話一本の注文だったらしい。
もらったカタログは、このメーカーにしてはこれまた質素で、好感が持てた。
こうしてますます興味が湧いたので、帰宅後、すぐに試乗車がどこにあるか調べた。市内ではあるが中心部からは遠い。電話をしたら、若い男性が出てきたが、Cの名前を出すと、慌てだした。

試乗車はあるが次の土日もどうのこうのと、思いっきりあやふやに話すので、こちらは思いっきり何か不都合なことを想像してあげたが、まあいい。
2月の半ばまでは急ぎませんよと伝えると、少し落ち着いたようで、確認しますと言ってかなり待たされた。女性社員に変わった。テキパキとしている。半月先くらいに、メールではなく電話で予約しなおすということで、話がまとまった。

Cの車はごく普通の地味な感じの車である。
ただ、そのメーカーでは妙に隅に追いやられているようだ。その隅を突くと、売り手側が嫌がるようなのが可笑しい。それは買い手にとっていいことかもしれない。だけど、積極的に買いたいというほどではない。最後の手段、逃げ道というくらいかな。

値段のことだが、マイナーチェンジでグレードが上のものが発売されて、それのことを高い高いと言っていたようなのだが、試乗したAのほうが、断然高い。
この上のグレードというのに乗るつもりはないけれど、カタログで内装をよーく見ると、Aの車と同じようなパネルが貼られている気がする。何だか嫌な予感がする。

でも、見に行くつもり。よろしく。



「短足おじさんの思いつ記」ブログさん  「1月25日に起こったこと」




2013年1月21日月曜日

話がよく分からなくても面白いことと、よく分かって驚いたこと。

今日は、お天気が悪くなったが、嬉しいニュースがあった。
経団連が昨年末、春闘の方針案に「定期昇給の見直しを聖域にすべきではない」と盛り込んでいたのに、その文言を取り消したようである(1/18)。

私は、景気回復に水を差す経団連に腹が立っていた。いつも同じことを繰り返すようだが、可処分所得が減る一方で、生活は苦しい。給与が上がらなければ、何も買えないのだから、景気はよくならない。
経団連は、景気が回復しなければ安倍政権のせいにするのだろう。

さて、安倍内閣が誕生するまで、私は全然存じませんでしたが、浜田宏一先生はいいな。
きっとファンを増やしていらっしゃるだろう。

それより、デフレ大魔王のしらかわさんが、まだ総裁をやっていらっしゃることに驚いたが、浜田先生の教え子とは驚いた。みんなによく読まれている記事だけど、備忘録で。

現代ビジネス 浜田宏一「教え子だった白川方明日銀総裁はどこで道を誤ったのか」

ダイヤモンドオンライン 浜田宏一・内閣官房参与 確信インタビュー「アベノミクスがもたらす金融政策の大転換 インフレ目標と日銀法改正で日本経済を取り戻す」


「C先生のworld view」ブログのリンク先、「市況かぶ全力2階建」さん記事も面白い。
NHKの討論番組で浜田宏一先生が「野口悠紀夫先生は時代遅れ」と正面から叩き切りになられる



ところで、昨日は全国都道府県対抗男子駅伝があった。第2区で区間新記録を取った中学生(地元広島)が、インタビューされているのをたまたま聞いた。
何と素晴らしい受け答えだろうか。スポーツ選手は体だけでなく頭もよく回り、淀みなく感想や考えを話せる人が多く、いつも驚くのだが、まだ中学生なのに、過剰な敬語遣いもなく、自分のレース分析や後続ランナーへの期待を冷静に話していた。
細かい内容は覚えていない。ただ、非常にしっかりしていたので恐れ入った。

インタビューでは聞き手が、何度も内容がかぶるような質問の仕方をすることがよくあり、質問されている人が気の毒だと、呆れることが多い。今回そういうかぶりがあまりなかったとはいえ、その中学生の答え方はきれいだった。


*こんなブログに名前が出たら気の毒かもしれないと思って、お名前は出しませんでした。






2013年1月18日金曜日

少しずつ片付ける

今週は何となく、そわそわして気になることが多い。

でも、それらはみんな省略。

さて、前回子どものことを書いたが、諸星大二郎のコミックで、ある少年の話があった。得体の知れない塊のような生き物を河原で拾ってきてこっそりと食事を与えていたら、その生き物もいつのまにか両親とともに食卓を囲むようになった。
グフグフとしか言わない気持ちの悪い塊なのに、両親は知らない顔をしている。

とここまで書いて、検索してみたら「子どもの遊び」というタイトルで、主人公は子どもではなくお父さんのほうだった。子どもが物置に隠して遊んでいる奇妙な生き物を見つけて、お父さんは箱に入れ、自転車に積んで捨てに行きかけたのだった。すると、箱の中からその生き物がお父さんに呼びかけるのである。

うわあ、いっきょに諸星さんの絵が思い浮かんでくる。
それはさておき、私のストーリーの思い出し方は、お父さん目線ではなく、子どもの立場からだった。これは、何か格好の分析対象になるかもしれないが、その奇妙な生き物のこと。
すっかり家の中に居着いてだんだんと人間の形をしてくるようになる。お父さんはそんな生き物が町のあちこちで見かけられるのに気がつく。隣の家にもいた。やがて、奇妙な生き物の代わりに息子のタケシ君はいつのまにか消えていなくなっている*。


この気持ちの悪い漫画をうちの子どもも読んだ。
それから何年後か、子どもは高校のバザーにそのコミックを出していた。古くて汚かったが売れたようだ。


ということで、我が家ではときどき、親子で互いに探りを入れて「いつもと違う気がする、どこかで入れ替わったのじゃないよね」と確かめることがある。平和な一家である。
これが子どもを怒ったり心配したりしているときは、もちろん我が子と信じて疑うことはない。
だけど、本当のところ、どうだろうか。私も昨日の自分とは似て非なるものかもしれないし、同じかもしれない。まあ、そりゃ、違っているだろうけれど。

話が脱線しそうなので、今日はここまで。
そわそわしている理由の一つは、今、あちこち片付けているのだった。モノが少ないので散らかってはいないが、昨年は丁寧な掃除をあまりしていないから、家の空気がどんよりとしている。
大陸からの黄砂や大気汚染物質も酷いけれど。

ついでに全然関係ないが、ギリシアでプラトンゆかりのオリーブの木が持ち去られたらしい。冬の燃料目的か、ということらしい(47ニュース)
ギリシアといえば、財政危機よりも怖いのが不法移民だと昨年、ニュース記事を読んだのが印象的だった。



*あらすじは、「第4話・タケシを狂わせろ」さんで。




2013年1月12日土曜日

今日も昨日と同じ

昨晩、他のサイトさんのまとめ記事などを読み返していた。

話の大雑把なところも細かなところも理解できなくても、C先生のブログ経由で読む「市況かぶ全力2階建」さんは面白い。

・「建築知識『普通の子に戻ります』(←正気に戻った)」  そういう雑誌があるのも知らなかったけれど、去年一年間12冊分の表紙があれでした。
・最強の入金投資家さんの話など 
・東電のM字回帰アートなどなど

広電の社長さんの話もあった。電力ではなく、市内電車の会社。索敵という言葉を知った。

と、他にいろいろ書きかけていたが、今回の記事はアップしないだろうなあと思いつつ、寝ることにした。


そして今朝のこと。9時を過ぎた頃、突然ご近所がバタバタしだした。
見ると、小さな軽トラックが止まっていて、ご近所の方が梱包した荷物を載せている。
引っ越しかなあ。どう見ても引っ越しだろう。
トラックが一回出て行って、また戻ってきて荷物を積んでいる。

私は大変嬉しくなった。あの若い方たちも、この近くのマンションか家を買って出て行かれるのだろう。
この辺りは大変便利だし煩わしいことがなくて、住み始めると引っ越せなくなるのだが、車の騒音や排気ガスが酷くて、健康には良くない。だけど、最近幾つも建設されたマンションは、しっかり対策が施されている。よかったねえ。

それにしても、新年早々いいことがあるものだ。
引っ越しの活気が一段と高まった頃、ちょうど夫が用事があって外へ出た。言葉を交わしているようだった。
小一時間ほどして帰宅した夫に引っ越しのことを聞いた。
すると、「それがね、荷物を運び出しているだけで、引っ越しじゃないんだって」。

・・・・・・
しまった、あの若い方たちへの祝福が足りなかったのかも。祝福というのは、相手の幸せを祈ることである。そうすると、大概いいことが起きる。

それはさておき、あの荷物の運び出しは一体何なのだろうか。
と書きつつも、数ヶ月前に同じくらいの運び入れがあった。そのお宅に新しく居住者が増えたみたいで、引っ越しのご挨拶はなかったが、早々にその新人さんがうちに寄らなければいけないようなことが起きてしまった。それも早朝だったのが可笑しい。

まあ普段は挨拶しかしない関係なので、お互いに知らず存ぜずで構わないのだが、実は駐車場の車の出し入れに関することで、何度か困ったなと思ったことがある。ひと言言ってくれたら済む話ばかりで、今回のような荷物の出し入れの時も、声を掛けてくれていたら、さぞ気持ちの良いことだっただろう。

というわけで、朝方急上昇した気持ちは、お昼前にはまた、いつものところに落ち着いた。東電の回帰チャートがよく理解できた。記事の一番最後の図




画像、お借りしました。


ともあれ、何事にも気持ちを左右されてはいけないのだろうなあ。
それに、余計なお世話もいけない、まずは我が家自身を祝福せねば。どこかに行けるかも。





2013年1月3日木曜日

順序が逆でごめんねと、O mundo é só miragem

今年は1月1日が、非常に長く感じられた。それも好ましい感じで。
何の関係もないが、よい年になりそうで嬉しい。

ところで、今日はまた、友人と会った。この一週間で二人も旧友に会うのだから、私にしてみると本当に珍しいことだと思う。

帰宅して、会ってきたばかりの友人に年賀状を書いた。
先に早々と戴いているし、うーん、何だか変なオジサンめいたことをしていると、少し気がとがめた。

でも、年賀状というと私はのんびりとしていて、年の暮れにはたと思い立ち、年を越しながら書くのはよいほうで、大概いつも三が日を過ぎる頃から書き始める。

今年ほど、謹賀新年の文字が、爽やかで晴れ晴れとしていた年はないように思うので、やっぱり遅いのは申し訳ないかな。




世界は蜃気楼、マトリックス。
ならば、
今年はお金が循環して、みんなが浮かれて、
景気がよくなりますように。


レニーニ
E o Que Me Interessa





この世(空間)の歌だと思うのですが。


 Daqui desse momento
この瞬間、ここで
Do meu olhar pra fora
君に向けた僕の目から見れば
O mundo é só miragem
世界はただの蜃気楼
A sombra do futuro
未来の影
A sobra do passado
過去の影が
Assombram a paisagem.
風景を消し去る

Quem vai virar o jogo
ゲームの流れを変える者は
E transformar a perda
Em nossa recompensa
失ったものを利益へと変える
Quando eu olhar pro lado
僕が横を見る時
Eu quero estar cercado
僕は閉じ込められたくなる
Só de quem me interessa.
僕の心を引く人だけに

Às vezes é um instante
時々瞬間が来る
A tarde faz silêncio
午後が静けさを作り
O vento sopra a meu favor
僕の好きな人に風を起こす
Às vezes eu pressinto e é como uma saudade
時々僕は予感を覚えるが、それは懐かしさのようだ
De um tempo que ainda não passou
まだ過ぎ去ってはいない時間の
Me traz o seu sossego
君の安らぎが僕にもたらし
Atrasa o meu relógio
僕の時計を止め
Acalma a minha pressa
僕の焦りを鎮めてくれる
Me dá sua palavra
君の言葉は僕にくれる
Sussurra em meu ouvido
僕の耳にささやきを
Só o que me interessa.
それだけが僕の心を引く

A lógica do vento
風のロジック
O caos do pensamento
考えの混乱
A paz na solidão
孤独の中の平穏
A órbita do tempo
時の軌道
A pausa do retrato
肖像のポーズ
A voz da intuição
直感の声
A curva do universo
宇宙の曲線
A fórmula do acaso
幸運の公式
O alcance da promessa
約束の及ぶ力
O salto do desejo
欲望のジャンプ
O agora e o infinito
今と無限
Só o que me interessa
それだけが僕の心を引く







2012年12月30日日曜日

わたしの話は変わらない

帰省してきた友人と会うことになった。

待ち合わせをしてから寒い中、隣の隣くらいのご町内へ歩いて出かける。散歩にはちょうどよい距離で、市内電車の音が響き、すれ違う人がまばらに現れてくる休日の歩道をただ西に進んで、街角にある、おフランスのケーキ店に着いて、二階に上がる。
がらんとした板張りの空間に大きなストーブが燃え、小さなテーブルと椅子があちこち置かれて、足音も椅子を引く音も響く。お客はほとんどいない。去年食べた、表面が琥珀のようなキャラメルでナッツが入っていたケーキを食べようとして、名前が思い出せない。一階からケーキをひとそろい持ってきてくれて選べるのだが、その日は作っていなかったようで、別のケーキを食べることとなった。友人は5種類のケーキが載ったプレートセットでお得。
食べながら、友人の仕事の話を聞く。

昭和の初期からあるというこの店は、一階のフランス菓子店とは別経営らしいのだが、レトロ喫茶のように艶々としているわけでもなく、意外と簡素で素っ気ない。階段の踊り場、階段を上がったところにあるホールとか二階席を広く大きくしたような感じで、奥の厨房側が暗くて通りに面した窓際が明るい。
友人からいろいろと聞いて帰った。3月に遭遇した地震のことや仕事のこと。長いお茶の時間だった。

と、書いたのが今年の初め頃だった。
友人の話が面白くて、そのことを書こうとしたらまとまらず、ほぼ一年が経ってしまった。
その友人とまた会うことになったが、今回は年明けではなく、年末である。

やはり同じように待ち合わせをして、歩いて同じ店に行った。

友人は転職をしていた。

それもまたとても面白い話で、聞いていても喉が渇くので、今日はおフランスのケーキ店2階をちょっとだけ早く切り上げて、近所の商店街にある喫茶店にも寄った。最初の店が「広島で初めてクレープを出した店」なら、次のは「広島で初めて(公式記録では日本で最初に)モーニングを出した店」らしい*。
どちらもゆったりと過ごせて有り難いのだが、前者はタンブラーに氷が入っていなかった。後者は氷が入っていて、清々しかった。
前者が「房州」、後者が「ルーエぶらじる」という。

ぶらじるのほうにも、その友人と一度寄ったことがあって、アメリカのヒマワリ農場の話を聞いたことがある。
ぶらじるは、別の友人がトイレが面白いと話してくれたことがあるのだが、お店が改装する前のことだったと思う。改装したといっても、かなり前のことだったかな。というのも全く今風ではなく、それが商店街に合っているのだが、奥の座席は小さな中庭が望めて、表とは違う空気感だった。
また、お店の階段下には雑誌や新聞を並べてあるブースがあって、二人分くらいのカウンター席を作ってあるのが、面白かった。今回もトイレは利用できなくて残念。

もう日が落ちかけていたので、また歩いて待ち合わせをした場所に戻る。プレセールや歳末の福引きなどで、人がごったがえしている。
まだ年が明けていないことを忘れていた。なのに、これだけの人混みの中でも、もうあまり関係ない気がした。
それに今日は暑かった。この記事の出だしとは全然違う暖かさで、房州はストーブを出していたのだろうか。これが全く思い出せない。入ったときは、もわっとして暑苦しいくらいだった。


いろいろと盛りだくさんに話を聞いて帰ったから、夫にも覚えている限りの話を伝えた。夫も友人のことをよく知っている。
私の話を聞きながら、夫はテーブルの上に両手を置いて、
「いやあ、去年とは全く違う世界にいるよね」と言って、
掌を返した。本当に、180度違う世界にいた。

2012年10月23日火曜日

昔と今は違うはずなのに、 追記10.26


前回記事に出てきたテーブルマナーでの男女差別で思い出したが、私は長い間、書きかけのことがあった。理美容院の違いである。でも、またそれは今度にしよう。

さて、私は男女差別主義者で、例えば医者にかかるなら女医さんだと思っている。男性のお医者さんは、どうも性格が屈折していてこちらが気を遣うことが多かった気がする。ストレスを溜めたあげく、趣味に没頭していそうだったし。
これに反して、女性のほうは合理的で無駄がなく、本当に頭がよくてスペックが高そうに感じる。開業医のお医者さんを見ると、その細腕で、一体何人の看護師や従業員を食べさせているのだろうか、凄いなあとよく思う。

ただし、専門外のことでオピニオンリーダーになりたがる人がいるようで、私は意見されたくないので、診てもらおうと思ったことはない**。

でも、これまでお世話になった先生達を思い浮かべると、男性のお医者さんでも立派な方がいらっしゃった。有り難く思う。今の主治医も男性だ。

私が定期検診で診てもらっているその若い男性の先生は、患者を呼ぶとき、かなりアホめいた発声で聞く度にがっくりするのだが、お会いすると印象が知的に変わる。
屈折どころか、屈託無く育ってこられた感じがして、感じが良い。背も鼻も高くて顔も長く、たいそうな馬面だと思うのに、”きれいめ”なのは間違いない、かな。ある意味、ある種の典型的な医者の感じはするけれど。(後日追記、馬面ではなく、面長だった)

後ろに控えている看護師さんたちは、看護婦さん、やっぱり女性がいい。看護婦さんて、気が強い人ばかりかと思っていたら、いろいろな人がいるのを知った。

いくら男女差別主義者で偏見に満ち溢れた私でも、世の中、優秀でテキパキできる女性ばかりになってしまったら、無駄がなくなって困ると思う。ドイツのメルケルさんはケチだと聞くし。

こんなことばかり書いていては、いけない。世界には何も自由がないところが多いようだ。
男女差別をなくすということ、そもそも、フェミニズムの必要はどこから来たか考えたが、「苺畑さん」*のブログ記事を拝見し、なるほどなあと思ったことがある。



   苺畑さんが、[ブックワームさん]のブログ記事をご紹介されて
ーアメリカのフェミニズムというと、今や全体的な女性の集団という勢力拡大が目的であって、日々の生活の中で個々の女性達が直面する苦労をいかにして緩和するか、ということではないー 原文ママ 


全体主義者と個人主義者のことについてもよく分かり、こうした記事を読むと、それはもう、若い頃の自分を思い出して、私は嫌なヤツだったと思うけれど、どうして今も嫌なヤツなのだろう。




*「苺畑より」ブログさん
 ”April 16, 2012 何故フェミニストはアン・ロムニーを嫌うのか”
他にもフェミニズムに関するカテゴリー記事があります。
別記事で、機会均等と結果均等は違う話など、例えば、
ある集団の中で男女差が大きいので、半数は女性にしよう、という結果均等を求めるような主張についてなど。 これは機会均等とは別。

*まんが日本昔話 過労死するお嫁さん
「深んぼのすげ笠」「嫁田の話」
友達のHPで読ませてもらった話を思い出す。男女差別の話ではないが、同級生や近所だった女の子、男の子(既に成年だけど)たちの消息。お母様から聞いた話。気持ちの優しい人たち。
かと思えば、パワハラ、セクハラまがいの品のないおじさんせんせー。


今日は、ここまで。

追記  10.26


**「専門外なのにオピニオンリーダーになりたがる人がいる」と書いた。こちらで「何とか問題」(私はテレビも見ないし、今は新聞も読まないから目にすることは減ったし、元々系統が違う)になると、よく名前を見かけた人のことが浮かんだのだ。でも、ちょうど「苺畑より」ブログさんの最近の記事の中に、そういう話もあったのだった。
真似してすみません。

October 19,2012 「留守番中の少女、強盗に発砲」の終わりのほう

まさしく、none of your business かなあ。私は、苺畑さんのブログを、C先生のブログを通じて知った。政治については分からなくて、給食とか教育、生活に関することなどで、アメリカの「自由」について、書かれているのが興味深い。



*占いで面白いのがある。
アメリカは星座で言うと乙女座だそうだ。 項目「乙女座の恋愛と結婚」に出てくるが、恋愛の話ではなくて、「米国人は個人主義で団体行動が嫌い、だがテロの行為に対しては一致団結する」。






2012年10月20日土曜日

10月の覚え書き おかしなおかしな訪問者

秋は思いのほか忙しい。

久しぶりにIn Deepさん*のブログを拝見した。タイトルが「黒い太陽を見ながら『キリストの最後の晩餐』の真実を探しに」(2012,10.17)。キリストの最後の晩餐は、キリストと弟子達がテーブルに着席してではなく、古代ローマの貴族達のように寝そべって食べていたのではないかという話。


中世ヨーロッパはテーブルマナーどころかフォークもなくて手づかみで食べていた話は、ご存知の方が多いかと思うが、そうした点から考えると、キリストの時代はどうだったのだろうかと、なるほど気になってくる。
でも、そうしたタイトル記事の内容に加えて、In Deepさんのブログは、いつも少し横道に逸れた話が面白い。誰それと誰それが似ているとか、映画の話など。

今回は酒井美意子さん(1926年-1999年)という「マナー研究家の第一人者」を紹介されていた。酒井美意子さんは旧加賀藩前田本家第16代当主前田利為のご息女らしい。そのやんごとなき方が自著で書かれたことを引用されているのが面白かった。孫引きで恐縮だが、

”女性はパーティーで鶏肉をお皿にとるとき、脂身の少ない淡泊な部位である胸肉などホワイト・ミートをとり、男性はコクのある赤みを帯びた部位である腿肉ダーク・ミートをとる決まりがあったらしい”、そこを、

「これに敢えてマナーに反し、男性向きとされるダーク・ミートをいただくことにしている。
なにしろテーブル・マナーは男尊女卑の18世紀に作られたのである」
            『食通にささげる本』(1979年)


酒井さんは毅然として格好よさそう。
レディーファーストも男尊女卑に基づいている、と聞くけど、まあ、今の時代日本で好きなものを好きなように食べられるのは幸せだ。

話は中世ヨーロッパの食卓に戻って、わしづかみで食べていたことなのだけれど、映画「おかしなおかしな訪問者」(1992年コメディー)を思い出した。
ジャン・レノが騎士役で12世紀初頭から1990年代にタイムスリップしてくる話。当時の生活をなかなか忠実に再現していたそうで、当然食卓シーンがあったと思うのだが、ジャン・レノがバスルームでトワレか何か全部入れて入浴するシーンしか覚えていない。検索したら同じような(記憶の)方がいらっしゃった。

この映画の続編かリメイクがあるとは知らなかった。アマゾンで見たらビデオはあるがDVDはないようで、もう一回見るにはと考えていたら、動画にアップされていた。


Les Visiteurs 1



今晩、見てみよう。


In Deepさん(top)
「黒い太陽を見ながら『キリストの最後の晩餐』の真実を探しに」(2012,10.17)
古代ローマの美食家「アピシウス」もご紹介くださっていて面白い。

たまねぎ地獄さん(top)中世ヨーロッパの食卓



全然関係ないけれど、履歴を消去するまえに。それも大体がC先生ブログの些細なご紹介からだけど。
*「藻類の超高速増殖で日本が産油国になる?」日経ビジネス (2012.10.15)で紹介されていたそうで、
筑波大学 渡邉先生と彼谷先生のプロジェクト(筑波大学)
   ガソリン代、何とかならないかな。

ブリヂストンの免震ゴム、リニューアルした東京駅に採用(ライブドアニュース)
ブリヂストンだけでなく、他のゴム会社も耐震製品を作っているようで地震対策に期待したい。

*「短信・きょう琴線に触れた言葉」(阿比留瑠比記者のブログ)2011.7.25
ラ・ロフシュコー公爵の『箴言集』


2012年10月9日火曜日

ご近所にひとつは欲しい山と

まだまだ暑い休日、まんが図書館(全国初の公立漫画図書館)、現代美術館のある比治山(ひじやま)へ。山といっても、地方都市の街中にありそうな城郭跡ほどの小さな丘で、他にも大きな施設や石碑などがあり、いろいろな人を見かける。ご近所の人には散歩コース。

車で行って駐車場に駐めて、付近を散策。
柄にもなくワンピースを着て行った。ここにはスカートやワンピースでは来たことがないような気がする。すれ違う人の多くは半袖だった。薄物のワンピースにカーディガンを羽織ってぶらぶらしていると、よそから来た人や美術館来館者にも見えるかもしれない。
この間から外出の度にそのワンピースを着るようにしているが、肩の凝らないスタイルとはいえ気後れしがちなので、服を着る練習にはちょうどいい場所だと思った。
何といっても、ここは山だし現代美術館だ。何でも受け止めてくれるだろう。

不景気で元気がないとはいえ、現代美術館は懐が深い。今回、中には入らなかったが、現代芸術の中には「こんな置物もらってどうしましょ」とか「夏休みの工作や思いつきを大げさにしただけみたい」とか「数をこなさないと作品にはならないよね」などと私なら主婦目線で考えがちなものを、悠々と呑み込んでいる。税金でだけど。

それにしても、現代芸術についてこんな意地悪なことを書いてみたが、世はすべて自分の鏡、自分の姿を見て感じていることが具現化されていると思えば、それは私の身の置き所の無さゆえの嫉妬かもしれない。

さて、ここの現代美術館、20何年前だかの建設途中が一番面白かった。
一度、夕方に、工事の人たちが帰ったあと、歩いたことがある。

建設・建築現場には立ち入ってはいけません!
なのだが、子どもが遊べる広場や売店に公園事務所がすぐそばにあり、現場との境もたいしてなかったのだった。
それで、散歩がてら立ち寄っていく人も多かった。コンクリートや砂の小山に混じって、広い階段広場らしきものが出来ていた。ふもとから中心地まで街並みが望めたかと思えば、そこらを歩いている人たちの影がまばらに浮き上がって来た。
海岸のテトラポットを渡って歩くようだったし、既に廃墟となったところを歩くような感じだった。


まんが図書館のある広場
とても普通にいいところです。







比治山(wiki.jp)
現代美術館、ないと寂しいですが、そんなに行くところでもなく。でも、ぐるっと外周するだけで気分が味わえるのは、ありがたい。



2012年10月4日木曜日

何の変哲もないスカートに

先週、お直しに出したスカートを受け取って来た。

そのスカートは、14,5年前にジャケットとセットで買った、丈の長いロングスカートである(冗語)。

着た期間が短かったので、あまり生地は傷んでいない。色はモカブラウンかな、買った当時はオフホワイト・ベージュ・茶系の服を中心に着ていたけれど、今は加齢のせいで茶系の色は野暮ったくなるので、処分すべきか迷いながらそのままになっていた。

でも、やっぱり勿体ないので、これを膝丈くらいのスカートにしようと思った。イメージをつかむため、外出着用の膝丈スカートを試しに当ててみると、そっくり恐ろしいくらいにぴったり重なる。そのまま切り取ればよいのかな、とそのスカートも持参してお店で相談をしてみた。

見本用



茶系は着ないと言いつつ、
合わせる靴の都合で買ったスーツのスカートです。


お直し屋さんも見るなり、はい、それで決まり。

ただ、見本のスカートは膝より少し上で膝の出具合が気にならなくはない。お直しするスカートは気持ち程度長くすればどうかと提案された。そして見本用のスカートとウエストの仕様が違っているから、そのままそっくり型抜きしてしまうと丈が短くなると説明を受けた。
確かに考えてみたら、その見本用スカートは、買ったのは既に5年くらい前のこと。これからの年代でその長さはどうかということかもしれない。だけど、これを完全に膝丈にすると、私の場合オバサン化しすぎて履かないような気がする。それで、総丈で2センチほど長くなるようにお願いした。

また、ウエストのベルト部分を通っていた細長い紐を取って、ホックに変えることになった。このスカートは前身頃にファスナーが付いていて、紐でウエストを留めるのだけれど、紐だけだと少々不安だったので取ることに決めた。唯一のデザインポイントだったが実用を優先した。
ここでついでにウエストを出して見てはと言われて、ほんのわずか、出すというかホックに替える際の調整も兼ねて加減してもらった。




お直ししたスカートです。



元ウエストについていた紐を添えて。
蝶結びできるくらい長く垂れていました。


モカブラウンは地味ながら、
いろいろな色に合いそうです。


何年ものかわからないニットと。
色はもっと芥子色、マスタードイエローです。
スカートの色もちょっと違いますね。
細身のニットより、ぶかぶか系のほうがよく合うようです。

今回のまとめ

よかった点
*ロングより使い勝手が断然よさそう。
 丈の長さは膝よりほんの少し上で、お店の人のアドバイスを聞いて大正解。

反省点

*ウエスト
もう少しゆとりがあったほうがよかったかな。ウエストきちきちはよくない。


またウエスト部分は、最初サイズ調整できる3段ホックが紐の代わりに付けられたが、みっともなかったので、受け止め一個の普通ホックに付け替えてもらった。
でも、これは断然元の紐のほうがよかったと思う。

*今後の課題
こうして、あまり特徴のないロングスカートの丈詰めで、さらに何の変哲もないスカートにして満足しているのだが、古着屋さんへ行けば、ベーシックなスカートもお洒落なスカートもたくさんあるのだろうなあ。
でも、私は選べない。
たくさんあると、何が何だか分からなくなってしまう。


次にもう一着、大物のお直しを考えている。それでもう今年はお終いにしよう。
ついでに、お直しについて検索していたら、出会った記事

「伊オヤジはなぜ細いパンツを好むのか?」(B.R.SHOPのBackyard Talk vol.020)
イタリア人男性は、意外と足が長くなくて脚が細い(でも、日本人より腕は長い)。
お尻が四角形なので、パンツは腰を落とし気味にはけて格好良く見える。日本人は少しでも脚を長く見せようと、ウエストの位置を引っ張り上げる傾向にある(メンズパンツの場合)

これはよく分かる。偏平ヒップの私は長い胴が余計長く見えてしまう。ヒップが大きいと、腰の位置が高く見えるので、ローライズでも脚が長く見えて羨ましい。

*洋服お直し屋さんのHPをいろいろ拝見して
購入時、体に合っていない既製品を買ってしまうのは残念だが、オーダーメイドよりも既製品のほうがデザインは綺麗な場合が多いと、いったようなことを書かれていたのを2,3見かけたような気がする。
お直しもいいですが、既製品に合う体型になりましょうというご提案も。
今日の記事は、古い服のリメイクで、ちょっと趣旨は違うけれど。

追記
うさぎの切りかぶ このスカートにカーキTシャツを合わせてみた写真を載せました。
あまり上手に写真を撮れないものですね。

2012年10月1日月曜日

アルミのゴミ箱

土曜日、有り難くも台風が無事通過し、お昼も3時過ぎに夫婦で外へ出てみた。
秋冬物のパンツを買う必要があって、お店に幾つか入る。というより、必要にかこつけて、一種の呆け防止と話の種に普段行かないお店に厚かましくも入っていく。

2,3箇所回って、半月ほど前に改装をしたばかりというファッションビルに行ってみた。ここは、何度かのぞいたことがあるのだが、店内は若くてお金とエネルギーをファッションにつぎ込める人たちばかりで、くたびれた中年には足を踏み入れがたい。
なのに入ってみるのは、そのお店は前々から什器が素敵で、アンティークのテーブルや真鍮のラックなどがやんわりとゴージャスで見ていて楽しいから。
ファーの小物を見ていると、店員さんが感じよく接客してくれた。とても美人でお店にマッチしている。残念ながら小物は予定外だったので何も買わずに出たが、最後まで丁寧で、今度会ったら思わず買ってしまいそうである(と書いてみる)。

アーケード街にぶらぶらと入る。人がただ歩いているだけの、通り抜け専用にも面倒に思われる長い繁華街なのだが、ここで否応が無しに目に入ってくる若い男の子達はお洒落に力が入っている。
入りすぎだろうなあ。男子お洒落度の熱さと圧力が、可愛い女の子達の空気感を押しのけているようだ。

とそこへ、車の修理が終わったという連絡を受けたので、買い物は延期してそのままディーラーに回ることにした。朝、部品交換を頼んだときは、翌日引き取りの予定だったのに、するすると済んでしまったようだ。よっぽど暇なのだろうかと余計な心配をする。

10㎞も走っていない代車に給油をすると、何故か6リッター入って、ハイオクの値段を久しぶりに見た*。
ディーラーでは、ショールームは既にエアコンを緩めていて、蒸し暑かった。夫が営業マンと話をしている間にトイレを借りた。何故かトイレに誘われたような気がしていたのだが、奥まったところに上手に配慮して作ってあって、広かった。8月に同じ会社の別の営業所へ中古車を見に行ったときのことを思い出した。そちらの店は山の町中に立地していて、建物は古く、節水の張り紙をしてあるようなところだった。

そうそうトイレに呼ばれたのは、洗面カウンター下にあるゴミ箱のせいだと気がついた。アルミでペダル付きだ。いかにもデザインしました、という感じが無くて好ましい。トイレに入ったときはその存在すら気がつかなかった。夫が前々からこの店のゴミ箱を褒めていたのでこれのことかしらと思ったが、ショールームのは違うものかもしれない。

でも、トイレから出てもゴミ箱は見あたらない。いや、私の視力はメガネを掛けても前方4,50センチまでしかよく見えないので、展示車やソファー以外はすぐには識別できない。もちろん、ゴミ箱が車より目立ってはいけない。それで、夫に聞いてみたが、知らないなどと言って邪険にされた。

帰宅して早速検索すると、それはギリシアはMAST社のアルミペダルビンで今は販売中止らしい。駅前の雑貨屋さんでペダル無しのタイプが展示してあったようだが、我が家にはサイズからして合わなかったので、目に入らなかったのだろうか。
こうして書きながら家の中を見渡しても置けそうにないし、今それが欲しいわけでもないが、好い感じだと思う。

街を歩く男の子達も軽いのなら、シンプルでなくてもいいから、これくらい力が抜けていればいいのに。と、くず入れ(私も使ったことがない言葉)みたいなオバサンである私が言ってもねえ。
ご存知の通り、素材としてのアルミは熱伝導率がいいし、生産コストは高いけれど用途は広くリサイクルできて、優秀。そんなに冷たすぎもせず、頭も高くない。







ゴミ箱の詳細は日々是デザインさん
画像もお借りしました。


*今日10月1日から、環境税導入。


2012年9月6日木曜日

こんな時にちょうど

前回の「Maria Lando」はちょっとヘビーな気がする。歌っているSusana BacaはMaria (この歌では、そこで働いている女性の総称としてのマリアだと思う)と違ってお金には困っていないみたいに見えるが。

それで、気分転換にレニーニの「Candeeiro Encantando」をYouTubeで聴こうとしたら、ブラジルの「Cordel Encantado」という小説をテレビドラマ化したときのサントラアルバムの中に含まれていることが分かった。





サントラ全曲がアップされていたが、3番目の Nuria Mallenaが歌う「Quando Assim 」が、何とも普遍的な、どこにでもありそうなメロディーで、気が抜けてよかった。
ずっと聞き続けるタイプの曲じゃなくて、ある一日のどこかで現れて消えていく感じ。きっとドラマの中でうまく、そっと使われているに違いない。と思ったら、王アウグストとマリア・セザリアのテーマ曲として使われているそうである(wiki)。結構メインなのかしら。


Nuria Mallena
「Quando Assim 」
訳は分かりません。






レニーニ
「Candeeiro Encantando」
訳はまだです。


ライヴ イン シテ
キューバのベーシストYusaさんが加わって格好いいのですが、
私は聞くのなら普通のが好きです。


ブラジルといえば、C先生ブログのピックアップ記事でこんなのがあった。
(橘玲の世界投資見聞録)
ファドを歌っているからだよ、と思ってしまった。ポルトガルといったらファドだけれど。ブラジルのように明るく歌って踊ってで景気を盛り上げないと。
まだ観光客が来ているからいいけれど。つくづく観光資源は大事だと思う。
ポルトガルのタイルも売り込もう。


偉そうに書いているが、私も歌って踊る元気がない。でも、よその方のブログを拝見していると、「クリックしてくだされば小躍りして喜びます」と書かれている方が多かったので、出来るだけクリックしている。みんなで、小躍りしましょう。