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2012年11月15日木曜日

優しくて暖かなサンバ



昔昔、友人の友人がカセットに音楽を入れて送ってくれました。
アルバム「素晴らしきサンバの仲間たち」(1976年録音)*からは一曲、
Mano DecioのSAUDADE  DO PASSADO(懐かしきあの頃)
心温まるサンバです。

このアルバムをYouTubeで何曲か聴きましたが、
どれも良い曲ですが大体同じ感じ、というか、
一曲をたまに聴くと心和む気がします。


Mano Decio
SAUDADE  DO PASSADO




訳はこんな感じではないかということです。


Hoje tenho o dom de um novo canto
今日は新しい歌の贈り物がある
Meu samba é mensagem de lamento e prantos
ぼくのサンバは嘆きと涙のメッセージだ
Com o rufar dos meus pandeiros
ぼくのタンバリンの伴奏を付けて
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Sinto em mim
ぼくの中に感じてくれ
Uma saudade que o passado me deixou
あの日々がぼくに残した郷愁を
Mas a tristeza não me dominou
しかし悲しみがぼくを支配することはない
Meu samba é nostalgia
ぼくのサンバが郷愁なんだ

Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる




*日本での発売は最初が1980年、次が1990年のようです。



2012年8月13日月曜日

今日はおぼんだったのか

この夏は妙に気持ちがささくれ立つ。

いつも、気持ちが落ち込んだときに開く本が数冊あるのだが、それらを当てずっぽうにめくれば、どれも必ず「感謝が足りない」と出てくる。それが分かっているので、もう本を手にすることすら止めた。

昨晩、ふと、あるフレーズが耳に浮かんできた。何かなと思ったら、Violeta Parraの「Gracias a la vida」だった。淡々と叙情的で、繰り返し聞けるとても好きな曲だ。でも、今まで歌詞は知らなかった。

そこで、改めて歌詞を読んでみたが、うーん、昨日も今日も歌詞には、あまり気持ちが入っていかない。それでも、曲は好きだが。
感謝どころか、目一杯愚痴っていたい。何が嫌だって、全ての原因が自分であるのが嫌だ。おまけに陳腐で矮小すぎて、自慢できる愚痴がひとつもない。

さらに今日は、
「あれから5年、大不況は終身刑となりつつあります」というタイトルに打ちひしがれた(今日の覚書、集めてみました様ブログ)。
そういえば、今日の覚書様は、ちょっと前の「笑顔は『心臓に良い』」というエントリーで、「引きずってどうする、愚痴・不平・不満を言っている間は原因は憑いて回る」と書いてくださっていた。

うん、何だかどうでもよくなってきたよ。でも、明日になれば、また愚痴ってしまうんだ。
と、ここでアップしようとして、ヴィオレッタ・パラについて、Wikipediaを読んでびっくり。この曲を作った翌年、自殺したそうである。ヴィオレッタ・パラの曲は、当ブログでも「ねじれていく」(2012.4.13)にメルセデス・ソーサが歌う「Volver a los 17」を取り上げているが、パラ自身については、全然知らなかった。



Violeta Parra
「Gracias a la vida」(1966年)
命への感謝


歌詞は例によってこちらから→☆

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me dio dos luceros que cuando los abro
二つの目をくれた。それは開くと、
Perfecto distingo lo negro del blanco
完全に見分けられる。黒と白を
Y en el alto cielo su fondo estrellado
そして、高い空に星がちりばめられた底も
Y en las multitudes el hombre que yo amo
大勢のなかにいるわたしの愛する人も

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado el oído que en todo su ancho
耳をくれた。耳を澄ませば
Graba noche y día grillos y canarios
夜でも昼でも分かる。コオロギ、カナリアの鳴き声が
Martirios, turbinas, ladridos, chubascos
ハンマー、風車、犬の鳴き声、雨音が
Y la voz tan tierna de mi bien amado
わたしの恋人のほんとうにやさしい声が

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado el sonido y el abecedario
わたしに音と文字をくれた。
Con él, las palabras que pienso y declaro
それとともに、わたしが考え、話すことばをくれた
Madre, amigo, hermano
母、友、兄弟
Y luz alumbrando la ruta del alma del que estoy amando
わたしの恋人の魂の道を照らす光をくれた

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado la marcha de mis pies cansados
疲れた足でも歩けるようにしてくれた
Con ellos anduve ciudades y charcos
それを使い歩いてきた。いくつもの町、沼を
Playas y desiertos, montañas y llanos
浜辺と砂漠、山と平野を
Y la casa tuya, tu calle y tu patio
そしてあなたの家、あなたの住む通りとあなたの憩う庭を

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me dio el corazón que agita su marco
かごの中でときめく心をくれた
Cuando miro el fruto del cerebro humano
人の頭が考えたことが分かった時
Cuando miro el bueno tan lejos del malo
悪から遠く離れた善が分かった時
Cuando miro el fondo de tus ojos claros
あなたの澄んだ目の奥にあるものが分かった時

Gracias a la vida que me ha dado tanto
わたしにたくさんのものをくれた命に感謝する
Me ha dado la risa y me ha dado el llanto
わたしに微笑みと涙をくれた
Así yo distingo dicha de quebranto
それで幸せと悲しみが区別できる
Los dos materiales que forman mi canto
わたしの歌を形作る二つの素材
Y el canto de ustedes que es el mismo canto
そしてその同じ歌があなたの歌にもなる
Y el canto de todos que es mi propio canto
そして私自身の歌がみんなの歌になる

Gracias a la vida, gracias a la vida
命に感謝、命に感謝




2012年7月30日月曜日

Virginia Rodrigues e Caetano Veloso 一番よく聞いている曲


ブラジルにヴィルジニア・ホドリゲスという女性歌手がいます
アルバムは主に2枚しか聞いたことがありませんが、その中から特に三曲が気に入って、ファブリツィオ・デ・アンドレのアルバム「Creuza de Ma」やレニーニと同じくらい、それ以上に一番よく聞いているのではないかと思います。

まずアルバム「NOS」(2000)から一曲、Jeito Faceiro(おどけた仕草)。
いつ何度聞いてもミステリアスで、深く引き込まれていきます。
その点、他のアルバムは、たぶん、普通にきれいにまとまってしまって、囚われることがないのかもしれません。印象に残っていません。

この曲は、生きている限りずっと聞いていたい不思議な曲、でも、歌詞を見ていたら、私は死んでいくときは、明るく空へ舞い上がれるような曲がいいかなとふと思いました。自由に。もう何度も生まれ変わらなくてすむように。

でも、深遠な曲というのも幻で、聞いている間の一瞬のこと、さらにこのタイトルが示すように、すべては、おどけた遊びの世界なのかもしれません。


Virginia Rodrigues e Caetano Veloso

Jeito Faceiro
(おどけた仕草)


歌詞は例によってこちらから→☆


Ô mar, um abrigo que lá está
海、そこにある避難所よ
No ser a felicidade
幸福な状態にある

Na beleza de ser você
お前はほんとうに美しく
No encanto de ser mulher
女である魅力を放つ
Delirar no seu jeito faceiro
おどけて心狂わせる
Seu dengo maneiro
その甘い叫び
Seu bem me quer
その善きこころがわたしを求める

Me leva eu com você
お前とともにわたしは立つ
Pra ficar tudo legal
お前といっしょに並べるように
È só te ver
ただお前を見ていられるように

È de se bailar no Olodum 
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar
体を揺らし踊ろう
È nesse bailar no Olodum 
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar
体を揺らし踊ろう

Desce do espaço imenso
広大な地に下る
Uma águia pro oceano
海を守る一羽のワシが
Mergulha bem fundo além do saber humano
人間の知の奥底にまで潜り込む
Atlântida viva quem sabe esquecida
生命を持つアトランティスは忘れられたものを知っており
Renascerá
何度も生まれてくる
E hoje u guerreiro Olodum, encantando a cantar
そして、今日戦士オロドゥンは魅せられて歌う

O me leva eu com você
お前とともにわたしは立つ
Pra ficar tudo legal
お前といっしょに並べるように
È só te ver
ただお前を見ていられるように
È de se bailar no Olodum
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar
体を揺らし踊ろう
È de se bailar no Olodum
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar 
体を揺らし踊ろう



2012年7月25日水曜日

素晴らしかったコンサートとプログラム変更

先日の土曜日、「小畑佳子&本山麻優子 デュオ・リサイタル」に行った。
市が主催する文化事業の一環だそうで、前売り1500円だった。


小畑さんはメゾソプラノ歌手で、私はピアノの先生のご紹介でコンサート情報を知った。前に何度か「4ひきのこぶた」というシリーズのコンサートで、小畑さんの歌声を拝聴している。「4ひきのこぶた」というのは、ソプラノ歌手ばかり四人によるユニットだが、声楽に素人のわたしでも、それぞれの声の個性がこんなに違うのかと面白く、プログラムや脚本がいつも洒落ていて楽しい。
今回は日本歌曲をプログラムに組まれて、夏らしい選曲。


本山さんは、前売りでもらったパンフを見るとお若くて、まだ大学一年生の新進ピアニストらしい。経歴を拝見すると、海外でも活躍されて凄い方のようなのだが、演目を見ると、ちょっと悩んでしまった。リスト、スクリャービンが一曲ずつで、後はショパンが三曲もある。私はショパンが苦手で、前半は聞いてみたいけれど、ショパンはどうしようかと、実はチケット購入まで、しばし躊躇していた。


ひょっとしたら、この引っ掛かる気持ちが、主催者側に届いたのかもしれない。
土曜日、会場について着席すると、プログラムを変更しておりますとお詫びのアナウンスがあった。受付でもらったパンフを見直すと、前半がピアノになっている。曲目も、ハイドン、ショパン、リスト、スクリャービンで、ショパンがたった一曲に変更されている。


素晴らしい。


それにしても、大胆なプログラム変更で、前半にピアノを持ってきただけではなく、さらに歌曲の半分を入れている。休憩を挟んで後半は、歌曲の残りでたった三曲。これはなかなか良い知恵が絞られたのではないだろうか。
まるで、ピアノの前に帰ろうかと思っていた私の気持ちを見透かしたかのようである。とても嫌なことを書いて申し訳ないが、それくらい、最初のプログラムに魅力を感じなかったのである。
それに引き替え、新プログラムでは、事情があって、前半だけで帰らなければいけない人がいたとしても、ピアノも歌も聞けたということで、満足されるだろう。


ピアノの演目もがらりと変わったのは、誰がアドバイスしたのだろうか。最初のは、主催者側というか昔の大人が選んだ演目を思わせた。ショパンは定番過ぎるし、そのうち一曲は、夏なのに「木枯らし」なのだった。団塊の世代なら喜ぶかもしれない「革命」もあった。いや、私は「革命」を聞いたことがないのだけれど。


ここまで書くと、主催者側に腹が立ってくる。最初から、今回のプログラムにしておけば、お客さんはもっと入ったのではないかと思う。
それに、夏休み初日の土曜日にコンサートというのも、どうだろう。客層のターゲットは子どもからシニアまでらしいが、子どもや保護者の世代は、この土曜日は、学校での懇談や行事にあれこれ目一杯の予定で多忙なはずだ。
チラシも、どうにかして欲しいような古めかしさで、予算を掛けられないのは言い訳にはならないと思う。市の未来都市創造財団が主催だけれど、チラシは外注でお任せ、なら、なおさら、もう少しいい仕事をして欲しい。


さて、本山麻優子さんの演奏は、来て良かった、と心から思えるほど素晴らしかった。本山さん自らの曲についての解説を聞くと、年頃のお嬢さんそのままなのだが、演奏は立派で、自然な流れで、飽きることなく、非常に心地良く聞かせてもらった。私は、音楽を聴く耳を持ち合わせていないのと、演奏された曲についてあまり聴いたことがないので、細かく感想を書けないのが残念だ。これを読んでいる方は、もっと残念だろう。分かち合うものが何も無いブログで申し訳ない。


次の、小畑さんの歌曲も、期待通り、しみじみとよかった。最初の「浜辺の歌」は大好きな曲で、イタリアオペラも混じり、最後の「さとうきび畑」もよかった。休憩の前後で衣裳も替えてくださり、素敵だった。
アンコールでは、本山さんも最初のグリーンのドレスから白いドレスに着替えて現れ、小畑さんのピアノ伴奏を初々しい感じで務め、デュオ・リサイタルの締めくくりに相応しかった。


帰宅して、本山麻優子さんを検索すると、知らないほうが変、と思われるくらい、実力があるピアニストらしい。数々の賞を受賞されていて、動画もいっぱいあるのだが、生で聞いた方がもちろん音が良くて魅力的。


リスト
バラード第2番ロ短調  S171.R.16







2012年7月12日木曜日

セルビアのMarco Tajcevic - 7 Balkan dancesと

プロコフィエフの「おばあさんの話」を動画検索していたときに、Lars David Kellerさんという方のサイトがあった。


セルビアのMarco Tajcevic(1900~1984)という作曲家の7 Balkan dancesのうち、6曲をアップされていた。バリッと格好良く弾いていらっしゃる。


Marco Tajcevic の 
7Balkanskih Igara (7 Balkan dances)


一番人気は、Con moteのようです。


Allegretto



関連動画から
Isora Castillaさんの
Tocatta

Marco Tajcevicとは関係ありません。


improvisationと書かれていました。



バルカンについては、
よく知らないのですが、
家人のブログで取り上げていたのが、
Mostar Sevdah Reunionの歌、
Kradem ti se u veceri です。
曲、歌詞と訳はこちら→☆
歌詞だけでも、よろしければ。




2012年6月29日金曜日

今日、思い出した曲




Souad Massi


「Yemma」
(Mummy,I lie to you)





ウード奏者兄弟の
Samir Joubran
アルバムTamaasより
「El Nesf El akhar-Astoria」
Astoriaは 7:47くらいからでしょうか。
後で確かめます。








2012年6月27日水曜日

レッスン後日談、私次第というよりは と、Berekeke

<レッスン前日と綿菓子6月1日の記事ー
今、練習している可愛らしい曲が身もだえするほど嫌になり、とうとう全く練習をしなくなって、ピアノが弾けなくなってしまった。ところがある日、突然、何事もなく平然とその楽譜に向き合えた>の続き


さて、この話からほぼ2週間後、膨らませたガムがぺしゃっとつぶれて、唇の周りに張り付いたみたいなことになってしまった。
先生に普通に弾く心構えができたと宣言しておきながら、やっぱり駄目でしたという大変気まずい空気が漂う展開となった。先生はひと言、「最後にもう一回、弾いて終わりにしましょう」と仰ったが、破門にされなかったのが不思議なくらいである。そこは、私は大人なのだから、自分から申し上げなければいけなかったのかもしれない。


今回、この曲にこだわったのには、いろいろと理由がある。
私は大人からピアノを始めたとはいえ、既にレッスン歴は長い。だけど進歩がほとんど無い。気に入った曲や発表会では、ゆっくりとたどたどしく、何とか曲がりなりに弾いてきたが、それはあくまでも曲がりなりにであって、普通にさらさらではない。
いつまでもこれでは、面白くない。乗り越えなくてはならない壁がどこにあるかは分かっている。とっかえひっかえ練習曲を替えても、自分が変わらない限り、同じである。
先生からも「もうそろそろ次の段階へ」と言われる。
その点、今、練習している曲は、ちょうどよい教材だった。最適かもしれない。



帰宅してからも、レッスン室での後味の悪さに、あれこれ考えたりもしたが、2,3日経つと何故か不意にもう一回がんばることにした。弾いてみようと思った。


すべては気分次第だ。理由はない、と思う。


この気分が続いている間に、練習をしよう。これが「ノリ」なんだろう。気分は、「わたし」自身じゃない。好き嫌いなど関係ないところに乗っかればよいのかも。


ただ、行きつ戻りつした間にちょっと学んだというか、自分が無関心なものに対して、いかに邪険で冷淡になっていくか、その過程が練習状況に映し出されたのが可笑しかったし、いい発見もあった。このことも忘れないように、次回、書き留めておこう。


ところで、Geraldo Azevedoという人の「Berekeke」という曲が気に入っている。「Woman on Top」という映画で使われたのだが、映画も途中までしか見ていない。後で、と一旦置いておくと再開するアクションにエネルギーが要る。
その「Berekeke」をこのブログに前に載せているのかと思ったら、まだだった。
もう3日前のことは覚えていない。過去の記事は恥ずかしくてあまり目を通さないから、3回に一度はお気に入りの同じ曲を載せてみようかと思ったりしている。夏休みの日記と同じというか、毎日同じでいいのかもと。
習作として、毎回同じテーマで書き綴っていくとか、ますます面倒なブログになりそう。
よく読まれている記事などをトップに出すようにブログを変えられるが、このブログの場合、ハムや器、クラシックの曲を検索して来訪された方が、記事を見てがっくりとされている感じが自分でもよくわかる。


夏にお勧め
特に意味のない歌だそうです。
(私は今まで、あまり歌詞を気にしなかったので)

Geraldo Azevedo
「Berekeke」




同じサントラ内に
レニーニの曲「O Ultimo Por do Sol」(最後の日没)もあります。
当ブログ(2012,1.1.「一年のループ」記事内)

2012年6月20日水曜日

たぶん  Titoの nha manera


夏におすすめ

Tito Parisの
Nha Manera





ときどき、思い出しては、
YouTubeでこの曲を探していたのですが、
気がつきませんでした。

また、あとで書き足します。


プロフィールもどき、更新しました。
サイドバー下です。
よろしかったら、ご覧ください。




2012年6月13日水曜日

聞きかじり Jockey Full of Bourbon


今週末借りてみようかな

Down By Law(Jim Jarmusch1986)
Tom WaitsのJockey Full of Bourbon
trailer




Jockey Full of Bourbon(Soundtrack)
長いバージョン




Down By Law  (wiki.jp)


YouTubeで映画をざっと見ましたが、よかったです。
今度、本当に借りにいかなくちゃ。




2011年12月17日土曜日

昨年まで、この有名な和泉式部の歌をわたしは知りませんでした。


とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり