昔昔、友人の友人がカセットに音楽を入れて送ってくれました。 アルバム「素晴らしきサンバの仲間たち」(1976年録音)*からは一曲、 Mano DecioのSAUDADE DO PASSADO(懐かしきあの頃) 心温まるサンバです。 このアルバムをYouTubeで何曲か聴きましたが、 どれも良い曲ですが大体同じ感じ、というか、 一曲をたまに聴くと心和む気がします。
Mano Decio
SAUDADE DO PASSADO
訳はこんな感じではないかということです。
Hoje tenho o dom de um novo canto
今日は新しい歌の贈り物がある
Meu samba é mensagem de lamento e prantos
ぼくのサンバは嘆きと涙のメッセージだ
Com o rufar dos meus pandeiros
ぼくのタンバリンの伴奏を付けて
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
Sinto em mim
ぼくの中に感じてくれ
Uma saudade que o passado me deixou
あの日々がぼくに残した郷愁を
Mas a tristeza não me dominou
しかし悲しみがぼくを支配することはない
Meu samba é nostalgia
ぼくのサンバが郷愁なんだ
Eram verdadeiros cenários musicais
音楽の真実の背景を
Vendo as baianas que relembram
バイーアの人たちに売る
Saudosos carnavais
懐かしいカーニバルを思い出させてくれる
この夏は妙に気持ちがささくれ立つ。 いつも、気持ちが落ち込んだときに開く本が数冊あるのだが、それらを当てずっぽうにめくれば、どれも必ず「感謝が足りない」と出てくる。それが分かっているので、もう本を手にすることすら止めた。 昨晩、ふと、あるフレーズが耳に浮かんできた。何かなと思ったら、Violeta Parraの「Gracias a la vida」だった。淡々と叙情的で、繰り返し聞けるとても好きな曲だ。でも、今まで歌詞は知らなかった。 そこで、改めて歌詞を読んでみたが、うーん、昨日も今日も歌詞には、あまり気持ちが入っていかない。それでも、曲は好きだが。 感謝どころか、目一杯愚痴っていたい。何が嫌だって、全ての原因が自分であるのが嫌だ。おまけに陳腐で矮小すぎて、自慢できる愚痴がひとつもない。 さらに今日は、 「あれから5年、大不況は終身刑となりつつあります」というタイトルに打ちひしがれた(今日の覚書、集めてみました様ブログ)。 そういえば、今日の覚書様は、ちょっと前の「笑顔は『心臓に良い』」というエントリーで、「引きずってどうする、愚痴・不平・不満を言っている間は原因は憑いて回る」と書いてくださっていた。 うん、何だかどうでもよくなってきたよ。でも、明日になれば、また愚痴ってしまうんだ。 と、ここでアップしようとして、ヴィオレッタ・パラについて、Wikipediaを読んでびっくり。この曲を作った翌年、自殺したそうである。ヴィオレッタ・パラの曲は、当ブログでも「ねじれていく」(2012.4.13)にメルセデス・ソーサが歌う「Volver a los 17」を取り上げているが、パラ自身については、全然知らなかった。