今週は何となく、そわそわして気になることが多い。
でも、それらはみんな省略。
さて、前回子どものことを書いたが、諸星大二郎のコミックで、ある少年の話があった。得体の知れない塊のような生き物を河原で拾ってきてこっそりと食事を与えていたら、その生き物もいつのまにか両親とともに食卓を囲むようになった。
グフグフとしか言わない気持ちの悪い塊なのに、両親は知らない顔をしている。
とここまで書いて、検索してみたら「子どもの遊び」というタイトルで、主人公は子どもではなくお父さんのほうだった。子どもが物置に隠して遊んでいる奇妙な生き物を見つけて、お父さんは箱に入れ、自転車に積んで捨てに行きかけたのだった。すると、箱の中からその生き物がお父さんに呼びかけるのである。
うわあ、いっきょに諸星さんの絵が思い浮かんでくる。
それはさておき、私のストーリーの思い出し方は、お父さん目線ではなく、子どもの立場からだった。これは、何か格好の分析対象になるかもしれないが、その奇妙な生き物のこと。
すっかり家の中に居着いてだんだんと人間の形をしてくるようになる。お父さんはそんな生き物が町のあちこちで見かけられるのに気がつく。隣の家にもいた。やがて、奇妙な生き物の代わりに息子のタケシ君はいつのまにか消えていなくなっている*。
この気持ちの悪い漫画をうちの子どもも読んだ。
それから何年後か、子どもは高校のバザーにそのコミックを出していた。古くて汚かったが売れたようだ。
ということで、我が家ではときどき、親子で互いに探りを入れて「いつもと違う気がする、どこかで入れ替わったのじゃないよね」と確かめることがある。平和な一家である。
これが子どもを怒ったり心配したりしているときは、もちろん我が子と信じて疑うことはない。
だけど、本当のところ、どうだろうか。私も昨日の自分とは似て非なるものかもしれないし、同じかもしれない。まあ、そりゃ、違っているだろうけれど。
話が脱線しそうなので、今日はここまで。
そわそわしている理由の一つは、今、あちこち片付けているのだった。モノが少ないので散らかってはいないが、昨年は丁寧な掃除をあまりしていないから、家の空気がどんよりとしている。
大陸からの黄砂や大気汚染物質も酷いけれど。
ついでに全然関係ないが、ギリシアでプラトンゆかりのオリーブの木が持ち去られたらしい。冬の燃料目的か、ということらしい(47ニュース)。
ギリシアといえば、財政危機よりも怖いのが不法移民だと昨年、ニュース記事を読んだのが印象的だった。
*あらすじは、「第4話・タケシを狂わせろ」さんで。
2013年1月18日金曜日
2012年9月25日火曜日
秋の日差しでちょっと日焼けして
夕刻、半時間足らずの間に日は落ちて、あっという間に空気が冷たくなってくる。
こんな時間帯には『ローマ熱』という短編小説を読むのがいいかもしれない。イーディス・ウォートン作。
タイトル通り、舞台はローマ。アメリカ人女性二人がランチを終えて、テラスに出る。
昼下がりの明るい陽光、夕暮れ、そして夜を迎え、やがて二人の闇に迫っていくお話。ただし、季節は春のようだ。
陰陽師的音楽堂さん*がご自分で訳し、ご紹介されていたのを読んだ。
二人の女性というのは、スレイド夫人とアンズレイ夫人で、若い頃から同じ階級同士のつきあいがあり、似たような結婚生活を経て、今はともに裕福な寡婦で、それぞれに美しい一人娘がいる。
この小説はこの中年女性二人しか登場しない。娘たちも声だけで、あとはレストランの給仕とお客くらい。私はお芝居(というより、演劇)は苦手だけれど、お芝居にしたらとても面白いと思う。
検索すると、この短編は意外な結末が有名だそうだが、事実は小説より奇なりで、あくまで小説らしい、あるいは映画やドラマなどにも通じる結末で、それほど驚きはしない。だけど、ふたりの会話や描写だけに終わらせず、結末まで読み進めさせる推進力が作家の力量なのだろうか、とても面白かった。
ただ、これを読んでいると主人公二人の関係と読み手である私の三者に書き手も加えて、読みながら解釈めいたものが頭の中に構築されてしまう。というのは、最初、二人の容姿の描写が始まったときから既に展開が感じられて、何か見知った物語(自分の経験なども)をなぞったり比べるように、読んで分析してしまうのだろう。文学部の文学研究はこういうことをしているのだろうか。
いや、小説でも音楽でも映画でも、そういう解釈が書かれているレビューのほうが読んで楽しいと思うのに、自分で書こうと思うとなかなかである。
まあ、どっちにしても小柄で色の白い女の子は、昔から可愛いものである。
*陰陽師的音楽堂さんhome「ghostbuster's book web.」内に
ご自身が訳された『ローマ熱』
陰陽師的音楽堂さんが訳される短編、当ブログでは「案山子である理由とお勧め短編」(2012.6.7)で二つ。
こんな時間帯には『ローマ熱』という短編小説を読むのがいいかもしれない。イーディス・ウォートン作。
タイトル通り、舞台はローマ。アメリカ人女性二人がランチを終えて、テラスに出る。
昼下がりの明るい陽光、夕暮れ、そして夜を迎え、やがて二人の闇に迫っていくお話。ただし、季節は春のようだ。
陰陽師的音楽堂さん*がご自分で訳し、ご紹介されていたのを読んだ。
二人の女性というのは、スレイド夫人とアンズレイ夫人で、若い頃から同じ階級同士のつきあいがあり、似たような結婚生活を経て、今はともに裕福な寡婦で、それぞれに美しい一人娘がいる。
この小説はこの中年女性二人しか登場しない。娘たちも声だけで、あとはレストランの給仕とお客くらい。私はお芝居(というより、演劇)は苦手だけれど、お芝居にしたらとても面白いと思う。
検索すると、この短編は意外な結末が有名だそうだが、事実は小説より奇なりで、あくまで小説らしい、あるいは映画やドラマなどにも通じる結末で、それほど驚きはしない。だけど、ふたりの会話や描写だけに終わらせず、結末まで読み進めさせる推進力が作家の力量なのだろうか、とても面白かった。
ただ、これを読んでいると主人公二人の関係と読み手である私の三者に書き手も加えて、読みながら解釈めいたものが頭の中に構築されてしまう。というのは、最初、二人の容姿の描写が始まったときから既に展開が感じられて、何か見知った物語(自分の経験なども)をなぞったり比べるように、読んで分析してしまうのだろう。文学部の文学研究はこういうことをしているのだろうか。
いや、小説でも音楽でも映画でも、そういう解釈が書かれているレビューのほうが読んで楽しいと思うのに、自分で書こうと思うとなかなかである。
まあ、どっちにしても小柄で色の白い女の子は、昔から可愛いものである。
*陰陽師的音楽堂さんhome「ghostbuster's book web.」内に
ご自身が訳された『ローマ熱』
陰陽師的音楽堂さんが訳される短編、当ブログでは「案山子である理由とお勧め短編」(2012.6.7)で二つ。
ところで、昨夜レゴの動画を見ました。すごい。
フローリングから畳、畳からフローリングへと
マシンの全長が長くて凄いのですが、
このボール転がしラインには結末がありません。
んんん、もう一回見るにはしのびないです。
行き場のない生産工場を彷彿させます。
何か終わり、上がりがあったほうがいいですね。
2012年9月13日木曜日
「ナンシイのピアノ」続き、ウサギを調理する
アーサー・ランサムの『スカラブ号の夏休み』に、野ウサギを調理するシーンがあったそうで、全然覚えていなかったけれど、ドンキイさんのページ(前記事)を拝見して思い出した。
イギリスは狐狩りの国だし、ウサギはパイにされる国なので、向こうの子どもたちはそういうのに慣れているのかと思ったら、さすがにドロシアとディック姉弟も難儀したようだ。
野ウサギのシーンといえば、映画「Down by Law」にも可笑しなRabbit Sceneがある。脱獄囚3人の中の一人ロベルト(ロベルト・ベニーニ)が野ウサギをあぶり焼きしているシーン。
DVDを見る前にこの動画を先に見たときは?だったけれど、映画を通して見たらなかなか味わいのあるシーンで面白い。
同じジャームッシュ監督の「Dead Man」で殺し屋3人組が一人減り二人減りで、最後に残ったのが野宿しながら火のそばで、美味しそうに何かのお肉を食べていた記憶があるのだけれど。
それより、みんな喉は渇かないのだろうか。 「Down by Law」はニューオリンズが舞台でミシシッピ川流域なので川は映るけれどワニは出そうだし、とても飲めそうにはない。
ところで、「ウィンターズ・ボーン(Winter's Bone、2010年)」という映画では、ヒロインと幼い姉弟が食糧としてウサギではなくリスを撃って捌く練習をしていた。
父親が失踪し、担保に入っている家を取り上げられないように、ヒロインであるリー・ドリー(ジェニファー・ローレンス)は弟妹を残して父を捜しに行かなければならない。もしもの場合に備えて、銃を使って食糧を得られるようにしなければならない。
私は、3人のきょうだいと精神を病んだ母親がどんな貧困生活をするのか心配だったけれど、思ったほどは困窮していなかった。ライフラインが止められるわけでもなく、リーは毎日きちんと着替えて家事をこなし、拒絶されても脅されても、殴られても蹴られても、どこに連れて行かれても終始タフだった。
でも、お金を工面しようと、リーが軍の入隊一時金を目当てに面接を受けに行き、18歳の成人に達していないということで面接官から説明を受けていたのが印象的だった。どうということのないシーンかもしれないけれど、同時期に借りた他の映画でも、入隊一時金でお金を工面しようとする場面があったので。
リスはウサギより美味しいらしい。「イギリスで、リス料理がじわじわ人気」(all about japan、2008年11月)
イギリスは狐狩りの国だし、ウサギはパイにされる国なので、向こうの子どもたちはそういうのに慣れているのかと思ったら、さすがにドロシアとディック姉弟も難儀したようだ。
野ウサギのシーンといえば、映画「Down by Law」にも可笑しなRabbit Sceneがある。脱獄囚3人の中の一人ロベルト(ロベルト・ベニーニ)が野ウサギをあぶり焼きしているシーン。
DVDを見る前にこの動画を先に見たときは?だったけれど、映画を通して見たらなかなか味わいのあるシーンで面白い。
Down by LawのRabbit Scene
塩こしょうもなく食べるのはきつそうです。
独り言なのに英語で頑張って話すロベルト・ベリーニ
それより、みんな喉は渇かないのだろうか。 「Down by Law」はニューオリンズが舞台でミシシッピ川流域なので川は映るけれどワニは出そうだし、とても飲めそうにはない。
ところで、「ウィンターズ・ボーン(Winter's Bone、2010年)」という映画では、ヒロインと幼い姉弟が食糧としてウサギではなくリスを撃って捌く練習をしていた。
父親が失踪し、担保に入っている家を取り上げられないように、ヒロインであるリー・ドリー(ジェニファー・ローレンス)は弟妹を残して父を捜しに行かなければならない。もしもの場合に備えて、銃を使って食糧を得られるようにしなければならない。
私は、3人のきょうだいと精神を病んだ母親がどんな貧困生活をするのか心配だったけれど、思ったほどは困窮していなかった。ライフラインが止められるわけでもなく、リーは毎日きちんと着替えて家事をこなし、拒絶されても脅されても、殴られても蹴られても、どこに連れて行かれても終始タフだった。
でも、お金を工面しようと、リーが軍の入隊一時金を目当てに面接を受けに行き、18歳の成人に達していないということで面接官から説明を受けていたのが印象的だった。どうということのないシーンかもしれないけれど、同時期に借りた他の映画でも、入隊一時金でお金を工面しようとする場面があったので。
リスはウサギより美味しいらしい。「イギリスで、リス料理がじわじわ人気」(all about japan、2008年11月)
2012年6月7日木曜日
案山子である理由とお勧め短編
<レッスン前日と綿菓子>の記事で、私は自分が案山子みたいだと書いたが、へのへのもへじ顔だけではなく、もうひとつ理由がある。
目がかなり悪くて、車の運転が出来ない。だから、徒歩や自転車で自分の好きなところに行けないところへ行くと、もうそこから一本足の案山子のようにそのまま動けなくなってしまう。また、景色を楽しむにも視力が要る。家屋の中どころか、外にいても空間が限られているように感じてしまって、閉所恐怖症気味になる。でも、緑生い茂る山の中をドライブしてもらうのは最高に好きだ。
その点、地方都市とはいえ今住んでいるところは、建物や人の動きなどぼやけ気味でも見ていられるし、出かけたら手にとって眺められる物がそこそこある、という安心感がある。
至近距離で見るといえば、小中学生の頃は、私は読書が好きで活字中毒気味だと自分で思っていたほどだが、案外、他に見るものが無くて仕方なく見ていただけだったと思う。
もっと小さい頃は外で走り回っていて、まさしく、ラモーの小曲「Les Sauvages」、野蛮人だったのだが。
大人になってからは、いよいよ目も悪くなって、あまり読書をしていない(パソコンは文字を拡大できるから、非常に有り難い)。
だから、文学にも疎くて、これからお勧めする作品二つは、結構ご存知の方も多いのかもしれないけれど、とても面白い。
夏の暑くて暑くてたまらない昼間に読むのにぴったり。でも、5月や6月の静かに空が明るくなっていく朝方や、夕刻の日が落ちるまでの長い時間に読んでもいいかな。ビールがあればいいな。これから梅雨でも、晴れ間は結構あるしね。
二編とも「陰陽師的音楽堂・陰陽師的日常」(Homeはghostbuster's book web. 管理人 陰陽師さん)という方のサイトから。
この方のサイトには何年か前にめぐり逢ったのだけれど、何で検索したか、どなたかのリンク先だったか、理由は覚えていない。ご自分で小説の翻訳をされていて、幾つか拝読したが、どれも非常に面白かった。アンソロジー『魔法のお店』(荒俣宏編、当ブログ2011.12.15)に編纂されているH・G・ウェルズの作品もあった。
さて、今回のお勧め短編は
*ジョイス・キャロル・オーツ『これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?』
私は、アメリカのティーンエイジャーみたいに、バスルームで長時間お化粧したり、車で町やデートに出かけるような生活をしてみたいと憧れたことがある。今は、アメリカの若者ですら車離れらしいが。
そんな60年代のティーンエイジャーであるコニーが、アーノルドに誘われるのだが、アーノルドの年齢が分からなくなっていくあたりから、だんだんと背筋が寒くなってくる。
陰陽師さんのブログ記事 <ジョイス・キャロル・オーツとボブ・ディラン>
陰陽師さんの翻訳 『これからどこへ行くの、今までどこにいたの?』
*フラナリー・オコナー 『善人はなかなかいない』
お祖母さん(訳ママ)が、息子一家とフロリダへ車で出かける途中の話。お祖母さんの昔話が可笑しいのだが、寄り道した後にお祖母さんが思い出してしまったことが、よくありそうな話で吹き出してしまった。映画みたいな短編。
陰陽師さんの翻訳 『善人はなかなかいない』
話は最初に戻るが、あまり「もの」が見えなくても、私はもっと冒険したほうがいいようだ。他に見るものが無くて、なんて。続きはまた書こう。
そうそう、ボブ・ディラン、私の苦手とするタイプの人だと思っていたが、「One More Cup of Coffee for I Go 」(Desire,1976)を聞いて、これは好きだと思った。
YouTubeを探したけれど、ご本人が歌っているのはなくて、残念。私が探していたら、夫が自分のブログに載せると言い出した。またか、と思ったが探し出してくれたので感謝。日本語のタイトルで探せばよいなんて、びっくり。当時は「コーヒーもう一杯」で、ヒットしていたらしく、聞いてまたびっくり。
同じ曲を聴いても、互いの世界が違っているのは嬉しいが、言うほど、たいした世界でもない。つがいのように似ていたら、どうしよう。
目がかなり悪くて、車の運転が出来ない。だから、徒歩や自転車で自分の好きなところに行けないところへ行くと、もうそこから一本足の案山子のようにそのまま動けなくなってしまう。また、景色を楽しむにも視力が要る。家屋の中どころか、外にいても空間が限られているように感じてしまって、閉所恐怖症気味になる。でも、緑生い茂る山の中をドライブしてもらうのは最高に好きだ。
その点、地方都市とはいえ今住んでいるところは、建物や人の動きなどぼやけ気味でも見ていられるし、出かけたら手にとって眺められる物がそこそこある、という安心感がある。
至近距離で見るといえば、小中学生の頃は、私は読書が好きで活字中毒気味だと自分で思っていたほどだが、案外、他に見るものが無くて仕方なく見ていただけだったと思う。
もっと小さい頃は外で走り回っていて、まさしく、ラモーの小曲「Les Sauvages」、野蛮人だったのだが。
大人になってからは、いよいよ目も悪くなって、あまり読書をしていない(パソコンは文字を拡大できるから、非常に有り難い)。
だから、文学にも疎くて、これからお勧めする作品二つは、結構ご存知の方も多いのかもしれないけれど、とても面白い。
夏の暑くて暑くてたまらない昼間に読むのにぴったり。でも、5月や6月の静かに空が明るくなっていく朝方や、夕刻の日が落ちるまでの長い時間に読んでもいいかな。ビールがあればいいな。これから梅雨でも、晴れ間は結構あるしね。
二編とも「陰陽師的音楽堂・陰陽師的日常」(Homeはghostbuster's book web. 管理人 陰陽師さん)という方のサイトから。
この方のサイトには何年か前にめぐり逢ったのだけれど、何で検索したか、どなたかのリンク先だったか、理由は覚えていない。ご自分で小説の翻訳をされていて、幾つか拝読したが、どれも非常に面白かった。アンソロジー『魔法のお店』(荒俣宏編、当ブログ2011.12.15)に編纂されているH・G・ウェルズの作品もあった。
さて、今回のお勧め短編は
*ジョイス・キャロル・オーツ『これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?』
私は、アメリカのティーンエイジャーみたいに、バスルームで長時間お化粧したり、車で町やデートに出かけるような生活をしてみたいと憧れたことがある。今は、アメリカの若者ですら車離れらしいが。
そんな60年代のティーンエイジャーであるコニーが、アーノルドに誘われるのだが、アーノルドの年齢が分からなくなっていくあたりから、だんだんと背筋が寒くなってくる。
陰陽師さんのブログ記事 <ジョイス・キャロル・オーツとボブ・ディラン>
陰陽師さんの翻訳 『これからどこへ行くの、今までどこにいたの?』
*フラナリー・オコナー 『善人はなかなかいない』
お祖母さん(訳ママ)が、息子一家とフロリダへ車で出かける途中の話。お祖母さんの昔話が可笑しいのだが、寄り道した後にお祖母さんが思い出してしまったことが、よくありそうな話で吹き出してしまった。映画みたいな短編。
陰陽師さんの翻訳 『善人はなかなかいない』
話は最初に戻るが、あまり「もの」が見えなくても、私はもっと冒険したほうがいいようだ。他に見るものが無くて、なんて。続きはまた書こう。
そうそう、ボブ・ディラン、私の苦手とするタイプの人だと思っていたが、「One More Cup of Coffee for I Go 」(Desire,1976)を聞いて、これは好きだと思った。
YouTubeを探したけれど、ご本人が歌っているのはなくて、残念。私が探していたら、夫が自分のブログに載せると言い出した。またか、と思ったが探し出してくれたので感謝。日本語のタイトルで探せばよいなんて、びっくり。当時は「コーヒーもう一杯」で、ヒットしていたらしく、聞いてまたびっくり。
同じ曲を聴いても、互いの世界が違っているのは嬉しいが、言うほど、たいした世界でもない。つがいのように似ていたら、どうしよう。
2012年1月14日土曜日
世界漫遊ビジネスオンライン
私はこれまで、ネットなどで自分に都合のよい記事を見つけても保存し忘れてきた。それで、このブログを備忘録として始めてみたのだが、その都合のよい記事というのは、大概が「いてもいなくてもよい人物」とか「無駄な人」がキーワードである。だけど、そのキーワードしか覚えていなくて、肝腎な内容をしょっちゅう忘れてしまう。
夏くらいだったか、あるブログで紹介されていた記事を読んで、思い当たったことがあった。それは、青空文庫にある「世界漫遊」(ダビット ヤーコプ・ユリウス David,Jakob Julius著1859年~1906年 ダウィットと表記したりいろいろ)という短編小説である。森鴎外が訳している。森鴎外は、ほとんど読んだことが無くて、たぶん、これから先も読まないだろう。森茉莉のお父さんと思っている。森茉莉も一度読んだきり。
だけど、鴎外が訳していなかったら、この小説は読まなかった。というのも、森鴎外や他の明治の文豪?作家たちの小説は海外小説のパクリだ、彼らが翻訳した小説のほうが面白いと聞いたので読んでみようと思った次第で、マイナスの評判も馬鹿には出来ないと思う。
さて、この「世界漫遊」、19世紀当時のバブリーな話か、冒険記かと思ったら、いきなり出てきたのが、ウィーンの一流銀行に務める「いてもいなくても差し支えのない」という銀行員だった。名前がチルナウエル。原著はどうなのか疑わしい気がするが、いてもいなくてもよい人物だと執拗に随所で繰り返されて、この名前が変にしっくりしている。
このチルナウエルを「ウィインの銀行は、いてもいなくても好い役人位は置く」という鷹揚さで雇い、チルナウエルはチルナウエルで「自分がいてもいなくても好いということは自分がよく承知している」と両者の関係が収まっているのだが、あるブログで紹介されていた記事を読んで思い出したというのは、このことである。
その記事は確か、「大企業、一流企業は、いてもいなくてもよい人材を雇っている」というものであった。人件費が一人一千万円を超えても、?人か雇用しているというのだが、そこを読んだ途端に頭の中が「世界漫遊」になってしまった。
勿論、その記事は、何故無駄だと思える人材を企業は雇っているのか理由を書いていたし、軽作業のためといったことでは無かったと思う。普通なら、無駄な人件費はカットしろ、その分内部留保に回せ、株主や消費者に還元しろ、ということになるだろう。だけど、理由の箇所を全く覚えていない。それで、どのビジネスオンラインかビジネスプレスか経営コンサルタントだったかと検索してみたのだが、そんな話は見あたらない。
根拠となるものがないと困る。実際、私は世間が狭く、「そんなの当たり前、無駄な正社員なんか幾らでもいて、優秀な派遣社員やパートで補っているのに、切っていくのは派遣のほうからだ」とか、実態に対する認識が間違っているという指摘は幾らでもあると思う。まあ、だがこの小説に出てくる「チルナウエルのような人物を雇う、それくらいの余力」がなければ物語も始まらないとお茶を濁すことにしよう。
「世界漫遊」では、私は、チルナウエルの身の僥倖を羨ましいと思うカフェに集う人間側である。伯爵であり中尉であり、美男子で頭もよいが自堕落な感じ漂うポルジイが「誰か僕の代わりに世界一周してみる人いませんか」という声に応えられなかった側だ。この世界漫遊の話が持ち上がったきっかけ、お金の話、チルナウエルの世界漫遊中に中尉と恋人がどうしていたか、その後二人はどうなったかという経過とともに、それぞれの立場の身の処し方、人物像、世間というものがよくわかる。でも、最後には登場人物が皆、好いところに収まる、後味の好い話である。
青空文庫にある古めかしい小説とか「まんが日本昔話」の枕部分など、コンパクトに世の流れや処世術が語られているので、なかなか興味深い。
★哲学ニュースから 「社内ニート」
夏くらいだったか、あるブログで紹介されていた記事を読んで、思い当たったことがあった。それは、青空文庫にある「世界漫遊」(ダビット ヤーコプ・ユリウス David,Jakob Julius著1859年~1906年 ダウィットと表記したりいろいろ)という短編小説である。森鴎外が訳している。森鴎外は、ほとんど読んだことが無くて、たぶん、これから先も読まないだろう。森茉莉のお父さんと思っている。森茉莉も一度読んだきり。
だけど、鴎外が訳していなかったら、この小説は読まなかった。というのも、森鴎外や他の明治の文豪?作家たちの小説は海外小説のパクリだ、彼らが翻訳した小説のほうが面白いと聞いたので読んでみようと思った次第で、マイナスの評判も馬鹿には出来ないと思う。
さて、この「世界漫遊」、19世紀当時のバブリーな話か、冒険記かと思ったら、いきなり出てきたのが、ウィーンの一流銀行に務める「いてもいなくても差し支えのない」という銀行員だった。名前がチルナウエル。原著はどうなのか疑わしい気がするが、いてもいなくてもよい人物だと執拗に随所で繰り返されて、この名前が変にしっくりしている。
このチルナウエルを「ウィインの銀行は、いてもいなくても好い役人位は置く」という鷹揚さで雇い、チルナウエルはチルナウエルで「自分がいてもいなくても好いということは自分がよく承知している」と両者の関係が収まっているのだが、あるブログで紹介されていた記事を読んで思い出したというのは、このことである。
その記事は確か、「大企業、一流企業は、いてもいなくてもよい人材を雇っている」というものであった。人件費が一人一千万円を超えても、?人か雇用しているというのだが、そこを読んだ途端に頭の中が「世界漫遊」になってしまった。
勿論、その記事は、何故無駄だと思える人材を企業は雇っているのか理由を書いていたし、軽作業のためといったことでは無かったと思う。普通なら、無駄な人件費はカットしろ、その分内部留保に回せ、株主や消費者に還元しろ、ということになるだろう。だけど、理由の箇所を全く覚えていない。それで、どのビジネスオンラインかビジネスプレスか経営コンサルタントだったかと検索してみたのだが、そんな話は見あたらない。
根拠となるものがないと困る。実際、私は世間が狭く、「そんなの当たり前、無駄な正社員なんか幾らでもいて、優秀な派遣社員やパートで補っているのに、切っていくのは派遣のほうからだ」とか、実態に対する認識が間違っているという指摘は幾らでもあると思う。まあ、だがこの小説に出てくる「チルナウエルのような人物を雇う、それくらいの余力」がなければ物語も始まらないとお茶を濁すことにしよう。
「世界漫遊」では、私は、チルナウエルの身の僥倖を羨ましいと思うカフェに集う人間側である。伯爵であり中尉であり、美男子で頭もよいが自堕落な感じ漂うポルジイが「誰か僕の代わりに世界一周してみる人いませんか」という声に応えられなかった側だ。この世界漫遊の話が持ち上がったきっかけ、お金の話、チルナウエルの世界漫遊中に中尉と恋人がどうしていたか、その後二人はどうなったかという経過とともに、それぞれの立場の身の処し方、人物像、世間というものがよくわかる。でも、最後には登場人物が皆、好いところに収まる、後味の好い話である。
青空文庫にある古めかしい小説とか「まんが日本昔話」の枕部分など、コンパクトに世の流れや処世術が語られているので、なかなか興味深い。
加藤和彦
around the world
とりあえず、この曲。
★哲学ニュースから 「社内ニート」
2011年12月23日金曜日
「Vin Diesel(The Pacifier)」のRodriguez
そしてRodriguez 。
「ワイルド・スピードMEGA MAX」シリーズのヴィン・ディーゼルが主演しているディズニー映画がある。「キャプテン・ウルフ(The Pacifier)2005」。海軍特殊部隊のエリート軍人ウルフが任務として、亡きプラマー教授の家族を守るために子どもたちの世話をすることになる話。ディズニー公認らしきYouTubeの動画で全編見ることが出来たのだが、繰り返し見てしまい、レンタルまでした。
下の動画の初めの方に、ウルフ大佐役のヴィン・ディーゼルが、二女のルルに寝る前の昔話をするシーンがある。
子どもに話して聞かせている昔話なのに、何と言っているのかわからない。
「昔々、あるところに」で始まり、「妖精の一家が、ある日魔法の森へ行って、秘密の・・・・・・溜息・・・・・・・ロドリゲス、そして溜息」で、終わってしまうようだ。このあっという間に完結する話って何だろう。
親切なことにYouTubeのコメント欄に、この物語を載せてくれていた人がいた。
Once upon a time there was a family...Of Elves. And one day the little Elf Family went into...the magic forest to find a secret ....Gnome....facility. Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium. So three Elves laid down heavy suppressive fire on the gnomes. While the others,maneuvered around to the right flank, finishing off anything left alive. *sigh* And not one of the elves were left behind that day. We got them all. Even the teeniest...littlest Elf of all, Rodrigues. *sigh*
その人は、主語などを書き間違えていて(上記のは訂正済み)、読んでいる途中で私は混乱してしまった。Elves(妖精たち)とgnoms(子鬼たち)はどうなったのかわからない。否定語がわからない。それで、映画をレンタルして全ては解決したのだが、
上の話を読んでいて参ったのは、gnomsが森の秘密基地でやっていたことである。
Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium.
私は夏の間、プロコフィエフの「毒キノコの話」続編を勝手に書いてみていたのだが、それは、ベニテングタケの国が石油や天然ガス、ウランなどの地下資源を利用して大国となり、入出国カウンターではルーブルをドルに替える話にしていた。だけど、もうこの一文を聞いた(読んだ)からには、何の意味があるだろう。ただのキノコだ。シチュエーションに一行で負けてしまった。それに、1分ちょっとで完結する物語をどうやったら書けるのだろう。
「長靴をはいた猫」「戦争に行くキノコ」に続いて、これが決定打となり、私は、続編を書くのは止めにした。
次の二つ目の動画は、このヴィン・ディーゼルの物語だけを、YouTubeの利用規約に則り、著作権を侵害しないように、うまくカットして編集している。
Gnomesの秘密基地を攻撃したElf一家は、その日は皆、生還できた。ウルフ大佐は自分が率いてきた部隊のことを思い出したのか、感慨深げに小さなぬいぐるみを手に取り、安堵の溜息をつく。
一番若くて小さなRodriguezでさえ、も?
「ワイルド・スピードMEGA MAX」シリーズのヴィン・ディーゼルが主演しているディズニー映画がある。「キャプテン・ウルフ(The Pacifier)2005」。海軍特殊部隊のエリート軍人ウルフが任務として、亡きプラマー教授の家族を守るために子どもたちの世話をすることになる話。ディズニー公認らしきYouTubeの動画で全編見ることが出来たのだが、繰り返し見てしまい、レンタルまでした。
下の動画の初めの方に、ウルフ大佐役のヴィン・ディーゼルが、二女のルルに寝る前の昔話をするシーンがある。
子どもに話して聞かせている昔話なのに、何と言っているのかわからない。
「昔々、あるところに」で始まり、「妖精の一家が、ある日魔法の森へ行って、秘密の・・・・・・溜息・・・・・・・ロドリゲス、そして溜息」で、終わってしまうようだ。このあっという間に完結する話って何だろう。
親切なことにYouTubeのコメント欄に、この物語を載せてくれていた人がいた。
Once upon a time there was a family...Of Elves. And one day the little Elf Family went into...the magic forest to find a secret ....Gnome....facility. Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium. So three Elves laid down heavy suppressive fire on the gnomes. While the others,maneuvered around to the right flank, finishing off anything left alive. *sigh* And not one of the elves were left behind that day. We got them all. Even the teeniest...littlest Elf of all, Rodrigues. *sigh*
上の話を読んでいて参ったのは、gnomsが森の秘密基地でやっていたことである。
Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium.
私は夏の間、プロコフィエフの「毒キノコの話」続編を勝手に書いてみていたのだが、それは、ベニテングタケの国が石油や天然ガス、ウランなどの地下資源を利用して大国となり、入出国カウンターではルーブルをドルに替える話にしていた。だけど、もうこの一文を聞いた(読んだ)からには、何の意味があるだろう。ただのキノコだ。シチュエーションに一行で負けてしまった。それに、1分ちょっとで完結する物語をどうやったら書けるのだろう。
「長靴をはいた猫」「戦争に行くキノコ」に続いて、これが決定打となり、私は、続編を書くのは止めにした。
次の二つ目の動画は、このヴィン・ディーゼルの物語だけを、YouTubeの利用規約に則り、著作権を侵害しないように、うまくカットして編集している。
Gnomesの秘密基地を攻撃したElf一家は、その日は皆、生還できた。ウルフ大佐は自分が率いてきた部隊のことを思い出したのか、感慨深げに小さなぬいぐるみを手に取り、安堵の溜息をつく。
一番若くて小さなRodriguezでさえ、も?
Once upon a time there was a family...Of Elves. And one day the little Elf Family went into...the magic forest to find a secret ....Gnome....facility. Where the gnomes were turning mushrooms into...Uranium. So three Elves laid down heavy suppressive fire on the gnomes. While the others,maneuvered around to the right flank, finishing off anything left alive. *sigh* and not one of the elves were left behind that day. We got'em all. Even the teeniest...littlest Elf of all, Rodrigues. *sigh*
............Rodriguez,where is Rodriguez?
............Rodriguez,where is Rodriguez?
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