2012年7月30日月曜日

Virginia Rodrigues e Caetano Veloso 一番よく聞いている曲


ブラジルにヴィルジニア・ホドリゲスという女性歌手がいます
アルバムは主に2枚しか聞いたことがありませんが、その中から特に三曲が気に入って、ファブリツィオ・デ・アンドレのアルバム「Creuza de Ma」やレニーニと同じくらい、それ以上に一番よく聞いているのではないかと思います。

まずアルバム「NOS」(2000)から一曲、Jeito Faceiro(おどけた仕草)。
いつ何度聞いてもミステリアスで、深く引き込まれていきます。
その点、他のアルバムは、たぶん、普通にきれいにまとまってしまって、囚われることがないのかもしれません。印象に残っていません。

この曲は、生きている限りずっと聞いていたい不思議な曲、でも、歌詞を見ていたら、私は死んでいくときは、明るく空へ舞い上がれるような曲がいいかなとふと思いました。自由に。もう何度も生まれ変わらなくてすむように。

でも、深遠な曲というのも幻で、聞いている間の一瞬のこと、さらにこのタイトルが示すように、すべては、おどけた遊びの世界なのかもしれません。


Virginia Rodrigues e Caetano Veloso

Jeito Faceiro
(おどけた仕草)


歌詞は例によってこちらから→☆


Ô mar, um abrigo que lá está
海、そこにある避難所よ
No ser a felicidade
幸福な状態にある

Na beleza de ser você
お前はほんとうに美しく
No encanto de ser mulher
女である魅力を放つ
Delirar no seu jeito faceiro
おどけて心狂わせる
Seu dengo maneiro
その甘い叫び
Seu bem me quer
その善きこころがわたしを求める

Me leva eu com você
お前とともにわたしは立つ
Pra ficar tudo legal
お前といっしょに並べるように
È só te ver
ただお前を見ていられるように

È de se bailar no Olodum 
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar
体を揺らし踊ろう
È nesse bailar no Olodum 
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar
体を揺らし踊ろう

Desce do espaço imenso
広大な地に下る
Uma águia pro oceano
海を守る一羽のワシが
Mergulha bem fundo além do saber humano
人間の知の奥底にまで潜り込む
Atlântida viva quem sabe esquecida
生命を持つアトランティスは忘れられたものを知っており
Renascerá
何度も生まれてくる
E hoje u guerreiro Olodum, encantando a cantar
そして、今日戦士オロドゥンは魅せられて歌う

O me leva eu com você
お前とともにわたしは立つ
Pra ficar tudo legal
お前といっしょに並べるように
È só te ver
ただお前を見ていられるように
È de se bailar no Olodum
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar
体を揺らし踊ろう
È de se bailar no Olodum
オロドゥンの姿で踊るのだ
È nesse suingue eu vo dançar 
体を揺らし踊ろう



2012年7月28日土曜日

おまけ  花火大会



久しぶりに花火を見に、近くの川縁まで出かけました。




横で見ていらっしゃった方が、
ビルが観音様みたい、と話すのが聞こえました。






いつもより10分早く、終わったような気がします。


森を見て木を見ず スタッカートに気がつく

執拗に書いてしまう練習記録。認めたくはないのだが、苦手なものに向き合えるようになったほうが、得られるものは大きいようだ。まだまだ少しずつかじっている段階。


苦手というのは、易しい曲だからつまらないのではなくて、優しい曲で自分には合わないから。普通の人なら、3,4日あればミス無く弾けて、半月かひと月で仕上がる曲を、私は半年掛けて練習している。
前回、ようやく、先生に見ていただけるようになった。これまでは、間違った音を出していないか、リズムが変だとか、楽譜から逸脱していないかのチェックであったが、打鍵の仕方や表情のつけかたを、細かくご指導くださる。久しぶりのような気がする。
先生も私への指導にはお疲れのようだけれど、曲に飽きることは決してない方で、いつも真摯に楽譜と音楽に向き合っていらっしゃる。そうえいば、先生というものは、同じことを何度も生徒に教えないといけない職業だなあ。


さて、「木を見て森を見ず」という格言があるが、私が練習している状況は、その反対で「森を見て木を見ず」、一見面白くないけれど、中に入ってみたら結構よかったということかもしれない。
遊園地に入ってみたら、アトラクションが面白くて楽しめたみたいなことだろうか。曲の中からワンフレーズ取り出して練習して、細かなことに気がつけば気がつくほど楽しい。

この間は、スタッカートがたくさんあることに気がついた(一応知ってはいたが意識して弾いていなかった)。初めから先生は、「このスタッカートは軽く切って、次のフレーズへどん」とか、あちこち丁寧に教えてくださっていたのだが、先生がアドバイスしてくださったところ以外に、至る所についている。それがまあ、古典期の曲なので、若い美人が男性をからかって可愛い足を出したり引っ込めたり、爪で引っ掻いたりしている感じがする。長い脚で蹴り上げたりしている現代的なものはない。


先生にこうしたスタッカートのことを話してみると、「違います」。
「ここはですね、男性が、思いが叶わないことに嘆いて、はぁあっ、あぁあっ、と溜息をついているのですよ」
鑑賞力ゼロの私だが、それはそれでまた、どうなんでしょう、と思う。でも、私の気持ちなんか関係なくて、とにかく曲を奏でて演じなければならない。


以後、気をつけてスタッカートを場所に応じて弾いてみると、ちゃんと楽譜に自分が同化していっているようで面白くなってきた。「わたしは嫌だ、嫌だ」の自我が消えて、よい練習になっている。本当に感謝している。
この感謝の気持ちだけでいっぱいで練習した気になっていたのか、次に先生に見ていただいたら、「全然、前と変わっていない」とがっくりされた。筋肉が覚えるまで練習するのが練習だった。

ところで、60年代イギリス4人組も、顔が生理的に好きじゃないからどうしても受け入れがたいものがあるのだが、それはものすごい損らしい。オリンピックの開会式で一緒になって歌えば、大好きになったかもしれない。ー無理はしなくていいかな。ファンからしてみれば、余計なお世話だと言われそう。ほんと、そうだ。


でも、芸能人や有名人でも、間近で見たり、握手してもらったりしたら、一生もののファンになる。たまには敬遠せず、どんどん近づくと手に入るものも増えそう。
私は近眼で、近寄りすぎて嫌がられることもあるが。何だかんだいって、考えても分析しても意味のないことだった。


最後に思ったが、森を見て木を見ずというより、ただの「食わず嫌い」に近い話になってしまったようだ。



2012年7月25日水曜日

素晴らしかったコンサートとプログラム変更

先日の土曜日、「小畑佳子&本山麻優子 デュオ・リサイタル」に行った。
市が主催する文化事業の一環だそうで、前売り1500円だった。


小畑さんはメゾソプラノ歌手で、私はピアノの先生のご紹介でコンサート情報を知った。前に何度か「4ひきのこぶた」というシリーズのコンサートで、小畑さんの歌声を拝聴している。「4ひきのこぶた」というのは、ソプラノ歌手ばかり四人によるユニットだが、声楽に素人のわたしでも、それぞれの声の個性がこんなに違うのかと面白く、プログラムや脚本がいつも洒落ていて楽しい。
今回は日本歌曲をプログラムに組まれて、夏らしい選曲。


本山さんは、前売りでもらったパンフを見るとお若くて、まだ大学一年生の新進ピアニストらしい。経歴を拝見すると、海外でも活躍されて凄い方のようなのだが、演目を見ると、ちょっと悩んでしまった。リスト、スクリャービンが一曲ずつで、後はショパンが三曲もある。私はショパンが苦手で、前半は聞いてみたいけれど、ショパンはどうしようかと、実はチケット購入まで、しばし躊躇していた。


ひょっとしたら、この引っ掛かる気持ちが、主催者側に届いたのかもしれない。
土曜日、会場について着席すると、プログラムを変更しておりますとお詫びのアナウンスがあった。受付でもらったパンフを見直すと、前半がピアノになっている。曲目も、ハイドン、ショパン、リスト、スクリャービンで、ショパンがたった一曲に変更されている。


素晴らしい。


それにしても、大胆なプログラム変更で、前半にピアノを持ってきただけではなく、さらに歌曲の半分を入れている。休憩を挟んで後半は、歌曲の残りでたった三曲。これはなかなか良い知恵が絞られたのではないだろうか。
まるで、ピアノの前に帰ろうかと思っていた私の気持ちを見透かしたかのようである。とても嫌なことを書いて申し訳ないが、それくらい、最初のプログラムに魅力を感じなかったのである。
それに引き替え、新プログラムでは、事情があって、前半だけで帰らなければいけない人がいたとしても、ピアノも歌も聞けたということで、満足されるだろう。


ピアノの演目もがらりと変わったのは、誰がアドバイスしたのだろうか。最初のは、主催者側というか昔の大人が選んだ演目を思わせた。ショパンは定番過ぎるし、そのうち一曲は、夏なのに「木枯らし」なのだった。団塊の世代なら喜ぶかもしれない「革命」もあった。いや、私は「革命」を聞いたことがないのだけれど。


ここまで書くと、主催者側に腹が立ってくる。最初から、今回のプログラムにしておけば、お客さんはもっと入ったのではないかと思う。
それに、夏休み初日の土曜日にコンサートというのも、どうだろう。客層のターゲットは子どもからシニアまでらしいが、子どもや保護者の世代は、この土曜日は、学校での懇談や行事にあれこれ目一杯の予定で多忙なはずだ。
チラシも、どうにかして欲しいような古めかしさで、予算を掛けられないのは言い訳にはならないと思う。市の未来都市創造財団が主催だけれど、チラシは外注でお任せ、なら、なおさら、もう少しいい仕事をして欲しい。


さて、本山麻優子さんの演奏は、来て良かった、と心から思えるほど素晴らしかった。本山さん自らの曲についての解説を聞くと、年頃のお嬢さんそのままなのだが、演奏は立派で、自然な流れで、飽きることなく、非常に心地良く聞かせてもらった。私は、音楽を聴く耳を持ち合わせていないのと、演奏された曲についてあまり聴いたことがないので、細かく感想を書けないのが残念だ。これを読んでいる方は、もっと残念だろう。分かち合うものが何も無いブログで申し訳ない。


次の、小畑さんの歌曲も、期待通り、しみじみとよかった。最初の「浜辺の歌」は大好きな曲で、イタリアオペラも混じり、最後の「さとうきび畑」もよかった。休憩の前後で衣裳も替えてくださり、素敵だった。
アンコールでは、本山さんも最初のグリーンのドレスから白いドレスに着替えて現れ、小畑さんのピアノ伴奏を初々しい感じで務め、デュオ・リサイタルの締めくくりに相応しかった。


帰宅して、本山麻優子さんを検索すると、知らないほうが変、と思われるくらい、実力があるピアニストらしい。数々の賞を受賞されていて、動画もいっぱいあるのだが、生で聞いた方がもちろん音が良くて魅力的。


リスト
バラード第2番ロ短調  S171.R.16







2012年7月22日日曜日

分けられる幸せ

母のことだが、今、関東にいる。ほぼずっと末っ子と一緒に暮らしていて、10年近く前、転勤に伴って付いていった。関東は内陸部の暑さも寒さも厳しいところで大丈夫だろうか、それより関西での暮らしが長いから、生活が合うだろうかと気にはなったが、年の割には柔軟に適応したようだ。
知らない土地のほうが、のびのびと出来るのかもしれない。


私は、母と時折、荷物のやり取りをしている。母の日などの定例的なものとは別に、関東では売られていないものや贈答品を頼まれて送っている。母からは、野菜や食品などがお裾分けで送られてくる。野菜は、母の古い知人が届けてくれるものである。
送料のことを考えると、遠方から届いた野菜をさらに私のところまで、わざわざ送ってくれなくてもと思うのだが、こちらでは見かけない食品や品物も混ぜて送ってくれる。


でも、中にはネットで購入すれば無駄が無くていいのに、と思うものがある。元々、私の母やきょうだいはビジネスライクで、お互いを「慣れ親しんだ他人」「ちょっとものを頼める間柄」として気が合う、という感じで接しているくらいだ。思い返せば、かなり前は荷物のやり取りも少なくて、独立した家計同士ということで、親子間で費用を精算していたこともあった。これは、私の母もきょうだいも、計算したり数字を出すのが好きだったせいでもある。
そんな人たちから、何回かに一度は、どこでも買えそうなものを丁寧に依頼されると驚いてしまう。


また、そもそも母が知人から、それこそお心遣いで余分に頂く野菜も、ご近所にお裾分けできればよいのだが、どうもそうはいかないらしい。確かに、私自身もこの数年は、近隣へのお裾分けをしていない。今時、ご近所にお裾分けするほうが不自然で常識がないように思われる時代になっている。
仕方なく親子間で荷物を送り合って送料や手間を掛ける、ちょっとしたこの無駄も、世の中に必要なものかもしれない、とも思う。


こうして、関東に越してからの母と荷物のやり取りをしていると、連絡し合うことが増えたし、ほんの少し何かサービスをして一品でも添えて送りたいと思う気持ちが出てきた。どこでも買えそうなものをリクエストされるのも、荷物のすき間埋め以上に、向こうの気遣いかもしれない。私は、今や人から、ものを頼まれることがあまりない、哀しい人間なのである。
その点でも、あるときはプラスαで、あるときは本当にお気持ち程度で、中身は笑ってしまうようなものばかりにせよ、分け合ったり受け取ってもらえる相手がいるのは、なかなか幸せなことだと感じる。だから、イギリスでは、どんな貧しい人も遺言を残したのかもしれない(当ブログ「分ける歌」2012.6.270)。


ところで、分けあうことでものが循環し、皆が幸せになっていく客家のシステムを読んだことがある。どなたかがご紹介されていた、スピリチュアル系のサイトでのインタビュー記事の中にあった(*後注)のだが、雑食性で何でも読む私は面白く読ませてもらった。
経営コンサルタントで小田さんという方がいらっしゃって、その方の子ども時代が後半語られる。おうちの事情で子どもの頃から苦労をされているが、パチプロになったお母さんに体よく働かされて、これからどうなるんだろう、どうなるんだろうと興味津々に読んだ。淡々とした語り口で、可笑しい。よその人の人生は「語って」もらうと、可笑しなことをいっぱい経験されていて、とにかく可笑しいものだ。


小田さんの前半の話では、カースト制度は魂の成熟度状態を表すというのが、耳に痛かった。私はシュードラで心(感情)の奴隷らしい。引用させてもらうと、


 めんどくさかったらやらない、眠かったら寝る、そのときの気分に左右されるから、なかなか物事が続かない、だから技術や知恵が身につかないー


うん、その通りである。
やりたくないことは無理してやらなくていいとは思うのだが、小田さんが後に続けられているように、シュードラは、要約すると、
今の場所の居心地が良くて、新しいことに挑戦せず、「今のままでも、まぁいいや」ってごまかすので、新しい世界へ踏み出しにくい、
ということらしい。ますます、耳が痛い。うさぎの耳は長いのだ。


私も、現状維持の生活から抜け出して、皆さまにいろいろと分けることができて、幸せをいただくような生き方をしてみたい。現状維持もやっとのことで難しいが、お釈迦様も福の神(貧乏神と同一とも言われる)も、まず貧乏な家へ行って托鉢やら一晩の宿を求めたという。手持ちのものがなくても出すことで福は得られる話は何度も聞いたことがある。
同じ貧乏神でも、にちぎんそうさいにだけは、来て欲しくないなあ。


*クエストカフェ インタビュー No.37
小田真嘉さん  「お裾分けを少しずつ回せば、善循環スパイラル
話が前後してしまったが、このタイトルの前「社長の心の状態が、全部会社に反映されている」でカースト制度の話。



2012年7月20日金曜日

ふたつの三日月


母が、お見舞いで頂いたというメロンを送ってきてくれた。この間、母は怪我をしたのだった。幸い、大事には至らなかった。








また、後で。


2012年7月18日水曜日

楽譜が見えたのも束の間と、場所替えゲーム

ピアノの練習で、あまり好きなタイプの曲ではないからと、一時は身もだえするほど苦手に感じた曲と取り組んで、早、5ヶ月。さよならするどころか、まだやっている。でも、他に弾きたい曲も見つかって、モチベーションも上がってきたのが嬉しい。


さて、その苦手な曲を練習しているとき、突然、楽譜を見るってこういうことか、と体感できた日があった。もちろん、普段も楽譜を見て弾いているのだが、好きではない曲を弾くときは、実際、ろくすっぽ見ていない。
人間は、関心のないものには、ことごとく冷淡である。扱いが邪険である。


例えば今回、のどかな恋のメロディという曲想についていけず、泣く泣く練習するようになったときは、完全に関心がなくなって、どうでもいい感じだった。
もう自分がどんな音を出しているか聞いていないので、間違った音を出していても全く気がつかない。
先生が目を丸くして、
「もう長い間弾いているのに、初めて楽譜を見たみたいに弾かないでください」
「今、違う音を出したのに気がつかない?古典期の曲だから、和音が違ったらすぐ分かりますよね


私のほうこそ、びっくりである。
「え?、間違えていましたか。自分の出している音を聞いていませんでした」


「頼むよ〜」と、先生は絶句された。

「わ、それ、家でもよく言われるんです。でも、頼まないでください」


と、終いには、知っていても知らないふりをしてしまう関係になっていた。隣にいる人が明らかにボタンを掛け間違えておかしな格好をしていても、黙っているようなもので、そもそも関心が持てない。


そんなある日、どうしたことか、嫌だとか苦手だとか思わずに練習できた日があった。

そのとき、楽譜の音符というより音が見えたというか、今弾いている音の次に、これまで気がつかなかったけれど、こんなところにこんな音符があったのね、と見えたり、ある音符を弾いた後で、その出した音が聞こえるし、前の音も次の音も見えてメロディーとしてつながったりした。
リズムも感じ取れた。感じるだけで、実際には楽譜通りには弾けなかったが、とにかく、一音、一音が目に入って、音楽が流れて聞こえてきた。


こんな有り難い奇跡は一度だけで、その感動も長続きはしないが、次のレッスンでは、先生はさすがに変化を感じ取ってくださった。

ところが、人間は意識をし始めると、これまでの態度とは打って変わって、そわそわしたり、細かなことが気になってきたりするものである。
私は、弾きながら今度はぎくしゃくしだした。一節一節に注意を傾けては、自分の出すがさつな音に、ひいと後ろに退いては恥じ入った。
「何ですか、その挙動不審は」と先生があきれていらっしゃる。
我ながら、地球人のふりをしていたことがばれてしまった宇宙人のような動きだと思う。

それでも、ここまでお近づきになったのなら、何とか上手に弾けるようになってもいいのだが、結局、まあ、挨拶は交わすが、おつきあいはない隣人みたいな感じになっている。すべては記号で意味がないと思えばいいのかもしれない。


ともあれ、どんな曲でもいい、一度でいいから、楽譜通りに弾けるようにしよう。



「Men In Black」で
sugarを欲しがるEdgar





このエイリアンに体を乗っ取られた農夫役をしていた
ヴィンセント・ドノフリオが出演した映画
「13F」(SF。wiki,jp)を見ました。
バーチャル・リアリティの研究開発を巡るミステリーです。
主人公ではありません。

13F(1999年)
trailer




映画「ウエストワールド」(5/27記事)といい、
バーチャルだろうと遊園地だろうと、
前世や来世であろうと、
人間のやりたいことは変わらないと思います。


場所を変えて、違うゲームをしているだけなのかも。