2013年7月19日金曜日

脱兎のごとく

あっという間に帰り道の話。

高速道路、名だたる名所を次から次へとかすめて素通りで帰る。
出発したときは薄曇りで、山の方は雨もぱらついたが、下るに連れて薄日が差してきた。
名古屋北部の小牧も渋滞なく通り、木曽川を渡る。日暮れには少し早くて明るい。
iPodの曲が、カルリーニョス・ブラウンの「Argila」になったのだが、この曲はノイズのような雨音めいた音が入る。

と、フロントガラスに雨粒が落ちてきた。お天気雨だ。

曲にぴったり合わせたかのようで、雨粒越しに前方の空と雲の写真を撮ろうと思ったが、カメラが手近になくて残念だった。
久しぶりに会った家族のことをちょっと思い返す。



Carlinhos Brown
 Argila
(粘土)



粘土でペインティングした人たちの動画もあるのですが、
見ると疲れてしまう気がして。


歌詞と訳は、いつもの「箱と曲」から


Argila
(アルジーラ)

Uganda, cubana, ipanamana, baiana, luanda, nada ruanda, 
kinshze, manga, banana
ウガンダ クバナ イパナマーナ バイアナ ルアンダ ナーダ ルアンダ
 キンシャサ マンガ バナナ 

Vinha rindo e circulando
笑い、回りながらやって来た
Sobre tudo o cobertor
ブランケットの上いっぱい
Do teu olhar verreu meus olhos
君は僕の目をちらりと見る
E do teu olho joio
そして君の目から落ちる
Uma gota de orvalho
露のしずく
Que era vidro se quedou
それはガラスのように砕け散り
Vivendo em despedace
かけらとなって生きている
E o coração coador
そして心を見透す君は
Sorriu vexado de amargor e se pintou
苦々しく微笑み、顔に模様を描く
Com a lama da lagoa pra à toa correr ê ê ê ê ê
沼の泥で、気の向くまま走るために

Uganda, cubana, ipanamana, baiana, luanda, nada ruanda, 
kinshze, manga, banana
ウガンダ クバナ イパナマーナ バイアナ ルアンダ ナーダ ルアンダ 
キンシャサ マンガ バナナ 

Se for feito de argila
粘土でできているとしても
Seis enfeites de darei
六つの飾りをあげよう
Flores não andam em dúzia
花は束にするとよくない
Só foi uma que eu robei
僕は一本だけ摘んだ
Sorriu vexado de amargor e se pintou
苦々しく微笑み、顔に模様を描く
Com a lama da lagoa coa voa
沼の泥で、(工事中)

Ê zuzuê
エズズエ
Ê zum zum zum
エズンズンズン
Ê zuzuê
エズズエ
zum
ズン

Uganda, cubana, ipanamana, baiana, luanda, nada ruanda, 
kinshze, manga, banana
ウガンダ クバナ イパナマーナ バイアナ ルアンダ ナーダ ルアンダ
キンシャサ マンガ バナナ 

Solidão anda de muda
孤独な男は心変わりをしながら歩き
Sei pra sempre te amarei
ずっと君を愛していることを知る
Procurei pôr essas curvas
そのくびれを求めていく
Quem no Tororó deixei ê ê ê ê ê
トロロー特有の

Ê zuzuê
エズズエ
Ê zum zum zum
エズンズンズン
Ê zuzuê
エズズエ
zum

ズン




カルリーニョス・ブラウンの前記事は「ああ、少しは近くなったような(2012.11.14)」祝衆議院解散だった。ああ、本当に今でも嬉しい。




2013年7月18日木曜日

一息入れたところ

先日、夫婦で車に乗ってちょっと出かけたのだが、一息では目的地に行けない、ということで彦根に途中下車した。道中のちょうど中間地点だった。

夕方、ネットで予約していた大手チェーンホテルに着いてチェックイン。バスルームの狭さに憤慨する。全体に清潔感がなくて、スチール脚がめちゃくちゃ目立って貧相な椅子があった。
タオルも使い古されて薄べったい。ネットでも割に合わない価格で、プロパーだとさらに数千円高いなんて信じられない、とさらに憤慨する。
でも、「地方都市の都値段」なのだろうか。と、理解する。
かといって、部屋相応の値段にしたらお客は不審がるかもしれず、もういっそ、建て替えるかリノベーションすればいいのに。アメニティを一新する、あるいはタオルなどちょっと余分に用意をするとか。

まあ、気を取り直して、日が暮れる前にお城と琵琶湖でも見に行こうと、また車で出た。

彦根城。時間も時間なので、中には入らず外周を少し回る。風に揺れる並木とさざ波を立てるお堀の水が悠々とし、時間があれば拝観したのにと後悔した。お城のすぐ横に高校があり、ぞろぞろと高校生がお行儀良く、明るい顔で下校している。
お城の横には、高校があるものだ。といっても、ここ以外、私は二つしか知らないけど。

こうして高校生で賑わっていても、この子たちはすぐに町を出て行きそうだ。
お堀回りののどかさとは対照的に、町は小さく、規制があるのだろう、3階建て以上の家はなかなか見あたらない。ご町内の構えがまとまっているというか、まあ、由緒あるお城の町だものね。
若い子には息苦しいことだろう。と、余計なお世話を書いてしまった。そんなこと、私から言われなくても、何の珍しくもないことである。

お城を離れて通りを走れば、倉敷の美観地区みたいな、観光用の飲食店が並んでいるところがあり、小綺麗でも面白くない。雑多な感じがしないと人は集まらないのではないだろうかと、また余計なことを思う。
もう少し離れた通りは、ファミレスや量販店があって賑わっていた。こちらの嘘っぽさの方が、リアルな感じだ。

お城も見なくて良かったのかもしれない。いや、これは負け惜しみで、もちろん見聞するに越したことはない。

琵琶湖沿いも少し走ったが、晩ご飯を食べるところを見つけ損ねて、結局、歩いて彦根駅前の「彦一」さんに入った。ホテルの人に尋ねて教えてもらった店なのだが、これだけは、感謝した。駅前は、塾の前に軽食を取る高校生が多かった。

「彦一」さんはなかなか良い、普通の居酒屋さんだった。
生憎私は、ほとんどお酒は飲めないし、この日は疲れていてあまり食べられなくて残念だったが、実は最初、メニューを見て気になったのが、ビールの銘柄だった。
メインがあまり好きなメーカーでないので、仕方なく瓶ビールのほうの銘柄にした。

さっき「彦一」さんを検索したら、「食べログ」というのに、同じように考えてビールを注文された方がいた。そして、別の方の書き込みで知ったのだが、「彦一」さんは大手ちゃんぽんチェーンの運営店舗のひとつだそうだ。HPで沿革や社史を見ておいた。

きょうはここまで。この記事を読んだ夫に叱られた。悪く書いているつもりはない。それどころか、自分が住んでいる気持ちになって考えてしまうというか、何処へ行っても興味深いからなのだ。


2013年6月30日日曜日

一息ではなく、ゆっくり

健康備忘録

ヒアルロン酸が大事みたい。
「ハダカデバネズミ」が、ガンにならない理由 (WIRED、6月26日)
最初、苦労してハダカデバネズミを一気読みしたが、ハダカでデバだった。
裸で出っ歯。何だか近しいものを一瞬感じてしまうが、それはなかったことにしよう。

こんな痩せ痩せのねずみなのに、長寿だそう。
それも本気で長寿、30年近く生きるそうで、呼吸も普通のネズミと比べてゆっくり。まさしく長息。蟻や蜂のように群れを形成して生活するのも特徴らしい(wiki,jp 上のWIRED記事中に文中リンクがあります)。

検索してみたら、このネズミは結構有名なようだ。
貴志祐介さんという方の『新世界より』というSF本があるらしく、アニメ化もされたそうだが、それにバケネズミというものが出てくるらしい。ハダカデバネズミを進化させた生物となっている。
それはそれとして、本のタイトルにもなっている、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、そのなかでも第2楽章を編曲した「家路」は、私が通った小学校では学校に残って遊んでいる子どもたちに下校を促す曲だった。貴志さんの小説でも同様に使われているらしい。

私は、この「家路」が大の苦手だったので、ずっとドヴォルザークを聞きたいと思ったことは無かったが、何年か前に一度、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」を小さな小さな音楽会で聞いたことがある。
なかなかよかった、ような記憶がある。弦楽の先生やプロ奏者として活躍されている方々の演奏はもちろん、素晴らしかった。






2013年6月29日土曜日

クルマは潰さずに

飛行機からいつもの車の話。

春、我が家は車を買い替えた。10年以上乗った前の車とお別れするのは、大変辛かった。そのもう一つ前の車も10年はとっくに過ぎて、走行距離も20万キロ以上だったが、廃車ではなくニュージーランドに行くことになっているとディーラーの人から聞いていた。なので、別に寂しくも悲しくもなく、のんびりと余生を送って欲しいと願った。
ところが、前の車と今の車はメーカーが違う。今の車のメーカーが下取りはしてくれたが、すぐ廃車かと思うと、悲しかった。
せめてオークションにかけられて、必要な部品を取ってもらえたらと思った。
この辺のことを私は全く知らない。

ともあれ、何処かをのんびりと走っていて欲しい。公園か空き地で、のんびりと停まっていて欲しいと、時折私は夢みる。


アメリカ自動車中古パーツのリサイクル業者LKQさんの話

アメリカの自動車リペアパーツの市場は2000億ドル。自動車の修理交換でリサイクル部品が既に80%(数量ベース)以上、使われているらしい。
日本はどうなのだろうか。

珈琲バカさんのバンパー哀歌 






抜け落ちていた人

この間書いた『フランバース屋敷の人々』で、主要人物であるウィリアムの名前が落ちていた。クリスチナの二人の従兄弟のひとりで、マークの弟にあたる。
わざとではないが、何となく書くのが面倒で、それに私はクリスチナとウィルが中心となる第二部が苦手だった。
馬の話が読みたいのに、飛行機の話だったのも面白くなかったし、大体、第一部の終わりからして、クリスチナとウィリアムの関わり方が腑に落ちなかったせいだろう。

その飛行機の話なのだが、1912年のロンドン、本の中では、馬車もまだ走っているが、裕福な地区では自動車も多く走っていたようだ。そして、飛行機が飛び始めて間もないというのに、既に「飛行学校」(訳文ママ)飛行機の教習所みたいなのが幾つか出来ていて、運転を習いに来る生徒の予約もいっぱいだったりしている。

その「飛行学校」の指導員であるサンディという青年が、お金持ちで美貌の生徒ドロシーにお茶をご馳走する場面がある。私はこの二人が、主人公たちより終始好きだった。かといって、読み返してみれば、ウィリアムも別に嫌ではない。ただ、馬ほど好感が持てないだけかもしれない。

ウィリアムとサンディは、お金を稼ぐために幾つもの航空ショーに参加し、曲芸飛行をやってのける。この第二部『雲のはて』では、全編を通じて、そうしたショーや曲芸飛行に伴う危険や事故が容赦なく書かれている。
でも、読みながら、単葉機・複葉機の区別すら、私は気にしていなかったと思う。

さて、現代の話。
つい一週間ほど前に、米連邦航空局職員で「ウィングウォーカー」(飛行中の複葉機の主翼に乗ってパフォーマンスをする)のジェーン・ウィッカーさんという方が、飛行機の墜落により亡くなったのを知った。私はテレビも新聞も見ないので、事故のことはすぐには知らなかった。

人は、というより、アメリカの女性(お国の大きさからして、ニュースの頻度が多いので)はこんなこともできるのかとタフさに驚くことが多いが、ウィッカーさんと息子さん二人や、もうすぐ結婚する予定だったフィアンセとの写真を拝見すると胸が痛む。

ジェーン・ウィッカーさん

US-2 新明和工業 私は全く技術系に弱いのだが、スレを拝見すると救難用の素晴らしい水陸両用飛行艇のようだ。離着水の技術が素晴らしく、実際に操作・救助する海自の人たちの能力もすごいようだ。当たり前のように見えるけれど、日頃の訓練のたまもの。
新明和さんが、理髪店のシャンプー台やゴミ収集機、立体駐車場などを作っている身近な会社だとは知らなかった。

こうして書きながら、私には何の技術も能力も経験もないことに気付く。
それとは何も関係ない話だが、洗濯機の買い替えを決めた。それでも新しい日がやって来そうで嬉しい。




2013年6月23日日曜日

続きではないけれど

今宵は満月だそうだ。残念ながら、雨が降り出した。

空を見上げるといえば、ちょうど先日、映画「天地明察」のDVDを借りてみた。
原作は同じタイトルで、冲方丁氏の『天地明察』。江戸時代の囲碁棋士であり天文暦学者である安井算哲(後の渋川春海)を描いた作品だが、原作やコミックはまだ読んでいない。

唐突に借りたので、映画についての予備知識はなかった。

V6の岡田君が主演で好感が持て、最初はまあ、色々と目をつぶっても楽しいのだが、だんだん白々とした気持ちになってきて不愉快になり、しらぁと終わった。
演出やキャストとか、何やかんやと嫌なのかもしれない。
見る直前まで監督が誰だか知らなくて、DVDのケースを見て私が見たくないと思っている映画を撮っている人だったので、嫌な予感はしていた。それが当たってしまったというより、やはりそうだったかと妙に納得してしまった。
原作を読んでいたら、もっと怒っていたかもしれない。

ああ、悪口を連ねてしまったが、何を言いたかったか思い出した。
安井算哲をバックアップする中井貴一演じる光圀公が、プーチソ閣下にそっくりだった。

*冲方丁 (wiki.jp)



続き

前回記事の続き。
『フランバース屋敷の人々』のテレビドラマ化は、主役たちが原作のイメージとは違って残念だったけれど、イギリスの児童文学で思い出したのが『床下の小人たち』(メアリー・ノートン著)。
これもドラマ化されていないかと動画を検索すると、あった。

The Borrowers (1992年)


アリエッティは可愛いし、ポッドとホミリーの両親も男の子もイメージ通りな気がする。
1973年アメリカ制作の映画か何かの動画もあったが、こちらは舞台向きの人たちなのかも。髪型がアメリカホームドラマっぽいホミリーが怖い。
他にも映像化されているようだ。
宮崎アニメはハイジの頃から苦手だから、見ない。

さて、順序は逆だが、今度は『床下の小人たち』の原作が気になって、読み返してみた。本の紙が黄ばんで古くなって、この本によく出てくる、吸い取り紙、にできそうだ。
最初の出だしで、ケティおばさんが使用している「朝ごはんの間」について、朝の日差しで明るい部屋も、太陽の動きとともに「妙にしらじらした光」で悲しげな雰囲気を漂わせるようになるまで、細かく書いている。イギリスやヨーロッパの映画には、ハッピーエンドがあまりない、という話を思い出した。現実的でシニカルなのが自然に感じる。

男の子のアリエッティら小人に関する見方も、「怒りっぽくて、うぬぼれや」と的確だ。小人が何故小人になってしまったか、という考察も面白い。
この小人シリーズは、二作目からは記憶になくて、また時間があれば読んでみよう。

最後に。『フランバース屋敷の人々』に頻繁に出てくる狩猟で思い出したが、

『狐になった奥様』  ガーネット著(wiki.jp)

狐になりたての頃のシルヴィア奥様のテーブルマナーが、いじらしく可愛い。子狐たちの性格描写もおもしろかった。
短編小説で、シルヴィア奥様の変化に伴う夫テブリック氏の変わらぬ愛情や心理描写が連綿と続くのだが、それよりテブリック氏が「妻が狐になっては仕方がない」と受け入れたこととか、氏の世間との関わり方のほうが印象的だった、はずなのだがよく思い出せない。
この本は借りて読んだので、手元にない。
プロジェクト・グーテンベルクで原文が読めるようだ。でも、読んでみるには季節的には冬がいいかな。
挿絵の版画がよかった。