この夏は妙に気持ちがささくれ立つ。 いつも、気持ちが落ち込んだときに開く本が数冊あるのだが、それらを当てずっぽうにめくれば、どれも必ず「感謝が足りない」と出てくる。それが分かっているので、もう本を手にすることすら止めた。 昨晩、ふと、あるフレーズが耳に浮かんできた。何かなと思ったら、Violeta Parraの「Gracias a la vida」だった。淡々と叙情的で、繰り返し聞けるとても好きな曲だ。でも、今まで歌詞は知らなかった。 そこで、改めて歌詞を読んでみたが、うーん、昨日も今日も歌詞には、あまり気持ちが入っていかない。それでも、曲は好きだが。 感謝どころか、目一杯愚痴っていたい。何が嫌だって、全ての原因が自分であるのが嫌だ。おまけに陳腐で矮小すぎて、自慢できる愚痴がひとつもない。 さらに今日は、 「あれから5年、大不況は終身刑となりつつあります」というタイトルに打ちひしがれた(今日の覚書、集めてみました様ブログ)。 そういえば、今日の覚書様は、ちょっと前の「笑顔は『心臓に良い』」というエントリーで、「引きずってどうする、愚痴・不平・不満を言っている間は原因は憑いて回る」と書いてくださっていた。 うん、何だかどうでもよくなってきたよ。でも、明日になれば、また愚痴ってしまうんだ。 と、ここでアップしようとして、ヴィオレッタ・パラについて、Wikipediaを読んでびっくり。この曲を作った翌年、自殺したそうである。ヴィオレッタ・パラの曲は、当ブログでも「ねじれていく」(2012.4.13)にメルセデス・ソーサが歌う「Volver a los 17」を取り上げているが、パラ自身については、全然知らなかった。