2012年1月17日火曜日

割ってしまいました


昨日、未来は五分五分と書いたのが悪かったのでしょうか。
白い器を割ってしまいました。
100%当たったって感じです。


2012年1月16日月曜日

備忘録 プラトンの洞窟の世界観、ダイハード

境先生の哲学とは関係ないのですが

「カラパイア」さんの記事
クレイアニメーション


Tさんブログに紹介されていたのですが、
カラパイアさんだけ、載せさせてもらいます。

こちらは、全然関係ない
レゴブロック
Die Hard Done in 60 Seconds 2011 Lego
「ダイハードⅠ」を1分で


五分五分の確率

筑波大学大学院システム情報研究科構造エネルギー工学専攻教授 境有紀先生のサイトを久しぶりに訪問した。昔は、よく拝見していた。最近は、東北大震災のときに一度トップを見たが、中には入らなかった。入り口が込み入っているのである。


地震防災学がご専門の境先生は、ピアノを弾き、バドミントンやスキーにも汗を流される方で、アクセスするようになったのは、やはりピアノ関係がきっかけだった。
東北大震災後にも思ったが、境先生のサイトの作りは、昔と変わっていなくて、お写真もそのままである。まだ50代手前だから、しばらく写真もこのままかもしれない。
「人生や世の中などいろんなことについて考えること」のページも無事残っていた。哲学?のページで、レベルが違いすぎるピアノ関係のページよりも夢中になって拝読したページである。
それは、ご本人も書かれているとおり、HPの奥の方に、それもわかりにくい場所にあって、個別記事も探しにくくなっている。長文で書かれているので、読むには結構体力が要る。以前、私はあえて迷路を楽しむように、あちこち読んでいた。すべてに共感するわけではないが、境先生の、一般に「これはこうだ」と決めつけられていることに対する嫌悪感や残念だと思う気持ちに通じるところがあって、「人生所詮退屈しのぎ(仮)」という際どいタイトルの文章もまだあった。先生の基幹部分となっているようだ。
いや、本当に、人生とか社会に経済、世界や宇宙も、運動していないとエネルギーの循環が止まってしまって何にも無くなってしまうのかもしれないと、体が平べったくなるほど寝ている私は感じる。起きているときも同様に私は平べったい。

防災関連のコラムも勿論あって、10回中9回の「無駄足をしっかり踏めるか」と防災教育の重要性を強調されている。
私は、未来で何かが起きる確率って五分五分だと思っている。その反面、何となく自分は大丈夫と思ってしまうのが甘い。おまけに、無駄足を踏む体力も無いくせに、長く書いてしまった。こういうときは、言いたかったことが書けていなくて、あとで書き直した方がよいと自分でも思う。

2012年1月14日土曜日

世界漫遊ビジネスオンライン

私はこれまで、ネットなどで自分に都合のよい記事を見つけても保存し忘れてきた。それで、このブログを備忘録として始めてみたのだが、その都合のよい記事というのは、大概が「いてもいなくてもよい人物」とか「無駄な人」がキーワードである。だけど、そのキーワードしか覚えていなくて、肝腎な内容をしょっちゅう忘れてしまう。


夏くらいだったか、あるブログで紹介されていた記事を読んで、思い当たったことがあった。それは、青空文庫にある「世界漫遊」(ダビット ヤーコプ・ユリウス David,Jakob Julius著1859年~1906年 ダウィットと表記したりいろいろ)という短編小説である。森鴎外が訳している。森鴎外は、ほとんど読んだことが無くて、たぶん、これから先も読まないだろう。森茉莉のお父さんと思っている。森茉莉も一度読んだきり。


だけど、鴎外が訳していなかったら、この小説は読まなかった。というのも、森鴎外や他の明治の文豪?作家たちの小説は海外小説のパクリだ、彼らが翻訳した小説のほうが面白いと聞いたので読んでみようと思った次第で、マイナスの評判も馬鹿には出来ないと思う。


さて、この「世界漫遊」、19世紀当時のバブリーな話か、冒険記かと思ったら、いきなり出てきたのが、ウィーンの一流銀行に務める「いてもいなくても差し支えのない」という銀行員だった。名前がチルナウエル。原著はどうなのか疑わしい気がするが、いてもいなくてもよい人物だと執拗に随所で繰り返されて、この名前が変にしっくりしている。
このチルナウエルを「ウィインの銀行は、いてもいなくても好い役人位は置く」という鷹揚さで雇い、チルナウエルはチルナウエルで「自分がいてもいなくても好いということは自分がよく承知している」と両者の関係が収まっているのだが、あるブログで紹介されていた記事を読んで思い出したというのは、このことである。


その記事は確か、「大企業、一流企業は、いてもいなくてもよい人材を雇っている」というものであった。人件費が一人一千万円を超えても、?人か雇用しているというのだが、そこを読んだ途端に頭の中が「世界漫遊」になってしまった。
勿論、その記事は、何故無駄だと思える人材を企業は雇っているのか理由を書いていたし、軽作業のためといったことでは無かったと思う。普通なら、無駄な人件費はカットしろ、その分内部留保に回せ、株主や消費者に還元しろ、ということになるだろう。だけど、理由の箇所を全く覚えていない。それで、どのビジネスオンラインかビジネスプレスか経営コンサルタントだったかと検索してみたのだが、そんな話は見あたらない。


根拠となるものがないと困る。実際、私は世間が狭く、「そんなの当たり前、無駄な正社員なんか幾らでもいて、優秀な派遣社員やパートで補っているのに、切っていくのは派遣のほうからだ」とか、実態に対する認識が間違っているという指摘は幾らでもあると思う。まあ、だがこの小説に出てくる「チルナウエルのような人物を雇う、それくらいの余力」がなければ物語も始まらないとお茶を濁すことにしよう。


世界漫遊」では、私は、チルナウエルの身の僥倖を羨ましいと思うカフェに集う人間側である。伯爵であり中尉であり、美男子で頭もよいが自堕落な感じ漂うポルジイが「誰か僕の代わりに世界一周してみる人いませんか」という声に応えられなかった側だ。この世界漫遊の話が持ち上がったきっかけ、お金の話、チルナウエルの世界漫遊中に中尉と恋人がどうしていたか、その後二人はどうなったかという経過とともに、それぞれの立場の身の処し方、人物像、世間というものがよくわかる。でも、最後には登場人物が皆、好いところに収まる、後味の好い話である。


青空文庫にある古めかしい小説とか「まんが日本昔話」の枕部分など、コンパクトに世の流れや処世術が語られているので、なかなか興味深い。

加藤和彦
around the world


とりあえず、この曲。


★哲学ニュースから 「社内ニート」

2012年1月12日木曜日

ファブリツィオ・デ・アンドレの地中海音楽 Creuza De Ma

Fabrizio De Andre 
レニーニとファブリツィオがあれば、というくらい好きなイタリアのアーティスト。
ただし、好きなのは晩年の三部作「 Creuza De Ma」「Le Nuvole」 「Anime Salve」である。


ファブリツィオ・デ・アンドレを紹介してくれたのは、友人の友人で、最後の「Anime Salve」から1,2曲テープに入れてくれた。大変よかったのだが、声がフランスの歌手ブラッサンスに似ているということで、シャンソンが好きではない私は、CDを買うのにかなり躊躇した。
夫が、買ってみようと言ってくれたおかげで、こんな素晴らしいアルバムに巡り合えたのだが、持つべきものは友人だと思う。
初期の作品も少し聞いてみたが、ほとんど馴染めず、そちらから先に聞いていたら、大変残念なことになっていただろう。

さて、「Creuza De Ma(地中海への道程)」だけど、友人の友人は、「地中海の彷徨」と訳してくれたような気がする。
Rainbow's endさんによると、「(=Mulattiera di mare ムラティエッラ ディ マーレ )
  海に続く細道」だそうだ。このアルバムについては、重複するがendさんのれびゅー1045が簡潔で「十分」感触がつかめると思うので、ご覧いただきたいと思う。
検索すれば、ファブリツィオファンの方々も皆さん、ご自分の言葉で語っていらっしゃるのに、私はただ好きだ、としか言えない。ファブリツィオの声自体はそんなに好きなタイプではないのに、不思議。

ジェノバ方言で書かれた歌詞はわからない、だけど、意味がわからなくても聞ける、一枚通しても聞ける、ずっと長く聞いていたいアルバム。



Creuza De Ma 
アルバムの1曲目
Creuza De Ma






ライヴ






ファブリツィオは1999年1月10日に亡くなりました。


息子のクリスティアーノ(右)とマウロ・パガーニ
パガーニはこのアルバムの共作者です。




工事中

*Rainbow's endさんのレビューは、昔は”れびゅー”と書かれていたような気がしたので、ついそう書いてしまいますが、今度から音源ガイドと改める予定です。

2012年1月11日水曜日

少し昔のようなこと

友人がみかんを一箱もらったから、お裾分けしてくれるという。今、その友人は一番のご近所さんで、自転車に乗って届けに来てくれた。我が家は、じゃがいもをお裾分けすることにした。こちらは家庭菜園をしている親戚から年末にもらったもので、差し上げてよいものか少し迷った。じゃがいもは常備野菜で友人宅にも十分あるかもしれないし、もう少し気の利いたものはないかと思ったけど、何も無かった。


我が家の玄関先ではなくて、マンション?というか小さいビルの出入り口で、おみかんをいただいた。じゃがいもは喜んで受け取ってもらえて、ほっとした。物々交換は楽しい。


今日はだいぶ暖かいと思って外に出てみたけれど、友人と立ち話をしているとすぐに寒くなってきた。ちょっと手をこすり合わせたりポケットに入れたり、体を左右揺らしたりしてお喋りした。でも、お昼前の空気が清々しかった。
それは、ほんの短い時間だったけれど、友人から、みかんをくれた人のことや知人の消息を聞いて、情報が倍になった気がした。
こんなふうに、気軽なご近所づきあいをするのは久しぶりのような気がする。


おみかんのこと。
このところ、我が家では小さな一口みかんが主流になっているので、皮がぷわっとした大きめのみかんは、頂き物でしか食べない。頂き物に外れはなく、とても美味しい。
レモンひとつ、友人のお母様がつけてくださった。





2012年1月9日月曜日

ブランフォード・マルサリスのブラジル風バッハ第五番

ヴィラ=ロボスといえば、一時期、ブランフォード・マルサリスのサックスで、ブラジル風バッハ第五番をよく聞いた。ヴォーカルが入ったお気に入り曲を数曲まとめたときに、間奏曲代わりに入れたりもした。この第五番はソプラノ歌手によるアリアでも、本当によく聞いた。
YouTubeにアップされていたので、ここにもおいておこう。


Branford Marsalis
Villa-lobos
Bachianas Brasilieras No.5 
for Soprano Saxaphone